2009年03月17日

◆ 進化論と経済学

 進化論と経済学は、似ている。
 特に、「自然淘汰」「市場原理」という原理は、似ている。これらはともに、「優勝劣敗」という概念に基づく。
 ここで注意。両者は、その限界(欠点・失敗点)も似ているのだ。 ──

 進化論と経済学は、似ている。
  ・ 進化論 …… 「自然淘汰」
  ・ 経済学 …… 「市場原理」


 これらはどちらも「優勝劣敗」という概念に基づく。
  ・ 進化論の「自然淘汰」 ……
     優者が生き残り、劣者が亡びる。すると、全体として進化。
  ・ 経済学の「市場原理」 ……
     優者が拡大し、劣者が退場。すると、全体として最適配分。


 この二つは、どちらもよく似ている。というか、原理はまったく同じだとも言える。(数学的には同じ原理が、二つの分野で表現された、と見なしていいだろう。)

 ──

 これらはどちらも、正しいと言える。ただし、注意。正しいと言える範囲は、限られているのだ。次のように。
  ・ 自然淘汰 …… 小進化のみ    (大進化には不足)
  ・ 市場原理 …… ミクロ経済のみ (マクロ経済には不足)


 このように、「範囲の制限」がある。ところが、そのことを理解できない人々がいる。
 「この概念はこの分野でのみ成立する」
 ということが理解できないで、
 「この概念はあらゆる分野で成立する」
 というふうに拡大解釈してしまう人々がいる。場面Aで成立したから、場面Bでも成立するはずだ、と思い込むわけだ。
 具体的には、次のとおり。
  ・ 古典派    …… ミクロ経済の概念を、マクロ経済に拡大解釈する
  ・ 自然淘汰論 …… 小進化の概念を、大進化に拡大解釈する

 このような拡大解釈(という勘違い)もまた、進化論と経済学で共通する。

 ──

 では、そのような勘違いの結果、どういうことが起こるか? その原理は、経済学では明らかになっているが、進化論では明らかになっていない。そこで、経済学の原理を示した上で、進化論に適用して説明しよう。

 (1) 経済学

 経済学では、この間違いは「合成の誤謬」という言葉で説明されている。( cf. Wikipedia
 簡単に言うと、次の通り。
 「各人(各企業)が、自己の利益を増やそうとする。その際、全員がそういうことをすると、かえって各人(各企業)の利益は減ってしまう」

 つまり、単純な和が成立しない。プラスをたくさん足し算すると、マイナスになってしまうわけだ。
 具体的には、次の例(a)(b)がある。

 (a)「不況期に、各企業が自社の利益を増やす行動(人員削減)をする。すると、一つ一つの企業は、利益を増やせるはずだが、全員がそうするとかえって企業の利益は減ってしまう」(国全体で総需要が減るので、売上げが減るから。)

 (b)「不況期に、各人が家計を守るために、消費を減らして貯蓄を増やす。すると、かえって個人の貯蓄は減ってしまう」(国全体で総需要が減るので、所得が減るから。)
( ※ このことは、「貯蓄を増やそうとすると、かえって貯蓄が減ってしまう」ということなので、「貯蓄のパラドックス」とも言われている。)

 ──

 ともあれ、このように、「合成の誤謬」という概念が経済学では知られている。
 これは、次のように言い換えることもできる。
 「各人が利己的にふるまうと、かえって自分の利益を減らすことがある」


 このことは、
 「各人が利己的にふるまうと、全体の最適化がなされる」
 という市場原理に反する。つまりこれは、市場原理に対する反例となる。

 (b) 進化論

 進化論でも、このこと(合成の誤謬)は、同じ形で成立する。それが「ミツバチの利他的行動だ。

 ダーウィンは、ミツバチの妹育てという行動を見て、不思議に思った。
 「妹育てをしても、自分の子を残せない。だから、そんな形質をもつ個体は淘汰されてしまうはずだし、そんな形質が残るはずがない。なのに現実には、その形質が残る。これは、自然淘汰説に矛盾する。いったいどういうことか?」
 と。

 しかしこれも、「合成の誤謬」という概念を用いれば、はっきりとする。それが「利全主義」による説明だ。
 詳しくは「ミツバチの利他的行動 4」という項目で説明してある。ただ、ここで簡単に言えば、次の通り。
 「利己的な行動を取るミツバチは、スズメバチに襲われたとき、各人が勝手にバラバラな行動を取るので、そのミツバチ集団は全滅する。一方、利全的(= 反利己的)な行動を取るミツバチは、スズメバチに襲われたとき、各人が協調して自己犠牲してスズメバチを撃退するので、そのミツバチ集団は生き残る」
 つまり、「スズメバチに襲われた」という状況では、「合成の誤謬」が成立する。利己主義はかえって個体にとって不利なのだ。ここでは「(個体の)自然淘汰」という発想が成立しなくなっている。ちょうど、市場原理が成立しなくなっているように。

