2009年01月28日

◆ 歌舞伎座の改築

 歌舞伎座が、改築され、高層ビル化されようとしている。しかし、このデザインはひどい。文化的に、滅茶苦茶だ。

     ( ※ 最後に 後日記 があります。加筆分。) ──

 歌舞伎座が、改築されるという。ただ、もともとは、現状のまま改築する予定だったが、慎太郎が口出ししたせいで、別のデザインになるという。
  → 朝日新聞 2009-01-28

 しかし、新しい歌舞伎座のデザインは、あまりにもひどい。まるで安っぽい倉庫だ。蔵(くら)というべきか。 
  → 読売新聞 2009-01-28
  → 蔵の写真

 そもそも慎太郎は、「オペラ座のようにした方がいい」と言ったという。では、オペラ座とは? これだ。
  → オペラ座の写真
 見ればわかるように、現在の歌舞伎座のデザインに似ている。ごてごて感がある。一方、新たな歌舞伎座のデザインは、シンプルだが、オペラ座にはちっとも似ていない。

 ──

 朝日によれば、慎太郎は現在の歌舞伎座を「銭湯みたいで好きじゃない」と評したという。そして、その言葉を受けて、歌舞伎座はシンプルなデザインになるよう、変更したという。
 「白壁の多くはガラス張りや縦格子に変わる。唐破風に飾り金具や彫刻など装飾はつけず、軒を飾っていた組み物も簡素にする」
 ということだ。そして、その結果として、安っぽい蔵みたいな、詰まらないデザインに改悪されるわけだ。

 ──

 建築史的に言えば、オペラ座のデザインは、ロココ調またはネオバロックとも言えるもので、きらびやかさが特徴だ。英国で言えば、ヴィクトリア朝 様式に当たる。歌舞伎座もまた同じ。
 とすれば、慎太郎の言葉を聞いて、デザインをシンプルにするというのは、「オペラ座のようにする」ということとは正反対になるわけだ。

 ──

 こういう馬鹿げたことになるのは、どうしてか? 次のように言える。
 「慎太郎は建築史というものを、まったくわかっていない。また、歌舞伎とは何かも、まったくわかっていない」

 慎太郎が「歌舞伎座をオペラ座のようにした方がいい」というのは、トンチンカンなことだ。建築様式も知らないで、勝手なことを言わないでほしいものだ。

 そもそも、「銭湯みたいで好きじゃない」という言葉は、何だ? 銭湯を馬鹿にするもんじゃない。銭湯はすばらしいものだ。日本が世界に誇る文化だ。
 それに比べれば、(トイレがないので庭園のあちこちで用を足したせいで)糞尿まみれだったヴェルサイユ宮殿なんか、日本に比べればはるかに劣る。
 さらに言えば、銭湯の建築とは、神社仏閣を手本としたものであり、最も日本的な美的精神に合致するものだ。(建築的に。)……それを「好きじゃない」というのは、慎太郎は「日本風のものなんか嫌いだ」と述べているだけのことだ。

 つまり、慎太郎は、ただの洋風かぶれであって、日本の伝統文化なんかちっとも尊重していないわけだ。慎太郎が「銭湯みたいで好きじゃない」と評したというのは、「和風はいやだから洋風がいい」というだけのことだろう。
 彼は徹底した欧米主義なのだ。口では「日本の伝統」なんてことを口にしながらも、実際生活では「ワインとフランス料理が最高」と思っているわけだ。建築にしてもまた同じ。
 今回の件でも、歌舞伎座については、
 「歌舞伎なんかやらないで、オペラかバレエでもやっていればいい」
 ということなのだろう。(内心では「日本の伝統的な歌舞伎なんかクソにすぎない」と思いながら。)

 そして、慎太郎みたいな馬鹿の言葉を聞いた経営者が、その言葉を「日本の伝統文化の否定」というふうに正しく理解せず、「ゴテゴテが駄目でシンプルにした方がいい」と逆方向に勘違いするわけだ。

 こうして、蔵みたいにひどいデザインができたわけだ。
(しかし、こんなデザインでは、客を呼べるはずがないのだが。蔵で催される劇ならば、チケット代を半額にするべきだろう。それだけ価値が下がる。馬鹿げた方針。)

