2009年10月12日

◆ 小進化の蓄積

 「小進化の蓄積で大進化が起こる」
 ということはありえない。そのことを示す。 ──
    ( ※ 本項の実際の掲載日は 2007-08-14 です。)


 上記のことをどうやって示すか? 証拠によって示すか? 
 一般に、「ある仮説は成立しない」ということを、直接的に実証することはできない。それは「存在しない」ということを実証するのと同様で、不可能である。

 そこで、「逆を実証する」というのが、普通だ。
 ただし、ここでは、「逆を実証する」というのも、容易ではない。というのは、「これこれの仕方で大進化が起こる」というのを実証するには、新たな学説の証明ということになり、大がかりになりすぎるからだ。(不可能ではないが、大変すぎる。特に、一個人でやるには。)

 ──

 そこで、かわりに、「論理的な不自然さ」のみを示すことにする。これならば、言葉だけで可能だからだ。
 以下に示そう。(背理法ふう)

 「小進化の蓄積で大進化が起こる」
 ということが正しいと仮定する。すると、次のようなこと(おかしなこと)が成立してしまう。

 (1) 分岐

 種が分岐したあとは、二つの種は同等に進化しているはずだ。(どちらも小進化や突然変異の量が同等なので。)
 しかしながら現実の化石を見ると、そうではない。常に、一方が「旧種」のまま取り残され、他方が「新種」として大幅に進化している。
 小進化の量だけを見れば、どちらも同等だと言えるが、大進化の量は、「0」と「1」という明白な差がある。

 (2) 古細菌と人間

 あらゆる生物は、最初の生物から次々と分岐したあとの種である。とすれば、古細菌と人間は、どちらも同じ程度に進化していることになる。
 同様に、原索動物も、腔腸動物も、魚類も、両生類も、爬虫類も、普通の哺乳類も、人類も、すべて同程度に進化していることになる。(進化の程度は同程度で、環境による適応の差があるだけだ。)
 しかし、これらのものをすべて同程度に進化していると見なしたら、そもそも「進化」という概念が崩壊してしまう。自己矛盾。

( ※ クラス進化論ならば、そういう問題は発生しない。一般に、旧種よりも新種の方が進化している。たとえば、魚類よりも両生類の方が進化している。)
( ※ クラス進化論によれば、「人類は最も進化した生物である」と結論できる。一方、従来の説によれば、「人類も猿も狼も、同程度に進化している」と結論される。同様に、「人類も魚類も古細菌も、同程度に進化している」と結論される。)

 (3) 可逆性と不可逆性

 「小進化の蓄積で大進化」という発想を取ると、「進化は可逆的である」というふうになる。(論理的結論)
 たとえば、魚類から両生類への進化があったように、両生類から魚類への進化があるはずだ、となる。
 しかし、現実には、そういうことは起こらない。
 たとえば、爬虫類が水中に入ると、魚類になるのではなく、魚竜などになる。また、哺乳類が水中に入ると、魚類になるのではなく、鯨などになる。つまり、元の古い種に戻るのではない。(新たな種に発展する。)
 これは「進化の不可逆性」である。
 つまり、次の矛盾がある。

  ・ 理論 …… 進化は可逆的
  ・ 実際 …… 進化は不可逆的

 要するに、こうだ。環境の変化によって進化が起こるのだとすれば、環境を逆にたどることによって逆方向の進化が起こるはずだが、現実には、そういうことはない。こうして、理論と現実とが矛盾する。
 実は、この問題は、私が初めて指摘したわけではなく、30年以上前にすでに指摘されてきた。ダーウィン進化論にはさまざまな問題があるということは、半世紀以上前からあちこちで指摘されており、この不可逆性の問題は、そういう問題の一つである。

