「欧州では風力発電が盛んなので、日本でもそうするべし」という見解がある。例によってエコ発電の推進論者の主張。典型は朝日だ。次の趣旨の記事があった。( 朝日・朝刊 2009-04-05 )
・ デンマークでは風力は電力の2割を占める。
・ だから日本もそうするべきだ。
・ 日本では、最大の障害は、そうする政策の欠如だ。
これは論理的な主張のように見えるが、実は反対で、「結論に合わせて理屈をもってくる」という主張の典型だ。つまりは、我田引水。(これもエコ? (^^); )
ここでは、初めに「風力発電を増やすべし」という結論がある。そして、そのために、デンマークの例を持ち出したり、そうしないでいる日本を批判したりする。
つまりは、「自分の主張のために世間を動かそう」という朝日独裁主義。これは実に強力で、「太陽光発電に補助金を」という大々的なキャンペーンを続けた結果、今では日本人の多くや政府ががそれに洗脳されてしまっている。朝日の洗脳政策は恐るべし。
そこで、その洗脳政策に抗して、私が反論を加えておこう。
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風力発電には、すでにいろいろと難点が知られている。次のように。
・ 電力の変動が大きすぎる。 ( → 前項 を参照 )
・ 鳥との衝突(バードストライク)が起こる。
・ 低周波騒音で近隣の人間に被害が出る。
・ 台風などで容易に壊れがちだ。
最後の「壊れがち」という点については、上記の朝日の記事でも言及されている。沖縄では、風力発電がかなり設置されたが、台風の通り道にあるせいで、台風で破壊されてしまう。故障が続出して、今では多くが休止状態にある。
ただし、休止といっても、風車が止まっているのではなくて、風車のない柱があるだけだ。もぬけの殻になっているようなものだ。風車のない風力発電設備とは、ただのデクの坊であり、邪魔なだけだ。それでも莫大なコストは減らないから、結局、莫大な損失だけが残っていることになる。
ここからまともな教訓を得ることができるはずだ。しかるに、朝日の結論は、とんでもない方向に行ってしまう。
「無駄なことに金を使えば、ただの浪費になる」
というのがまともな結論だが、朝日は逆に、
「風力発電を推進する政策が足りない。だからもっと補助金等を出せ」
というふうに結論する。しかし、補助金を出せば出すほど、風車のない柱がたくさんできるだけであり、デクの坊が乱立するだけだ。
頭の方向が正反対。(頭の風車が逆回転しているようなものだ。発電するどころか、大量の電力を食いつぶすようなもの。)
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では、本質的には、どこが悪いのか? それは、「欧州かぶれ」であることだ。( cf. → エコの欧米崇拝 )
「欧州かぶれ」のどこが悪いか? 「欧州の真似をしよう」という物真似根性がさもしいだけではない。「欧州と日本の国情の違いを理解しない」という無知が悪い。── これがポイントだ。本項ではこれがテーマとなる。以下、詳述しよう。
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「欧州と日本の国情の違い」── これが大切だ。たいていの欧州かぶれは、このことを理解しないので、本項で説明しよう。
欧州と日本とでは、国情がまったく異なる。その一例として、前に、太陽光発電に関して、ドイツとの差を指摘した。( → 原発とエコ[ 付記2 ])
つまり、ドイツは確かに太陽光発電を推進しているのだが、その裏には、次の二点がある。
・ 隣国のフランスから原子力の電力を輸入している。
・ 電力コストが高くなる。
(そのせいもあって、夜間の電気使用は非常に少ない。)
このようなことを無視して、「ドイツの真似をしよう」と言っても、無理難題というものだ。
・ 日本は隣国から原子力の電力を輸入できない。
・ 日本人は「夜間は真っ暗」という生活・文化はできない。
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同様のことは、風力発電にも当てはまる。
「欧州では風力発電が盛んだから、日本でもそうしよう」
という安直な発想があるが、それは無理というものだ。理由は、次の二点。
(1) 気候の差
日本と欧州では、気候がまったく異なる。
日本の気候は、温帯季節風気候だ。モンスーン地域。ここでは、気候変動が大きい。雨の粒も大きいし、風も強いし、特に台風が通る。
