【 修正 】 文中の「ホモハビリスまたはホモエレクトス」という
箇所は、取り消します。詳しくは、本項最後を参照。
人類進化について、草原説(サバンナ説)はすでに破綻している。というのは、ラミダス猿人は森林で直立二足歩行をしているからだ。
一方、水生説(アクア説)というものもある。海辺(または水辺)の水中で人類は進化した(直立二足歩行をした)、という説だ。しかしこれも、ラミダス猿人が森林で直立二足歩行をしていることから、破綻する。
そこで、私は新たに、次の説を唱えたい。
「初期の直立二足歩行は、森林でなされた。(ラミダス猿人の段階で。) その後、
──
この説のポイントは、次のことだ。
・ 直立二足歩行は、人類の特質でない。(類人猿[猿人]も可能。)
・
・ 人類の特質は、(直立二足歩行でなく) 脳容量の拡大である。
・ 脳容量の拡大には、脂質・タンパク質の摂取が必要だ。
・ 水辺では、魚貝類の摂取により、脂質・タンパク質の摂取が可能だ。
・ 脂質の摂取により、皮下脂肪が増大する。
・ 皮下脂肪の増大により、体毛が不要となる。
・ 水に濡れる生活では、体毛はかえって有害である。(体温低下)
・ 水辺では、夏季に体温を下げることができる。体温調整が適切。
(熱に弱い脳にとって有利。)
これらの点では、「水中生活すること」は、要点となっていない。ときどき水中で泳ぐこともあるだろうが、それは主要な点ではない。大事なのは、「魚介類の摂取」である。これが進化をもたらした、と考える。
( ※ 魚介類の摂取そのものが進化をもたらしたというよりは、進化にとって必要な条件が魚介類の摂取によって満たされた、と考える。実際には、かわりに肉食でもいい。ただし、初期人類が肉食になることは、ありえない。草食動物が他の草食動物や肉食動物を食べるなんて、したくてもできない。)
──
このような進化は、ラミダス猿人のような類人猿[猿人]の段階で生じたのではなく、
この点は、水生説とは大きく異なる。水生説では、直立二足歩行をした段階で人類となったはずだ。また、その段階で体毛をなくしたり、脳が発達したりしたはずだ。……しかし、そういうことはない、というのが私の考えだ。
( ※ 直立二足歩行と脳の発達は、別の時点だ、と考える。……このこと自体は、すでに化石で証明済み。)
──
人類と類人猿とを分ける境界は、直立二足歩行ではない。( → 該当項目 )
初めての人類は、
そしてまた、水辺であることが大きく影響したのは、脳に対してである。体毛や他の細々とした変化は、人類が猿人から進化したことにともなう、付随的な変化であろう。そして、そのことには、環境の影響よりも、「ネオテニー」の方が大きく影響したと思う。
→ 参考サイト ( L.ボルクの説の紹介。)
ともあれ、こうして、水生説を修正する形で、私なりに新たな説を出した。これを「半水生説」と呼ぶことにしたい。
半水生説は、「人類は水辺で進化した」という点では水生説と共通するが、別に、人類が水中で進化したわけではない。大事なのは何より、魚貝類の採集である。そしてまた、進化の意味は、「直立二足歩行」ではなく、「脳の発達」である。
( ※ ついでだが、脳というのは、脂肪のかたまりである。また、脳は非常にエネルギーを食う。……これらのことから、魚貝類は栄養的に十分だ。仮に、果物や草ばかりを食べていては、必要なカロリーを得ることができまい。また、果物では、季節変化があるので、安定的に食料を入手できない。安定的な高カロリーは、魚貝類によってのみ可能だ。)
( ※ なお、牛や馬のような動物は、草を一日中食べている。それほど大量の草を食べないと、必要なカロリーを得られない。草食動物って、哀れですね。また、ゴリラもなかば草食動物ふうで、草や木の葉を主食とする。チンパンジーは、葉も食べるが、果実を好む。)
