「頭がいいと蔑まれる」などとは思わずにいてほしい。むしろ、頭のいい女性は、自分にプライドをもって活躍してほしい。 ──
前項(頭がいいと蔑まれる?)のことは、すでに書き終えたつもりでいた。基本的には、最後の「補記2」で述べたとおり。つまり、次のことだ。
(1) 「頭がいいからといって、尊敬されることもなく、蔑まれることもない。頭の良さは無関係だ」
(2) 「蔑まれることはありえないが、尊敬されないことは十分にあるだろう。ただし、尊敬されるかどうかは、頭の良し悪しによって決まるのではなく、人間的な優しさの有無によって決まる」
だが、これだけでは十分ではないことに気づいた。そこで、書き足す。
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前項では、元の筆者の言い分について反論する形で記述した。ただ、論理が長くなっていたせいか、これを書いたときの当初の狙いをいつのまにか見失ってしまっていたようだ。そのことに、あとで気づいた。
実は、本当に言いたかったことは、当のテーマそれ自体ではなかった。もっとまったく別のことであった。テーマの裏にあることだった。そのことに、あとで気づいた。そこで今回、まったく別の視点から書く。
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このことに気づいたのは、次の話を聞いたからだ。
非常に優秀な女性がいた。彼女は抜きん出た才能を持っていたが、夫に愛されることを人生の最大目的としていた。この話を読んだ。すると、私がもともと何を言いたかったかを、ようやく思い出した。
しかし、その夫は妻に、『かわいくて忠実であれ』と要求した。(【 注 】現代の言葉で言えば、萌えキャラかメードさんみたいなタイプの女性であることを要求したわけだ。)
その結果、どうなったか? 彼女は、自己の才能をつぶして、夫に素直に従うようになった。しきりに、かわいい妻であろうとした。しかし、自己を抑制したせいで、精神に異常を来して、自殺してしまった。
そこで、新たに話を書き加える。
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一般的に、「頭がいいから蔑まれる」ということは、ありえない。特に、男子ならば、ありえない。(嫉妬されることはあるが、それは別の話。)
ただ、女性ならば、「頭がいいから疎まれる」ことはある。
とはいえ、この点を勘違いしてほしくない。それは、社会の問題ではなくて、個人レベルの問題なのだ。
「男が、頭のいい女性を疎んじる」
ということは、たしかにある。(特に駄目な男ほどそうだ。) しかし、
「頭のいい女性を、社会の全体が蔑む」
ということはない。むしろ、
「頭のいい女性を、社会の大多数は尊敬する」
と言える。
したがって、頭のいい女性は、
「社会に受け入れられるためには、自分の才能を発揮しなければいい」
と思うのではなく、むしろプライドをもって、
「社会のために自分の才能を発揮しよう」
と思ってほしい。おのれの能力を抑制しようなどとは思わず、おのれの能力を十分に発揮してほしい。特に、世の中のために。
それが私の言いたかったことだ。
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つまり、簡単に言うと、こうだ。
「社会の一部にはいまだに、男尊女卑の傾向がある。そのせいで、女性が傷つくこともある。しかし、だからといって、男尊女卑の傾向に合わせて、自己を抑制しようなどとは思ってほしくない。むしろ、自己の才能を発揮して、活躍してほしい」
そして、そのために、次のことを言ったわけだ。
「(女性が)頭がいいせいで蔑まれるということはない。そんなことは気のせいだ」
と。
ただしここでは、「気のせいだ」というのを、ちょっと強調しすぎた嫌いはある。「被害妄想だ」というふうに。……この表現は、適切でなかった。
正確には、次のように言うべきだろう。
