豚インフルエンザで世間は大騒ぎしている。これに対して、私は何度か問題視したが、これを理解できない人もいるようだ。そこで解説する。
何らかの危険性があるとしよう。それに直面したときの対処は、一般に、次のように二通りの対極的なものがある。
・ 無視する (何もしないで放置)
・ 過剰反応する
たいていの場合は、このどちらかだ。そして、それぞれの場合には、次の批判が成立する。
・ 「無視しては駄目だ。危険性を直視せよ」…… 警告
・ 「騒ぎすぎては駄目だ。冷静になるべし」…… 戒告
このいずれも、世間に対する批判として成立する。世間がのんびりしすぎているときにも、世間が大騒ぎしすぎているときにも、その批判としての言葉が出る。それが「警告」や「戒告」だ。そのいずれも、私はしばしばなす。
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ただし、こういう「警告」や「戒告」を聞いても、それを受け入れられない人がいる。
「おれは常に正しい。他人の批判には耳を貸したくない」
という人々だ。こういう人々は、他人から批判されると、「問題点を指摘してくれてありがとう」と感謝するかわりに、「喧嘩を売る気か!」とか、「おまえはトンデモだ!」とか、そういうふうに怒り狂うことが多い。
ま、こういう人は、世間にはよくいます。あなたもそういう人を知っているでしょ? (^^);
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さて。「警告」と「戒告」のうち、しばしば見られるのは、「警告」の方だ。「このままだと大変なことになりますよ」と警告すること。そして、この手の警告には、人々は敏感に反応する。(そのせいでパニックが起こるのだが。)
例1。地球温暖化
「すわ、地球温暖化だ。炭酸ガス削減のために努力しよう!」
こう思って、ハイブリッド車購入や、レジ袋有料化に、熱中する。ほぼパニック的。
そして、ハイブリッド車で高速道路を長距離運転して、大得意。
「こんなにガソリンを節約したぞ。50リットル消費するところが、30リットルの消費で済んだ。20リットルも節約した。明日も長距離運転して、省エネに励もう」
例2。豚インフルエンザ
「すわ、豚インフルエンザだ。風邪の患者を見たら、大警戒しよう」
こう思って、マスコミはただの平凡なインフルエンザ患者に大騒動。ほぼパニック的。
2009-05-03 の新聞では、「インフルエンザの患者をトップニュースにする」というマスコミの騒ぎがあった。海外からの帰国者がA型インフルエンザだったということで、「すわ、豚インフルエンザか?」と大騒ぎ。ネットの新聞サイトのトップニュースになる始末。そのあげく、数時間後には、「患者は実は、平凡なA香港型のインフルエンザでした」と報じる始末。未確認情報で世間を振り回そうとする。A香港型のインフルエンザの患者なんて、山のようにいるのだが、そんなので一喜一憂していたら、身が持つまい。……これがパニック的な状況だ。
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そして、現在では、豚インフルエンザをめぐるパニック的な状況のさなかで、タミフルやリレンザの乱用こそが正しい方法だと思って、薬剤耐性の危険性を見失ってしまう。
実は、通常のインフルエンザはすでにタミフルへの耐性ができているのだし、これによる死者数は豚インフルエンザの比ではなく、数千人以上になるのだが、それを無視して、大騒ぎ。大騒ぎのせいで、豚インフルエンザの耐性化を促進する。
こういうふうに、「騒ぎのせいでかえって被害が拡大する」という状況がある。「騒げば騒ぐほど、被害が減るどころか、被害が大幅に増えてしまう」という状況だ。
こういう問題を、私は「戒告」の形で示す。世間が(地球温暖化や豚インフルエンザへの)「警告」を聞いて大騒ぎしてパニック状態になっているときに、「騒ぎすぎはかえって有害だ」と「戒告」の形で示す。
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ところが、こういう「戒告」を聞いても、なかなか理解できない人が多いのが実状だ。
「警告は有益だ。警告を無視したせいで被害が拡大してもいいのか?」
こう言い張って、将来の危険性を過大にわめきたてる。
・ 南極の氷がどんどん溶けている。
・ メキシコでは死者が 150人以上になった。
こういうふうに大騒ぎする。
ところが、この二つの例はいずれも間違いであることが判明している。
