2009年02月01日

◆ 誤読・誤解の見本

 「考える力」を養成することは大切だ。そこで、「考える力」の欠如した例を見るといいだろう。(トンデモマニアの話)

( ※ 「馬鹿についての話なんか読みたくない」と思う人は、本項は読まないでください。) ──

 馬鹿にならないためには、どうすればいいか? あるいは、「考える力」の欠如した人間にならないためには、どうすればいいか?
 それには、「考える力」の欠如した人間の例を見ればいいだろう。馬鹿を見れば、馬鹿になることを、免れることができる。  (^^);

 では、どういう人間を見ればいいか? 
 それは、トンデモ・マニアだ。「あいつはトンデモだ!」と他人を罵る人々は、品性が低いだけでなく、思考能力の欠落した見本となる。彼らを他山の石として、その失敗に陥らないようにすることができる。

 一般に、「あいつはトンデモだ!」と他人を罵る人々(トンデモ・マニア)は、いいサンプルとなる。彼らは社会的には有害だが、たった一つ、役に立つことがある。それは、「間違いの見本」となることだ。
 人は誰しも、ついつい、思考の罠に陥りやすい。自分では正しく考えているつもりでも、いつのまにか間違った思考のループに陥りやすい。そして、ただの事実誤認ならば、正誤訂正が可能だが、いったん間違った思考のループに陥ると、そこからなかなか抜け出しにくいものだ。
 そこで、こういう思考ミスの例として、トンデモマニアに着目するといい。

 その趣旨で、馬鹿の例を採集するために、トンデモマニアの連中をいろいろと、けしかけてみた。彼らはダボハゼのごとく、そういう疑似餌に食いついてきた。こうして、彼らがいかに間違った思考のループに陥るか、いろいろと事例を採集することができた。(まんまとモルモットになってくれたわけだ。なお、今後も、モルモットになってもらうつもりだ。  (^^); )

 こうして得たモルモットの例から、「思考ミスのパターン」をいくつかに整理してみよう。実例を示しつつ、パターンを示す。
  《 補足 》
 以下で示すことは、トンデモマニアを批判することが目的ではない。モルモットを利用して、私の研究成果(?)を示すことが目的だ。モルモットを批判しても意味がない。モルモットは私の道具として利用されるだけにすぎない。
 読者としては、こういうモルモットの失敗例を見ながら、「他山の石」として役立ててほしい。つまり、馬鹿の例を見ながら、「人のフリ見てわが身を直せ」というふうにすればいい。
 ──

 (1) 読解力の低さ

 トンデモ・マニアに典型的に見られるのは、「読解力の不足」だ。つまり、誤読することだ。(これは「考える力」の基礎力がないことに相当する。)
 彼らは、著者が言っていることを、ちゃんと理解できない。相手の話を勝手に読み違えて、妄想を抱く。そして、その妄想に対して、「トンデモだ!」と批判する。
 これはまあ、ドン・キホーテが風車を怪物だと思って突き進んだ、というのと同じである。勝手に勘違いして、勝手に攻撃したがる。

 例1。ナノバブル水。
 「ナノバブル水は癌に有効だ」
 という話を私が書いた。( → エイズとナノバブル水
 ここでは、「テレビでそう報道されていた」という事実を紹介しただけなのだが、これを勝手に誤解した。
 「テレビでなく南堂がそう主張している」と誤読した。
 「ナノバブル水を飲めばあらゆる癌に有効だ」と誤読した。

 現実には、そうではない。
 私は、何か自説を主張したわけではなく、単にテレビ番組を紹介しただけだ。
 また、ナノバブル水が有効なのは、ある限られた場合だけだ。「これを飲めば肺癌も、肝臓癌も、脳腫瘍も治る」とは全然述べられていない。なのに彼らは、書かれてもいないことを、書かれていると勘違いした。勝手に妄想して、勝手に人を批判した。……私は、この批判を聞いたときは、「いったい何を批判しているつもりだ?」と呆れたものだ。誰もそんなことを言っていないのに、「南堂が言った」と思い込んで、「トンデモだ!」と騒いでいる。
 ひどい誤読。この誤読では、読解力の不足が露呈している。書かれてもいないことを書いていると曲解する誤読。

