2009年10月11日

◆ 分岐と進化

 分岐と進化とは別のことだ、と認識した方がいい。(進化論で。)
 大進化と小進化についても、ここから本質的なことがわかってくる。  ──
    ( ※ 本項の実際の掲載日は 2009-03-11 です。)

 
 進化論では、分岐と進化はほとんど混同されている。つまり、
 「環境が進化をもたらす」
 という発想のもとで、
 「環境が分岐と進化をともにもたらす」
 と見なされている。

 例1。類人猿が草原に進出したから、直立歩行して人間になった。
 例2。魚類が陸上に進出したから、ヒレが足になって両生類になった。
 例3。恐竜がに進出したから、手が翼になって鳥になった。

 これらの例では、「草原」「陸上」「空」という環境が、分岐と進化をもたらしたと見なされる。
 この際、分岐と進化は特に区別されない。一緒くたになっている。(環境がもたらすものとして。)

 ──

 しかしながら、前項では、別の発想を示した。それを新たにまとめて示すと、次のように言える。
 「分岐と進化とは、別のことである。分岐が起こるのは、遺伝子レベルのことだ。それはかなり偶発的である。特に有利とか不利とかいうことはないまま、多様なものが生じる。その後、環境の影響を受けて、特定の方向に進化が展開していく」


 ──

 図のイメージで記すと、次の通り。

   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 ここには横方向に、いくつかの点ある。それらは別々の変種である。さまざまな変種がこうして誕生する。(遺伝子レベルの突然変異。)
 その後、縦方向に、進化が進む。いわば芽が伸びるように、縦方向に進化の過程が伸びていく。そのとき、少し右に伸びたり、少し左に伸びたりする。(進化の方向性が定まる。)そして、その際には、環境の影響を受ける。

 ここで注意。進化がどうなるかは、環境だけで決まるのではない。最初の変異がどのようなものであるかということも大切だ。それによって、環境から受ける影響は異なる。
 たとえば、草原であれば、ゾウならば鼻が長くなり、キリンならば首と足が長くなる。ここでは、
 「環境が鼻を長くした」
 「環境が首と足を長くした」
 ということは、間違いとは言えないのだが、全面的に正しいわけでもない。環境は、それ単独では進化の方向性を決めない。それ以前に、もともとどのような遺伝子があるか、ということが重要だ。

 ──

 人間で言えば、猿が草原に出たから二足歩行をしたのではない。猿に二足歩行ができるための遺伝子が出現したから、そのような個体群だけが草原に進出できるようになったのだ。そして、いったん草原に進出すると、そのあとでは、二足歩行が上手になるようにどんどん進化していったのだ。(進化の芽がどんどん伸びていく、ということ。)
 ここでは、「環境は進化を促進する」と言うことはできる。しかしながら、環境は進化そのものの方向性を決めることはできない。環境は進化の芽そのものを誕生させることはできない。進化の芽は、もともとその遺伝子があるかどうかで決まる。たとえば、
  ・ 猿が二足歩行するための遺伝子
  ・ 象の鼻が長くなるための遺伝子
  ・ キリンの首が長くなるための遺伝子

 これらの遺伝子が必要だ。そしてその遺伝子は、環境がもたらすのではない。これらの遺伝子をもたらすのは、もともと生じている突然変異だ。
 
 ──

 別の例で示そう。前項では、哺乳類の分岐として、三つのグループを示した。では、これらのグループは、いかにして三つに大別されれたか? 
 現代の進化論に従えば、「環境が分岐と進化をもたらした」という発想を取る。すると、環境に依存する形で、
 「三つの大陸に別れたから、三つのグループに分かれて進化した」
 「三つの大陸では、三つの異なる環境があるから、それぞれ別々に進化した」

 というふうに結論しそうだ。しかし、そんなことはありえない。(環境だけで決まるはずがない。)

 北方獣類というのを見よう。それらは初期にはすべて、ネズミみたいに小さな動物であった。犬や牛などは、初期には小さなイタチみたいな動物であったが、それの祖先はやはりネズミみたいなものであった。霊長類も、古くは原猿類と呼ばれるイタチキツネザルみたいな小さな猿だったが、そのまた祖先はネズミみたいな小さな動物であった。……つまり、どれもこれも、最初はネズミみたいに小さな動物であった。しかるに、そのあと、分岐が起こり、そしてさらに進化が起こって、さまざまな種に展開した。(犬や牛や猿などの種に。)
 とすれば、同様のことは、貧歯類やアフリカ獣類にも当てはまるはずだ。これらの動物は、最初からアルマジロや象であったわけではない。最初はごく小さな動物であったはずだ。たぶん、ネズミみたいな形の。ただし、このネズミみたいな形の動物は、北方獣類の祖先であるネズミみたいな形の動物とは、決定的に異なる何かがあった。(遺伝子的な違いとしての何かが。)それゆえ、最初は北方獣類の祖先とそっくりでも、そのあとの進化の過程はまったく別のものとなった。