・ 南極では、氷は減るどころか増えている。
・ メキシコでは、死者が7人に修正された。
(その後、さらに少し増えたが、通常のインフルエンザより ずっと少ない。)
こうして、報道の誤りは判明したが、それでも、パニック騒ぎはなかなか収まらない。その例が上記の「A香港型の患者をトップニュースにする」というマスコミの騒ぎだ。
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大騒ぎする人の理屈は、たいてい、次のようなものだ。
「騒ぐのが駄目だというのなら、何もしなければいいのか?」
これに対して、正解を示そう。
「何もしないか、大騒ぎするか、という二者択一は、発想が根本的に間違っている。正しいことは、何もしないことでもなく、大騒ぎすることでもない。冷静に対処することだ」
比喩的に言えば、こうだ。
「道の右側に落ちればいいのでもなく、道の左側に落ちればいいのでもない。道に落ちずにまっすぐ進めばいい」
これが私の指摘していることだ。この点を誤読しないようにしてほしい。
「右に落ちちゃ駄目だというのは、左に落ちればいいということだな」
なんて誤読をしないでほしい。
しかしながら、誤読する人がけっこう多い。
というか、パニック状態になった人は、「何もしないか、大騒ぎするか」という二者択一の発想しかできなくなってしまっている。「冷静に対処する」という選択肢が、頭から消えてしまっている。
地震であれ、火災であれ、緊急時になると、人はそういうふうに発想が極端化する。これもまたパニック状態の症状だが。
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なお、主体(主語)ごとに、なすべきことに違いがある。
政府としては、なすべきことをちゃんとなすべきだ。さまざまな行政措置を取るべきだ。(通常、腰がやたらと重いが。)
一方、個人としては、腰が軽ければいいと言うものではない。やたらと大騒ぎするべきではない。個人のできることは、限られている。マスクをするとか、手洗いをするとか。……できることは限られているのに、できもしないことをやろうとして、やたらと過剰反応すれば、かえって被害が大きくなる。(例。タミフルの売り切れ。 → 前出 )
とにかく、やみくもに騒ぐよりは、事実を冷静に認識して、冷静に対処するべきだ。騒げば騒ぐほど、かえって被害が大きくなる。……これが私の趣旨だ。「何もしないでのほほんとしていればいい」ということではない。
比喩で言おう。「食べ過ぎるな」といういは、「何も食べるな」ということではない。「働きすぎるな」というのは、「働くな」ということではない。何事も適度というものがある。過剰反応をするべきではないのだ。
それが私の主張の趣旨だ。
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結論。
何か大事件があると、人々はやたらと過剰反応をしがちだ。過剰反応の程度と、無知のレベルは、おおむね比例する。「デマの心理学」というものがあるが、一般に、情報が不足すれば不足するほど、パニックは大きくなる。それが豚インフルエンザに直面した現状だろう。(アホ状態とも言えるが。)
関東大震災のときにも、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが出て、多くの朝鮮人が撲殺された。そのときの殺人者たちの言い分は、「何もしなければおれたちが死ぬんだ! だから自分たちの命を救うためには、朝鮮人を殺すのはやむを得ない!」というものだった。勘違いによる自己正当化。
こういう過剰反応をしてはならない。頭がパニックになってはならない。パニクって騒ぐ前に、深呼吸して、頭を冷やそう。
それが私の話の趣旨だ。
「あわてると 猪突猛進 崖から落ち」 (字余り)
[ 付記1 ]
同様のことは、他の事件にも当てはまる。たとえば、次のように、大騒ぎないし大流行がある(あった)。
・ 地球温暖化
・ 太陽光発電 ,風力発電 ,燃料電池
・ レジ袋有料化
・ ライブドア事件
・ 「構造改革なくして景気回復なし」(小泉)
このような世間の大騒ぎに対して、「パニックになるな」「ブームに洗脳されるな」というふうに指摘するのが、私の意図だ。
一方、世間に多いのは、「流れに乗り遅れるな」「尻馬に乗れ」という付和雷同の方針だ。日本中のマスコミがほとんどこれ一色に染まっている。(危険。)
[ 付記2 ]