 ──

 (2) 論理力の欠如

 トンデモマニアには、「論理力の欠如」もしばしば見られる。
   A ならば B
 という論理を理解できない。あるいは、三段論法とか、背理法とか、そういう論理を理解できない。
 たとえば、「A ならば B」という話を聞いて、
 「Bが成立するというのは間違いだ! Bが成立しないこともあるぞ! それを理解できないやつはトンデモだ!」
 と批判する。ここでは、「Aならば」という条件部の条件を見失っているわけだ。(特に、Aが成立しない場合を見落としている。)
 このような誤読(論理力の欠如による誤読)は、トンデモマニアにしばしば見られる。

 例2。
 
 「タミフルを飲むと異常行動が起こるというのは、トンデモだ! なぜなら、タミフルを飲まなくても(インフルエンザにかかるだけでも)異常行動は起こるからだ」
 しかし、これが成立するなら、次のことも成立する。
 「青酸カリを飲むと死ぬというのは、トンデモだ! 青酸カリを飲まなくても、人は(他の病気などで)どんどん死ぬからだ」
 
 例3。

 すぐ上の 例2 で使った論理は、背理法である。
  「Aが正しいと仮定すると、B。しかしBは不成立。ゆえにAは正しくない」
 という論理だ。しかしながら、こういう背理法を理解できない人がいる。すぐ上の例で言えば、次の文章があった。
 「これが成立するなら、次のことも成立する。」
 ここでは、「これが成立するなら」というのが条件部で、「次のことも成立する」というのは帰結部だ。そして、帰結部が偽であるから、条件部もまた偽である。つまり、「条件部は偽である」というのが結論となる。
 ところが、それを読み誤って、「帰結部は真である」というふうに誤読してしまう。この文章では、帰結部は否定されているのだが、帰結部をそのまま真であると受け取ってしまう。
 つまり、背理法という論理そのものを理解できないわけだ。論理力の欠如。
 背理法のわかりやすい例は、次の例だ。

 例4。

 まず、背理法の文を示す。
 「猿が直立二足歩行したことで脳が発達したというのであれば、トカゲもまた直立二足歩行したことで脳が発達していいはずだ」
 これは「トカゲの二足歩行」で述べたことだ。これは背理法である。ここから得られる結論は、条件部の否定である。つまり、こうだ。
 「トカゲは直立二足歩行しても、脳が発達していない。ゆえに、猿が直立二足歩行したことで脳が発達したということはありえない」
 ところが、こういう論理(背理法)を理解できない人々は、こう批判する。
 「トカゲが直立二足歩行して脳が発達すると言うのは、トンデモだ!」
 誰もそんなこと言っていないって。むしろそれを否定しているのだが。  (^^);
 こういうふうに「背理法」というものを理解できない人は、トンデモマニアにはとても多い。
 
 ついでだが、「三段論法」を理解できない人も多い。
  「AならばB。BならばC。ゆえに、AならばC」
 これが三段論法だ。ところがこれを単なる「Cである」というふうに読み違えてしまう。そこでは本当は「Aならば」という条件があるのに、それを誤解して、単純な「Cである」と誤読する。

 オタク的な妄想で示せば、次の例がある。
 「彼女が僕を好きなら、彼女は僕と結婚してくれる。彼女が僕と結婚してくれるなら、彼女は僕とエッチしてくれる。だから彼女は僕とエッチしてくれるんだ」
 こう妄想して、仮定を見失って、勝手に相手の女性に襲いかかる。……ほとんど気違いだが、これに似た例はあった。例の「女性を性奴隷にしよう」と狙って、誘拐して、殺害した、という事件だ。( → zakzak
 「こうすればこうなる」という妄想を勝手に抱きながら、いつのまにか仮定が事実として誤認されてしまう。「Aならば」が「Aである」と誤認されてしまう。……トンデモマニアには、こういう例がとても多い。
( ※ トンデモマニアと、例の殺人犯とは、脳の思考構造がほとんど同じであるのかも。  (^^); )