( ※ 人間は、草食動物やゴリラとは違って、草だけじゃ生きていけない動物だ。そして、それは、水辺で進化したときから、運命の定めだったのだ。魚貝類を取ることで進化したのだから。)
【 補説 】
人類の進化は、
ホモエレクトスの進化の量は、非常に大きい。初期から後期の間に、脳の容量は大幅に増えている。また、かなり長期間にわたって生存した優秀な種である。
このことから、次の推定が成立する。
「ホモエレクトスは、進化の幅(進化の範囲の円)を、脳容量の拡大のために使った。つまり、体の変化のためには使わなかった。とすれば、体の変化は、誕生の時点ですでにできていた。誕生の時点で、すでに人間らしい体つきをしていた。
ということは、体つきを人間らしい体つきに変化させる前の種は、ホモハビリスである。ホモハビリスは、かなり猿っぽい体つきをしていた。そのあと、進化の幅を、体つきの進化のために使った。そして、進化の幅を目一杯使って、ホモエレクトスを誕生させた。
このことからして、水辺にいたのは、ホモハビリスであろう。そして、水辺においていったん人間らしい体つきのホモエレクトスを誕生させると、そのあと、ホモエレクトスは、もはや水辺にこだわることなく、地上の各地に進出した」
これはあくまで推定だ。ただし、根拠がないわけではない。この推定の裏付けとなる事実は、次のことだ。
「ホモハビリスの時代は、かなり短かった」(250万年前から200万年前まで)
一般に、境界領域に生きる種は、進化の幅が大きいが、それゆえ、その種が存在する期間はかなり短い。
A → B → C
という進化があったとして、A と C が大きく懸け離れていれば、中間に B という種があったはずだ。その種 B は、境界領域において、大幅に進化をなし遂げたが、それゆえ、その種が固定的に存在している期間は短い。
ホモハビリスは、猿人からホモエレクトスへと移行するための大幅なジャンプをなし遂げるための中間種であり、それゆえ、存在期間は短かった。
そして、ホモハビリスの存在した期間がかなり短かったということは、ホモハビリスが境界領域にいたことを示唆する。
猿人(アウストラロピテクス)などは、まだ森林にいたのだろうし、また、ホモエレクトスは地上の各地に進出したのだろうが、ホモハビリスは水辺でしか生きられなかったのだろう。そのせいで、生存できる場所も、種として生存できる期間も、かなり限定的であったのだと思える。
──
なお、さらに大胆に追加するなら、ホモエレクトスの直接の祖先は、ホモハビリスではなくて、その少しあとの近縁種だったと思う。水辺に入ったのは、ホモハビリスだとしても、水辺で大幅に進化したのは、ホモハビリスの近縁種だっただろう。
ただし、その近縁種の化石は残っていまい。急速に進化したがゆえに、個体数も少ないだろうし、種として生存した期間も短かったと思える。とうてい化石が見つかるとは思えない。……ただし、ひょっとしたら将来、化石が見つかるかもしれない。とりあえず、その近縁種 x の存在を、予想しておこう。
仮称は「ホモハビリス2」としておく。これは、ホモハビリスの少しあとの近縁種で、体つきがかなり人間らしくなったもの。そして、もっと人間らしいホモエレクトスへの橋渡しとなるもの。)
( ※ 繰り返すが、これは「仮説」である。当たっているかどうかは、何とも言えない。私としては、半信半疑。信頼度 50%である。ただし、草原説や、水生説は、信頼度がはるかに低い。そっちに比べれば、まだマシだろう。)
[ オマケ1 ]
つまらない話だが……
本項の「半水生説」は「半水生・説」でなく、「半・水生説」である。
「半水生」だけなら、元の「水生説」だって、「半水生」ふうだった。「人類が水中生活をする」と言っていたわけではない。
本項で唱えるのは、「半水生」というよりは、「半水生」のそのまた半分、というぐらいの意味だ。
なんだか、言葉遊びか冗談っぽくなってしまったが。
[ オマケ2 ]