 ──

 要するに、進化の方向を決めたのは、環境ではない。進化の方向を決めたのは、最初の分岐だ。そして、分岐が起こったあとで、それぞれの種に、環境が作用することで、それぞれの種が特有の形態のものへと変化していったのだ。それは進化が展開していく過程である。
 たとえば、ある種は、最初は木の上にいるネズミみたいなものであったが、その後、イタチキツネザルのようになり、さらには、中型の猿のようになり、さらには類人猿のようになり、ついには、人間になった。
 たとえば、ある種は、最初はやはりネズミみたいなものであったが、その後、猿のようになり、ついにはナマケモノとなった。
 猿とナマケモノを比べると、かなり似ているので、「環境がこのように進化をもたらしたのだ」と思いがちだ。しかし、猿とナマケモノを比べると、その骨格構造が大幅に異なることが分かる。ちょうど、鯨と魚が大幅に異なるように。そして、このことは、猿とナマケモノが遺伝子的に大幅に異なることを意味する。……これは収斂進化と同様だ。(収斂進化そのものだと言えなくもない。)

 環境はたしかに進化に影響する。しかし、環境が影響するのは、身体の形態だけだ。そして、それは、たいして意味はない。鯨と魚で形が似ていることにはあまり意味がないように、収斂進化において身体の形態はあまり大きな意味がない。そもそも、進化においては、身体の形態はあまり大きな意味がない。進化の本質は、身体の形態ではないのだ。
 種における本質的な違いをもたらすのは、環境による身体の形態の差ではなくて、最初の分岐なのである。そしてそれが、猿とナマケモノの差をもたらしたり、鯨と魚の差をもたらしたりする。

 ──

 もっと具体的に示そう。それは、哺乳類の適応放散だ。
 白亜紀末、恐竜が絶滅した。その後、地上には空白領域ができた。それまで夜行性だった哺乳類は、昼間も含めて地上に全面的に進出した。そのとき、「適応放散」という形で、急激な進化が起こった。それは、進化の幅(範囲)も広いし、進化の程度(段階)も大きかった。それは「哺乳類の進化の爆発」とも言われる。
 では、この「適応放散」は、いかにして起こったか? 


 第1に、従来の発想では、こう考える。
 「哺乳類は、新たな領域に進出したから、大幅に進化が起こった。新たな環境が新たな進化をもたらした

 第2に、本項の発想では、こう考える。
 「哺乳類はもともと、遺伝子的に多様なものがあった。それは将来の多様な種の芽となるものであった。ただし、遺伝子的には多様ではあっても、形態的には多様ではなかった。というのは、恐竜の圧迫があったので、それらの遺伝子が十分に発現する機会がなかったからだ。あらゆる種はいずれも、小さなネズミのような形態しか取れなかった。逆に言えば、どれもこれも小さなネズミのような形態のものしかなくても、遺伝子的には多様なものがあった。……そして、恐竜が絶滅した。そのとき、重しが取れる形で、進化の芽は急速に伸びていった。すると、進化の芽が勝手に伸びるに応じて、進化の方向も多様に膨らんでいった。このとき、環境は『草原』という同一の環境であっても、もともとある芽が異なるせいで、進化の過程はそれぞれ別方向に伸びていった。……ここでは、環境が進化の方向を決めたのではない。環境は進化の範囲を限定しただけだ。牛や鹿や猫やイタチなどは、環境の違いによって進化の方向が決まったのではない。もともと遺伝子的な違いがあって、その後、空白領域に放り出されると、もともとの形質に応じて、おのれの形質をどんどん伸ばしていったのだ。……たとえば、馬という種は、その種に応じて、どんどんその形態を伸ばしていった。『中指ばかりが大きくなる』というふうに。ここでは、環境がその進化をもたらしたのではない。逆に、進化が起こったから、(馬においては)中指ばかりが大きくなったのだ。そして、そのことは、象であれ何であれ、同じように起こった。(象においては鼻がどんどん長くなり、キリンにおいては首がどんどん長くなった。同様に、人間においては脳がどんどん発達していった。)」