 ──

 例5。揚げ足取り。

 トンデモマニアには、「揚げ足取り」という例もよく見られる。要するに、どうでもいいような重箱の隅を突ついて、それで相手を批判したつもりになっていることだ。たとえば、
 「ことさら例外を持ち出す」
 ということだ。これは、前述の (1)(2) とは違って、明白な間違いとは言えない。しかし、明白な間違いではないのだが、手口が幼すぎるのである。そして、その根底には、「読解力の不足」がある。
 要するに、例外があるということは、大人ならば誰だってわかるのだが、いちいち「例外がありますよ」と教えてあげないと、例外があることがわからないのだ。
 これは、自分のもう、読解力が赤ん坊並み、としか言いようがない。
 「これにはこういう例外もありますよ」
 「それにはこういう例外もありますよ」
 というふうに、いちいち一つ一つ、手取り足取りで教えてあげないと、「例外がある」ということが理解できないのだ。

 なるほど、数学の論理ならば、例外はただの一つもあってはならない。しかし、日常論理では、例外があるのは常識である。たとえば、
 「オスの性染色体は XY で、メスの性染色体は XX だ」 ……(*
 というような当り前のことでさえ、例外はある。そういう例外をいちいち書いていたら、文章が成立しない。脚注だらけになって、脚注が本文の 10倍もの分量になってしまう。だから、例外なんかにはちいち言及しないのが普通だ。
 なのに、馬鹿な連中は、たくさんある例外のうちの一つだけを見つけると、鬼の首を取ったような気分になって、
 「例外があるぞ! ゆえにおまえは間違っている!」
 と批判する。
 「オスの性染色体は XYY のこともあるぞ! メスの性染色体は XXX であることもあるぞ! ゆえに、(*) のようなことを書くやつは、トンデモだ!」
 つまり、相手の間違いを批判した気で、大得意。自分が利口になったつもりでいる。
 実は、揚げ足取りなんかをしても、自分が馬鹿であることをさらけだしているだけなのだが。

( ※ こういう揚げ足取りは、学界でもしばしば見られる。独創的な研究成果を発表した人がいると、無能な二流の人間が必ず、こういう揚げ足取りをする。人の足を引っ張るのが生きがい、という連中。……江崎玲於奈も、西沢潤一も、中村修二も、こういう無能な二流の人間の揚げ足取りに悩まされた。わかりきったことをいちいち教えてあげないと納得しない連中。しかも、自分でもわかっているくせに、それを相手に指摘して、大得意。……さもしいというか何というか。)

 ──

 (4) 悪口

 トンデモマニアの最大の特性は、「トンデモ」という悪口を使うところにある。
 ただの科学的な批判ならば、何も問題はない。たとえば、私はしばしば、「コペンハーゲン解釈はここがおかしい」というふうに、ある種の学説を批判する。そして、そこでは、学術的に批判する。
 しかし、トンデモマニアは、そういうふうに学術的に批判することはない。たいていは「あいつはトンデモだ!」と悪口を言うだけでおしまいだ。

 彼らは、「トンデモだ!」という言葉を使った時点で、学術的な説明をすることを放棄したことになる。ま、ちょっと皮肉るぐらいならば、別にどうということもないが。(私もときどきちょっと皮肉ることもあるし。  (^^); )
 とはいえ、長い本文のあとでちょっとワサビを添えるのではなく、唐辛子のかたまりだけを飛ばすような「トンデモだ!」という悪口は、本人を馬鹿に見せるだけだ。つまり、「トンデモだ!」と悪口を言えば言うほど、自分が惨めになる。相手を批判しているつもりで、自分が世間の鼻つまみ者になる。