( ※ ここで、スズメバチというのは、一応の例として示しているだけだ。現実には、他の天敵であることもある。)

 ──

 以上で、経済学と進化論を比較した。その二つのいずれも、次の点で共通する。
  (i) ある範囲内では、「優勝劣敗」という概念が成立する。
  (ii)それが成立しない場合も起こる。次のように。
      ・ 経済学 …… 不況
      ・ 進化論 …… 危機(スズメバチの襲来)
  (iii)このような状況では、利己主義はかえって不利だ。そのことは、「合成の誤謬」という概念で理解できる。
  (iv)このような状況で生き延びるには、利己主義を越えた原理(つまり利全主義)を取ればいい。
  (v) なのに、そのことを理解できない人々がいる。彼らはあくまで、利己主義にとらわれて、「優勝劣敗」という一つの原理だけにこだわる。そういう人々は、経済学では「古典派」と呼ばれ、進化論では「自然淘汰論者」と呼ばれる。


 ──

 結論。
 この世界は、「優勝劣敗」という単一の原理だけで片付くわけではない。そんなに単純なものではないのだ。場合によっては、その原理が成立しないことも起こる。その際、別の原理が働く。(合成の誤謬)
 しかしながら、そのことを理解できない人々がいる。(古典派,自然淘汰論者)
 これらの人々は、単に「優勝劣敗による競争原理で状況は改善する」とだけ主張する。その結果、「合成の誤謬」ゆえに、次の失敗に陥る。
  ・ 古典派経済学者 …… 競争原理で不況を脱しようとする → 失敗
  ・ 自然淘汰 論者 …… 競争原理で進化を説明しようとする → 失敗


 ここでは、同じ原理で失敗が起こる。進化論と経済学は、かくも似ているのだ。
 この両者は、長所でも短所でも、共通する点がある。その共通点を理解することで、双方の学問をともによく理解できるようになる。



 [ 付記 ]
 具体的な例を示そう。

 (1) 進化論

 「優勝劣敗で進化が起こる」
  → それで示せるのは、小進化だけ。大進化については示せない。

 ( ※ 何度も述べたとおり。別の箇所の話題。)

 (2) 経済学

 「優勝劣敗で経済が改善する」
  → それで解決するのは、好況だけ。不況は、それでは解決しない。

 こちらが本項の眼目だ。
 不況期には、「優勝劣敗で企業の質を改善しよう」という声が上がる。しかし、いくらそんな声にしたがっても、状況はかえって悪化する。

 たとえば、いったん景気が悪化したときに、「質の向上」をめざせば、企業はリストラを狙って、どんどん賃下げや人員解雇をする。正社員をクビにして、派遣社員を雇ったりする。その結果、国全体の総所得が減って、状況はかえって悪化する。(小泉政権時代にあったことだ。)
 ここでは、個別の企業がいくら努力しても、問題は解決しない。国全体の問題は、一つ一つの企業や一人一人の個人が努力しても、解決しない。ここでは国全体のマクロ政策が必要となる。そして、マクロ政策とは、「優勝劣敗」という原理とはまったく異なる政策である。

 だから、次のように対比できる。
  ・ 進化論 …… 小進化と大進化とは、異なる理論で扱う
  ・ 経済学 …… 好況期と不況期とは、異なる理論で扱う

 そのいずれも、局所的な改善と、大局的な改善とでは、事情が異なるのだから、その事情の違いを理解して、異なる理論で扱うことが大切だ。
 しかしながら現実には、進化論であれ、経済学であれ、局所理論を延長することで、大局的な問題を説明しようとする。そのせいで、とんだ間違いになってしまうのだ。
 進化論と経済学は、似ている。その成功も、その失敗も。
posted by 管理人 at 19:30| Comment(1) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平成23年3月2日、松原隆一郎著の『経済学の名著30』という書籍を読破しました。現在の経済学を作った偉大な経済学者の思想が分かり、勉強になりました。やはり経済学も哲学と類似した経緯を通ってきたように思えます。市民社会の原理のロック。神によって与えられ共有されていた自然資源や生物は、労働を通じて分割され私的所有権を配分されるのです。自分の身体に対する所有権を出発にして、共有の自然へ、そして財産の所有権へと個人の支配圏が広がっていきます。ただし、これには重要な制限があり、他人に危害を及ぼさないようにすること、他人にも十分に自然資源を残しておくことという条件が付いています。そして生命と財産・自由に対する所有権は、当人の「同意」によってしか解除されません(20頁参照)。神の影響下に置かれた学問。また、ロックも道徳的な規範に添った経済学の展開をしているように思えます。その思想を核とし、人身所有権の原理、財産所有権の原理、所有権結合の原理、同意と服従の原理、正義の原理、公共善の原理が生み出されえたのです。