 ──

 まとめ。

 環境は、分岐をもたらさない。環境は、分岐のあとで進化に影響するだけだ。
 環境は、進化を促進し、また、進化の方向性を制約する。しかしながら、その進化は、小さな微修正の蓄積にすぎない。たとえば、馬の中指がだんだん大きくなる、というような。
 基本的な大枠としての方向性は、環境によって与えられるのではなく、最初の分岐によって与えられる。その後、進化の過程で、(それぞれの種ごとに)特定方向の進化がどんどん進んでいく。

 
  ────────────

 以上のことから、新たな結論を得ることができる。

 (1) 大進化と小進化

 進化は、おおむね、大進化小進化とに区別される。
 まずは遺伝子レベルで、大規模な分岐が起こる。これが大進化に相当する。
 そのあと、環境の影響を受けて、小規模の突然変異が蓄積する。その一つ一つが小進化に相当する。

 (2) 中規模の大進化

 巨大な大進化が起こったあとで、中規模の大進化が何度も起こることがある。たとえば、霊長目への進化が起こったあとで、霊長目のなかで種レベルの大進化が何度か起こる。……これが通常は「進化」と呼ばれるものだ。

 (3) 収斂進化

 このような中規模の大進化が何度か起こると、たまたま、「収斂進化」が起こることがある。つまり、巨大な大進化を起こした別のグループ同士で、ある種とある種がたまたま形状が似てくることがある。
 たとえば、……アライグマ & タヌキ。ジャイアントパンダ & レッサーパンダ。クマ & クズリ
 また、大きな枠組みを超えることすらある。……フクロアリクイ & アリクイ。クジラ & 魚。翼竜 & 鳥。(これらがどのような収斂進化であるかは、種よりも上の分類項目を見るとわかる。 詳しくは → 参考サイト

 (4) 進化の意味

 収斂進化の意味を考えると、次のような発想を取ることもできる。
 「進化において、肉体の形態はあまり意味をもたない。手足の長さや、体の大きさや、体表の色など、そういうふうに目につきやすい形態は、あまり意味を持たない。クジラのヒレや、ペンギンの翼や、魚のヒレが、どれも似たような形であるとしても、そういうことはあまり意味を持たない。それらは環境に適応した形になっているが、環境に応じていくらでも変化できるのだから、たいして意味を持たない」
 その具体的な例は、犬を見るとわかる。犬には、小さなチワワから、巨大なドーベルマンや、もっと大きな犬まで、多様なものがある。それでいて、犬というのは単一種である。犬の体の色など、たいして意味を持たない。体の大きさも、意味を持たない。鼻が長いか(ブルドッグのように)つぶれているかも、意味を持たない。足が長いか(ダックスフンドのように)短いかも、意味を持たない。……犬にとって大切なのは、形態の差ではなく、犬という種であることだけだ。(犬の本質、と言い換えてもいい。)

 (5) 進化の本質

 では、進化の本質は何か?
 通常の進化論者は、次のように考える。
 「進化とは、環境の影響を受けて、手や足の長さが変わったり、肉体の形態が変わったりすることだ。そのことで、環境に応じて、最適の形態を取ることだ」
 しかし本項は、それを否定した。
 「手や足の長さが変わったり、肉体の形態が変わったりすることは、あまり意味がない。そんなことは、環境に応じて、いくらでも変化してしまうものだ。哺乳類が魚みたいな形になることもあるし、爬虫類が魚みたいな形になることもあるし、鳥類がちょっと魚みたいな形になることもある。(クジラ、翼竜、ペンギン。)……そんなことは、たいして意味がない」
 では、かわりにどう考えるべきか? 私は、次のように考えたい。
 「肉体の形態の差よりも、もっと大切なことがある。それは、爬虫類、鳥類、哺乳類というような、大枠の違いだ。 それこそ最も大切だ。そして、このような大枠の違いは、決して環境の違いからはもたらされない。そこでは環境以外に、もっと大切なことがある」
 では、それは、何か? 環境以外に、何が大切なのか? もちろん、突然変異も重要だが、突然変異だけで済むはずがない。突然変異に影響するものとして、環境以外に、どのように大切なものがあるか?