こんなところに、欧州製の風車を持ち込んでも、壊れるのが当然だろう。壊れたあとで、「壊れた!」と騒ぐのは、阿呆だけでいい。1台目が壊れたのを見るのは仕方ないが、1台目が壊れたのを見ても、さらに2台目、3台目、……と百台以上もの風力発電設備を導入して、その大半を壊してしまう、というのは、猿並み(猿以下)の知恵でしかない。(朝日のことだ。)
欧州の気候はどうか? 一般に、西岸海洋性気候と言われる。そこでは気候は日本の気候とはまったく異なる。気候の用語は同じでも、実体としての意味はまったく別のものだ。イギリスを例に取ると、次の通り。
・ 夏 …… 炎天ではなく、穏やかな日照。
・ 雨 …… 日本でいう霧雨。
・ 氾濫 …… 洪水ではない。川からあふれた水は、ゆるやかに
広範に展開し、なだらかに消えていく。
要するにすべてが穏やかなのである。そこでは風さえも、暴風にはなりにくい。嵐というものは、あるにはあるが、強風は吹いても、台風みたいにひどい暴風はない。
以上はイギリスだが、デンマークはさらに穏やかだろう。地理的に言って北欧だし、イギリスみたいに海の影響を直接受けることもない。こんなところに暴風はありえまい。そこで風力発電が盛んだとしても、特に不思議ではない。それができる気候にあるからだ。
(2) 地理の差
さらに、地理の差(土地の差)がある。次の3点で。
第1に、地形が異なる。
デンマークは平地が多い。おかげで、風車を立てるのに適したときが国土のほぼ全域にある。( → Google 写真 )
一方、日本は平野部は1割しかなく、大半は山間部だ。そのほとんどは風車の建設に適さない。風車の設置場所としては悪くはないとしても、そんな遠い奥地に風車を建設するには、道路建設から始めなくてはならない。また、発電した電力を送電するための送電設備も、とんでもないコストがかかる。これでは、まず不可能だ。
第2に、平地の人口密度が異なる。
デンマークには、平地の人口密度が低いから、無人の平地が多い。だから、いくらでも風車を立てることができるだろう。
日本では、平地の人口密度が高いから、無人の平地はほとんどない。風車を立てるのに適した土地は、非常に少ない。
( ※ このようなことが起こるのは、日本の人口が多く、平地が少ないからだ。そういう地理の差がある。)
第3に、国の規模が異なる。
デンマークでは「2割」と言っても、同じことが日本でも可能なわけではない。このことは、次のように説明される。
デンマークは日本の1/20以下の小国で、人口密度も日本の1/3程度でしかありませんし、デンマークと同じだけ風力発電をしても日本の総発電量の0.5%くらいにしかなりません。風力発電の発電量は、国土の面積に依存する。一方、需要は人口に依存する。広い土地に少しの人口しかいないデンマークでは「2割」が可能でも、狭い土地に多くの人口がある日本で「2割」が可能であるわけではない。
( → 知恵袋 )
何でもかんでも「欧州の真似をすればいい」というわけではないのだ。
──
結論。
デンマークと日本では、国情がまったく異なる。気候も異なるし、地理も異なる。なのに、そのことを知らないまま、
「デンマークではこうだから、日本でもそうしよう」
というような主張は、ただの暴論でしかない。
それはいわば、次の暴論に似ている。
「欧州人は白人だから、日本も欧州人のように白人になろう」
「イギリス人は英語がペラペラだから、日本人も日本語を廃止して英語を公用語にしよう」
こういうことを主張するのは、土人並みの発想だ。馬鹿丸出しというところ。そして、それと同様のことを主張しているのが、朝日だ。
「デンマークでは風力発電が盛んだから、日本でも」
「ドイツでは太陽光発電が盛んだから、日本でも」
自分の頭で考えることができず、欧州の物真似ばかりをしようとする土人ふうの発想を、そろそろ抜け出してもらいたいものだ。
[ 付記1 ]
朝日はやたらと「欧州の真似をせよ」と主張するが、それは「自分勝手なご都合主義」つまり「おいしいところだけのつまみ食い」でもある。
というのは、ドイツとデンマークを除く欧州では、原発がどんどん推進されているからだ。以下、引用。
ヨーロッパは、フランスはもとより、イギリス、スイス、イタリア、スウェーデン、フィンランド、旧東欧圏等で、これからのエネルギー確保と地球温暖化抑制の観点から次々新規の原子力発電所建設の計画が出されています。こういう事実があっても、朝日は自分にとって都合良くないことには、目をふさぎ、耳をふさぐ。そういうふうにフィルターを通して得た偏った情報を国民に垂れ流して、国民を洗脳しようとする。
( → 知恵袋 )
[ 付記2 ]