( ※ なお、クラス進化論ならば、この問題は起こらない。小進化は可逆的であるが、大進化は可逆的でないからだ。小進化が可逆的だということは、理論的にも実証的にも説明される。このあと、「小進化の蓄積で大進化」という説を取ると、理論と実際が矛盾するが、「小進化と大進化とは別の原理で起こる」と考えれば、理論と実際が矛盾することはない。……とにかく、小進化は可逆的であり、大進化は不可逆的である。この両者を一つの理論で説明すれば、矛盾が起こるが、別の理論で説明すれば、矛盾は起こらない。)
( ※ この問題の本質は、「進化は連続的に起こる」ということから来る。比喩的に言うと、なめらかな斜面だと、上りも下りも可能である。一方、階段状だと、「上がることはできるが下がることはできない」という場合も考えられる。……例。下りると壊れる。例。前しか見えない。例。後ろ向きに階段を下りるのは怖い。)

 (4) 中間種と確率

 「常に中間種が存在する」  (*)
 という命題が正しいとしよう。
 その一方で、化石から得られる結果は、
 「中間種はまったく見出されない」
 という結果だとしよう。
 ここで、化石の結果が、3例ぐらいしかないのであれば、化石の結果は、(*)を否定するとは言えない。
 しかし、化石の結果が何十もあれば、(*)は否定される。なぜなら、(*)が正しいとしたら、化石の結果と合致することは、統計的にごくわずかな確率しかないからだ。(ゼロ同然の確率。)
 
 例。
 「このサイコロの目は、1から6まで均等にある」(※)
 という命題が主張されたとしよう。
 4回やってみたら、サイコロは常に1または2の目だった。(1,1,2,2)
 この結果だけでは、何とも言えない。
 しかし、千回やってみて、サイコロの目が常に1または2だったとしたら、ここではもはや(※)のことは成立しそうにない。むしろ、次のことが正しいだろう。
 「このサイコロの目は、1と2しかない」(1が三つと2が三つ)
 こういうふうに判定するのが、統計的な処理の考え方だ。

 ただし、統計的な処理を知らない素人は、次のように主張する。
 “ いや、このサイコロには、3,4,5,6の目もあるんだ。本当はあるんだが、たまたま見出されていないだけだ。「ない」ということを証明できないんだから、「ある」と考えていいはずだ。”

 しかし、統計的な処理のことを知っている人は、素人の発想に呆れるしかないだろう。



  【 追記 】

 専門家向けにポイントを解説しておこう。大事なのは、次の点だ。
 「遺伝子の突然変異量と、進化の量とは、異なる」

 遺伝子の突然変異量を見るだけなら、大進化の有無はあまり関係ない。旧種と新種を比べても、それぞれにおける突然変異の量は大差がない。たとえば、類人猿と人間とを比較して、それらの分岐以前と比べると、どちらも突然変異の量は同じぐらいだ。こういうふうに、突然変異の量は大差がない。しかしながら、進化の量には大差がある。

 多くの進化論の学者は、「突然変異の量こそが進化の量だ」と思いがちだ。しかしそれは、「突然変異の量こそが小進化の量だ」という意味では正しいが、「突然変異の量こそが大進化の量だ」という意味では正しくない。
 つまり、大進化の有無は、突然変異の量には比例しないし、小進化の量にも比例しない。
 たとえば、シーラカンスを見よう。昔のシーラカンスと現代のシーラカンスを比べると、突然変異の量は多大だし、小進化の量も多大だ。しかしながら、大進化の量はゼロである。つまり、昔も今も、同じくシーラカンスという(ほぼ)同一種のまま保たれている。古細菌も、似たような事情にある。
 
 結局、「大進化が起こるか否か」ということは、「突然変異が蓄積するか否か」には依存せず、「小進化が蓄積するか否か」にも依存しない。では、何に依存するかというと、「大進化を起こすような決定的な違いをもたらす新しい遺伝子を有するか否か」だ。その遺伝子は、数の上では、そんなに多い必要はない。
 たとえば、人間とチンパンジーとを比べると、遺伝子の違いはあまり多くない。95%ぐらいは同じだ、と言われている。しかしながら、残りの5%ぐらいが決定的に重要なのだ。
 つまり、「違う遺伝子の量」ではなく、「違う遺伝子の質的な差」こそが決定的に重要なのだ。「ちょっと違うものがいくつあるか」が大事なのではなく、「大幅に違うものがあるか否か」が大事なのだ。それが大進化の有無を決める。

