(「雲量と 気温・温暖化」を改題)
雲の量は、気温と関係がある。日照が遮られると、気温が上がらない。
このことは、ある一地域でも成立するが、地球全体でも成立するだろう。地球温暖化には、雲の量が影響する。
( ※ 本項は、つまらなそうでも、とても重要な話があります。) ──
気温に影響するのは、主に次の二つだろう。
・ 寒気団や暖気団から流れてくる風
・ 雲量(直射日光が遮られない量)
このうち、特に後者に着目したい。
( ※ たとえば、今年の夏は、曇りの日が多かったので、涼しい夏だった。地球が温暖化していると言われているが、涼しい夏だったのだ。曇りの日が多かったせいで。)
──
私はかねて、地球温暖化の理由として、「森林の減少(地球の砂漠化)が原因だ」と主張してきた。その理由は、
・ 保水量の減少
・ 水分蒸発量の減少 (ヒートアイランド化)
・ 気象への影響 (雲と降雨の減少)
などであった。
3番目のうち、「降雨の減少」をこれまで何度も述べてきたが、降雨(による気温低下)だけでなく、「雲による直射日光遮断」というのも効果がありそうだ。これも大きな効果をもつだろう。……本項ではそのことを指摘したい。
ここ数年、気温と天気の関係を強く意識しているのだが、やはり雲量というものは気温に大きく影響する。
・ 雲の多い日には気温は上がらない。
・ 晴れの日には気温がどんどん上昇する。
・ 雨の日には一挙に気温が下がる。
こういうことが明らかに成立する。
しかも、その規模は、思ったよりも大きい。季節が何月であるかということよりも、その日の天気の方が大きく影響する。
──
とすれば、このことが、地球規模でも成立しそうだ。次のように。
「雲量が少ないと、直射日光が浴びせかかり、気温が上がる。地球が砂漠化すると、地球全体の雲量が減って、地球全体が温暖化する」
ここでは、地球温暖化に影響するのは、炭酸ガスではなくて、地球を覆う雲量なのである。そして、その雲量が、砂漠化にともなって減少していく。
これが地球温暖化のメカニズムだろう……というのが、私の推定だ。
──
この推定は、いわゆる太陽光発電の推進派の発想とは、異なる。太陽光発電の推進派は、晴天が大好きだ。
・ スペインの乾燥地帯で太陽光発電を推進する。
・ アメリカのネバダ砂漠などで太陽光発電を推進する。
・ アフリカやアラブの砂漠で太陽光発電を推進する。
こういう例を報道して、「すばらしい」と称賛する。なるほど、砂漠ならば、太陽電池の稼働率も高いし、天気による変動も少ないし、いいことずくめだ。そこで、「砂漠こそ地球温暖化を防ぐ切り札だ」なんていう発想になりがちだ。あげく、次のように言い出すかもしれない。
「日本もどんどん砂漠化を推進しよう。日本中の森林を伐採して、日本中の田畑をつぶして、すべて砂漠化してしまえ。そこに太陽電池を置けば、地球温暖化は防げる」
「さらには、アマゾンも含めて、地球上のすべての森林を伐採してしまえ。地球上をすべて砂漠化せよ。そこに太陽電池を置けばいい」
なるほど、それはそれで、彼らの主張は一貫している。彼らの主張では、「炭酸ガスこそが温暖化の原因」であるからだ。
しかし、そんなことでは、逆に地球はひどい温暖化にさいなまれるはずだ。
・ 砂漠化にともない、保水量が減少して、晴ればかり。降雨減少。
・ それにともなって、気温は大幅上昇。(砂漠だから当然。)
・ 太陽電池は真っ黒なので、砂漠よりももっとひどい気温上昇。
ま、砂漠化を推進すれば、気候もまた砂漠ふうになるのは、当然だろう。そして、そういうことが、地球の砂漠化によって起こるはずだ。
つまり、炭酸ガスばかりに目を奪われたあげく、太陽の光の恵みばかりに心をとらわれて、雲のありがたさを忘れると、ひどい乾燥と気温上昇にさいなまれることになる。
太陽光発電の信者は、「太陽の光はすばらしい」とだけ考えているが、そういう発想は、あまりにも偏っているのだ。炭酸ガスよりもはるかに大事なのは、水分なのである。そして、水分は、地上の水分と、上空の水分とが関連しているのだ。ほとんど循環構造にある。地上の水分が上昇して、上空の水分が雨となって降る。こういう構造をはっきりと認識することが大事だ。
炭酸ガス論者であれ、太陽光発電の信者であれ、あまりにも思考が単純化している。そこには、「因果関係」「相関関係」という発想はあるが、「水分の循環」というような「相互循環的な関係」は認識されていない。
当然ながら、「砂漠化にともなって相互循環的な関係が絶たれる」という認識もないし、「砂漠化にともなって雲量が減る」という認識もない。せいぜい、「エルニーニョ・ラニーニャのせいさ」という一方通行的な因果関係の認識がある程度だ。
──
結論。
気候というものは、ダイナミックな複雑にからみあった関係のうちにある。とすればそこでは、相互循環的な関係にも目を向けるべきだ。特に、水分が介在する、(空と地の)ダイナミックな関係に着目するべきだ。
なのに、現在の考察のほとんどは、断片的な要素を組み合わせることによる考察だけだ。たくさんの静的な関係はあるが、動的な構造的な関係は無視されているも同然だ。特に、水分の循環については、ほとんど無視されている。水分による蒸発熱については認識されることもあるが、水分の蒸発による雲の効果についてはほとんど認識されない。そのせいで、砂漠化の進展については、「エルニーニョ・ラニーニャのせいさ」なんていう、一面的な見方をするだけだ。
シェークスピアは、こう書いた。
「天と地との間には、とうてい人間の思考の及ばないことがあるんだよ」
まさしく、その通り。人類は、天のことも地のことも、知ったつもりでいる。しかし、空と地の相互的な関係については、よく知っていないのだ。
光はわれわれに恵みを与えるが、水もまたわれわれに恵みを与える。そのどちらも大切だ。なのに人は、光ばかりに目を奪われて、水のすばらしさを見失いがちだ。晴れの価値ばかりにとらわれて、雨の価値を忘れがちだ。
太陽光発電ばかりにとらわれるよりも、森に目を向けるべきなのだ。森が与えてくれるものは、足元にある水や、そばにある幹、あたりにある葉々だけではない。はるか頭上にある遠い雲もまた、森が与えてくれるものなのだ。
人類は雲の価値を理解しない。光の価値ばかりを称えて、光の恐ろしさを理解しない。
かくて、人類がやろうとしていることは、「光はすばらしい」と語りながら、砂漠のなかで光を浴びながら干からびてしまうようなことだ。水よりも太陽電池を大切にする阿呆の末路というべきか。
【 関連項目 】
→ 地球の砂漠化
※ いろいろな話がある。エルニーニョ・ラニーニャの話も。
(そこにある関連項目も参考にするといい。)
→ 天然林の消失
※ 現実にやっているのは、森を食い物にすることだけ。
2009年09月08日
過去ログ

冬季でも夏季でも、3〜5度ぐらいの差が生じます。実感もできるし、統計でも明らかでしょう。
だが、日中は余程の寒気団の影響が無い限り、晴れる程気温が上がる。なお、屋外の照度はおよそ以下の通りである。
日中晴天直射日光真夏:100,000lx以上
日中晴天日陰:10,000x以上
日中曇天屋外:5,000~10,000lux
光量の桁が違う。