 ま、こんなことは、いちいち言われるまでもない。社会常識のある大人ならば、社会の場に出て、特定の誰かの悪口を言うことはないだろう。学説や団体や権力者を論理的に批判ことはあっても、個人に対して「馬鹿だ」というような悪口を浴びせることはないだろう。……子供の喧嘩じゃないんだから。
 ところが、トンデモマニアの人々は、特定個人に対して「馬鹿だ」と騒ぐ。それがすごく恥ずかしいことだ、という観念がないのだ。あまりにもみっともない。
( ※ ……というふうに書くのも、一種の悪口だ。だから、私は、これを特定の誰かを示す形では示さない。あくまでトンデモマニア一般という形で抽象的に示すだけだ。仮に、これが特定の個人を示す悪口であれば、私もまた、トンデモマニアと同様に、社会常識のない馬鹿だということになる。)

 ──

 (5) 弱きを挫く

 一般に、個人への悪口が許容されることがある。それは、「権力者への悪口」だ。つまり、権力者というものは、常に批判にさらされるのが当然だからだ。
 一般に、言葉のレベルでなら、
 「強きを挫き、弱きを助く」
 というのは、悪いことではない。ところが、これと反対のことをするのが、トンデモマニアだ。彼らがするのは、
 「弱きを挫き、強きを助く」
 である。つまり、弱者いじめみたいなもの。あるいは、強者への阿諛追従。具体的には、こうだ。
 「世間の隅っこにいる素人がちょっとでも間違ったことを言うと、鵜の目鷹の目で見つけ出して、大きく批判する。そのくせ、学界の主流派などが間違ったことを言っても、『主流派の言うことだから正しいのだ』と感じて、ははーっ、と平伏する」
 つまり、強い権力者にはなびいて、弱い平民には威張り散らす、というタイプだ。時代劇にはよく出てくるタイプ。  (^^);
 つまり、戦っても勝てそうにない強力な相手には、ペコペコする。戦っても勝てそうな弱い相手を見ると、大喜びでいじめる。「強きを助け、弱きを挫く」である。
 漫画のドラえもんにも出てくるだろう。強い ジャイアン にはペコペコとするが、弱そうな のび太 を見るといじめたがる。(スネ夫?)
 こういうさもしい精神をしているのが、トンデモマニアだ。

 ──

 (6) 攻撃性とトラウマ

 すぐ上で述べたように、トンデモマニアには「弱者をいじめたがる」という性向がある。つまり、「弱者への攻撃性」だ。「相手が弱い」と思うと、攻撃したがるわけだ。
( ※ 強い相手には、決して攻撃をしかけない。この点は、私と正反対だ。私が攻撃する相手は、常に最大かつ最強の多数派だ。たとえば、政府とか、マスコミとか、はたまた、学界の主流派とか。さらには、JISの委員会とか、新常用漢字の審議会とか。……いずれにしても、世間的には最強のものを相手に、孤軍奮闘するのが私だ。そして、それと正反対のことをやるのが、トンデモマニアだ。)

 ではなぜ、トンデモマニアは、それほどにも「いじめ」や「攻撃」が好きなのか? 
 このことは、心理学的には、はっきりしている。いじめをする子供は、たいていが不幸だ。親が離婚していたり、再婚して継母・継父がいたり、というふうに、家庭崩壊している子供がすごく多い。
 要するに、「攻撃性」というのは、トラウマの裏返しなのだ。自分が心理的にひどく傷ついているので、他人を傷つけずにはいられない。……それが「いじめ」の本質である。(幸福な子供は、決して「いじめ」をしない。いじめをすれば、快感を得るどころか、つらくなるだけだからだ。)