 以上に述べたことで、「大進化とは何か」がわかったわけではない。しかし、少なくとも、「何ではないか」はわかる。つまり、「大進化は小進化の蓄積ではない」と。……それが、本項で述べたことだ。



 【 参考 】

 似た話題は、下記。

  → 小進化の蓄積で大進化?(嘘)

 より詳しい話は、下記。

  → http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_05.htm#08b
posted by 管理人 at 17:28| Comment(13) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>クラス進化論によれば、「人類は最も進化した生物である」と結論できる。

こんな考えを持っているようでは何を言っても、全て台無しですね。
Posted by 琥珀 at 2007年08月14日 20:11
あえて従来の進化論とは違った結論を出しています。

ただし、根拠は、ここでは示していません。(そのせいでわかりにくいのは覚悟の上です。)

しかしまあ、「ウィルスと人間は同じぐらい進化している」という説を取りたければ、勝手にそっちを取ってください。

そういう人から見れば、「台無し」と呼ばれても構いません。

 ──

 ※ ついでですが「人類は最も優秀である」と示しているわけではありません。「人類の誕生には最大の時間がかかる」と主張しているのです。
 誤解ないように。

 従来の説だと、人類も魚類も両生類もウィルスも、誕生には同じだけの時間がかかることになるのかもしれませんがね。私はそういう立場は取りません。実証主義なので。
Posted by 管理人 at 2007年08月14日 20:35
琥珀さんがどのような意味合いで

>「人類は最も進化した生物である」

とする南堂さんの(「クラス進化論」の)結論を「台無しだ」と判じているのか明記されていませんが、もし南堂さんの解釈のように「最も進化した」を「最も優秀である」と捉えているとすれば、(以前に同様のことを書きましたが)やはり「進化」の【進】の字にミスリードされていることになりますね。
進化と優劣は相関することも多いが等価ではない、というのはその通りだと思います。ダーウィン「進化」論と対のように使われる「優勝劣敗」という言葉が更にミスリードを加速しているのかもしれません。
表現型の現象論だけじゃなく、ゲノム進化(ある種の生物を構成する物質の組み合わせの変化=進化)の考え方をとれば、もう少し誤解が解けそうな気がしますが、なかなかそのレベルまで一般市民を啓蒙することもまた難しいことではあります。
Posted by 猪口雅彦 at 2007年08月14日 21:30
管理人さんがここで提示された理屈は「あらゆる生物の小進化は常に同じ程度に蓄積されていく」ことを前提にしているように読めますが私にはそうは思えません。
Posted by 良寛 at 2007年08月14日 23:03
× あらゆる生物の小進化は常に同じ程度に蓄積されていく

○ あらゆる生物の突然変異は常に同じ頻度で発生する (ただし形質の発現とは別)

cf. 中立説
Posted by 管理人 at 2007年08月14日 23:12
>あえて従来の進化論とは違った結論を出しています。

クラス進化論から自然と導かれる結論ではないんですね。


「人類の誕生には最大の時間がかかる」→「人類は最も進化した生物である」
ということは、時系列的な順位付けがあるんですね。
つまり、「最初の頃に誕生した生物(それが今も生き残っている種でも)は、
あまり進化していない生物である」ということですね。
違ってたら言ってください。

結局あなたが言ってることは、「○○より○○は進化している」
つまり、「〜より進化している」ということですが、これがそもそもの間違いですね。
(自分事ですが、これでスッキリしました)
Posted by 琥珀 at 2007年08月14日 23:15
>○ あらゆる生物の突然変異は常に同じ頻度で発生する(ただし形質の発現とは別)

という「形質の発現頻度はさまざま」という前提を認める立場であれば、「分岐したあとの種が同等に進化していない」のは矛盾でも何でもないはずです。
同様に「ウィルスと人間とは同じ程度の進化ではない」のも矛盾でも何でもないと思われます。
管理人さんが最初におっしゃった「次のようなこと(おかしなこと)」は始めからおかしくないことなのではないでしょうか。
Posted by 良寛 at 2007年08月15日 16:17
なんだか丁寧に解説をしていただいたようですね。
統計については別に議論の必要は無いと思うのでいいでしょう。