 その解答はあるが、その解答を記すには、余白のスペースが足りない。ダーウィンの進化論に取って代わるものを、簡単に述べることはできない。そこで、省略する。

( ※ ……というのを読んで、「馬鹿にするな!」と思った人は、このあとの話を読んでください。   (^^); )
( ※ あと、本項最後にも、解答編への リンクがあります。)



 [ 付記 ]
 その解答は何か? 
 それは、簡単にまとめることはできる。だが、簡単に記述すると、
 「論拠が不足だ、いい加減だ、デタラメだ、トンデモだ!」
 という批判がいっぱい降りかかって来るだろう。特に、トンデモマニアが、ギャーギャー喚いて、文句を言って来るだろう。そういう文句に、いちいち対応するのが面倒なので、ここには書かないでおきたい。
 ま、どうせ書いても、それを信じる人はいないだろう。「こいつの書いていることはトンデモだ」という批判が降りかかってくるだけだ。書くだけ面倒なので、書かないでおく。私だけの秘密にしておく。……ま、将来、「クラス進化論」が世間に受け入れられたら、そのときになって、本項の続きを書くことにしよう。
 
 ──

 というふうに、書かないつもりだったのだが、……
 しかし、それではあまりにも不親切だ、という気がした。そこで、さわりの箇所だけ、ちょっとだけ書いておこう。こうだ。
 「進化で本質的なことは、構造の複雑化だ」

 たとえば、次の順で、構造の複雑化がある。
    魚類 < 両生類 < 爬虫類 < 哺乳類

 ここでは前者よりも後者の方が明らかに、構造が複雑化している。
 (また、哺乳類のなかでも、霊長目のなかで、原猿類よりは類人猿の方が複雑化している。そういう進化もある。)
 一方、同じレベルで比べると、構造の複雑化はほとんどない。たとえば、犬と猫を比べても、大差はない。また、犬(という同一種)のなかで見ると、チワワとドーベルマンではまったく差がない。
 つまり、構造の複雑さと、構造の違いとは、まったく別のことだ。魚類と哺乳類で構造の複雑さに違いがあることと、魚類と哺乳類で形態の違いがあることとは、まったく別のことだ。
 構造の複雑さは、遺伝子の複雑さからもたらされる。それは単調増加の過程であって、逆進することはない。一方、形態の違いは、逆進することもある。たとえば、ヒレをもつ生物が、足をもつ生物にかわり、その後、ふたたびヒレをもつ生物になることはある。
 進化において本質的なのは、構造の複雑さがどれだけ高いかである。一方、構造の違いがどうであるかは二次的なことだ。
 具体的に言うと、魚類のヒレに比べて、哺乳類の指はずっと複雑化している。爬虫類の足に比べて、哺乳類の足はずっと複雑化している。
 そして、このような構造の複雑化の差が、最も典型的に現れているのは、だ。手足の長さや形状の違いよりも、脳の発達の違いこそが、最も重要となる。
 では、その差をもたらしたのは、何か? ……やはり、ここに書くには、余白が不足する。(というのは比喩的な表現だが、意を汲み取ってほしい。とにかく、簡単には、書くことができない。)(ついでだが、脳の発達をもたらしたのは、草原などの環境ではない。ここが大事。)

 [ 余談 ]
 とにかく、「環境において有利なものが増える」というようなダーウィンふうの発想を取るべきではない。それでは、小進化については説明できても、根本的な大進化については説明できるはずがないのだ。小進化の理論と、大進化の理論とは、別なのだ。
 そして、このことを(大前提として)世間が受け入れない限り、私が何を言っても聞き入れられないだろう。世間は「小進化の理論さえあれば足りる。大進化の理論なんかは不要だ」と思っている。そこへ、大進化の理論を出しても、とうてい受け入れられないだろう。
 要するに、人類は、正しい進化論を受け入れるほどには、進化していない。人類が正しい進化論を受け入れるには、「小進化の理論と、大進化の理論とは、別なのだ」ということを、大前提として理解する必要がある。
 そして、人類がそれを理解するには、あと百年以上の時間が必要だろう。それまでは、何を言っても、豚に真珠。または、猿に学問。猿に向かって高度な学問を教えれば、猿は「トンデモだ!」と騒ぐだけだろう。……かくて、当分の間、進化論は進化しないままだろう。
 
( ※ 現代の進化論を信じる学者たちがいかに猿みたいであるかは、血縁淘汰説や利己的遺伝子説という数学的に破綻した理論を信じていることからもわかる。このことはすでに説明した。しかしながら、学者たち々はいまだに、これを理解できずにいるようだ。だから、血縁淘汰説や利己的遺伝子説というデタラメを信じている。いつになったら、そこから抜け出せることやら。)
( ※ すでに説明したのは、次の2箇所。→ その1その2