次に、貨幣数量説の原型となる論理を考案したヒューム。ヒュームは神の意志ではなく、経験によって生まれる自生的な協調性である黙約という概念を創造しました。黙約には、「所有、同意による移転、そして約束の履行」があります。ヒュームはこうした人間観や制度観を背後に置き、消費欲望に基づく奢侈とそれを実現する技術が経済を発展させるという経済学を展開させました(27頁参照)。神や道徳観念が経済学に強く影響を及ぼしています。『国富論』で有名な経済学の祖ともいうべきアダム・スミス。古典派経済学を創始したアダム・スミスも『道徳感情論』を著わし、徳の本性を分析しました(37頁参照)。アダム・スミスの敵とみなされた悲劇の経済思想家のスチュアート。スチュアートからは時代の悲劇性を感じました。例え素晴らしい論理を考案しても時代の誤解が評価を下げてしまうのだという無常観や理不尽さを感じました。スチュアートは、貨幣経済の不安定性や有効需要の創出を述べた点ではマルクスやケインズ、発展の段階に注目した点ではリストを生み出す源泉でした。スチュアートは見逃され、読まれても誤解にさらされていたのです(45頁参照)。

功利主義のJ・S・ミル。ベンサムの功利主義に接し、「世界の改革者」たらんことを志したミルは、生産の物理法則を解明した上で家父長制や貴族層の支配を打破し、分配のあり方を変えようと志したのです(81頁参照)。マルクスは、良いにつけ悪いにつけ、経済学界における変革者でした。『資本論』によって共産主義を主張しました(90頁参照)。全ての財の超過需要の総価値観が恒等的にゼロになるというワルラスの法則で知られるワルラス(『ゼミナール・経済学入門』福岡正夫著 190頁参照)。個々の市場での需要が独立で均衡(部分均衡)するのではなく、ある市場が均衡していても他の市場で価格が変動すれば元の市場は不均衡に陥るというように、全ての市場が相互に依存し合い、最終的には全てが均衡する状態、「一般均衡」の概念を提案しました(104頁参照)。

「みせびらかし消費」のヴェブレン(110頁参照)、ユダヤ人かプロテスタントかのゾンバルトとマックス・ウェバーの対立(117頁参照)、イノベーションのシュンペーター(126頁参照)、M2をGDPで割った値であるマーシャルのk(『ゼミナール・日本経済学入門(初版)』 日本経済新聞社編著 130頁参照)で有名なマーシャルも興味深く読めました。

そして、私が尊敬する経済学界の巨星・ケインズ。『雇用・利子および貨幣の一般理論』はワルラス以降、新古典派が工学化を推し進めていた経済学を、人間社会の学=モラル・サイエンスの圏内に復帰させようとした記念碑的作品です。消費意欲や将来の儲け予想、漠然とした不安など様々な社会心理が揺れ動き、資産として貨幣がどれだけ保有するかによって現在の景気が良くも悪くもなります。ケインズはそうした将来についての主観的なビジョン(期待)が社会的なコミュニケーションを通じて揺れ動き、現況を定めるドラマとして、経済を描いたのです(193頁参照)。その他、限界革命のメンガー(154頁参照)、所有と経営の分離のバーリー=ミーンズ(172頁参照)、経済学を普及させたサムエルソン(201頁参照)、不確実性のガルブレイス(230頁参照)、新自由主義のフリードマン(247頁参照)、『もしドラ』で有名になったドラッガー(220頁参照)、記号論的な消費のボードリヤール(265頁参照)、進化論的経済学のハイエク(117頁参照)など、名著として選んだだけあり、どの経済学者も一読するに値する名著の紹介でした。経済学の変遷や経済学の基礎を学ぼうとする人間には的確な指南書になる書籍だと思います。これからも私は日本や社会のためになる書籍を読み、自己進化のために自己研鑽し続けていきたいと思います。

私も自分のビジョン(夢)の達成のために、常に向上心を忘れずに、自己成長のために精進していこうと思います。今後とも変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

東京都世田谷区某所の保育園を卒園し、世田谷区立の某小学校を六年間、通って卒業し、世田谷区立の某中学校を卒業(卒業間際に引越しましたが)した正真正銘の東京都世田谷っ子
Posted by Mr.TOKYO at 2011年03月06日 22:24
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