数学で最大の問題であるリーマン予想について、私なりの雑感を述べる。
私の予想を言えば、この問題は、現代数学(集合論に基づく数学)では解決不可能だと思う。集合論を使う限り、問題を解くための道具が根本的に欠落しているからだ。
( ※ 数学についての雑談です。) ──
( ※ 本項の実際の掲載日は 2009-11-15 です。)
リーマン予想とは何か、ということは、下記にある。
→ Wikipedia 「リーマン予想」
ここに記述してあるように、「これは解決したぞ」と述べている学者がいるが、何度も失敗した経歴のある人であるので、解決している見込みは薄い。ただし、この人は非常に頭のいい数学の天才である。このことからして、容易には届きそうにないものであることがわかる。
また、フェルマーの大定理ならば、100の道筋のうちの 10とか 30とかの部分は次々と埋められていって、いつかは解決可能だと予想されたが、リーマン予想の場合はそうではなく、「部分的な解決」すらもついていない。「最大の難問」と言われるゆえんである。
ただし、コンピュータによる計算では、「この数字までは正しい」という例が何億も出ているから、たぶん正しいだろう、と推定される。問題は、人類がその難問にたどりつけないことだ。
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一方で、この問題の本質にかかわることが、二つわかっている。
(1) 素数定理
この問題は、素数定理と非常に近い関係にある。上記 Wikipedia によると、
「素数定理はリーマン予想と同値な近似公式からの帰結である」
とのことだ。
(2) 量子力学
リーマン予想は、ゼータ関数の概念から、量子力学と密接な結びつきがあるようだ。
→ 解説ページ
以上のことは、ネットを調べれば、簡単にわかる。
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このあとは、私なりに考えを述べよう。
この問題の本質は、「素数とは何か」ということだ。リーマン予想が何だかんだと言うが、その外形的な姿の奥には、「素数とは何か」という問題がある。
そもそも、ゼータ関数は、もともとはオイラー積の形で表示される。そして、オイラー積は、素数によって定義されている。
→ Wikipedia 「オイラー積」
リーマン予想の本質は、「素数とは何か」ということだが、その問題を最も典型的な形で表現させたのが、リーマン予想の問題だ、というのが私の解釈だ。
つまり、表現はリーマン予想であるが、その根本的な意味は「素数とは何か」ということだ。
では、素数とは何か? もちろん、その定義は誰でも知っている。では、その定義によって得られるものは、どういう性質を帯びているのか? そこが問題だ。
この問題に私なりに答えよう。
まず、N は、自然数全体を意味する。つまり、次のものだ。
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7,……
このN に 2 を乗じると、2の倍数となる。
2, 4, 6, 8,10,12,14,……
これを 2N と書くことができる。
また、N に 3 を乗じると、3の倍数となる。
3, 6, 9,12,15,18,21,……
これを 3N と書くことができる。
このような「2の倍数全体」、「3の倍数全体」、……「nの倍数の全体」、……というのをすべてひっくるめると、次のように書くことができる。
N × N
では、素数とは何か?
「自然数全体のうち、どの数の倍数でもないもの」
である。つまり、
「自然数全体から、自然数の倍数を除いたもの」
である。従って、素数の全体は、次の式で書くことができる。
N − N × N
こうして、素数とはどういうものか、その本質がいくらかつかめた。
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すると、問題は、
N − N × N
が何を意味するか、ということだ。
それは、見ればわかるとおり、次のように言える。
「自然数の全体から、2の倍数全体、3の倍数全体、……というふうに、次々と倍数を除いていったあとに、最後に残るもの」
このような数の全体は、最初の方は、簡単にわかる。次のように。
3,5,7,11,……
しかし、問題は、先の方だ。先の方は、どうなっているのか? 特に、無限に遠くの方は、どうなっているのか?
