2009年01月13日

◆ 二重スリット実験とは

 二重スリット実験の核心は何か? 量子が粒子だと仮定すると、矛盾が起こる、ということだ。ここから、背理法による結論が得られる。 ──

 二重スリット実験については、以前、別の文書を書いたことがある。
  → 二重スリットと観測問題(概要) (およびその続編)

 実は、この文書は、私の量子論の文書のうち、最も初期に書いたものである。そのせいで、思考は発展途上にあり、未熟である。
 その後、このころの思考をもとにして、新たに理論体系を構築した。それが「超球理論」だ。
  → 超球理論 (目次)

 したがって、超球理論を示したあとでは、上記の文書は、いささか「時代遅れ」ふうになっている。本当は「全面改定」(もしくは削除)の必要がある。ただ、完全に書き改めるのは手間がかかるので、放置してある。
 そこで、本項では、二重スリット実験について、新たにまとめる。上記の文書を読むよりも、本項を先に読んでほしい。そうすれば、二重スリット実験の核心はわかる。(そのあとで、細々とした点については、上記の長い文書を読めばいい。)

 ──

 では、二重スリット実験について説明しよう。この実験の核心は、次のことにある。
 「量子が粒子だと仮定すると、矛盾が起こる」


 こう聞くと、「矛盾? 科学に矛盾が許されるのか?」と思う人もいるだろう。しかし、量子論の世界では、矛盾は「重ね合わせ」という言葉に置き換えられるので、矛盾もまた許容されてしまうのだ。
 もちろん、これはインチキだ。とはいえ、量子論の世界では、そういうインチキがまかり通っている。そのインチキのインチキさがはっきり現れるのが、「二重スリット」という実験だ。

 「二重スリット実験は、量子力学の神髄だ」

 とファインマンは言った。まさしく、そのとおり。ここには、非常に重要なことがひそんでいる。
 さらにまた、私なりに言えば、こうなる。
 「二重スリット実験の矛盾は、シュレーディンガーの猫の矛盾と、本質的に同じである」


 以上のことから、次のように考えるといいだろう。
 「二重スリット実験は、量子力学の神髄である。そこでは、量子力学の根源的な問題がはっきりと露見する。この問題はまた、シュレーディンガーの猫の問題と同じである。……そして、これらの問題を解明したときに、量子力学の本当の姿が明らかになる。いわば、霞が晴れるように」

 このように見通した上で、以下では詳説しよう。

 ──

 二重スリット実験とは何か? 実験そのものの概要は、よく知られたとおりだ。次の図で示される。

二重スリット実験
電子銃から電子が発射される。電子は二つのスリットを通過して、感光板にぶつかる。そこでは干渉縞が描かれる。
 ──

 この実験では、大切なことは二つある。しかも、それぞれにおいて、問題が起こる。この問題は、「量子は粒子である」ということを前提とした上で起こる問題だ。

 (1) 干渉縞ができる

 感光板(電子乾板)では、干渉縞ができる。これが非常に重要だ。
 量子が波ならば、こういう干渉縞ができることは、物理学の法則から当然である。この干渉縞は、「量子が波である」ということを前提とすれば、完全に説明が付く。
 しかしながら、前提により、量子は粒子である。そして、粒子であれば、干渉縞ができるはずがない。かわりに、それぞれのスリットの向こう側に、単純な山形のピークができるはずだ。
 つまり、二つのスリットの向こう側に、二つの山形のピークができるはずだ。次のような感じで。

       

 しかしながら、現実には、こうならない。電子のかわりに小さな砂粒を飛ばせば、まさしくそのような「二つの山形」ができるのだが、電子の場合にはそうならず、干渉縞ができる。つまり、電子の場合には、大きな二つの山形のかわりに、小さな狭い山形がいくつもできる。
 このことは、「量子は粒子である」という前提に反する。矛盾

 (2) 単発でも干渉縞ができる

 上の矛盾を解消するために、次のアイデアが浮かんだ。
 「ひとつの粒子はひとつのスリットを通るだけだが、たくさんの粒子が二つのスリットを通ると、たくさんの粒子がたがいに干渉するのだ」
……(*
 これはうまい解決案に思えた。しかしながら、このことは実験的に否定された。
 それは、外村彰の実験だ。ここでは、次のことが判明した。
 「常に一つずつ、電子を発射する。1回の発射では電子を1個だけ発射する。当然、感光板には、1個だけの電子がぶつかる。このことを多数回繰り返す。すると、そのときの統計的な分布もまた、干渉縞を生じる」

