しかし、これはまるで他人事だ。反省するフリでしかない。 ──
朝日が自社の豚インフルエンザ報道について、今になって検証をしている。「どうしてあんなに大々的にパニック報道をしたのか?」と。
しかし、そこにあるのは、「自分は間違っていませんでした」という強弁である。反省は皆無だ。自分が報道した内容を忘れてしまっている。それゆえ、どこに問題があったかも気づいていない。
そこで、どこに問題があったかを示そう。
朝日の記事
朝日の記事(朝刊・特集 2009-06-26 )は、次の趣旨。《 朝日の立場 》
・ インフルエンザについて、マスコミの大々的な報道があった。
・ 今になって振り返ると、マスコミの報道には問題があったようだ。
・ しかし朝日新聞は当初から、諸事情について科学的に報道した。
・ 社説も「冷静かつ適切な対応が不可欠だ」という論調を貫いた。
・ 自社の方向性は正しかったが、世間に過剰反応や偏見が生じた。
・ それは自社の科学報道が力不足だったようだ。
・ 科学的に報道するのは難しい。
《 識者のコメント 》
・ 朝日だって過剰報道をしていた。
・ 過剰な対策には問題があることはろくに指摘されなかった。
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上記が朝日の記事だ。これについて、論評しよう。
第1に、《 朝日の立場 》について。
「自社は賢明で冷静だったが、馬鹿な世間の大騒ぎには困ったものだ」という立場。呆れて物が言えない。大騒ぎをしたのは自分だ、ということを、すっかり忘れてしまっている。
第2に、《 識者のコメント 》について。
識者の見解はとりあえずは妥当だ。だが、二点だけでは、あまりにもあっけない。詳しい指摘が全然ない。
そもそも、朝日は、外部の識者の人選を間違えている。二人とも、医療専門家ではない。医療については、ただの素人だ。これでは朝日のインフルエンザ記事に医学的に難点があったことを指摘できない。
これには、口あんぐりだ。「検証してください」と人選しておきながら、検証する能力のない人物を選ぶとは。他人から問題点を指摘してもらうのならば、それなりの人選が必要だ。なのに、メディア論を専門とするような人ばかりが出てきて、医療の専門家がいない。何を考えているんだか。反省するというポーズをするだけか?
──
あらためて細かく、指摘しよう。
まず、上記の朝日の主張(七つの箇条書きの点)は、すべて嘘ばかりだ。そのうち二つの点について指摘しよう。
第1に、「諸事情について科学的に報道した」と朝日は言うが、そんなことはない。むしろ、逆だった。朝日は突出して、デタラメな報道をした。この件は、前に述べたので、そちらを参照。
→ 豚インフルエンザとマスコミ
→ 豚インフルエンザの流行後の対策
第2に、「冷静かつ適切な対応が不可欠だ」と朝日は言うが、そんな論調は、逆に、「パニックに駆り立てる」という効果しかなかった。怒っている人間に「冷静になれ」と言って、かえって怒らせる、というような効果だ。この件も、前に述べた。
→ 豚インフルエンザの現状
──
では、どうすればよかったか? これについても、前に述べた。
→ どう ふるまうべきか (何をなすべきか)
ここに書いてあることを見れば、マスコミがどうすればよかったか、わかるはずだ。そしてまた、朝日がやってきたことは、その正反対だった、とわかるはずだ。
結局、朝日は今回、反省しているように見えて、何も反省していないのだ。どこを誤っていたかも理解できない。それどころか、自己の誤りを「正しい処置だった」と強弁している。あるいは、やってもいなかったことを「やった」と勘違いしている。あまりにもひどい。何も反省していない。「過ちて改めず、これを過ちという」の典型だ。
( ※ 朝日の論点(七つの箇条書き)と、本サイトの項目を、照合することで、朝日の嘘が判明するわけ。)
報道への評価
朝日は自社の記事について、検証できていない。その能力がないようだ。そこで、朝日にかわって私が、朝日の記事を検証しておこう。というか、朝日に限らず、マスコミ全般の報道について、私なりに検証してみよう。マスコミの報道には、次のような問題点があった。
(1) 一面的な報道
豚インフルエンザについては、「大変だ」という大騒ぎの一面的な報道ばかりがあった。パニック的。
ここでは、何かがあったことよりも、何かがなかったことが大事だ。つまり、反対意見がなかった。多様な意見がなかった。
