2009年05月03日

◆ ウイルスは 交雑 する?

 豚インフルエンザのウイルスは、4種のウイルスが混合してできたらしい。
 この「混合」を「交雑」と表現するのは、好ましくない。

  ( ※ 本項は重要ではないので、読まなくても構いません。) ──

 本項で語るのは、用語の問題だ。下記の件について、「交雑」という言葉を使うべきではない、ということ。
 なぜか? 「交雑」は、通常、有性生殖について使う言葉だからだ。無性生殖における「混合」については、その言葉を使うべきではない。(用語の問題として。)

 ──

 まずは、報道事実を示す。
 新型の豚インフルエンザウイルスは人と鳥、2種類の豚が持っていた計4種類のウイルスが複雑に混じりあってできたことが、米国や日本の研究チームの解析でわかった。
 人は通常、豚や鳥のインフルにはかからないが、豚は人や鳥のインフルにも感染する性質を持つ。98年ごろ、北米で豚インフルが流行したときに、豚の体内で豚ウイルスと人のA香港型ウイルス、鳥ウイルスが混じり合って、まず「3種混合」のウイルスができたとみられる。これが北米の豚ウイルスと交雑を重ね、最終的にユーラシア型の豚ウイルスと合わさって「4種混合」の新たな豚ウイルスになったという。
( → 朝日・朝刊 2009-05-03

 世界的に感染が広がる新型インフルエンザは、鳥、人、豚由来の4種のウイルスが交雑した極めて珍しい型で、今のところ、感染しても比較的軽症で済む「弱毒性」であるとの見方が強まっている。
( → 読売・朝刊 2009-05-03
 読売の記事では、WHOの委員が「交雑」という言葉を使っているそうだ。他にも、ネットでは別の専門家が「交雑」という言葉を使っている。
 ま、ウイルスの専門家は、哺乳類のような有性生物の専門家ではないから、慣れない言葉を(勘違いして)使うこともあるのだろう。そこで、指摘しておこう。

 ──

 「交雑」という言葉は、通常、有性生殖の生物についてのみ使う。以下、引用。
 交雑は主に、有性生殖及び受精のシステム上の問題から、かなり近しい種類の有性生殖を行う生物間でのみ発生する。
( → Wikipedia
 この記述はおおむね妥当だ。

 とにかく、「交雑」ないし「交配」という言葉は、原則として、有性生物にしか使えない。ウイルスは、無性生物のようなものだが、むしろ、生物ですらない、と言える。このようなものに「交雑」という用語(有性生物のための用語)を使うのは、まったく不適切だ。

 ──

 では、正しくは? 参考として、前に述べたように、次のことがある。
   → 遺伝子の水平移動

 ここに述べたことは、今回の「混合」という事実にかなり近い。しかしながら、それでもまだ正確ではない。
 実は、上記の報道事実には、(通常の)「遺伝子の水平移動」は生じていない。理由は、下記の二点。
  ・「遺伝子の水平移動」は、細胞間の現象だが、ウイルスは細胞がない。
  ・ そもそも、RNA ウイルスは DNA をもたない。


 つまり、「細胞間」「DNAの移動」という二点が要件なのに、その要件を満たしていない。したがって、この現象は、(通常の)「遺伝子の水平移動」ではない。

 ──

 では、どう言えばいいか? おおむね、次のように言えばいいだろう。
 「 RNA遺伝子の漏出」


 その意味は、次の二点だ。
  ・ 通常の DNA遺伝子ではなく、RNA遺伝子の現象である。
  ・ 二つ(以上)のものが混合するのではなく、一方的な漏出である。


 ──

 図示して示そう。
 AというウイルスとBというウイルスが(RNA遺伝子レベルで)物理的に混合するのであれば、Aで何かが増えた分、Bで何かが減る。


  ●●●●●●●●●●●●●  ○○○○○○○○○○○○○  
                    
  ●●○●●●●●●●○●●  ○○○○●○○○●○○○○

 

 しかし、このたび起こったのは、このような意味の「混合」ではない。AとBが混じりあったことではない。Aというグループのなかに、たまたまBの RNA遺伝子を含むものが追加された、という一方的な現象だ。
 このような現象は、「漏出」と呼ぶのが妥当だろう。(「混合」でも間違いというほどではないが。)

