2009年03月02日

◆ IPCC の温暖化モデル

 IPCC の地球温暖化モデルには、いろいろと問題がある。特に、「予測の誤差」が問題だ、と私は考える。 ──

 地球温暖化について、懐疑論があるという。(読売新聞・夕刊 2009-03-02 ) 特に、学会でも議論が白熱しているという。
   → エネルギー資源学会
 このサイトで、「地球温暖化:その科学的真実を問う」というタイトルで、いくつかの PDF ファイルを公開している。いろいろと記してあり、その要点は、読売の記事にも出ている。その核心部は、次の表の通り。

       5men.gif
 (クリックして拡大)

 もっと詳しい話は、上の PDF ファイルの本文を読めばいい。そこでは、いろいろと論じられてある。

 ──

 ざっと読んだあとで、私の見解を示そう。
 (1) 懐疑論がいろいろと出ている、ということが示されている。
 (2) 懐疑論の論拠はいずれも妥当ではない。
 (3) そのせいで主流派の反論を覆せない。


 以下、順に論じよう。

 (1) 懐疑論がいろいろと出ている、ということが示されている。

 このように懐疑論はいろいろと出ている。主流派(IPCCの説)ばかりを重視する政治家やマスコミの態度は、科学者からははっきりと認められているわけではない、ということがわかる。
 特に、温暖化自体の有無はともかく、温暖化の原因が「炭酸ガス」であることについては、否定的な見解が多い。それが多くの科学者の見解だ。

 要するに、IPCCは、科学を唱える科学団体ではなくて、科学を標榜した政治団体にすぎない。それに、政治家やマスコミが乗せられている。……このことは、あちこちで指摘されているが、そのことがようやく、マスコミでも論じられるようになってきた、ということらしい。
( ※ 少なくとも読売は、洗脳から脱しつつある。朝日は依然として、洗脳された状態。)

 (2) 懐疑論の論拠はいずれも妥当ではない。

 懐疑論は、「エアロゾル」とか、「観測の誤差」とか、あれこれと論拠を持ち出している。しかし、そのいずれも、明白な根拠とはなりえていない。
 懐疑論は、「主流派は妥当ではない」というふうに述べており、その結論は正しい。しかし、主流派を批判するその論拠は、妥当ではない。(詳しくは後述。)

 (3) そのせいで主流派の反論を覆せない。

 懐疑論の論拠が不十分だから、主流派の反論が成立する。「懐疑論なんか駄目だ」という主流派の見解は、それはそれで成立する。
 つまり、オオカミ少年が嘘をついても、「こいつは嘘をついている」という指摘の根拠が不十分ならば、嘘を嘘だと断定することできない。
 そして、その結果、オオカミ少年の嘘(二酸化炭素説)が、堂々と出回ることになる。
( ※ IPCC の主張は、「ニセ科学」と言っていいのだが、そのインチキさをうまく指摘できないから、そういうインチキ科学が出回るわけだ。)

 ────────────

 そこで、このあとは、私が正しい指摘を示そう。

 (A)モデルの誤差

 IPCC などの主流派は、モデルの妥当性を主張している。しかし、そこでは「モデルの誤差」という概念が欠落している。
 あらゆるモデルには「誤差」というものがある。とすれば、「誤差」を想定した上で、予想するべきだ。たとえば、
 「これこれの誤差の範囲内に予想が収まる可能性は 80%」
 というふうに。
 しかるに、IPCC などの主流派のモデルには、「誤差」という概念がない。
 ( ※ 予測値が当たるかどうかという「精度」については論じているが、予測値からどのくらいまでズレることがあるのかという「誤差」については論じていない。)

 ではなぜ、彼らは、「誤差」という概念を使わないのか? 彼らが統計学的に愚かだからか? 違う。わざと隠しているのだ。
 なぜか? 仮に「誤差」という概念を使うなら、次のことが言えるからだ。
 「モデルの誤差があまりにも大きくて、その誤差は、気候変動の範囲(年率で 0.1度以下)を大きく越えてしまう」


 はっきり言おう。気候変動の率は、年率で 0.1度以下だ。それに対して、普通のモデルの誤差は、それをはるかに上回る誤差だ。
 とすれば、誤差があまりにも大きすぎて、予測は何も言えない。
 逆に言えば、何を予測しても、その予測は、誤差に比べればあまりにも小さすぎて、何ら妥当性がない。
 だから、統計的に予測の妥当性を言うならば、「誤差が大きすぎて、はっきりとしたことは何も言えません」というのが妥当だ。
 しかるに、そのことを言えずに、そのことを隠蔽しようとするのが、主流派だ。