この仮説[半水生説]を私が今になって出すのは、ラミダス猿人が直立歩行していたという最新のニュースがあったからだ。( → 該当項目 ) それ以前は、最古の直立二足歩行はいつ始まったか、判明していなかった。
トゥーマイ(これも森林にいた)は、ラミダス猿人以前の猿人だが、直立二足歩行をしていたかどうかは不明である。頭部の化石しか出ていないので、推定はできても断言はできない。その点、ラミダス猿人は、いちおう直立二足歩行をしていたことが化石で判明した。
しかも、ラミダス猿人が森林生活をしていたことは、すでに判明している。こうして、「最古の直立二足歩行は森林で」ということが判明したのだ。
これにともなって、「草原説」は否定された。ところが、「草原説」のかわりとなる「水生説」は、いろいろと難点があって、学界では受け入れられない。
そこで、草原説でも水生説でもない第3の説として、「半水生説」を本項が唱えたわけだ。仮に、半水生説を取らなければ、草原説も水生説も否定された現在、進化論は人類進化の仮説を何ももたないことになる。
( ※ いまだに草原説や水生説にこだわっている人もいるが、そういう人は、草原説や水生説が破綻したことを知らないでいるだけだ。)
【 参考 】
なお、ホモハビリスについては、下記に関連項目がある。あまり重要な話ではないが。
→ ホモハビリスの共存
また、ホモハビリス と ホモエレクトス と アウストラロピテクス の骨格については、Wikipedia に化石の写真がある。
他に、ホモエレクトスの復元画像 は、Google で見つかる。かなり人間らしいのがわかる。それ以前の猿人とはまったく異なる。ホモハビリスの姿は、ちょうど中間的だ。
【 関連サイト 】
水生説(アクア説)については、次のサイトに詳しい。
→ アクア説の解説
[ 注記 ]
上記サイトでは、アクア説の難点もいくつか示されている。だが、その難点は、半水生説では解決する。
たとえば、「なぜ水辺を離れたか」ということもわかる。水辺を離れたのは、もともと水辺が有利な場所だったからではない。水辺は進化を起こすために必要だっただけだ。いったん進化したら、水辺を離れることも可能になる。(この件、前項「犬の小進化」も参照。)
比喩的に言えば、両生類は浅瀬における進化で生じたが、だからといって、いつまでも浅瀬に留まり続ける必要はない。浅瀬の水中を脱して、浅瀬のそばの陸上で暮らすこともできる。いったん進化したら、進化の場にいつまでも留まる必要はないのだ。なぜなら、進化とは、「環境への適応」ではないからだ。
( → 進化の本質 )
───────────────────
水生説(アクア説)を「トンデモだ」と批判し、「アクア説の息の根を止める」と主張する、専門家のページがある。
→ アクア説への批判 (「第4回」の箇所))
[ 注記 ]
ここでは、アクア説を批判する根拠がいくつか列挙されている。
・ 水中生活をすれば、有利でなく不利だ。ナイルワニに食われてしまう。
・ ホモハビリスは、直立二足歩行をしたが、樹上生活の体つき。
なるほど、これらの点ゆえに、アクア説は完璧に否定されるだろう。
しかしながら、アクア説(水生説)は否定されても、本項の半水生説は否定されない。上記の批判は、本項の半水生説には適用されないからだ。
・ 水中生活をすれば、有利でなく不利だ。ナイルワニに食われてしまう。
…… 半水生説では、水中生活はしないで、水辺の陸地に暮らす。
だから、ワニに食われない。
・ ホモハビリスは、直立二足歩行をしたが、樹上生活の体つき。
…… 半水生説では、直立二足歩行は、ホモハビリスよりも前。
人間の体つきになったのは、ホモハビリスの後。( x を経由。)
というわけで、上記の「アクア説批判」は、水生説(アクア説)を否定することはできても、本項の「半・水生説」を否定することはできない。
[ 余談 ]
なお、上記の「アクア説批判」を読むと、面白いことに気づく。
