2009年06月03日

◆ 一斉休校の効果(検証)

 一斉休校に効果はあったか? あらためて検証してみる。
 すると、「効果は、あるにはあったが、非常に小さかった」と結論できる。
 その一方で、代償は大きかった。 ──

 前に「一斉休校の効果」という項目を書いた。そこでは、「一斉休校の効果はない」という趣旨の話をした。

 本項では、「一斉休校の効果はどのくらいあったか?」という話題で話を述べよう。

 ──

 世間では、肯定的な評価がいくらか見られる。
 「一斉休校の効果はあった。その証拠に、一斉休校のあとでは、感染者がほとんど発生しなくなっている」
 「以後では感染者がほとんど発生しなくなっているのは、一斉休校のおかげだ」
 というふうに。
 しかしこれは、「他人の手柄を 自分の手柄にする」(手柄を横取りする)の典型であろう。「我田引水」ふう。
 なぜか? 理由は二つある。

 第1に、「以後では感染者がほとんど発生しなくなっている」というのは、どこでも起こっているからだ。一斉休校があろうとなかろうと、同じことは日本中のどこでも起こっている。特に一斉休校をした大阪府に限ったことではない。(感染者が増えなかったのは、季節の温暖化のせいだ。)
 第2に、若干の効果はあるとしても、その効果は、「感染者が出た学校のみの休校」による。「感染者が出なかった学校の休校」には、効果がない。1400校も休校したが、そのうち、わずかでも効果があったのは、感染者が出た1校〜数校だけの休校なのだ。それ以外のほとんど(99%以上)は効果がなかったのだ。
( → 一斉休校の効果 の 【 注記 】 に追記したとおり。)

 さらに言おう。
 感染者はあまり増えなかったようでも、それでもどんどん感染者は出ている。高校経由の感染者は出なくても、大人経由(または海外経由)の感染者はどんどん出ている。
 ま、5月の分は、初期の感染者がたまたま高校生だったということから、高校を閉鎖することにいくらか意味があったかもしれない。しかし、秋になれば、感染者は社会全体になる。そのときに、高校や中学だけを一斉休校にしても、何の意味もあるまい。学校の外で蔓延するのだから。

 ──

 まとめて言おう。
 「一斉休校」は、効果が皆無だったわけではない。感染者をいくらか減らす、という程度の効果はあった。とはいえ、その効果は、あまりにも小さかった。微々たるものにすぎなかった。
 効果があったと言えるのは、全体のごく一部(1%以下)で、感染者の出た学校の分だけだった。だから、その学校だけを閉鎖すれば十分だった。他の学校を閉鎖する必要はなかった。
 また、学校の外でも、いくらか感染者は出たから、その意味でも、効果は尻抜けだった。

 結局、大山鳴動、ネズミ一匹だった。得られた成果は、あまりにも小さかった。その一方で、払った代償は、あまりにも大きかった。……この件は、すぐ下の [ 補説 ] で述べる。



 [ 補説 ]
 一斉休校には、代償を払うことになる。その代償の意味を示す。

 そもそも、休校を避けるのは、なぜか?
 「休校すれば、風邪が蔓延するのを避けられる」

 と思う人が多い。だが、風邪を引くのは、なぜ悪いことなのか? その理由は? ……こう考えると、理由がわかる。
 「風邪を引くと、学校を休まなくてはならない」


 これが理由だ。では、休校をすると、どういう結果になるか? 
 「休校をすると、学校を休まなくてはならない」

 これでは、風邪を引いたのと同じことである!

 比喩的に言うと、こうだ。
 「泥棒に金を盗まれるのを避けるために、金をドブに捨てる」

 まったく、何やっているんだか。まるで漫才みたいに馬鹿げたことだ。

 以上は、(1校単位の)休校のことだ。(都市全体の)一斉休校だと、さらに悪い。休校にする必要がない学校まで、ことごとく休校にするからだ。

 比喩的に言うと、こうだ。
 「火事があった。隣家が延焼しそうだ。隣家の延焼を避けるために、都市を丸ごと空襲して、焼夷弾で都市を丸焦げにする」

 こういうことをして、「隣家の延焼を避けました」と自慢するわけだ。

 以上を聞くと、ほとんど冗談みたいに聞こえるかもしれない。だが、実際に、次の事実がある。
   7日間の休校  ≒  7日間の風邪引き

 休校で7日間休むのと、風邪で7日間休むのとは、同じ結果である。(少しぐらいは違うが、どっちみち学校に行けない。)

 そもそも、学校閉鎖の意味は何か? 次のことだ。
 「感染者が多大になった学校を閉鎖する。その学校が犠牲になることで、他の多くが犠牲になることを防ぐ」

 これは、「小を犠牲にすることで、大を生かす」という発想だ。なるほど、その発想が必要になることもある。

 しかしながら、「大の犠牲を避けるために、大を犠牲にする」というのでは、本末転倒だろう。それはただの自殺行為にすぎない。いわば、
 「他人に殺されるのを避けるために、自分で胸を刺して死ぬ」
 という行為だ。これが先に述べた、漫才みたいな比喩に相当する。
 そして、こういう冗談みたいなことを、現実にやらかしたのが、大阪府だ。万一の休校という可能性を避けるために、否応なしに休校にしてしまった。
 「さすがに漫才の本家だ。政治が漫才になっている」
 ということか。    (^^);



 [ 付記 ]
 実を言えば、一斉休校には、意義が全くないわけではない。次の効果はある。
 「生徒たちが休むことで、大人社会への感染を防ぐ」
 ま、このことは、いくらかは効果がある。とはいえ、このインフルエンザは、もともと子供ばかりに感染するもので、大人への感染力は低い。また、初夏という季節から、放置しても、どっちみち収束するはずだった。さらに言えば、処置として妥当なのは、「感染した学校だけの閉鎖」だった。
 以上のすべてからして、やはり、「一斉休校」は過剰な措置だった。「隣家の延焼を防ぐために、都市全体を燃やし尽くす」という処置も同然だった。

 この愚かさは、オーストラリアの対処(こちらは正常)と比較するとわかる。
 オーストラリアは、現在、感染者数が急増しており、本日(6月3日)現在で、634人だ。それでも、オーストラリアは、一斉休校などをしない。感染者の多い学校だけを閉鎖する。また、感染者数の少ない学校では、該当の生徒だけを自宅静養させる。

 大阪府みたいに「一網打尽」ふうにする「一斉休校」というのは、世界広しといえども、日本ぐらいでしか取られない、狂気の政策(自殺政策)なのだ。
 この愚をはっきりと理解することが必要だ。さもないと、秋にまた同じ愚を繰り返す。下手をすると、一冬ずっと、日本中の学校が閉鎖される。
( ※ 今のところ、そのつもりなのかも。)



 【 関連項目 】

 → 病気よりもパニックの拡大(一斉休校)
  (一斉休校の報道。それへのコメント。)

 → 一斉休校の効果 の追記分。
  ( 「一斉休校」と「休校」の違いを説明する。)

 → 秋には何もするな
  ( 秋には一斉休校をしてはいけない。その理由。)
posted by 管理人 at 20:42| Comment(0) |  感染症・コロナ | 更新情報をチェックする
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