 トンデモマニアは、他人を傷つけて快感を覚える。それはなぜかというと、自分自身が傷ついているからだ。自分のトラウマを癒すために、他に人を傷つけずにはいられないのだ。そして、他人を傷つけたとき、自分の傷が癒されたように感じる。
 「つらいのは自分だけじゃないんだ。自分のように傷つく仲間が増えたんだ」
 というふうに。あるいは、
 「自分だけが傷つくという理不尽な状態が少しでも解消したんだ」
 というふうに。

 ただ、いじめっ子との違いもある。いじめっ子は、暴力的に他人を傷つけたがる。トンデモマニアは、腕力では他人にかなわないので、頭の知性によって他人を傷つけたがる。……そういう違いがある。(私は腕力も磨いていますけど。  (^^); ま、どうでもいい話だが。)
 とはいえ、他人を傷つけるための方法は違っても、その根底にあるのは、「他人を傷つけたい」「そのことで自分のトラウマを癒したい」ということだ。その点では、いじめっ子も、トンデモマニアも、同じである。

( ※ 仮にトンデモマニアが、「他人を攻撃しよう」「他人を傷つけよう」という意識がなくて、単に「間違いを正して真実を広めよう」と思うのであれば、「あいつはトンデモだ!」と批判するかわりに、本人にメールで「間違っていますよ」とこっそり連絡するはずだ。私は通常、そうしている。)
( ※ このトラウマの件については、前にも似たようなことを述べた。 → Wiki型と 2ch型

 ──

(7) 被害妄想

 トンデモマニアは、一種の神経症である。分裂病(統合失調症)やうつ病にも似た点がなくもないが、むしろ、強迫神経症に似た点がある。したがって、特有の症状がある。
 それは、「被害妄想」だ。トンデモマニアは、幻聴を聞くようにして、ありもしない言葉を聞く。特に、相手の言葉を曲解して、自分への批判があると思い込む。
 例。
 「集合論にはこれこれの問題があります」
 → 「何だと? それは、集合論を信じているおれを攻撃するということだな。ならば、売られた喧嘩を買ってやる。この馬鹿野郎!」
 例。
 「利己的遺伝子説にはこれこれの問題があります」
 → 「何だと? それは、利己的遺伝子説を信じているおれを攻撃するということだな。ならば、売られた喧嘩を買ってやる。この馬鹿野郎!」
 例。
 「ダーウィン説にはこれこれの問題があります」
 → 「何だと? それは、ダーウィン説を信じているおれを攻撃するということだな。ならば、売られた喧嘩を買ってやる。この馬鹿野郎!」

 ただの一般的な学説における問題点の指摘を、自分への個人攻撃だと思い込む。そして、目の色を変えて、喧嘩をふっかけてくる。
 ここで、喧嘩をふっかけられた方は、びっくりする。なぜなら、そんなトンデモマニアの存在なんて、ちっとも知らなかったからだ。聞いたこともない相手から、
 「おまえはおれを攻撃してくるんだな! おまえはトンデモだ!」
 という非難を浴びるハメになる。(実は彼らの被害妄想のなせるわざなのだが。)

 (8) 自惚れ

 トンデモマニア(というか馬鹿全般)に当てはまることとして、「自惚れ」がある。つまり、「自分は利口だ」と思い込む。それが「相手は馬鹿だ」という形になって、表現される。
 ま、こういうことを言うと、言っている私自身が馬鹿に見えてしまうから、こういうことはあまり言いたくない。  (^^);
 ただ、利口であるか馬鹿であるかは別として、「自分の誤読を理解できない」(読解力低さを理解できない)というのは、致命的だ。

 他の点でなら、「能力で劣っているのに気づかない(自惚れて得意になっているいる)」というのは、よくあることだ。特に騒ぐほどではあるまい。人間なら誰だって、そういう点はある。(だからこそ「謙虚さ」が美徳となる。謙虚な人が少ない証拠。)
 問題は、読解力の自惚れだ。読解力で自惚れていると、自分の誤読に気づかない。自惚れていなければ、「誤読したのかな」と感じて、自分の誤りを正そうとするのだが、読解力で自惚れていると、どうしようもない。自分の誤読に気づかないで、自分を責めるかわりに、他人を責めることになる。
 これが (1) の形になって現れる。仮に、彼らに「自惚れ」がなかったなら、こういうこと(ひどい誤読)もなかっただろうに。