そして、これは、「多様な情報を報道する」というマスコミとしては、自殺行為だ。政府に依拠した一面的な報道しかしないのでは、独裁国家の人民日報やプラウダみたいなものだ。
マスコミはマスコミとしての原則を逸脱していた。基本からして狂っていた。
(2) 思考が一面的
政府以前に、自分自身の思考が一面的だった。「豚インフルエンザは大変だ! 大々的に報道しよう!」と。だから、政府の報道の一面性にも気づかなかった。
頭が硬直していたわけだ。(頭がパニック的、とも言える。)
(3) 自己反省の欠落
マスコミの思考が一面的だったのは、なぜか? それというのも、自己反省が欠落していたからだ。常に自己反省をしていれば、「自分のこの行動は正しいのかな?」と反省するものだ。そういうことができていなかった。自分で自分を見る、という客観視ができていなかった。
(4) ネット情報の欠落
多様な意見を知りたければ、簡単に見出せる。ネット情報を見るだけでいい。そうすれば、マスコミのパニックへの批判を見出せたし、間違いを修正することもできた。なのに、政府の見解を報道するばかりで、ネット情報を見なかった。
特にひどいのは、WHO などの世界情報を理解しなかった、ということだ。WHO が「検疫も一斉休校も無効だ」と述べているのに、これらの処置を正しい処置であるかのごとく報道した。(強制入院も同様。)
(5) パニック
マスコミは、あまりにも政府べったりの報道で、ネットや世界の情報から遮断されていた。そして、政府の狭い情報だけを、日本国内で振りまいた。
マスコミのしたことは、何か? 誤った情報をバイ菌のように振りまいたことだ。マスコミは、間違った情報をウイルスのように振りまいて、それを社会に伝染・流行させてしまった。そして、その状況が、「パニック」なのである。
要するに、マスコミというのは、自らがインフルエンザ・ウイルスのように有害なものなのだ。そのことを自覚することが大切だ。自らが「公器」であることを自覚し、常に自己を反省することが必要だ。
総評
朝日の記事では、最後に、DNA冤罪事件との関連を示している。なるほど、これだけは、有益だ。両者を対比するべきだ。似ていることがわかる。朝日の失敗と、(DNA冤罪事件の)裁判所の失敗とは、同様である。正しい真実を目の前に突き立てられても、それを見ることができないのだ。心の目が盲目になってしまっている。
視覚を失っても、心の目が誰よりも澄み切っているピアニストは、常人の見ることのできない精神的な真実を見通すことができて、その演奏を通じて、人々を感動させる。
視覚をちゃんと持っていても、心の目がふさがっている朝日や裁判所は、たとえ真実を目の前に突き立てられても、それを見ることができない。「自分は正しかった」と強弁するだけで、自分のなした失敗を見ることができない。というか、見ようともしない。見ることを拒否する。
ここに根源的な問題がある。
[ 付記1 ]
朝日は今回の記事で、「自分たちは賢明にも、最初から冷静だったが、無知な世間の連中の騒ぎを止めることができなかった」という態度を取っている。偉そうに。
馬鹿を言わないでほしい。朝日は最初から、大騒ぎをしようとしていたのだ。忘れてもらっては困る。
具体的には、こうだ。「豚インフルエンザは季節性インフルエンザ並みだ」という WHO の見解が出たのは4月末か5月冒頭だった。なのに、その後、5月18日ごろまで、政府といっしょに大騒ぎをしていた。「検疫をやれ」「強制入院をやれ」「一斉休校をやれ」「発熱外来を整備せよ」などと。
明白に「やれ」とは言わなくても、それを追認していた。さらには、「全員を治療するべし」と明白に語って、医療システムをパンクさせようとした。自分たちの書いた過去の記事を読み直すべし。
だいたい、朝日が最初からまともなら、私が本サイトでこんなに書くはずがなかったでしょうが。
はっきりと言っておこう。政府が「一斉休校」から方針転換したのは、5月19日だ。また、「発熱外来での治療や強制入院」をやめて、「自宅療養」に方針転換したのは、6月19日だ。……いずれも、そのころの項目で、本サイトが事情を記述している。
朝日がやったのは、ちょうどその日を境にして、政府の後追いで方針転換したことだけだ。しかも、「政府の後追い」とは書かずに、自分で自発的に方針転換したように書いている。また、方針転換の理由さえも述べていない。(その記事はどこにもない。なぜなら政府自身が方針転換の理由を示していないからだ。)
この件も、本サイトで指摘したとおり。( → 情報センター長の能天気 )