この人は学界の専門家としての立場から、異端の説であるアクア説をさんざん批判する。「トンデモだ」とか「ラマルク進化論だ」とか。なるほど、その批判自体は正しい。
しかし、である。その批判は、草原説(サバンナ説)にも、そっくりそのまま当てはまるのだ。
・ 草原に進出すれば、ライオンなどに食い殺されるだけだ。
・ 草原に進出したから直立二足歩行、というのはラマルク主義だ。
この二点は、私がかねて主張してきた、草原説批判だ。それと同じ立場で、彼はアクア説を批判している。なるほど、その論拠自体は正しい。しかしそれなら、学界の主流派の説である、草原説をも批判するべきだ。
同じ論拠をもって、アクア説を「トンデモだ」と批判して、主流派の「草原説」には何も言わない。これでは「二重基準だ」と言われても仕方ないだろう。要するに、彼の言いたいことは、同じ論拠で、「学界の説は正しいが、異端の説は間違いだ」ということだ。あるいは、同じく間違いの説でも、「主流派の説には従うが、傍流の説は断固として踏みにじる」ということだ。
そして、こういう「強きになびく」という保守的な思想を取るから、真実に到達することができなくなる。つまり、「水生説を若干修正した半水生説が正しい」という真実に。
私の説は、半・水生説だが、これはあくまで、水生説を修正したものだ。そこには、私の独自の見解もあるが、基本的には、私の独自の説というよりは、既存の水生説をいくらか修正したにすぎない。水生説の独創性に比べれば、半水生説の独創性はきわめて小さい。
結局、他人の悪口を言うことばかりに熱中している態度からは、他人の誤りを見出すことはできても、他人の真実を見出すことはできない。完全なる真実でなく、半分真実・半分誤りというのを見出したとき、そこに価値を認めるか認めないかは、人それぞれだ。そして、そこに誤りしか見出せない人は、結局、宝を得ても、その宝を捨ててしまうことしかできないのだ。「その他からには不純物が混じっている」という理由で、宝を捨ててしまうから。
( ※ そういう人は、金鉱石を得ても、「不純物があるから」という理由で、金鉱石を捨ててしまうだろう。)
【 修正 】 ( 2012-08-12 )
文中の「ホモハビリスまたはホモエレクトス」という箇所は、取り消します。
詳しくは、下記項目。
→ 人類の進化(総集編) 1 の [ 付記 ]
ここで記したように、「半・水生説」に該当するのは、ホモ・ハビリスやホモエレクトスではありえない。その形質は、種の進化につれて、失われるからだ。そして、そうだとすれば、その形質を獲得したのは、現生人類(ホモ・サピエンス)だということになる。
では、どこで? 具体的に言うと、初期のホモ・サピエンスは、エチオピアのトゥルカナ湖の水辺で、魚介類の採集生活をしていたのだろう。

タイムスタンプは 下記 ↓
ブラッドシフトとかフルーイッドシフトとか、ハイパーベンチュレーションとか、ダイビングリフレックスとか、ソルトリフレックスが掴まれていません。進化というのはスケールの大きいトレーニング理論であり、医学理論だと考えています。
文系理論ではありません。理系理論です。
チンパンジー型の頭脳発達は、フルーイッドシフトが作用しますから、脳容量が拡大する頭脳発達はしません。イルカ型の頭脳発達はブラッドシフトが作用しますのでの脳容量の拡大を伴う頭脳発達があります。
今、大学はサバンナにおける陸上進化説に囚われていて、何処も、シーシャトル理論を受け付けません。昔の、天動説と同じで、中世の教会と化しています。霊長類研究所などに論文を送り、研究方向の変更を訴えていますが、天動説信奉者はシーシャトル理論を理解できないのです。
現在は、NHKを主体に働きかけています。