 ま、「混合」という言葉を使うことは、間違いとは言えない。「遺伝子」という言葉を使うことも、間違いとは言えない。
 とはいえ、「交雑」という言葉を使うのは、間違いに近い。「混合」というのは、かなり範囲の広い分野で用いられる用語だが、「交雑」というのは有性生殖の場(特に犬や馬などの家畜の繁殖の場)で使われる言葉だ。それをウイルスの世界に転用するというのは、学術用語の使い方としては逸脱している。ど素人が間違えて使うのなら仕方ない面もあるが、専門家がそんな用語の使い方をするべきではない。
 
 結論。

 ウイルスについては「交雑する」という言葉を使うべきではない。ただし、「混合」ならば、許容範囲。
 「混合」というのは、さまざまな分野で使われる守備範囲の広い言葉だが、「交雑」というのは、有性生殖の繁殖の場でのみ使われる言葉だ。それを無性生殖の場に転用するのは、用語として逸脱している。
 


 [ 付記 ]
 ウイルスの「混合」で生じている現象は、有性生殖における「有糸分裂」のようなことではない。むしろ、「染色体交差」や「遺伝子の水平移動」のようなことだろう。
 この際、ウイルス間で部分的に RNA遺伝子が転移することはあるだろうが、それは、「交雑」(有糸分裂をともなうもの)とはかなり違う現象であるはずだ。
 馬のオスとメスが「交雑」することはあるし、比喩的に人間の男と女が「交雑」することもある。それは「エッチする」ということだ。
 しかし、ウイルスは別に「エッチする」わけじゃない。「エッチする」という意味の言葉を、この場で用いるのは、不適切かつ不謹慎だ。  (^^)v

( ※ まあ、「言葉を拡張して用いた」というのなら、わからなくもない。だが、そういうふうに勝手に用語を拡張するのは、学術的な態度ではあるまい。たとえば、哺乳類専用の言葉である「胎盤」や「哺乳」という言葉を、魚類や菌類に転用するのは、褒められたことではない。)

 【 注記 】

 本項については、あくまで個人的な見解の表明としておくにとどめる。
 これは、物事の真偽ではなくて、言葉の使い方の問題だ。一方が正しくて、他方が間違いだ、ということではない。どういう態度を取るか、という態度の問題だ。
 だから、今回の「混合」を「交雑」と呼ぶとしても、それを誤りと批判することはできない。(それは好ましいことではない、と私は思うが。)
 
 ただし、一般の人には、両者の違いを指摘しておく。次の点だ。
 ウイルスの《 交雑 》は、遺伝子が混じりあうということを意味するらしい。だが、それは、広い意味では普通の「交雑」に似ているとしても、原理的にはまったく別の現象である。ウイルスの《 交雑 》に似ているのは、有性生物の「交尾」ではなくて、無性生物の「染色体交差」や「遺伝子の水平移動」などだ。

 言葉に迷わされて、概念を混同してはならない。そして、概念の混同を避けるためにも、ウイルスについては《 交雑 》という言葉をなるべく用いないことが好ましい。
posted by 管理人 at 15:45| Comment(1) |  感染症・コロナ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
原理面で表現を分類するべきとすればおっしゃるとおりだと思います。

しかし、例示されている表現を借りて説明させてもらうならば、A⇒BへのRNA特性情報の「漏出」を現象面での最小単位ステップで捕らえるならばごもっともだと思いますが、ほぼ同時にあるいは少し時間を置いて、B⇒Aへの同じく「漏出」が起こるパターンもありそれらを総合すれば、”広義の”あるいは、”比喩的に”「交雑」「混合」という表現を用いる事は、それほど誤りではないと考えられます。

専門家の方々も、ウィルスがRNA遺伝子であることや、有性生殖ではないことは当然了知されているでしょうから、意図的に、或いは無意識に用法の範囲を拡大しているようにも思えます。

乱文にて、失礼しました。
Posted by 貴重なご意見を拝見いたしましたが…。 at 2009年05月22日 15:19
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