ただ言葉の定義などに誤解がありそうなので、それに関していくつか。

(2) ウィルスと人間
ウイルスは広義には生物に入ることもありますが、無生物でしょう。進化系統樹には入らない連中なので進化についての議論にウイルスを持ち込むのは不適当。
あとは良寛氏が指摘されているので割愛。

(3) 可逆性と不可逆性
可逆性は「一度獲得した形質を進化の過程で失うことがある」ことで、別に両生類が魚類に戻るような逆行を想定しているわけではないと思います。
例えばナメクジは貝類が一度獲得した殻を失った生物です。可逆性が言っているのはこういうことかと。
そもそも魚類→両生類→爬虫類→鳥類は生息範囲を広げるための進化なので逆の進化が起きる必然性がありません。両生類からすれば水中は既に魚類に支配された環境なので戻るメリットが無い。
ただ魚類が何らかの理由で絶滅すればそういう進化が起こった可能性はありますよね。しかし魚類と同じになるかどうかは不明です。あの形質が陸生生物から水生生物への進化の最適解とは限りませんから。
Posted by M&S at 2007年08月16日 15:49
> そもそも魚類→両生類→爬虫類→鳥類は生息範囲を広げるための進化なので逆の進化が起きる必然性がありません。

これはよくある誤解なので、注釈しておきます。上記は間違いです。棲息範囲をひろげるときには、次の形のことも起こります。

恐竜 → 翼竜 (空中)
恐竜 → 魚竜 (水中)
動物 → 鯨 (水中)
鳥類 → ペンギン (水中)

たとえば、魚類が水中に最適化されているのだとすれば、爬虫類や哺乳類は水中に進出するときに魚類に戻っていいはずですが、そうはなりません。他の場合も同様。
環境へ適するために進化した、というのは間違いです。進化したから新たな環境に進出できた、というのが正しい。
たとえば、空に進出するために翼を備えたのではなく、翼を備えたから空に進出できた。
人間が「空を飛ぼう」と思って空にジャンプすると翼が生える、ということはないのです。
Posted by 管理人 at 2007年08月16日 16:06
説明不足でしたかね。誤読されているような気がします。

>たとえば、魚類が水中に最適化されているのだとすれば、爬虫類や哺乳類は水中に進出するときに魚類に戻っていいはずですが、そうはなりません。

僕が言っているのは魚類は水生生物として進化した生物の最適解。陸→水と進む進化では魚類に戻ることが最適解でないことは言及しています。

>恐竜 → 魚竜 (水中)
>動物 → 鯨 (水中)
>鳥類 → ペンギン (水中)

要するにこういうことです。

>恐竜 → 翼竜 (空中)

これはここで出てきた理由が分からないですが、そういう進化はありますよね。

>環境へ適するために進化した、というのは間違いです。進化したから新たな環境に進出できた、というのが正しい。

確かにその部分は僕の表現が良くないですね。ご指摘ありがとうございます。

では他の部分への回答もよろしくお願いします。
Posted by M&S at 2007年08月16日 18:13
> 他の部分への回答

どうでもいいことなので省略します。
Posted by 管理人 at 2007年08月16日 20:01
>「小進化の蓄積で大進化が起こる」
 >ということはありえない。そのことを示す。

小進化に伴って蓄積される潜在変異要因が増大した結果、ある段階に達して大きな構造変化が起こり大進化するという解釈は無理でしょうか。
Posted by 良寛 at 2007年09月25日 21:03
間違ってはいませんし、趣旨としては正しいでしょうが、「潜在的」というのをちゃんと学術用語で表現しないと、ただの文学的な直感にすぎません。

科学というのは、潜在的な何かというものを、具体的に明確な形に表現することです。

たとえば、潜在的に感じられる重力を、はっきりとしたモデルで表現する。
Posted by 管理人 at 2007年09月25日 21:30
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