 (2) 過去のデータとの整合性

 未来だけでなく、過去についても、同様のことが言える。
 IPCCのモデルに従うのであれば、過去については、一貫して気温は上昇していなくてはならない。特に、二酸化炭素の濃度からすると、次のことが言えるはずだ。
 「1800年ごろの産業革命以後、なだらかに気温が上昇する。その後、第二次大戦のあとでは、産業の急激な拡大にともなって、気温は急に上昇する」

 これが、炭酸ガス濃度から得られる、気温の予測だ。(人為的な炭酸ガスの排出は、そのように増加してきたからだ。)

 しかし現実の気温は、これに反する。こうだ。
 「1800年ごろの産業革命以後、かなり急激に気温が上昇した。世界恐慌が長く続いていても、それでも気温はどんどん上昇した。その後、第二次大戦のあとでは、産業の急激な拡大があったのにもかかわらず、気温は逆に低下した」

 つまり、二酸化炭素から予想される結論とは、逆のことが起こった。正確には、下図だ。

    warming.jpg
     (この図の出典は、 → これ。他にもあちこちにある。)


 この図では、1950年ごろから 1980年ごろまで、下落が続く。そして、1980年ごろを境に、下落から急上昇へと転じている。
 こういうことを、主流派のモデルでは説明できない。過去の観測データを、ちゃんと説明できない。

 なるほど、それについては、「誤差の範囲だ」というふうに釈明するのが普通だ。だが、そうだとすれば、未来についても誤差が成立するはずだし、過去のさまざまなデータについても誤差が成立するはずだ。
 にもかかわらず、そういう誤差のことを一切無視して、「二酸化炭素」ばかりを主張するのが、主流派だ。
 自己矛盾。

  ・ 誤差を認めるならば   ⇒ 二酸化炭素説の根拠が揺らぐ
  ・ 誤差を認めないならば ⇒ 二酸化炭素説が現実に矛盾


 この二つがある。
 どちらが正しいかと言えば、前者だろう。つまり、「二酸化炭素説の根拠が揺らぐ」というのが正しい。
 なのに、主流派は、後者を取る。つまり、二酸化炭素説には誤差があって信頼性が乏しい、ということを認めない。そのせいで、学説が現実に矛盾する。矛盾しても、それでも「自説は正しい」と強弁する。……これはもう、科学ではない。単に嘘を宣伝活動で広めるだけの、デマゴークにすぎない。
( ※ 観測と自説との矛盾について、正当化を強弁する。天動説の信者と同じ。)



 [ 付記1 ]
 主流派による将来予想は、次の通り。
  → Wikipedia
 この気温上昇予想は、あまりにも誇大である。現実に、はずれている。
 主流派は、これまでの分を「誤差だ」と強弁しているようだが、だとしたら、この予想そのものが誤差だらけの曖昧なものなのだ、ということを、ちゃんと認めるべきだ。こんな予想は、ヤマカンみたいなもので、信頼性はゼロに等しい。そういう真実を、ちゃんと認めるべきだ。
 にもかかわらず、こういう嘘のヤマカンを真実であるかのごとく見なす連中がある。そういう連中を信じる阿呆が、「太陽光発電のために巨額の補助金を」と主張したりする。……こんなのは、もはや、科学ではない。まじない師の言葉みたいなものだ。

 [ 付記2 ]
 IPCC は
 「気候変動のモデルは精度がかなり高い」
 と主張して、
 「実際、過去 20年間の気候変動について調べると、モデルから得られた値と、現実の観測値とは、かなり一致する」
 と主張する。(IPCC 第4次評価報告書のモデル。読売の記事にあり。)
 しかし、これは詐欺師の詭弁だ。だまされてはいけない。
 科学ならば、
  「事前の予測 → 事後の検証」