 (9) 無知

 自分の無知ゆえに相手の言い分を理解できないと、「トンデモだ」と批判する人々がいる。原因は自分の無知なのに、原因を相手の愚かさのせいにしてしまう。
 まったく、しょうもないのだが、高校レベルの教科書に書いてあることだけを理解して、学界の最先端で議論されている話題を理解しない。そのせいで、相手の言い分をまったく理解できず、「トンデモだ」と批判する。
 たとえば、「光合成」というのは、昔の教科書に書いてあったことと、現代の最先端の理論とでは、かなり食い違う。にもかかわらず、昔の教科書に書いてあったことだけを理解したまま、最先端の理論のことに言及した話を読んで、「トンデモだ」と決めつける。……そういう感じだ。

 こういう連中には、つける薬はない。「勉強しろ」と言っても、こういう連中が勉強するはずがない。彼らはただ「トンデモだ!」と騒ぐのが好きなんだから、勝手に騒がせておくのがいいだろう。
 いちいち最先端の知識を教えてあげる必要はない。どうせ理解力はないんだから。 

  ──────────── 

 以上で、トンデモマニアのパターンをいくつか示した。
 初めの方では、言語や論理の難点を示した。
 後の方では、その背景となる心理的な基盤を示した。そして、その心理的な基盤ゆえに、メチャクチャな論理や誤読をなすことになる。

 要するに、トンデモ・マニアというのは、「知的な異常性格者」なのである。通常、異常性格者というのは、犯罪的なことをするものだ。肉体的に暴力をふるったり、器物を損壊したり。……ただし、同じようでも、手で暴力をふるうかわりに、知性で暴力をふるうのが、トンデモマニアだ。
 通常の犯罪者は、知性が低くて、暴力をふるう。一方、トンデモマニアは、知性はかなり優秀だが、精神が歪んでいるので、知的なレベルで暴力をふるう。
 この両者に共通するのは、「他人への破壊欲」である。違うのは、方法だけだ。
 ここでは、自己のトラウマゆえに、「他人を破壊すること」自体が目的となる。だから、誤読もするし、論理の欠如もあるし、言っていることはほとんど狂人同然だ。

 とはいえ、彼らは、人間精神の歪みが、最も典型的な形で現れているだけだ。同じような失敗は、彼らだけがやるわけでもない。誰だって、少しぐらいなら、同じような失敗をやっているものだ。
 ならば、彼らは、「他山の石」とはなる。われわれが大失敗しないように、彼らは身をもって大失敗の例を見せてくれているのだ。
 彼らはいわば、ピエロなのである。人の悪口を言えば言うほど、自分が笑われることになるのだが、それに気づかずに、悪口を言って、馬鹿にされる。他人を「馬鹿だ、馬鹿だ」と罵ることで、かえって馬鹿に見える。まさしくピエロ。
 そして、ピエロの効能は、われわれの愚かさを凝縮して見せてくれることだ。

 実際、上記に並べたパターンを見て、
 「これほどひどくはないが、似たようなことは、自分も以前はちょっとはやったことがあるかも」
 という気がしなくもないだろう。
 「自分は人生で失敗などは一度もしたことがない」 
 という人はいないだろう。
 トンデモマニアは、馬鹿は馬鹿だが、馬鹿は馬鹿なりに、それなりに役立つのだ。彼らがさんざん失敗の手本を見せてくれるおかげで、われわれは同じような失敗を避けるように、教訓を得ることができる。他山の石。