 [ 付記 ]
 本項で述べたことは、通常の進化論を否定している。つまり、ダーウィニズムを否定している。たとえば、次の事例を見よう。
 「ダーウィン・フィンチがそれぞれの島で異なる」
 この事実から、ダーウィンは、「環境が進化をもたらす」という発想を得た。(自然淘汰説。)……そして、この発想を、通常の進化論は支持している。
 しかし、本項は、次のように結論する。
 「ダーウィン・フィンチがそれぞれの島で異なる、ということは、進化の証拠ではない
 なぜか? ダーウィン・フィンチがそれぞれの島で異なるとしても、それは、遺伝子の塩基レベルの突然変異にすぎないからだ。その突然変異は、ほぼ可逆的である。種Aから種Bに進化することもできるし、種Bから種Aに進化することもできる。つまり、進化は逆進できる。……このことは、あらゆる小進化に当てはまる。
 一般に、小進化は可逆的である。そこでは塩基レベルの変異があるだけで、種レベルの変異はない。そこから新しい亜種が誕生することはあっても、新しい種が誕生することはない。(亜種同士ではたがいに交配可能であるのが普通だ。)……当然ながら、小進化では、「構造の複雑化」はない
 つまり、ダーウィン・フィンチの違いを見て、「環境が進化をもたらす」というふうに考えたのは、小進化については当てはまるが、大進化については当てはまらない。
 そして、進化の本質は、小進化ではなく、大進化である。とすれば、ダーウィンの説は、小進化論であって、大進化論ではない。つまり、ダーウィンの説は、(進化を説明するという意味の)進化論ではない。ただの「小進化論」ないし「亜種進化論」であるにすぎない。
 では、大進化については? なるほど、大進化についても、環境による自然淘汰はいくらか影響する。しかし、単に影響するだけだ。大進化をもたらす根源的なものは、遺伝子レベルの分岐であって、自然淘汰ではないのだ。……その意味で、ダーウィン説は、進化論というよりは、進化論の小さな一部にすぎない。それは、まったくの間違いというわけではないのだが、進化を説明するためには、理論としてはあまりにも小さすぎる。
 それゆえ、ダーウィンの説を、「進化論」と呼ぶのは、無理がある。どちらかと言えば、「進化論を形成する歴史における、初期理論(原始理論)」と見なす方がいい。ダーウィン説それ自体は、進化論ではないが、そこから歴史的に発展して芽が伸びることによって、進化論が形成されていくわけだ。
 比喩的に言おう。完成された進化論を人間にたとえると、ダーウィン説は原始的な霊長類のようなものだ。ダーウィン説は、進化論ではなくて、進化論の祖先なのである。

 【 後日記 】

  後日、次の項目を新たに書いた。
  → 進化の本質



 ※ これ以降は、特に読まなくてもよい。

 [ 補足1 ]
 すぐ上のダーウィン・フィンチの話について、補足しておこう。
 「単一種のなかで複数の亜種がある」
 というふうに説明したが、これは学術的に証明されている。詳しくは、下記。
  → Wikipedia 「グラント夫妻」
 そこから引用すると、次の通り。
 「13の「種」に分けられているガラパゴスのフィンチ類がそれぞれ交雑可能で、したがって正しくは一つの種の亜種」

( ※ ついでだが本項にはいくつか、微修正を要する箇所がある。ただしそれらについては、いちいち脚注をつけない。知識のある人ならば、自分で微修正できるはずだからだ。)

 [ 補足2 ]
 本項の後半では、「進化の本質は構造の複雑化である」という趣旨のことを述べた。ただしこれを、英語版 Wikipedia は否定している。引用しよう。
 A common misconception is that evolution is "progressive," but natural selection has no long-term goal and does not necessarily produce greater complexity.[100][101] Although complex species have evolved, this occurs as a side effect of the overall number of organisms increasing, and simple forms of life remain more common.[102] For example, the overwhelming majority of species are microscopic prokaryotes, which form about half the world's biomass despite their small size,[103] and constitute the vast majority of Earth's biodiversity.[104] Simple organisms have therefore been the dominant form of life on Earth throughout its history and continue to be the main form of life up to the present day, with complex life only appearing more diverse because it is more noticeable.[105]
 しかしこれは、「進化」という言葉を誤解している。prokaryotes(原核生物)がたくさん存在しているということと、原核生物が進化した生物であるということとを、混同している。たくさん存在していることと、進化していることとを、混同している。
 なるほど、ダーウィン説を取る限り、「原核生物こそ最も進化した生物だ」ということになるのかもしれない。しかし、そのような進化論は、進化という言葉の意味を勘違いしているのだ。
 “ natural selection …… does not necessarily produce greater complexity”
 Wikipedia はこう記す。この記述自体は正しい。ただしここでは、natural selection と進化とを混同している。natural selection がそうであることと、進化がそうであることとを、混同している。
 現代の進化論は、このような迷走状態にある。進化とは何かということの本質を、じっくりと考えないと、「進化とは自然淘汰のことだ」と思い込んだすえ、真実を見誤ってしまうものだ。




