2009年01月14日

◆ 粒子の出現

 粒子が出現することは、次の二通りで解釈される。
  ・ 波束の収束  …… コペンハーゲン解釈で
  ・ 波から粒子へ …… 超球理論
 その意味を説明する。 ──

 超球理論では「粒子と波との相互転換」という概念がある。
   粒子 → 波 → 粒子


 このうち、特に後半だけを見ると、
      波 → 粒子

 という転換(波から粒子への転換)がある。これは何を意味するか?

 これは、コペンハーゲン解釈では、「波束の収束」(波動関数の収束)という概念と同等のものである。

 そこで、この二つの概念を、順に説明しよう。
 (波束の収束/波から粒子への転換)

 ──

 (1) 波束の収束

 「波束の収束」は、波動関数の収束のことだ。コペンハーゲン解釈に特有の概念である。通常、次のように説明される。
 「観測によって波束が収束する」

 シュレーディンガーの猫のアルファ粒子に即して言えば、次のようになる。
 「観測するまでは、波束は(有無について) 0.5 ずつであったが、観測すると、波束は 0 または 1 に決定する。これが波束の収束だ」

 これは、「回転コイン」について即すると、次のようになる。
 「観測するまでは、コインは(裏表について) 0.5 ずつであったが、観測すると、裏表の値は 0 または 1 に決定する。つまり、裏または表に決定する。これが確率の収束だ」

 しかし、これは、確率というものを根本的に勘違いした解釈だ。正しくは、次の通り。(回転コインについて)
 「観測しようとしまいと、(裏表について)確率は 0.5 である。観測したあとでも、確率は 0.5 のままである。一方、現実のコインの裏表の値は 0 または 1 に決定する。しかしこれは、確率とは別のことである」

 わかりやすく言うと、次の通り。
  ・ 裏表の確率 …… 0.5 のまま。(昔から未来まで永遠に)
  ・ 裏表の現実値 …… ある時点以降で 0 または 1 となる。

 コインの現実値(現実の裏表)は、ある時点以降に決まる。それ以前は、値をもたない。なぜなら、回転状態は、裏でも表でもないからだ。倒れたコインは存在しないから、倒れたコインの値は「値なし」となる。そして、ある時点に、コインは倒れて、値をもつ。
 一方、確率による値は、昔から未来までずっと 0.5 のままである。
 この両者は、それぞれ、別の値だ。混同してはならない。
 ただし、おおかたの物理学者は、この両者を混同する。
 「観測した時点で、ある関数が一定値に収束したのだ」
 こういう倒錯的な発想が、コペンハーゲン解釈の「波束の収束」という概念だ。ま、阿呆の論理と同様。

 比喩的に言うと、次の通り。
 台の上に、沢尻エリカと山田花子がいて、台がグルグル回転していた。二人の女が、かわるがわる現れた。次に、台の手前にカーテンが引かれた。やがて、台が停止したが、どういう状態かは見えない。
 その後、カーテンがはずれた。沢尻エリカだけが観測された。すると、物理学者は、こう結論した。
 「沢尻エリカと山田花子の重ね合わせがあったのに、観測がその重ね合わせをほぐして、状態を沢尻エリカに決定したのだ」
 「初めは2種類の女の半々状態があったのだが、観測が状態を1種類の女の状態に決定した」

 彼はその説を「コペンハーゲン解釈」と呼んだ。(2種類の女の半々状態とはなにか? ハエ男みたいな半々状態か? ……馬鹿馬鹿しい。 (^^); )

( ※ 正しくは? 初めはただの確率的な未定状態。後者はただの決定状態。両者は別々のことである。ここには別々の現象がある。……ただし、別々の現象を一つの現象と見なして、「一つの現象が変化したのだ」と見なすと、上記のように妙ちくりんな解釈が生じる。)
( ※ どこが妙ちくりんかと言えば、上記の点がそうだが、もう一つ、「観測が決定した」というところもある。これはもはや「超能力」を主張するのも同然だ。「テレキネシスで物質の状態を決定する」というオカルト主義。  (^^); )

 ──

 (2) 波から粒子へ

 超球理論では、そういう馬鹿げた発想は必要ない。「一つの現象が変化した」というふうには考えず、「別々の現象がある」というふうに考える。
 では、別々の現象とは? 次の二つだ。
  ・ 波
  ・ 粒子

 では、この二つの現象は、どういうふうに結びつくのか? どういう関係にあるのか? それが問題だ。

 超球理論では、次のように考える。
 「波にはエネルギーがある。粒子にもエネルギーがある。両者の間にはエネルギー保存則が成立する。波のエネルギーが消滅して、粒子のエネルギーが生じるときに、『波から粒子へ』という転換が起こる」


 ここでは、エネルギー保存則が成立する。そのおかげで、全体としてはエネルギーが保たれたまま、エネルギーの形態が変わる。それが「波から粒子へ」という転換だ。
 つまり、その本質は、エネルギーの形態が変わることだ。
( ※ 相対論的に言うなら、物質が力学エネルギーになり、力学エネルギーが物質になる。物質と力学エネルギーは等価だから、力学エネルギーが物質になるということは、[広義の]エネルギーの形態が変わるだけだとも言える。)

 ──

 ただし、ここでは、注意するべきことがある。こうだ。
 「波から粒子への転換が起こるとき、どの超球が粒子に転じるかは、確率的に決まる


 ここで「確率的に決まる」ということの意味は、「決定論的ではない」ということだ。

 たとえば、玉突きモデルで、青い波の図がある。
   → 玉突きモデルのページ
 この青い波のあとで、右端では、ひとつの粒子が出現する。では、どの粒子が出現するのか? 換言すれば、真空としての超球のうち、どの超球が選ばれるのか? ……それはまったく確率的に決まる。(決定論的には決まらない。)
 なぜか? 次のことがあるからだ。
 「超球はどれも同じであり、たがいに区別不可能である」