( ※ 次々と数を除外されていくので、先の方ではスカスカになっていることが予想される。このことは素数定理で証明される。)
──
ここまで考えると、前出の「半無限」の結論が適用される。
「素数の先の方は、決定不可能である。存在性は言えるが、決定することができない」
その意味は、こうだ。
「先の方に行くに従って、決定するためにはステップがどんどん大きくなるので、決定することができなくなる」
たとえば、特定の数 p を示して、「 p 番目の素数」というのを想定することはできる。また、それを一意的に決めることもできる。ただし、決めるためのアルゴリズムが存在していない。(例外を除けば、いちいち逐次的に決めるという原始的な方法しかない。ただし、原始的な方法では、ステップが急激に増えてしまう。)
ここでは、「決定できない」という概念が重要なのであり、「半無限」という概念が重要となる。そして、「半無限」という概念は、集合論の世界では現れず、区体論の世界でのみ現れる概念だ。
したがって、リーマン予想を本質的に考えるならば、集合論の世界で考えていては駄目であり、区体論の世界で考える必要がある。特に、「半無限」という概念と絡める必要がある。
→ 半無限
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さらに、である。リーマン予想との関連で面白いのは、次のことだ。
「半無限」という概念は、自然数の世界だけで扱えるが、実数の世界でも扱える。それは、「実数の桁数の半無限」という形での「半無限」だ。
こうして、「半無限」という概念を通じて、自然数と実数とが関連づけられる。……ここにリーマン予想の面白さがある、と言えそうだ。
量子力学との関連が生じるのも、区体論の発想を取れば当然だ。
区体論の発想によれば、点というものは「準関数」によって与えられる。そして、「準関数」というものは、「個々のものがたがいに区別不可能である」と言うことから生じる。そして、それにまさしく該当するのが、量子だ。
たとえば、電子はたがいに区別不可能であり、陽子はたがいに区別不可能である。
例を示そう。今、あなたの目の前に、陽子が二つあるとする。
● ●
このあと、あなたが目を閉じて、また目を開く。すると、次のようになっている。
● ●
このとき、最初に見えた左の ● と、後に見えた左の ● は、同じものだろうか? それとも、目を閉じている間に、左と右とが交換してしまったのだろうか?
集合論の発想に従えば、次のいずれかだ。
(1) 最初の左と、後の左は、同じである。 (交換なし)
(2) 最初の左と、後の右は、同じである。 (交換あり)
区体論の発想によれば、次のようになる。
「陽子はたがいに区別不可能だから、どちらとも言えない」
ここでは、(1)と(2)のどちらかであるか「わからない」のではない。もともと根本的に区別不可能なのだ。「神は知っているが人間は愚かだからわからない」のではなく、「神でさえももともと知りえない」のだ。……それがつまり、「区別不可能」ということだ。
区体論の世界では、そういうふうに「区別不可能なものの集まり」という世界が構築可能となる。そして、そこでは、「半無限」というような概念も同時に派生する。
一方、集合論の世界では、「区別不可能なものの集まり」という世界は構築できない。「いったん名前を付けてから、その名前を無視する」という数学空間を作ることはできるが、「集合の要素が根本的に区別不可能である」という世界は構築できない。そして、そこでは、「半無限」という概念も生じない。
──
要するに、「素数とは何か?」という問題は、「自然数とは何か?」「実数とは何か?」という問題と、密接に結びつく。そして、それを知るには、区体論の発想が非常に有益なのだ。区体論では、「素数とは何か?」という問題を扱うための武器が、いろいろとある。「半無限」とか「準関数」とか。……しかるに、集合論の世界には、そういう武器がない。とすれば、武器不足ゆえに、問題を取り扱うには、あまりにも非力なのである。難攻不落の城に、素手で挑むようなものだ。もともと敗北するしかないのである。
結論。
リーマン予想は、「素数とは何か?」という問題と、密接に結びつく。リーマン予想を解決するには、「素数とは何か?」を知るための武器が必要だ。それには、区体論の発想が必要だ。区体論を使わずに、集合論だけでリーマン予想に立ち向かっても、死屍累々となるだけだろう。
「リーマン予想は集合論では解決不可能」
というのが、私の見通しだ。
(リーマン予想の解決についての予想、と言うべきか。)
[ 付記 ]
集合論は、数学の基礎理論としては、あまりにも力不足だ。
第1に、量子論を扱えない。たとえば、二つの量子を表現しようとすれば、集合の要素として「 a , b 」のように表現するしかないが、このようにして個々のものに名前を与えた時点で、「量子はたがいに区別不可能だ」という重要な原理が失われてしまう。
第2に、無限小を扱えない。超準解析 nonstandard analysys というものはあるが、これは集合論のなかに構築されるものではなく、(集合論を使いながら)集合論の外に構築されるものだ。(モデル的な方法。)
集合論というのは、さまざまな数学世界を構築するには、もともと不都合なものなのである。その不都合さが、選択公理をめぐる話題などでも、露見する。