朝日は何から何まで、政府のあとを追いかける犬( or 金魚のフン)にすぎない。自分が何をしてきたかということぐらい、ちゃんと覚えているべきだ。「自分は利口だった」という妄想は、いい加減やめてほしいものだ。ひどい自己陶酔。
( ※ その点、こういう自己陶酔と自己賛美がないだけ、読売の方がはるかにマシである。)
[ 付記2 ]
朝日に似ているのが、zakzak だ。先日も、捏造記事を掲載した。
→ 道端ジェシカの架空インタビュー
これは 21日のピープル(イギリスのタブロイド紙)からの引用という形。
しかしながら、道端ジェシカ自身は、21日のうちに、「これは捏造記事である」旨を表明している。英語で。
→ 道端ジェシカのブログ(June 21, 2009)
にもかかわらず、2日後の 23日には、上記の zakzak の記事が出ている。本人がブログではっきり否定しているにもかかわらず、だ。ネットで検索すれば一目瞭然なのに。
で、23日には、道端ジェシカ本人が、「こんなの全部でっち上げです」と表明している。(June 23, 2009)
ま、日本の夕刊紙なんて、こんなものである。ネットで調べることもせず、根拠なしの嘘八百を掲載する。
朝日も同じ。ネットで調べることもせず、根拠なしの嘘八百を掲載する。
[ 付記3 ]
今回、インフルエンザの被害者である感染者を、犯人扱いして、強制入院させた。その後、入院から自宅静養へ、と方針転換したが、そのことについての解説もない。反省も全然ない。(…… そもそも、問題の所在すら気づいていないようだ。「強制入院」という言葉さえ報道されていないのだから。)
これと似た例に、松本サリン事件がある。サリン事件の被害者を、犯人扱いして報道した。
松本サリン事件のテレビ番組は、今夜の9時からある。以下、引用。
マスコミ各社が誤りを認めたのは、1年近くが経過してからだった。
永田さんは事件後も、マスコミの姿勢に改善は見られないと指摘する。「一貫して事実を追おうとする姿勢が特にテレビは少ない。言葉で深く反省すると言ってはいるが、本質を突く言論人の姿が見えない」
15年を経て問われているのはマスコミの側なのかもしれない。
( → 読売新聞 )
[ 付記4 ]
朝日のように、「反省しています」というフリだけをして、「検証しましたが、自分は何も間違っていませんでした」というのは、最悪であろう。
少なくとも、本項を読んで、「真に反省しよう」とするべきだ。そして、その上で、「自分は正しかった」と語るのをやめて、「自分は間違っていた」と語るべきだ。(だいたい、「自分は間違っていた」と語ってこそ、反省したことになる。朝日みたいに、「自分は正しかった」と語るのでは、検証になっていないし、ただの自己宣伝だ。何やっているんだか。「おまえたち国民は馬鹿だったよ」と威張りたいだけなのか? 呆れる。)
朝日は、自分がどこをどう間違えていたのか、一つ一つ吟味してほしいものだ。それは本サイトの各項に書いてある。
【 関連項目 】
豚インフルエンザのマスコミ報道については、本サイトでは何度も語った。あちこちに記述があるが、特に、次の項目がある。
→ 豚インフルエンザとマスコミ
※ マスコミ一般。
→ 豚インフルエンザの流行後の対策
※ 朝日の記事が医学的にデタラメであることを示す。
→ マスコミの無反省
※ 朝日の記事の偏り。検証するように見せかけながら、
よりによって、政府の広報機関(感染症情報センター)
の長にインタビューをしている。取材相手が正反対だ。
その他、検疫や、一斉休校や、強制入院については、個別に論じている。

昔は、朝日の科学記事と言えば、群を抜いて優れていたものだ。「科学朝日」という月刊誌を出していたこともあり、記者の水準は極めて高かった。
しかし数年前に、朝日は(経費節減策で?)、科学部を廃止してしまった。記者はかけもちになり、他の分野も扱う遊軍記者みたいになった。
それにともなって、記者の科学知識のレベルは、大幅に低下した。専門知識の欠落した科学記者ばかりになってしまった。
特に、ことさら優れていた高橋真理子という科学部の記者は、(肩書きだけは格上の)論説委員にされてしまって、科学部の準トップの座から追われてしまった。最優秀の人材を失った科学担当部は、ほとんど自壊状態である。
最近の朝日の科学記事は、ひところに比べて、見るも無残だ。昔の水準を知る者にとっては、レベル低下は無残である。
その低レベルの典型が、今回の豚インフルエンザの騒動だ。真実を追うどころか、嘘ばかりを書いている。