「社会には、他人をやっかんで悪口を浴びせる人がいる。そういう人がいることは否定しない。しかしながら、それは、あくまで少数なのだ。それを大多数だと思ってはならない。頭のいい女性は、実際に、社会で高く評価されている。そのことを忘れずに、優秀な女性は社会で活躍してほしい」
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このことは、事実としても示せる。
実際、今回、私のところには、ものすごい非難が襲いかかってきた。特に、学力などについて、ものすごいやっかみが襲いかかってきた。
このように、妬みのような形で、猛烈に非難が襲いかかってくることはある。というか、気違いみたいな言葉で猛烈に罵ってくるような、病んだ精神の人々はいる。それは事実だ。
( ※ 特に「はてな」というブログの人々に顕著だ。「はてな」独自の、「他人に悪口を浴びせるための機能」を多用して、嫌いなブロガーに大量の悪口を浴びせる。逆に言えば、そういう連中が、悪口機能をもつ「はてな」に集まる。)
こういうふうに、病んだ精神の人々はいる。そして、その罵声を浴びるのは、女性だけではない。男性もだ。
そして、ここでは、
「頭がいいから蔑まれる」
のではない。
「そういう連中がいるから、そういう連中が勝手に罵声を浴びせる」
というのが正しい。
つまり、正しくは、こうだ。
「社会全体に問題があるのではなく、社会の一部に病んだ人々がいるだけだ」
これが真相だ。とすれば、
「社会が頭のいい人々を尊重してほしい」
と思う必要はない。社会はすでに、頭のいい女性を尊重している。実際、例のご本人ですら、真面目なことを書くたびに、ちゃんとした共感や敬意のコメントをもらっているはずだ。社会の大半は、そういう善意の人々である。
だから、頭がいいことで、卑下する必要はないし、悲観する必要もない。むしろ、自分の能力にプライドをもって、いっそう活躍してもらいたいものだ。
ただ、その際、注意するべきことがある。次の二点だ。
・ 世の中には、才能のある人に難癖をつける連中が、必ず少しはいる。
・ 「頭がいいから尊敬されて当然だ」などと自分から思ってはならない。
前者については、本項で述べた。
後者については、前項で述べた。
以上の二点を、別の形で言えば、次のようになる。
・ 才能のある人が、社会のために尽くせば、人々から敬意をもたれる。
・ 才能のある人が、自分のために働けば、敬意も侮蔑ももたれない。
・ 才能のある人には、一部の狂人から、嫉妬と攻撃が来ることもある。
以上のことを理解してほしい。その上で、次の言葉を贈りたい。
「少しぐらい つらいことがあったとしても、めげたりしないで、天賦の才能を十分に発揮してほしい」
つまり、「頭のいい女性は蔑まれる」などと思うことはないのだ。実際、彼女はいくらか活躍しているし、いくらか敬意をもたれているはずだ。そして、そのことは、過去においても同様であったはずだ。
彼女は「蔑まれた」と思っているようだが、実際には、彼女のまわりには、彼女を敬愛してくれる友人がたくさんいたはずだ。そういう友人たちのことを忘れないでほしい。自分のまわりにいた優しい人々の優しさを忘れないでほしい。特別親切なことはしてくれなかったかもしれないが、友人同士として、親しく付き合ってくれる仲間はたくさんいたはずだ。それらの友人の気持ちをないがしろにしないでほしい。きちんと思い出してほしい。
なるほど、彼女は、世界中のすべての人に敬愛されることはなかった。しかし、そういうのは、あまりにも過剰な望みだ。
「鏡よ鏡、私は世界中の人々から愛されているの?」
などと尋ねないでほしい。自分が与えられていないもののことでなく、自分が与えられたもののことを考えてほしい。
そして、その上で、自分がなすべきことは何かを、じっくり考えてほしい。
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[ 付記1 ]
私がここまで示したことは、一見、「こうしろ」という命令に思えるかもしれない。しかし、そうではない。
自分の人生を決めるのは自分自身だ。それに対して、他人は何も指図できない。私ができるのはただ、「考えるヒント」を与えることだけだ。そのあと、どう考えて、どう行動して、どう生きるかは、自分で決めることだ。