 【 関連情報 】

    ( ※ さらに詳しい話を知りたい人々のために。)

 「分岐とは何か?」
 という質問については、次のページですでに示してある。
    → クラス進化論の概要
    → 第2部 概要 (ネオテニーによる進化論)

 ( ※ あらかじめ クラス進化論 をおおまかに理解しておくことが必要。)
 ( ※ 第2部では、ネオテニーをした個体は、有利だから進化するのではなく、不利だからこそ進化する。不利なものが進化するということを理解するために、クラス進化論を理解しておく必要がある。)
 ( ※ なお、さらにの前提として、木村資生の「中立説」や、太田朋子の「ほぼ中立説」も、理解しておいた方がいい。そうすれば、クラス進化論も受け入れやすいだろう。)
 
 ──

 後日、次の項目を新たに書いた。
  → 進化の本質
posted by 管理人 at 20:33| Comment(16) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大進化と小進化とは別の現象であることは良くわかります。
従来の説では卵生から胎生への大進化など、ほとんど説明になっていないように思われましたので。

『進化の芽となる元々あった多様な遺伝子』の由来について、どのように考察されているのか、大変興味があります。

ぜひとも続きを読みたい所ですが……。
Posted by けろ at 2009年03月13日 04:43
すでに詳しく説明してあります。「芽」については、上記の

 「クラス進化論の概要」

で、「新種の核」という言葉で説明しています。
ただ、いきなりそこに飛んでもわかりにくいので、最初から順々に読んでください。
Posted by 管理人 at 2009年03月13日 06:54
ありがとうございます。
ご紹介の論文は以前より何度か拝読しております。これにより、大きな形態変化についてかなり説明がつくと思います。
しかし、クラス進化論でもなお、生殖機能に関わる部分ではどうもすっきりしません。

卵生から胎生に至る道筋には多くの変化を要しますが、どの段階であっても子孫が残るだけの機能を雌雄ともに維持し続けねばならず、四肢や首の変化よりも遙かにシビアだと思います。

形態の変化もさることながら、循環系、内分泌、免疫といった領域全てがバランスを保って変化していく必要があります。母体、胎児の双方がそれらを達成しなくてはなりません。

それら一つ一つの要素について『新種の核』があちこちのグループに形成されていき、ある時点でクラス交差により一気に新種が形成される、という考え方でよろしいのでしょうか。

浅はかな理解で申し訳ありません。
Posted by けろ at 2009年03月14日 00:29
とても鋭い指摘です。問題点の所在をはっきりと理解しています。
 解答はあるのですが、分量がすごく長くなっているので、ここではお答えできません。

 その話は、いわば応用編です。今はとりあえず、基礎編を示すことを念頭に置いています。
 ついでに言えば、脳の発達は、応用編のそのまた応用編です。まだまだ先の話。

 ──

 最近は、哺乳類の進化やら、化石の発掘やらで、進化論の常識がどんどん書き直されているので、私もまた対応が大変になっています。(というか、十分に対応する時間が取れない。   (^^); )
Posted by 管理人 at 2009年03月14日 06:48
> 解答はある

とのこと。いずれ公開されるのを楽しみに待たせていただくことにいたします。(飽くまで無料の情報公開ですから、過度の荷重をかけるわけにもいきませんし)


生体の形態や塩基配列などの「ハード面」のみならず、そこに乗っかっている情報である「ソフト面」についても従来説では説明が困難な領域であると思っております。
本能、反射、生活様式、緊急時の措置なども悩ましいところです。
NHKだといつも「優勝劣敗」「用不用」的説明がされますが、どうもしっくり来ません。
Posted by けろ at 2009年03月15日 20:07
楽しく読ませていただきました。
その中で気になることがありましたので、2点ほどご回答をお願いします。


>たとえば、次の順で、構造の複雑化がある。
>   魚類 < 両生類 < 爬虫類 < 哺乳類
>ここでは前者よりも後者の方が明らかに、構造が複雑化している

このように判断する客観的、もしくは定量的指標はなんでしょうか?


また、
>血縁淘汰説や利己的遺伝子説という数学的に破綻した理論

とおっしゃる理論または参考文献等をお教えください。
Posted by k at 2010年09月14日 22:06
> >ここでは前者よりも後者の方が明らかに、構造が複雑化している
> このように判断する客観的、もしくは定量的指標はなんでしょうか?