( ※ というわけで、これからも、彼らにはモルモットになってもらうつもりだ。ときどき疑似餌で引っかけてやるつもり。   (^^);
( ※ ただし、彼らはモルモットにはなるが、甘く見ない方がいいだろう。狂犬に近づくと、手を噛まれる。手なずけようとはしない方がいい。現実の連中には、あまり近づかない方がいい。「お友達になろう」なんて、間違っても思うべきではない。)
( ※ なお、私としては、彼らの一人一人を攻撃するつもりはない。なぜなら、彼らは、他人を攻撃することで、自分自身を攻撃していることになるからだ。手人の悪口を言えば言うほど、自己の精神が病んでいく。統合失調症の症状が悪化するのと同じ。やがては、その攻撃性ゆえに、自分自身が崩壊する。……アポトーシスみたいなものだ。勝手に自壊するだけだ。)



 [ 付記1 ]
 トンデモマニアのなかでも一番ひどい例を示す。次の主張だ。
 「考える力が大切だというのは、トンデモだ!」
 その理由は?
 「基本知識もなしに考えるだけ考えても、間違った考えをして、トンデモふうの滅茶苦茶になるだけだ!」
 まったく、どこをどう誤読すれば、こうなるんだか。  (^^);
 まず、「学ぶ」ということは、当り前のことだから、暗黙の前提となっている。そこは議論にならない。その上で、
 「学ぶだけでは足りない。記憶するだけでは足りない。自分の頭で考えよう」
 というのが、私の主張だ。ま、これは、私の独自の主張と言うほどではないし、世間ではこういう主張はたくさんある。朝日だって読売だって、こういう趣旨の教育論をしばしば掲載する。
 しかるに、そういう世間の常識を知らないトンデモマニアが、
 「考える力は大切だ」
 というのを、「南堂の独自の見解だ」と勝手に思い込んで、それを批判する。「そんなことを言うやつはトンデモだ! 学ぶことの大切さに言及しないやつはトンデモだ!」と。   (^^);

 彼の理屈で言えば、こうなるのだろう。
 「考えだけでは駄目だ。生きる力も大切だ。それを言わないやつは、トンデモだ!」
 「考えだけでは駄目だ。運動することも大切だ。それを言わないやつは、トンデモだ!」
 「考えだけでは駄目だ。お金を稼ぐことも大切だ。それを言わないやつは、トンデモだ!」
 トンデモマニアを相手にすることほど、馬鹿げたことはない。やってられんわ。

( ※ なお、彼らが何かを言いたいとしても、どうせなら同じことを言うために、諺を使う方がいい。たとえば、「下手の考え休むに似たり」というふうに。それなら、「考えるだけじゃ駄目だ」ということを大声で騒ぐよりも、簡単に言える。……ただし、「考えるだけでいい」とか、「下手の考えでもいい」とか、そんなことは誰も言っていないのだから、その誤解を正すのが、先決だが。……これは、冒頭のパターンの (1) にあたる。)

 [ 付記2 ]
 本項では、トンデモマニアの馬鹿さ加減を指摘したが、世の中の「トンデモ批判」関連のすべてがおかしいというわけではない。「これはトンデモです」という指摘がまさしく妥当であることもある。たとえば、次の例だ。
  ・ マイナスイオンが有効だ、という説。
  ・ モーツァルトを聞くと頭が良くなる、という説。
  ・ 脂肪を大幅に減らすダイエットが有益だ、という説。


 3番目の点について説明すると、次の通り。
 「メタボになるような高脂肪は有害だとしても、標準よりも低脂肪にするダイエットが健康に有益だとは言えない。過度の低脂肪は、スマートになるという美容効果はあるにしても、健康になる効果はない。」
 (ちょっと意外な科学調査。そういうのがある。)

 以上の三つは、「トンデモ」と見なしていいだろう。
(詳しくは → Newsweek 2007-03-07 号「こんなにあるニセ科学」。けっこう面白いことが書いてある。)

 なお、これらの「トンデモ」(ニセ科学)を真実として扱って、人々をだまして、自分の金儲けに役立てようとする人々が多い。その例は下記。
  → Wikipedia (マイナスイオンのインチキ)
  → マイナスイオンで儲けようとする企業 の検索例