私としては、その一助をもたらすことができれば、それで十分である。
[ 付記2 ]
なお、訊かれていないかもしれないが、ついでに一つ答えておく。
「頭がいいから蔑まれる」
ということの対として、
「美人だから愛される」
というのがある。だが、これは絶対に正しくないので、誤解してほしくない。
女性の魅力というのは、基本的には人柄の優しさだ。顔が美人でなくても、愛嬌のある子豚みたいな顔なら、別に問題はない。優しい人柄が感じられれば、特に美人でなくても、ちっとも問題ではない。特に、その人が自分よりもずっと頭がよければ、憧れの対象となる。
一方、頭が良くても、自分のことだけ考えているような女性は、見ていて虫酸が走る。男にもひどい利己主義者がいるが、それの女性版という感じで、虫酸が走る。そういうのは、いくら美人でも、大嫌いだ。美人であればあるほど大嫌いだ。
ま、私も中学生時代には、馬鹿だったので、顔だけきれいな女に憧れたこともある。が、あれは私の暗黒史という感じだ。くっつかないでラッキーだった、と思う。もしあのときのかわいこちゃんとくっついて、結婚していたら、私の人生は今ごろ真っ暗だったはずだ。
はっきり言って、顔だけいい女なんて、魔女である。そのときはすごく楽しいが、あとで人生をゴミにされてしまう。
女性なら、
「おまえはたしかに頭はいいよ、ふん」
と蔑むイケメン男性がいたとしたら、そんな男性とくっつかなかったことは、ものすごくラッキーだ。もしそのイケメンと結婚していたら、今ごろは人生は真っ暗だったはずだ。たぶん、人生をつぶされていたはずだ。
[ 付記3 ]
「頭のいい人が尊敬される」
ということは、世間的に見ると、そういうことがあると思える。たとえば、大学教授は、世間的に尊敬される。
ただし、勘違いしてほしくないが、そこで尊敬されているのは、大学教授という肩書きであって、その人自身ではない。なのに、自惚れて、「おれは偉いんだ」と思い込んでいる大学教授がいるとしたら、あまりにもひどい勘違いだ。
同様に、自惚れて威張っている大学教授を見て、「尊敬されて羨ましい」と思うとしたら、何か勘違いしていることになる。その人が羨んでいるのは、「肩書きで尊敬されるのは羨ましい」と思うだけだ。
本当に尊敬されるのは、他人に対する優しさのある人だけだ。その人が尊敬されるのは、その人の人間性が尊敬されていることになるからだ。
「頭がいいから尊敬される」
「スポーツができるから尊敬される」
「美人だから尊敬される」
なんて思うのは、ただの錯覚にすぎない。チヤホヤされることと尊敬されることとは違う。
そういう錯覚をしてほしくない、というのが、前項の意図だった。そして、そのことを示したあとで、「真の意味で尊敬される人間になってほしい」というのが、私の意図だ。
( ※ ついでだがこれは、サンデー先生の教えそのものだ。)
※ 以下は読まなくてよい。
[ 蛇足 ]
最後に、言わずもがなのオマケを、一言。
私に大量の非難を浴びせてくださった「はてな」の皆さん。
どうもありがとうございました。みなさんが私に大量の非難を浴びせてくださったおかげで、異常性格者の心理をうまくサンプルとして収集することができました。貴重な資料を得て、本項でも新たな結論を得ることができました。
みなさんをモルモットにしてしまったことはお詫び申し上げますが、ともあれ、ここでは、みなさんが大量の悪口を送ってくださったことに、心からお礼申し上げます。
とても役立ちました。ありがとうございます。
敬具。
↑ これも釣りですが、再度、よろしくお願いします。(被験者料は払いませんが。)
( ※ なお、この手の異常心理の社会的な現象については、岸田秀に優れた著作があります。特に「人間は本能の壊れた動物である」という彼の指摘は、非常に優れたものがあり、私も多くを学びました。現代のオタク現象を分析するには、彼の業績がとても役立ちます。……というわけで、これからも、怒り狂うモルモットを収集する予定です。私の研究のために。)(「人でなし!」と言うなかれ。……いや、間違えた、もっと言ってください。)