シーシャトル理論は、医学を知っている人は、理解します。宇宙を往復したスペースシャトルにならい「シーシャトル理論」としましたが人類が海という3次元世界に放り込まれてシャトル行動をしたが為に進化が起きたメカニズムを明らかにする必要があるのです。水温・塩分・空気・重力・抵抗力・慣性力が人体に影響を与えるのです。
二足歩行移行の進化のメカニズムだけ簡単に申し上げます。水の中は、熱伝導率が陸上の27倍強あります。海に放り込まれた人類が直面した危機の一つが寒冷死の危険です。寒冷対策で、海洋動物には、ブラッドシフト(血液移動)が起きるのが海洋学で明らかにされています。問題は、脳です。筋肉がないため、血液を送り込んで脳の温度を保つ必要があります。それが、人類の「イルカ型頭脳発達」で、脳容量の増大を伴います。
一方では、脚部は血流が制限されます。個々で起きるのが、「加圧トレーニング原理」です。
シーシャトル行動で、昼間、海で十分に泳いで天然の加圧トレーニングをして、夜、陸上で足を温めて寝ると成長ホルモンが分泌されます。
600万年で人類は、上下肢比(腕に対する脚の長さ)が1.7前後に増大します。
人類は、海水中では、犬かきからクロール泳法になり、並行的に陸上では二足歩行になったものです。脚が長くなりすぎて二足歩行に追い込まれます。類人猿のに足歩行移行は、腕が長くなって二足歩行に移行するところが、人類とは全く違います。因みに、チンパンジーなど、類人猿の頭脳発達は、母親の胎内にいるときに起きるフルーイッドシフト(組織液移動)で起き、頭脳容量の増大を伴いません。フルーイッドシフトは無重力空間で起きる生体反応で宇宙工学の話です。
そのフルーイッドシフトが母親の廷内で起きているのです。
現代人は、副食に塩味ベースの食事をしていますが、水分摂取と合わせて、「毎日海水を飲んで生きているサル」です。二足歩行移行には、ミネラルでナトリウムイオンが重要な役割を果たしてきます。
人類の進化は、サバンナ説・アクア説という歴史学説が横行していますが、理系の進化理論がまずあって、始めて、発掘結果と相まって、進化史が究明されます。二足歩行移行のメカニズムさえ明らかにできない、サバンナにおける陸上進化説は余りにも粗雑です。サバンナ説は、チンパンジーと人類の先祖は同じということと、アフリカ起源説は、評価できますが、サバンナにおける陸上進化説じゃ全く話にならないし、陸上での拡散説も疑問が残ります。人類は、ミネラルをナトリウムイオンタイプに切り替えたため、塩を得られないまま内陸には移動できなかったのです。
ミクシーのブログに「松雲のブログ」として、シーシャトル理論を一部公開していますが、理論は人間のあらゆる行動に絡んできますので、膨大になります。いま、ホームページでの展開を検討中です。
エレイン・モーガン女史の書を基にしながら、西原克成氏の「生物は重力が進化させた」などで補強したものです。
ご一読いただけると幸いです。
貴兄の主張と概ね一致するものですが、1点、大きく異なるのは、「魚介類の採集」です。
申し訳ないですが、これについては小生の論文の中で触れておらず、未発表の論文で書いており、その要旨をここで述べさせていただきます。
ヒトが魚介類を主食にしたことを100%否定はできませんが、小生は、これはなかったと考えています。
たしかに、ボノボは水辺の小さな魚介類を摘んで食べたりします。しかし、これは大型類人猿の「蟻食い」の延長線上にあるもので、食糧としてではないと考えられます。
小生は、「蟻食い」は、蟻の体液が「関節の消炎剤」になるから「薬」として採っているに違いないと睨んでいます。漢方では、蟻の乾燥粉末がリウマチ薬になりますから。
なぜに、このような薬がいるのか。
これは、過去において、共食いとその延長戦上の動物狩りの多発で高タンパク食となり、もって体内に高濃度の尿酸が溜まり、それが元でリウマチ症状を呈したからと推測されます。
今でも、チンパンジーには、共食いと動物狩りが見られますから、そのように思われるのです。