そして、「リーマン予想」ないし「素数定理」もまた、素数の原理と関連するので、集合論に基づく限りは、うまく解決できないはずだ。その点では、「素数」という難しい問題に首を突っ込まず、単純に数理の世界だけを論じた「フェルマーの大定理」とは、事情は全然異なる。「フェルマーの大定理」は、いつかは必ず解決するはずのものだった。「リーマン予想」は、まったく異なる。
[ 余談 ]
「リーマン予想が解決したら、素数の規則性がわかるので、素数に基づく暗号が解かれてしまい、現代のIT世界は危機にさらされる」
という話がある。しかしこれは、杞憂というものだ。素数には規則性などはありえない。つまり、素数の全体は決定可能でない。……このことは、先の「半無限」という概念から明らかになる。
集合論なんかにとらわれていると、「素数の規則性」という概念も出てくるが、区体論に基づいて考えれば、「素数の規則性」などはありえない、と(ほぼ)断言できる。
なるほど、素数の分布について、素数定理のような、おおまかな分布を知ることはできる。さらにそれを精密化することもできる。しかし、素数の分布がどれほど精密化されたとしても、完全に決定することはできないのだ。たとえば、
1209879876462045799873 ± 20
というような形で、どこかの素数の範囲を狭めることぐらいはできるかもしれないが、誤差を完全になくして、素数の分布を規則的に表現することはできない。換言すれば、次のように言える。
「 素数関数 f (n) は、決定可能関数では表現できない」
ここで、「決定可能関数」というのは、「計算可能関数」「原子再帰関数」)というのに似ているが、ちょっと違う。
決定可能関数というのは、どのような変数についても、その関数の値を求めするのに(変数によらずに一定の)有限のステップがある関数のこと。
ところが、素数関数の場合には、とても先の方の素数を決めるには、とても多くのステップが必要となる。ステップが(一定の)有限の範囲に収まらない。無限番目の素数を決めるには、無限回のステップが必要となる。……この意味で、素数関数は決定可能関数ではない。
そこで、それを、決定可能な量にできるだけ近づけよう、というのが、素数関数の狙いであり、また、オイラーやリーマンの狙いでもあった。
( ※ ところが、である。それを知るということは、有限と無限のあいまの幽冥たる領域に踏み込むということであり、いわば人間と神の間の領域に踏み込むようなものである。かくて、とんでもない領域に足を突っ込んでしまう人が出るわけだ。まるで悪魔に魅入られるように。……で、そういう人たちに向かって、「少なくとも、半無限という概念を取らないと、泥沼に落ち込むよ」と教えてあげているのが、本項である。)(半無限とは log可算 のこと。)
【 追記 】
ついでに、私のヤマカンを言うと、こうだ。
「ゼータ関数の零点は、他の数によって埋め尽くされなかった領域である。そのことは、素数の場合と同様である」
イメージで示そう。
白い領域に、「ゼータ関数の零点」という黒い点がぽつぽつと浮かぶ。人々はその黒い点の性質を調べようとする。しかし、黒い点というのは、そこだけが浮かんだ点ではないのだ。逆に、領域はもともと黒であり、そこを白で塗りつぶされたのだ。ただし、他の領域は白で塗りつぶされたが、「ゼータ関数の零点」だけは白で塗りつぶされなかった。それだけのことだ。「ゼータ関数の零点」に特別な性質があるのではない。「ゼータ関数の零点」以外には、さまざまな性質があるのだが、「ゼータ関数の零点」だけは、そういう性質がなかったのだ。何かをもっているのではなく、何ももたなかったのだ。
素数も同様である。素数は何か特別な性質をもっている集合だと思ってはならない。話は逆だ。素数以外は、「自然数で割り切れる」という性質をもつ。しかし素数だけは、その性質をもたないのだ。何かをもっているのではなく、何ももたなかったのだ。このことは、先に、次の式で示された。
素数全体の集合 = N − N × N
[ 参考1 ]
リーマン予想の「自明な零点」というのが何か……ということを知りたければ、ネットで検索すれば情報は得られる。だけど、話を聞いてもわからないはず。「無限大の発散になるはずが、解析接続をすると、値がゼロになる」という話。
要するに、普通の加減乗除のことではなく、解析接続の話だ、と考えておくといい。零点を考えるとき、記号は等号を用いるが、その等号は四則演算の等号ではなく、解析接続における特別な意味の等号だ、と考えるといい。
[ 参考2 ]
先日の「リーマン予想」についてのNHKスペシャルについて、辛辣なる批判がある。
→ 柏野 雄太のブログ
ごもっとも。私が漠然と感じていた「核心はずし」を、ものの見事に指摘している。感服した。頭いい。
NHKスペシャルって、ネタ本に頼るだけで、専門家の監修を受けないから、おかしなことになるようだ。
【 関連項目 】
→ リーマン予想と量子論
→ 別記項目の論証
→ 半無限
→ 二種類の数学
【 参考サイト 】
リーマン予想の解説として、次の二つのサイトはわかりやすい。お勧め。
→ リーマン予想の解説ページ
→ リーマン予想の解説サイト
後者では、次の記述が興味深い。
「(リーマンが最初の問題を出した)1859年の11月からちょうど150年経つが、この間実質的にほとんど進展がないといってもいいほどリーマン予想は難しい。
2009年10月03日
過去ログ

集合論は、簡単に言えば要素の数を数えるためのものですから。
思うに、ζ関数を理解している人がどれだけいるのでしょうか。零点と素数分布との関係もいまいちわかりません。
リーマンは、これをある程度理解していたのかも知れませんが、ヒントだけ残して早世してしまった。
っていう本で
リーマン予想を証明しました