 という過程を取る。しかし、IPCC がやっているのは、そういうことではない。では、何をしているか?
 過去について、1980年の観測データから、2000年の予想をして、その予想が 2000年の観測値に合致している、と示しているだけだ。
 これはインチキである。というのは、「予想がうまく合うように、モデルのパラメーターを適当に合わせる」ということをしているにすぎないからだ。
 こんなインチキが許されるのであれば、どんなインチキ予想も成立する。たとえば、次のように。
 「競馬の予想モデルを作る。過去の4つの例から、5番目の結果を予想する。ただし、あらかじめ予想するのではない。5番目の結果を知ったあとで、5番目の予想がうまく的中するように、モデルのパラメーターを変える」
 つまり、後出しジャンケンだ。後出しジャンケンならば、必ず当たるに決まっている。こういうインチキをして、後出しでパラメーターを決めて、「予想が的中するモデル」というのを、うまくこねあげるわけだ。(後出しだから、必ず当たるのに決まっているのだが、「予想が当たりました」というふうに嘘をつく。)
 これはまあ、詐欺の手口と同じだ。 IPCC のやっているのは、そういう詐欺と同じである。そして、読売みたいな素人が、そういう詐欺師の言葉を真に受けて、「彼の予想はうまく的中しました」と大宣伝する。詐欺師の手先。

 [ 付記3 ]
 この方法がおかしいということは、次のことから判明する。
 「 1980年の観測データから、2000年の予想をすれば、たしかに当たる。しかし、1950年の観測データから、1980年の予想をすれば、大はずれ」

 モデルに基づいて、1950年の観測データから 1980年を予想すれば、温暖化が進むと予想されるはずだ。しかし現実には 1950年から 1980年まで、大幅な寒冷化が起こった。
 また、1950年から (1980年を経て)2000年を予想するとすれば、なだらかな増加になっている必要がある。一方、現実は、(1980年ごろに)いったん大幅に下がったあとで、( 2000年まで)急上昇した。それが現実の観測値だ。……しかるに、このような ∨ 型の変動は、どのような理論モデルからも出てこない。

 結局、モデルに頼る方法というものそれ自体が、根源的に間違っている。
 主流派は「限界があっても一応、モデルに頼るしかない」と述べているが、それは正しくない。
 「限界があるものについては、限界があると認識する」

 これが科学的な思考というものだ。しかし、主流派の言っていることは、
 「呪術師の言葉以外には頼るものがないから、呪術師の言葉を信じる」

 というのと同じで、非科学的な思考にすぎない。
 科学的に考えるならば、
 「呪術師の言葉以外には頼るものがないならば、何も信じない」

 というふうに考えるべきだ。なのに、主流派の発想は、非科学的な思考以外の何物でもない。エセ科学。

 科学者にとって一番大切なのは、科学の限界を知ることだ。科学の限界をわきまえず、「科学だから正しい」という主張は、ただの「科学教」という宗教にすぎない。
 現在のエコというものは、こういう宗教性を帯びている。




 【 関連項目 】
 「モデルに頼る方法が駄目だ」と上で述べた。
 ただし、たった一つ、この変動を許容するモデルがある。それは私の提案した気候変動モデルだ。下記項目を参照。
     → 気温の非周期変動モデル 

( ※ ただしこれは、「予想できないことを理論的に説明するモデル」であって、「予想するモデル」ではない。)
posted by 管理人 at 20:42 | Comment(2) | エネルギー・環境1 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もはや温暖化があるなしではなく、景気浮揚策、公共事業のようになっていますね。
民主党では電力買い上げ価格を2倍に上げると言っています。
温暖化論争は政治の科学になっているように見える。エコビジネスの創出は将来、禍根を残さなければ良いのだが、管理人さんの予想の(廃棄太陽電池)を残すような気がします。
Posted by fuji at 2009年03月03日 18:52
同じこと思ってた。
IPCCは予測と言う言葉の意味をわかっていない。
IPCCは過去のデータをもとにしてモデルを作り、過去の気候変動を予測した。その結果モデルによる予測は正しかった。
って正しくて当たり前だろ。
だってそういうふうにお前が作ったんじゃないか
過去を予測するって初めて聞いたぞ!

競馬の例はわかりやすかった。第1レースから第5レースまでの結果をもとに第6レースを予測するんじゃなくて、第5レースを予測してる。

IPCCが未来を予想した結果が正しかったことは何一つ証明されていない。なのにIPCCのモデルは科学的で信用に値することにされて、いろんな国の温暖化政策に「IPCCによる科学的知見によると・・・」って引き合いに出されて政治的に利用される。
IPCCが言うことは全部正しいってことにしておきたい風潮は、クライメートゲート事件以降でも変わってない。
Posted by chatuboboya at 2011年03月21日 07:58
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