さて、ヒトの場合ですが、魚介類を主食にしても、樹上生活を全くしない生活になったでしょうから、手指の関節炎に神経質になる必要はなく、「蟻食い」の習慣を持つ必要はなかったでしょう。
でも、主食となれば、タンパク質は胃で半分消化されますから、胃がもっと丈夫なものに進化してよさそうなのですが、とてもそのような進化をしているとは思えません。(ただし、肉食習慣が続いている北方系の民族は胃が丈夫なものに進化しています。)
また、一旦身に付いた食習慣は、そう簡単には変わりません。アフリカ大地溝帯で、魚介類の食習慣を持ったのであれば、人類が出アフリカしたときに、なぜアラビア半島の海縁に止まらなかったのか。どうして、アジア内陸部やインドネシアの山中へ移住したのか。これの説明が付きません。
ヒトの消化機能の特徴は、ブタやイノシシと同じでデンプン消化酵素が抜群に出ることです。
これは、水生生活に別れを告げざるを得なくなった、その少し前(半陸・半水生活)から、芋を主食にしだしたとしか考えられません。出アフリカも芋を求めての移住と考えるのが素直というものでしょう。
脳の巨大化は、貴兄が別の箇所で主張してみえます「ネオテニー現象」と捉えるべきでしょう。
ヒトもチンパンジーも幼児の頭蓋骨の形はよく似ています。これが、大人になると、ヒトは幼児とどれだけも変わりませんが、チンパンジーは大きく変形しますからね。
いずれにしても、学者というものは、貴兄のご指摘のとおり、我が身の保身を図るしかなく、非常に保守的で、自分たちと大きく異なる学説は、皆で寄ってたかって潰しにかかるのが、長い自然科学の歴史の中で繰り返し起きていることですから、人類進化についてもアクア説が叩かれるわけです。
でも、この説は正しい! 小生、なんとかして、アクア説が認められないかと願っているところです。
──
説明は付きますよ。
脳が発達するためには(高栄養の)魚介類の摂取が必要ですが、いったん脳が発達してしまえば、高度な脳を利用して(≒ 道具を使って)、さまざまな食糧を入手できるので、魚介類なしでも生きていけます。
ステップ1からステップ2に上がるときにはハシゴが必要だったからといって、ステップ2にいるためにハシゴが必要だということにはなりません。
1階から2階に上がるには階段が必要ですが、2階にいるためには階段が必要だとは言えません。
イモという説は成立しないと思います。出アフリカをした人類はすでにかなり発達しているので、雑食性になっていたはずです。特定の食糧に依存していたとは思えません。
たぶん火を使っていたはずです。そのころは肉食にもなっていたでしょう。
> アクア説が認められないか
マイナーな話題なので、私としてはどうでもいいです。進化論のなかではかなり小さな話題だと思います。認められるためのハードルはかなり高い(実証が困難で推論ばかり)なので、これに熱中して人生を無駄にしない方がいいですよ。あくまで「仮説」「推論」という扱いにしましょう。否定も肯定もされないまま、中途半端に認識してもらえれば、それで十分。
どちらかと言えば、「草原説」を否定することの方が、確実性がある。真実を示すことはできなくとも、間違いを指摘することは可能だ。
すでに本文中で説明されています。
> アフリカ大地溝帯で、魚介類の食習慣を持った
これは、ホモ・ハビルスです。
> 人類が出アフリカしたときに、なぜアラビア半島の海縁に止まらなかったのか。
これは、ホモ・エレクトスです。
> どうして、アジア内陸部やインドネシアの山中へ移住したのか。これの説明が付きません。
本文中にこう書いてあります。
「水辺にいたのは、ホモ・ハビリスであろう。そして、水辺においていったん人間らしい体つきのホモ・エレクトスを誕生させると、そのあと、ホモ・エレクトスは、もはや水辺にこだわることなく、地上の各地に進出した」
結局、すでに説明済みです。ちゃんと読んでくださいね。