 ここには、大手企業がインチキで儲けようとしている例が、たくさん見える。
 だから、本当にトンデモを糾弾したいのであれば、ネットで私を攻撃するよりも、これらの大手企業を攻撃すればいいのだ。
 あるいは、パケ死をもたらすような詐欺をする、ケータイの大手企業を糾弾すればいいのだ。私がなしたように。( → ケータイ料金の詐欺
 あるいは、個人情報を漏らす Google を批判すればいい。
 あるいは、「太陽光発電で省エネ」とか、「燃料電池で省エネ」とか、「レジ袋有料化で省エネ」とか、そういう嘘八百を言って国民の金(補助金)をかすめ取ろうとする、泥棒企業を批判すればいい。

 しかし、トンデモマニアは、決してそういうことをしない。彼らは決して、強大な相手(大企業)を攻撃したりしない。彼らが攻撃する相手は、常に弱小な個人だけだ。というか、トンデモである大企業を批判する個人を狙って、あえて悪口を浴びせる。悪の大企業を守るために、その悪をあばく個人を攻撃する。
 なぜか? そのわけは、先に示したとおり。(彼らの目的は、真実を広めることではなく、人々の生活を守るためでもなく、別のことである。……簡単に言えば、他人の悪口を言うことが目的だ。井戸端のおばちゃんたちと似ている。)




 [ 余談 ]
 ついでだが、私に向かって「トンデモだ!」と批判する連中は多いが、そういう人に向かって、「私のことをトンデモと呼ぶな」と頼むつもりはない。むしろ、「私のことをトンデモと呼べ」と促したい。
 そのわけは? 彼らが好適なモルモットになるからだ。  (^^);
 ついでだが、彼らが私を批判したって、私は別に困らない。「ああ、またか」と思うだけだ。
 別に、私の方から、非難したりして、反撃するつもりはない。彼らは放置すれば、勝手に自壊していく。だから、放置しておくだけでいいのだ。
 仮に私が医者だったら、「かわいそうな精神病患者である彼らを治療してあげたい」と思うだろうが、私は医者じゃないので、そんな医療行為をするつもりはない。私が彼らを助けたら、医師法違反になりそうだ。   (^^);
 というわけで、私のことを「トンデモだ!」と呼ぶのは、大いに歓迎したい。どんどんモルモットになって下さいね。(なお、それでいくら損しても、私の方からは補償金を差し上げませんので、そのつもりで。)
  
( ※ なお、さっそく明日、トンデモマニアを引っかけるための疑似餌を書く予定。彼らの大好きなテーマで書きます。最近、食いつく量が減っているので、もっとよく食いついてくださることを期待しています。いくらモルモットになってくださっても、こちらからは1円も差し上げませんが。ま、タダで利用させてもらいます。  (^^); )
 


 【 関連項目 】
  → Wiki型と 2ch型
  → ケペル先生の教え間違える勇気
  → nando ブログ 「考える力」
posted by 管理人 at 14:42| Comment(2) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あまり聞かないのですが、トンデモという単語は一般名詞ですか? 本文中でも触れている部分がありますが、偽科学、似非科学、と解釈すればよいのですか?
Posted by 一見 at 2009年02月01日 19:57
トンデモという言葉は、悪口です。

 「馬鹿」と似ています。相手が馬鹿だから馬鹿と呼ぶのではなく、相手を罵倒するために使う言葉です。
 スラングみたいなもの。品性下劣な人が使う言葉。四文字語の一種かな。  (^^);

 だから、誰かに向かって「トンデモ」と呼ぶのは、恥ずかしいので、やめた方がいいでしょう。
 ただし、「トンデモマニア」というふうに、その言葉を使う人々を指すために使うなら、罵倒の言葉ではなく、普通名詞ふうになっています。
Posted by 管理人 at 2009年02月01日 20:06
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
過去ログ