 単純に相同器官を調べてもいい。
 例。 前肢の構造や神経レベルを、それぞれの生物種で比較する。
 あるいは、細胞の化学反応の仕方。
 いずれにせよ、それぞれの種ごとの差が大きくなるので、統一的な「定量的指標」というのは、考えにくいですね。(人間心理の統一的な指標を欲しがるのに似ている。欲張りすぎ。)
 どうしてもそういう指標を得たいのであれば、「脳(大脳)の容量」が、最も明瞭な指標となるでしょう。

> 血縁淘汰説や利己的遺伝子説という数学的に破綻した理論

サイト内検索で、その用語で、あちこち調べてください。
分量が多大なので、お好みの項目から読むといいでしょう。
とりあえずは、「血縁度」という用語で検索。

 とにかく、何か質問したかったら、いちいち尋ねないで、まずはサイト内検索してみてください。基本です。
Posted by 管理人 at 2010年09月14日 22:16
ご返答ありがとうございます。

>統一的な「定量的指標」というのは、考えにくいですね。
>どうしてもそういう指標を得たいのであれば、「脳(大脳)の容量」が、最も明瞭な指標となるでしょう。

ということは、脳の容量で判断されたということでよろしいでしょうか?
管理人様が何を用いて『構造が複雑化している』のかを判断されたかということが気になりました。

>とにかく、何か質問したかったら、いちいち尋ねないで、まずはサイト内検索してみてください。基本です。

失礼いたしました。以後気を付けます。
ご指摘の通り血縁度で検索して、項目を拝見したのですが、生物学的前提が間違っているという批判ばかりが目に付き、数学的な話が出てきていないように感じました。

取り急ぎお礼をと考え、リンク先までは調べられていません。
そのため、また後程質問させていただくかもしれませんが、その時はまたご回答をよろしくお願いします。
Posted by k at 2010年09月16日 23:38
> ということは、脳の容量で判断されたということでよろしいでしょうか?

違います。引用行の2行目でなく、1行目です。
進化というのは、順序関係だけがあり、定量的な数字はあまり意味がありません。「定量的」という発想自体が、非科学的。数字にならないものを数字化しようとしている。

例。アルファベットの順序はわかるが、その差を定量化しようとするのは馬鹿げている。

> 数学的な話

 37% という語で検索してください。
Posted by 管理人 at 2010年09月16日 23:58
迅速なご返信ありがとうございます。

自分の書き方が悪かったのでしょう。

>管理人様が何を用いて『構造が複雑化している』のかを判断されたか

についての回答をいただけていないように感じましたので、こちらについても回答をお願いします。

『37%』については、血縁淘汰についての議論でよろしいでしょうか?
たしかに、数学的な話ですし、自分の子と姪を比較するという点については考えさせられました。

しかし、これが『数学的に破綻した理論』のとおっしゃるのに十分でしょうか?数学的に反証するべきではないでしょうか?

もっとも、管理人様との認識の違いでこのような齟齬が生じているのであれば、現段階で対処のしようがありませんが。
Posted by k at 2010年09月17日 20:20
そんな細かなことで「説明不足だ」とか何とか粘着しないで、自分なりの反論でも何でもまとめて、ネット上で自説として公開してください。
 わからないからといっていちいち説明を求めないでください。私はあなたから授業料をもらっているわけじゃありません。
Posted by 管理人 at 2010年09月17日 21:12
認識を共有するための質問だったのですが、冗長だったようですね。

それでは以後、極力質問を控え反論と批判に努めようと思います。
掲載していただけなくなるかもしれませんが。


>前者よりも後者の方が明らかに、構造が複雑化している。
の部分は管理人様の主観で判断されただけであり、このブログの外で扱えるものではないでしょう。
よって、進化の本質とは関係がないと考えられます。

私がこのように考えた根拠は2つです。
1つは同じ分類群における種ごとの変異が大きく、他の分類群と比較できないこと。
もう1つは、ご返答の中で示されたアルファベットの例です。思慮深い例示である以上、各アルファベットは各分類群に対応していると考えて差し支えないでしょう。
Posted by k at 2010年09月19日 14:29
しょうがないですね。簡単に説明します。
 魚類のバラバラの卵の構造のあとで、両生類のゼリー状のまとまった大型の卵が生じます。そのあとで、卵殻をもつ爬虫類が生じます。そのあとで、単孔類・有袋類・有胎盤類が生じます。
 このような進化の順序は、必ず、前者のあとで後者の形質が追加されます。
 このような「追加」の原則は、「ネオテニー」によって遺伝子が増えていくからです。
 生物の進化は必ずこのような順序関係の上で突然変異が蓄積していきます。一定の量の遺伝子が突然変異したのであれば、最近の突然変異によっていきなり爬虫類や哺乳類が生じても良さそうですが、そうではなく、必ず、蓄積の過程を取ります。
 その蓄積の過程が進化です。

