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具体的には、朝日の記事を引用しよう。
「グリーン・ニューディール政策」による米経済力の向上も狙う。これは一件、「うまい発想」と思える。景気回復策とエコ推進との両方ができれば、一石二鳥だ。タナボタみたいなうまい方法に見える。
オバマ次期大統領は、風力や太陽光など代替エネルギーの供給倍増を計画。ペロシ下院議長が15日発表した2年計画の景気対策法案の要旨も「外国原油への依存を減らすため、クリーンで効率的なエネルギー生産を増やすこと」を優先事項の最初に挙げた。
約520億ドル(約5兆円)を投じ、風や水、地熱、バイオなどによるエネルギー供給を促す税額控除の適用延長や、効率を上げるための研究開発などを補助。
( → 朝日新聞 2009年1月16日 )
しかし、そんなうまいことなど、あるはずがないのだ。この世の原理として、うまい話はありえない。仮に、あるとしたら、他の誰かがとっくにやっているはずだからだ。
では、本当はどうか? こうだ。
「緑の公共事業は、やればやるほど得をするのでなく、やればやるほど損をする。なぜなら、太陽光発電であれ、風力発電であれ、もともと不採算であるからだ。不採算事業など、やればやるほど、赤字が出るだけであり、無駄である。(100円の出費に対して、50円の収入しか得られない、というような不採算事業。)
ただし、不採算の分を、税金で補填することができる。これが国だけに許された特権だ。普通の企業ならば、不採算事業をやれば赤字で倒産するが、国だけは不採算事業をやっても、税金で穴埋めすることができる。……こうして、馬鹿げた不採算事業を、やり放題になる。これが「緑の公共事業」の本質だ。
では、国はどうやって、赤字を補填するのか? その金は、どこから生じるのか? 金は天から降ってくるのか? もちろん、否。
その金は、どこから来るかと言えば、税金を出す人の財布から来る。つまり、国民の財布から来る。
要するに、国が太陽光発電を推進するというとき、そのための金は、国民の財布から出る。そして、国民は、財布の金を奪われた分、自分の消費を減らすしかない。
つまり、緑の公共事業とは、次のことを意味する。
「太陽光発電や風力発電などの事業を推進して、これらのエコ産業を拡大する。ただし、それだけでは大幅な赤字が出るから、赤字の分を国民に負担してもらう。国民は、赤字の負担をする分、消費を減らす。つまり、自動車やパソコンなどの購入を減らす」
国全体で見れば、次のことを意味する。
「太陽光発電や風力発電などの産業を発達させるが、それ以外のすべての産業を少しずつ縮小する」
これで、帳尻が付く。決して、無から有が生まれるわけではない。エコの分で何かが伸びた分、それ以外のすべてが少しずつ縮小するわけだ。
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ただし、である。ここで、インチキをする。
「右手で増えて、左手で減っています。双方の総和は同じです。ただし、右手で増えた分だけ見て、左手で減った分を見ないでください。増えた方だけ見てください。すると、増えたことだけが見えるでしょう? だから、全体として、増えたんですよ」
つまり、「片目をつぶれば、都合の良い面だけが見える」というわけだ。詐欺師の手法。 (^^);
これが「緑の公共事業」の正体だ。
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では、詐欺師が得をするとして、国全体ではどうか? 全体としては、プラスかマイナスか? 次の二点が言える。
・ 景気刺激効果としては、マクロ経済的に、プラスがある。
・ 不採算事業がなされるという意味で、事業単独では、効率低下が起こる。
つまり、プラスもマイナスもある。一概に悪だと決めつけることはできない。(だからこそ、それを「善」と見なす人が多い。プラスがあるからこそ、欲深い人は引っかかる。)
では、どうすればいいか? 詐欺師に引っかからないためには、マイナスのない道を取ればいい。つまり、「緑の公共事業」という無駄なことはやめて、プラスだけがあることをすればいい。次のように。
・ 景気刺激効果としては、マクロ経済的に、プラスがある。
・ 採算事業がなされるという意味で、事業単独では、効率向上がある。
では、そんなうまい方法があるのか? ある。それは「減税」だ。これによって、不採算事業でなく、採算事業だけがなされる。なぜなら、民間の事業は、放っておけば、採算事業だけをなすはずだからだ。
要するに、わざわざ不採算事業をなすような阿呆は、政府だけなのである。(それというのも、国民の金を当てにするから。国民はあえて自分から詐欺師にだまされようとしているわけだ。あえて釣られようとしている魚と同じ。)
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結論。
「緑の公共事業」というのは、羊頭狗肉の嘘八百である。それは、不採算事業であるがゆえに、まともな「事業」とは言えない。強いていえば、「事業」でなく「不事業」である。はっきり言えば、「浪費」である。
だから、「緑の公共事業」というのは、正しくは、「緑の公共浪費」と呼ぶべきだ。これなら正確だ。
「緑の公共浪費」は、エコを名目とした浪費である。それによって、莫大な無駄が発生するが、国民が無駄の尻ぬぐいをする。そのせいで、エコはたしかに推進されるが、国民はどんどん損をする。ちゃんとした自動車やパソコンをほしいのに、曇りになれば電力を発電できない役立たずの太陽電池ばかりを大量にプレゼントされる。百万円の自動車をもらうかわりに、百万円の太陽電池をもらう。そして、そのあとで、百万円の請求書が来る。(増税で。)
これが「緑の公共事業」の正体だ。正しくは、国による詐欺。エコ詐欺。
( ※ ただし、国がだまそうとしているというより、国民があえてだまされたがっている。あえて釣られたがっている。「善をしているぞ」と錯覚して。)
[ 付記 ]
「緑の公共事業」に近い例を示す。シャープの太陽光発電だ。
→ 太陽光発電の問題
これは、関電とシャープが太陽光発電をやるもの。(橋下知事も推進している。)
「最先端技術で、環境保護と景気回復の一石二鳥」
という触れ込み。シャープは広告を打って、とても自慢している。
「当社はこんなにすばらしい環境保護企業です」
という調子。
しかし、である。ここには、多額の血税が投入されている。その血税の分、公共事業となっている。
これはこれで本項に該当する問題だ。ただ、シャープが「すべて自社の事業です」と吹聴しているのは、詐欺も同然だろう。国や自治体から金をもらっているくせに、それを隠して、自慢する。泥棒根性。
そんなに自分の事業だと自慢したいのだったら、国や自治体からもらった補助金を返済しなさい。少なくとも、そういう嘘を発表するための宣伝費は、国や自治体に返済するべきだ。国や自治体の金は、嘘をつくために出したんじゃない。
【 関連項目 】
公共事業そのものの是非については、下記を参照。
→ nando ブログ 「公共事業の難点」