日本でもどうしても風力発電をするとしたら、海上でやるしかあるまい。それならば、地理の問題は解決する。
しかしそれでも、気候の問題は解決しがたい。そのためにはかなり頑丈な風車が必要となる。柱に羽根を付けるタイプではなくて、羽根の全体を外枠などで守るタイプが必要となるだろう。
ここまでは、現在の技術でも、かなり研究が進んでいる。だが、たとえそうしても、最後の問題がある。それは「電力の変動が大きい」という問題だ。( → 前項 )
この問題を解決するには、「風力発電で水素生産」という方法しかあるまい。
しかしながら、「水素生産」であれば、「原発の夜間電力を使う」という圧倒的のローコストな方法があり、とても太刀打ちできない。
[ 付記3 ]
結局、「風力発電」というのは、現時点では、あまりにも課題が多すぎる。そのすべてが解決するのを望むのは、ほとんど夢を望むようなものだ。
ま、そういう夢を望んで、技術開発をするのは、構わない。それどころか、好ましいことだと言える。しかし、夢物語の話を実現可能なことだと思い込んで、「政府はこれを推進せよ」などと主張するのは、とんでもない暴論だ。それは北朝鮮の金正日みたいな独裁者の発想だ。
「偉大なる首領様のために!」
と主張するかわりに、
「偉大なるエコのために!」
と主張して、国民を洗脳しようとする。……そういう「エコ教」という宗教に染まってはならない。われわれは、「エコ教」という時代の狂気に逆らって、正気を保つ必要があるのだ。
( ※ 念のために言うと、「風力発電は絶対駄目だ」と全否定しているわけではない。「現状では駄目だ」と述べているだけだ。将来的に技術開発が進めば、配備してもいいだろう。……とにかく、太陽光発電の場合と同じで、現在なすべきことは、技術開発だ。なのに、「技術の問題があっても、金で強引に配備しよう」というのは駄目だ。そういうエコ至上主義を批判している。エコの理念そのものを批判しているわけではない。……単純に言えば、「狂信的にならず、科学的になれ」ということ。)
【 追記 】( 2009-04-13 )
下のコメント欄で読者から情報をいただいた。下記の英文記事がある。
→ Wind power is a complete disaster
わかりやすい英文なので、自分で読むことをお勧めする。一応、簡単に私が要約しておこう。
風力発電は完全な厄災だ。デンマークは 19%を風力発電がまかなっているが、火力発電はまったく減っていない。二酸化炭素削減の効果は皆無である。それどころか二酸化炭素の排出量はかえって増えている。(ドイツの事情もまた同じ。)読めばわかるとおり、話の趣旨は、本項および前項で述べたことと同様である。
それというのも、風力発電や太陽光発電の発電量は変動するので、それを補うバックアップとして、石炭またはガスの発電が構築されているからだ。
風力発電は、他の発電に依存しないで単独で存在できるものではない。そのせいで、コストは大幅に高くなる。「何が最善かを、(市場でなく)政府が決めると状況が悪化するということの最悪の見本が、風力発電だ」とウォールストリートジャーナルは述べている。
風力発電による二酸化炭素削減の効果は低い。コストがあまりにも高い。排出権取引制度による方式に比べて、数倍のコストになる。そのせいで電力価格が上昇して、経済的に多大な損失を社会にもたらす。
エコ論者には二通りがある。一つは、大声で訴えて、政府補助金の形で多大な財政支出を浪費させるもの。もう一つは、排出権取引や炭素課税の形で汚染者に負担させるもの。
前者の場合、政府が特定のものを選んで助成する。後者の場合、どのような経路で二酸化炭素を排出しても、同じように負担がともなう。
どちらがいいか?
( ※ ただし、私は「排出権取引や炭素課税」を推進しているということはない。そっちの方がマシだとは思うが。)
【 関連項目 】
→ 前項 (太陽光発電のコスト計算)
http://network.nationalpost.com/np/blogs/fpcomment/archive/2009/04/08/wind-power-is-a-complete-disaster.aspx
ただし、補助金で関係会社が潤うのと
風車が建設される地元に工事の金が落ちるのはあり難い事です。
(無駄遣いの赤字の付けは南堂さんご指摘のように国民全体に回されるわけですが・・・)
今年は我が家の裏山にも巨大な風車が沢山建ちます。長年チェックしてきた測候所の風速データから推測される稼働率は1〜2割位でしょうか。
秋の台風で羽根が千切れて飛んできたらご報告したいと思います。