 図において ◯ はどれも同じである。そこにかかるエネルギーが異なるだけだ。そして、そのエネルギーの分布は、波動関数に従う。特に、二重スリットの場合では、干渉縞を描く分布となる。
 このことから、次のように言える。
 「エネルギーの分布が、確率の分布を決める」


 ──

 以上のように考えると、すべてはきちんと説明が付く。
 例として、二重スリットを考えよう。

 もし電子が粒子であれば、感光板では、スリットの延長上の位置に(山形の)ピークが来るはずだ。その位置は2箇所ある。その2箇所の中間には、粒子は来ないはずだ。(ついたてで遮られるので。)

 もし電子がであれば、エネルギーの波の干渉によって、エネルギーの干渉縞ができるはずだ。そして、干渉縞のピークは、2箇所の中間の位置になるはずだ。なぜか? そこは、電子銃から見れば(ついたてのせいで)陰になっているが、二つのスリットから出た二つの波の合成波にとっては、中央がピークの位置になるからだ。
   → Wikipedia の図(干渉縞)

   ( ※ 詳しく言うと例外もあるが、細かな話は抜きで、原理のみ。)

 ──

 結論。

 以上から結局、次のように言える。
 「『量子は粒子だが、その存在確率だけは波である』という考え方をするのは、コペンハーゲン解釈だ。しかし、その考え方では、とんでもない結論が生じる。その一例が『観測による波束の収束』だ」(粒子説の場合)
 「一方、『粒子と波の相互転換』という考え方をすれば、何も問題はない。すべてはエネルギーと確率によって説明が付く。そこで必要な概念は、昔からある『波』という物理学概念と、『エネルギー保存則』という基本概念との、二つだけだ」(超球理論の場合)


 こうして、「確率」という概念を正しく理解できれば、物事はすっきり解決がつく、とわかった。
 その一方、「確率」という概念を誤解すると、とんでもない結論が出てくるわけだ。(物理学者は「確率」という数学概念をよく理解できていないわけだ。この件については、次項で詳しく述べる。)



 [ 補説 ]
 本文とは直接関係ないが、発展的な話題を論じよう。(特に読まなくてもよい。)

 波から粒子への転換は、どのようにして起こるか? 主に、次の二通りだ。

 (1) 確率的な発生

 真空中でも、「波から粒子への転換」は、確率的に起こる。これは、量子論において、特有の現象だ。
( ※ 古典力学では、状態は安定的だが、量子論では、トンネル効果にも見られるように、確率的にポテンシャルの壁を越えることがある。)

 その具体的な例は、カシミール効果だ。
   → カシミール効果
 つまり、真空中において、確率的に「粒子・反粒子」の対発生が起こる。このような形で、「波から粒子へ」という転換は起こる。

 なお、エネルギーがなくても、「粒子・反粒子」の対発生は確率的に起こるが、エネルギーがあれば、「粒子だけ」の発生もある。その具体的な例は、次のことだ。
 「二重スリット実験で、一方のスリットの側だけで、粒子が観測される」
 こういうことは、稀に起こる。それは、そのスリットの側だけで、「波から粒子へ」の転換があった場合だ。ここでは、粒子に相当するエネルギーがあるから、「粒子だけ」の発生も起こる。

 (2) 真空からの離脱

 波から粒子への転換は、真空から離脱したときにも起こる。つまり、物質に衝突して、その速度が著しく低下したときだ。

 直感的に言えば、進行方向の速度と、波の幅とは、比例する。
 進行方向の速度が光速であれば、波は幅広く空間全体にひろがる。
 一方、進行方向の速度が著しく低下すると、波の幅も著しく狭まる。つまり、量子は局在する。これがつまり、「波が粒子になる」ということだ。

 具体的な例としては、「霧箱」や「泡箱」がある。量子が真空を離脱して、物質と衝突して、大幅に減速することで、量子の幅も極端に狭まる。このことで、波だった量子が、局在する粒子として観測されるようになる。

( ※ なぜ減速すると、幅が狭まるか? 当たり前だ。前後方向の減速と、左右方向の減速は、同時に起こるからだ。物質中では、前後方向にも左右方向にも、速度は減速する。その結果、局在するようになる。当り前の話。)
 
( ※ なお、霧箱や泡箱では、軌跡は直線状になるが、量子が直線状になるわけではない。霧箱や泡箱では、量子は点状になる。ただ、その軌跡は、直線状になる。……混同しないこと。)
posted by 管理人 at 18:12| Comment(2) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Wikipedia見てると、頭ん中ぐちゃぐちゃになるんですが、ここの記事読んでると素人としてもしっくり来ます。
(正しく理解してるかは別にして)
質問です。真空は超球で満たされているということですよね、
とすると宇宙は膨張しまくっているようですが、
超球も増えまくっているということですか?
それとも真空中にも星雲のように超球のムラがあるんでしょうか?
完全な真空は超球が飛び出した瞬間の穴だけしか存在できないのでしょうか?
教えて先生。
長文スマソ
Posted by 物理素人 at 2011年03月09日 04:49
> 宇宙は膨張しまくっているようですが、 超球も増えまくっているということですか?

 そうかもしれないし、密度が低下しているのかもしれない。よくわかっていません。まだそれ以前の仮説段階。
 こんな問題は現代物理でもよくわかっていません。そんな先のことよりは、まだ基礎を固める段階。
Posted by 管理人 at 2011年03月09日 12:51
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