  ────────────

 文化史的に語ろう。
 そもそも、歌舞伎とは何か? その特徴は「けれん味」だ。能のようにシンプルな演技を追究するのとは正反対で、やたらと過剰な見てくれを誇示するようになった。そして、そのことで、大衆性を獲得し、かつ、世界的な普遍性をも獲得するようになった。
 これは、すばらしいことだ。しかし、慎太郎はそれをまったく理解できない。現代の歌舞伎座が、ごてごてしいデザインを取っているのは、それが「けれん味」のあるデザインだからだ。なのに、「けれん味」をなくしてしまったら、歌舞伎としては自殺行為だし、歌舞伎座のデザインとしても自殺行為だろう。

 現在のデザインならば、そこで歌舞伎がなされるということはわかる。しかし、新しいデザインでは、そうは思えない。「歌舞伎と能の折衷みたいな、中途半端な劇がなされるのかな」と思われそうだ。
 このことを、歌舞伎座の経営者もまた、理解できていない。彼らが理解しているのは、「都知事の顔色をうかがうこと」だけだ。あるいは、「金儲けをすること」だけだ。彼らは歌舞伎のことを何もわかっていない。こういう連中が、日本の伝統を破壊してしまうのだ。

 結論。
 慎太郎は、歌舞伎の伝統を否定しようとしている。歌舞伎座の経営者もまた、歌舞伎や歌舞伎座の伝統を否定しようとしている。

(馬鹿が馬鹿に阿諛追従して、歌舞伎を破壊しようとする。……そのうち、歌舞伎座から歌舞伎は消滅して、漫才を演じるようになるだろう。……ま、漫才座のデザインとしてみれば、蔵のデザインはふさわしいが。その方向をめざしているんですね、きっと。  (^^);)



 [ 付記1 ]
 人々は慎太郎のことを「立派な文化人」と思っているようだが、とんでもない。彼は、文化人ではなくて、ただのワガママ政治家にすぎない。聞く耳持たずで、人の意見を聞こうとせず、ひたすら我を通そうとするだけだ。
 「石原銀行なんか駄目だ」
 と多くの人が告げたのに、それに耳を傾けようとせず、千億円以上の莫大な損害をもたらした。昔の都知事は、金をかけて都庁ビルを建設したが、慎太郎はもっと巨額を金を、ドブに捨てただけだ。(正確には、暴力団関係者にくれてやっただけだ。)
 慎太郎のわがままが、たまにうまく行くこともある。それは「ディーゼル車の規制」だ。しかし、それ以外は、まったくの失敗続き。無為無策よりも、もっとひどい。破壊行為の連続だ。史上最大のテロリストとも言える。
 こういう破壊主義者の言うことを聞いていると、日本はどんどん破壊されていく。そして、こういう破壊主義者に追従する、阿諛追従の経営者連中のせいで、歌舞伎座もまたその伝統を破壊されてしまう。現在の経営者は末代まで、「歌舞伎座の破壊者」として罵られるだろう。

( ※ 築地の新市場も、末代まで罵られるだろう。慎太郎は「平成の悪代官」として、末代まで記憶されるだろう。)

 [ 付記 ]
 人々は慎太郎の顔色をうかがってばかりいる。これは次のことを意味する。
 「慎太郎はもはや独裁者と化している」
 あまりにも恐ろしい独裁者だから、人々は独裁者の顔色をうかがうようになっているわけだ。こうなったらもう、組織としてはおしまいだ。
 慎太郎がボケていないのであれば、おのれの過ちに気づくべきだ。そして一刻も早く、引退するべきだろう。それだけが、彼の晩節を汚さない、唯一の策だ。彼は小説家としてはそれなりに業績があったのだが、そういう業績をすべて無にしつつあるのが、昨今の言動だ。
 自分を歴史上の「ネロ」として記憶されたいのでなければ、さっさと引退するべきだろう。もし彼が自発的に引退しないのであれば、誰かが猫に鈴を付けるべきだ。都議会でクビにするべきだ。
 


 【 追記 】 (修正記録)
 本文中にある「ロココ調またはネオバロック」という言葉は、もとは「ロココ調」と記していました。これはあまり正確ではない、という指摘があったので、用語を変えました。── 感謝して、修正します。
 ただし、「ロココ調」でなく「ネオバロック」が正しいかどうかは、私は確言できません。真相は建築士の専門家に聞いてください。たとえば、上記の指摘をした人は、明らかに間違いをしています。それは「ロココ調」という言葉を「ロココ」(調なし)と勘違いしていることです。「ロココ調」は、ロココ建築(18世紀)そのものではなくて、後代になってその真似をしたものです。たとえば現在でも英国では「ヴィクトリア朝様式」の建設物がつくられることがありますが、それは、ヴィクトリア朝時代につくられたものではなく、21世紀になってつくられたものです。「ロココ調」もまた同じ。懐古趣味の一種。