本日( 2009-05-04 )の朝日・社会面に、「霊感商法」という話題がある。
「あなたの不幸は、悪霊が乗り移っているからです。お祓いが必要です」
「あなたの不幸の源である、憎い人に、呪いをかけてあげます」
こういう名目で、金をだまし取る商法が流行っているそうだ。「霊感商法」。
なるほど、そういう悪徳商法はある。だが、それと同じことをしているのが、社会の風潮だろう。
・ 地球温暖化阻止のために、太陽光発電に数千億円の補助金を。
・ 省エネ自動車に数千億円の補助金を。高速道路の無料化にも。
・ 不要な家電をどんどん買わせるために、数千億円の補助金を。
・ レジ袋有料化を。(コストの数倍の金を取って店の懐へ。)
こういうのは、ほとんど詐欺である。だから私は「詐欺に引っかかるな」というのと同趣旨で、「だまされるな」と忠告する。
しかしながら、残念ながら、洗脳された人々は、なかなか理解できない。むしろ、反発する。
「地球温暖化阻止に反対するのか!」
「省エネに反対するのか!」
「豚インフルエンザの予防に反対するのか!」
これはまあ、次の反発と同様である。
「悪霊による被害を止めることに反対するのか!」
ここには、「メチャクチャな理屈」と「論理のすり替え」(二者択一)とがある。
霊感商法に引っかかる人は、頭の回路が狂ってしまっており、論理的な判断ができなくなっている。それと同じことが世間全般で起こっている。
そこで、洗脳される寸前の人々に向けて、「気をつけよう」と私は戒告する。……ただし、すでにドツボにはまってしまった人には、この戒告は受け入れられないだろう。洗脳された信者には何を言っても無駄だ、とは思う。
[ 付記3 ]
オマケで言うと、もう一つ、パニック騒ぎがある。北朝鮮のミサイルだ。
これに対する騒ぎのはての対処は、「ミサイル防衛網」であった。私はこれを批判した。「そんなものは無効だ」と。
つまり、「騒がなければいい」のではない。「騒いだはてに無効なことをしても、かえって有害だ」ということだ。効果はゼロに等しいものに、数千億円の金をかけても、金をドブに捨てるのと同じだ。何の意味もない。
その一方で、新聞には、別の記事もあった。地方では病院が次々と閉鎖されているという。小泉政権の「医療費削減」のせいで、病院は収入が大幅減。地方では病院経営が成立しなくなり、赤字を垂れ流すので、やむなく病院を閉鎖するしかなくなった、という。
大騒ぎをしてミサイル防衛網に1兆円も出して、大山鳴動ネズミ一匹。その騒ぎをしたせいで、医療で命を救うための金がなくなり、死者が大幅に増える。
これがパニックというもののもたらす結果だ。
[ 付記4 ]
なぜこういうこと(倒錯・矛盾)が起こるのか? それは、何かをなそうとしても、リソース[資源・力量]には限界があるからだ。金には限界があるし、人力にも限界がある。
なのに、優先順位を無視して、やみくもに大騒ぎすれば、なすべきことに回すべきリソースが消えてしまう。
こういうことは、素人にはわかりにくいだろう。たとえば、「トリアージ」の概念は、素人には理解しにくい。むしろ「目先の一人を救え」というふうに発想しがちだ。反発したあげく、「目先のこの人を見捨てていいというのか!」という質問すら出すだろう。
その質問には、「イエス」という回答が正しい。確かに、目先の一人を見捨てる必要があるのだ。被害の最小化のためには、何かを見捨てる必要がある。リソースに限界があるときは。
ただし素人は、「あれもこれもすべてがほしい、何一つ失いたくない」というふうに発想して、結果的に被害を拡大させる。欲張ったあげくの、あぶはち取らず。……こういうことを、素人はしばしばやりがちなのだ。それを警告するのが、本サイトの趣旨だ。
[ 付記5 ]
ついでだが、私は、「騒ぎすぎるな」と戒告を出すだけでなく、「これこれのことをなせ」という警告もしている。
・ 耐性化に対処する策を取れ。
・ ワクチンの増産のためにアジュバントを使え」
というふうに。(前出)
冷静な頭になれば、なすべきこともわかる。しかし、冷静になれないと、なすべきことをなせない。なすべきことが何かさえ、頭で判断できなくなるからだ。パニクっているせいで。
【 関連項目 】
→ 豚インフルエンザ3
豚インフルエンザについて、現時点での見解を述べる。それは「騒ぎすぎはかえって有害だ」ということだ。──
→ 豚インフルエンザの死者数
豚インフルエンザの死者数について、数値が大幅に修正された。一時は「メキシコで 150人」と報道された。だが、その後、20人に、さらに、7人に修正された。