> 1つは同じ分類群における種ごとの変異が大きく、他の分類群と比較できないこと。

 構造の複雑化とは、手足の複雑化のことではありません。
 種ごとの変異、つまり、形や姿の変異は、たいして意味がない、というのが私の立場です。綱レベルの変異、つまり、内臓構造の変異こそが大事だ、という立場です。
 鳥で言えば、翼をもつことなどは、比較的簡単に生じる変異なので、そのような変異をいくら調べても鳥類の本質とは関係ありません。
 一方、恒温性のような性質は、基本的なので、重要であり、鳥類の本質となります。

 アルファベットで言えば、分岐の直系の 祖先と子孫との関係では、複雑さが判明します。
 分岐の傍系の 兄弟の関係では、複雑さはあまり意味がありません。
 たとえば、鯨と猫はどっちが進化しているか、というのは、意味がありません。しかし、メガネザルと類人猿はどちらが進化しているか、というのは、意味があります。

 以上の話は、すべて、すでに述べたことのまとめです。

 ──

 なお、構造の複雑化という話題は、これまでもあまり論じてきませんでしたが、述べるほどの話題じゃないから。
 納得できないというのであれば、そのまま放置してください。理解できる人が理解できればいい。いちいち証明するつもりはありません。こんな当り前のこと、証明しても、何の価値もない。
Posted by 管理人 at 2010年09月19日 15:21
あんまり突き放すのも不親切だから、超初心者向けに(子供向けに)、親切に解説しておきます。
 進化というのは一挙に成立するものではありません。たとえば細菌から哺乳類へと、一挙に進化することはありません。魚類の前ヒレの遺伝子が突然変異して、哺乳類の前肢の遺伝子まで、一挙に進化することはありません。突然変異だけでは進化は起こりません。次の段階がありました。

 魚類の前ヒレ
 両生類の前肢(骨付きのヒレ)
 爬虫類の前肢(指付き)
 哺乳類の前肢(制御できる筋肉つき)

 このような進化は、必ず、段階を追って、少しずつ進む必要があります。魚類の前ヒレから、哺乳類の前肢へと、遺伝子が一挙に突然変異をすることはありません。前に起こった突然変異の上に、新たに突然変異をなした別の遺伝子が追加されるという形で、進化は蓄積していきます。その進化の過程では、遺伝子の数が増えることもあり、増えないこともありますが、全体としては、増えていきます。したがって、上記の4段階では、後のものほど、遺伝子が増えています。
 このような過程が、進化の蓄積です。
Posted by 管理人 at 2010年09月19日 18:35
ネオテニーのお話が出てきたので少しばかり。

管理人様のホームページでおっしゃられている前期型のネオテニーについてですが、

>個体発生のある時期以降で、遺伝子の働きが停止することになる。その個体は、遺伝子の働きが停止したせいで、個体発生が未完成状態のまま、誕生する

ならば、用語としては形態形成不全で必要十分でだと考えられます。
その他の用語に関しましても、別の定義を置いたにもかかわらず従来道理の用語で説明しようとしているため、多数の読者様の誤解の一因となっているのでしょう。

難解な新説における無用な誤解を避けるためにも、言葉選びには慎重になられることをお願いします。

ところで、管理人様のネオテニーにおけるページの

>ヒレの遺伝子を失ったときに、魚であることをやめたのである。つまり、ヒレを失うことで、原始魚の段階に(部分的に)逆戻りしたのである。そして、ヒレのない原始魚の段階から、あらためて、足のある両生類になったのだ。

という原理で、ヒレから足への進化を考えた場合、一般に言う進化論よりも早く進化が起こるためには非常に特殊な環境が必要となります。

例え話においてもより慎重になられ途方がよいと思います。
Posted by k at 2010年09月23日 13:43
> ならば、用語としては形態形成不全で必要十分でだと考えられます。

 遺伝子の発現が停止することが大事なのではなくて、そこから偽遺伝子の突然変異が生じることが大事なのです。遺伝子レベルの話をしているのであって、個体の形質の話をしているのではありません。

> という原理で、ヒレから足への進化を考えた場合、一般に言う進化論よりも早く進化が起こるためには非常に特殊な環境が必要となります。

 別に。この例でいえば、ただの浅瀬です。海全体からすればニッチですが、地球全体では無数にあります。

 ──

 何か、下らない揚げ足取りみたいな質問ですね。もっと頭を働かせてください。勝手に誤読している感じ。
Posted by 管理人 at 2010年09月23日 15:48
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