( ※ ついでですが、本サイトに書いてある項目は、完全無欠ではありません。人間のやっていることですし、分量も多大なので、ところどころ不正確な点は混じります。ときどき間違いが入る可能性は多々あるので、ご指摘してくだされば、感謝いたします。)

  ────────────

 なお、オペラ座の内装については「ロココ調」と記述しているサイトもあります。その当否については、私は言及する立場にありません。

 ──

 新しいデザインについては、「すっきりした良いデザインだ」と評して、私の見解を「トンデモだ」と見なす人もいます。その人はどうやら、本項をちゃんと理解できていないのでしょう。
 なるほど、「すっきりした良いデザインだ」という見方は、成立するでしょう。たとえば能楽堂でも作るのなら、今回のデザインでもいいかもしれません。
 しかし、本項の趣旨は、建築的にデザインが良いか悪いかとは全然別の観点から述べています。誤読・誤解をしないように注意してください。

 



 【 後日記 】 ( 2009-08-27 )

 歌舞伎座の改築の最終案が発表された。
 前に発表したものとは大幅に異なり、現状をなるべく維持する方針だという。
 瓦屋根や唐破風、欄干のある現在の外観デザインを継承。
( → 時事通信 2009-08-26

 劇場を特徴づける瓦屋根、唐破風、欄干などは現在の部材を可能な限り再利用する。三菱地所設計と隈研吾建築都市設計事務所の共同設計。
( → 毎日新聞 2009-08-26

 今回公表された外観イメージは、今年1月時点の派手さを抑えた予想図に比べ、現在の歌舞伎座の外観により近くなった。
( → 朝日新聞 2009-08-26

 画像 (クリックで拡大)。
( → FNN読売新聞 2009-08-26
 まずは、めでたし、めでたし。
 実は、「歌舞伎座 改築」で Google 検索すると、本ページがトップに来る。そこで、本ページを見て、歌舞伎座も考え直したのかもしれない。さんざん悪口を言っておいたからだ。
 とすれば、悪口を言った甲斐があるというものだ。 (^^)v
 
 [ 付記 ]
 今回の新デザインは、実は、以前のデザインと大きく変わっているわけではないようだ。以前のデザインと比較して、基本構成は大差ないのがわかる。(今回、あまりはっきりとした絵が示されていなくて、ぼんやりとしかわからないのだが、それでも、一応そうだとわかる。)
  → 以前のデザイン
 とはいえ、理念としては「従来の外観をなるべく守る」という方針だから、大きく改善されたことは事実であるようだ。
 というわけで、「万々歳」とは行かないまでも、とりあえず、文化の破壊は免れたようだ。



 [ 余談 ]
 蛇足を少々。(読まなくてよい。)
 慎太郎さん。あんたの横暴を止めてやったぞ !!
 しかしまあ、文句を言うより、感謝してほしい。あんたの人生の汚点が末代にまで残るのを阻止してあげたんだから。……どうせこのページなんか、誰も覚えていない。しかし、歌舞伎座が変に改築されていたら、あんたの人生の汚点が末代にまで残ったはずだ。晩節を汚すのを、阻止してあげたわけ。良かったですね。
 ただ、私が思うに、慎太郎さんは、小説家を続けていた方がよかったですね。政治家としての経歴は、ディーゼル問題を除けば、マイナスしかなかったと思う。「わが人生の時の時」でも書き続けていれば良かったのに。
posted by 管理人 at 20:14 | Comment(1) | 一般(雑学)1 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは おもしろく拝見しました。最初にみた歌舞伎座の外観はあまりにも・・・で考えるのもやめていましたが、最近、何度か歌舞伎座に足を運ぶたびに、「改築ならいいけど、あんな改悪はいやだ・・・」と思っていました。あの空間、あの建築そして歌舞伎というもの。和があってこその西洋や海外文化との交じり合いに日本人独特のものが出ることを、政治家が忘れて口を出すのはいやですね。
歌舞伎だけみても日本人が何を考えてきたのか感じてきたのか、と思ってみると面白いです。(私は建築関係でも古典芸能も知らない庶民ですが)

現在のプランが見られないのは残念ですが、隈研吾さんなら期待できます。

色々書いてくださってありがとう
Posted by panda at 2010年02月22日 14:24
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