   → 外村彰の実験・図2(干渉縞の写真)
   → 詳しい説明

 この実験から、上の(*)の仮説は否定される。電子は1個ずつしか発射されないのだから、「多数の電子がたがいに干渉する」という仮説は成立しないからだ。

 ──

 こうして実験結果が得られた。以上をまとめると、次のように言える。
 「1個の粒子が干渉縞を生じさせる」
 「ゆえに、1個の粒子が二つのスリットを同時に通る
 「しかし、1個の粒子が二つのスリットを同時に通るということは、論理的にありえない。1個の粒子が二つに分裂することはありえないからだ。矛盾


 ──

 以上のことから、次のように言えそうだ。
 「現在の量子論では、矛盾が起こる」


 このことから、次の立場が生じた。
 「矛盾というものを、『重ね合わせ』という言葉で、呼び替える。『白と黒の同時成立』というのを、『白と黒の重ね合わせ』と呼び替える。これで、矛盾は回避される」
(二重スリットで言えば、「右を通る粒子」と「左を通る粒子」の重ね合わせ。)

 これが「コペンハーゲン解釈」という考え方だ。現在の量子論では、これが主流である。ともあれ、このことで、言葉の上では「矛盾」が回避される。
 しかし、そんなことは、ただの「言葉の呼び替え」にすぎない。「それじゃおかしいぞ」と首をひねる人が多い。それが現在の量子論の現状だ。
 ( ※ 正確に言えば、「重ね合わせ」では、「真と偽がともに完全に成立する」のではなくて、「真と偽がともに半分ずつ成立する」というふうになる。その意味で、本来の「矛盾」とはちょっとだけ違う。が、どっちみち、嘘っぽい。たとえば、一匹の猫が半分ずつ生きて死んでいることなど、ありえない。)

 ──

 一方、まともに論理的に考えるなら、次のようになる。
 「ある仮説を前提とすると、矛盾が起こる。そのときは、仮説が間違っている」

 これは「背理法」という発想だ。「重ね合わせ」という解釈を取るかわりに、「背理法」という発想を取ればいい。そのことで、問題はあっさり解決する。次のように。
 「量子は粒子だと仮定すると、矛盾が起こる。ならば、仮定は成立しない(つまり、量子は粒子だ ということにはならない)」


 これだけだ。あまりにも簡単。論理学というものを知っている人であれば、背理法で矛盾は解決がつく。
 つまり、背理法で理解すれば、「重ね合わせ」という奇妙な概念は必要ない。
 「猫が生きていて死んでいる」(生と死の重ね合わせ)というような解釈は必要ない。
 「1個の電子が右スリットと左スリットを同時に通る」(1個の電子が右スリットを通る状態と左スリットを通る状態の重ね合わせ)というような解釈は必要ない。
 かわりに、前提(仮定)を否定すればいい。つまり、「量子は粒子ではない」と考えるだけでいい。それで矛盾はあっさり解決がつく。何も不思議なことはない。間違った前提を否定すれば、間違った前提の上に成立する矛盾も解消する。

 ──

 ただし、矛盾は解決するが、問題が解明されたわけではない。コペンハーゲン解釈やエヴェレット解釈は、矛盾を含みながらも問題を解明した。一方、背理法は、矛盾を解決するが、問題の解明をしない。
 では、問題を解明するには? そのためには、新たなモデルを出せばいい。では、どんなモデルを? 「粒子説」のモデルは駄目だとわかったのだから、別のモデルを出せばいい。量子論の歴史を考慮すれば、それは「場の量子論」のモデルであるべきだ。

 では、「場の量子論」のモデルとは? 従来は、そんなものはなかった。せいぜい「調和振動子」という中途半端なモデルがあるだけだった。
 だが、新たに、「場の量子論」のモデルが誕生した。それが「玉突きモデル」というモデルだ。(そして、それを原理とした理論が「超球理論」だ。)

 この件は、次項で説明する。



 【 追記 】
 「背理法を取ればいい」
 と上で述べた。これに対して、次の疑問が生じるかもしれない。
 「どうして物理学者は、背理法を取らないのか? 背理法なんて、わかりきったことなのに、なぜ物理学者はそれを採用しないのか?」
 これについては、次のように答えることができる。
 「物理学者は、物理的な主張を、論理学よりも優先するからだ。自分の物率学的な主張を守るためには、論理的には滅茶苦茶な論理を使うことをも いとわない」
 つまり、「粒子説」という物理的主張に、あくまでこだわる。これを絶対に捨てず、これを貫き通そうとする。それが物理学者の立場だ。そして、「粒子説」という物理的主張を守るために、論理的なメチャクチャを受け入れる。(背理法も何もかも否定する。)

 これは、前項で述べたように、「間違った結論を受け入れるために、思想基盤を崩壊させる」ということだ。
 似た例では、「天動説」がある。「天動説は正しい」という神学的な主張が先にあり、そのためには科学的合理性(という思想基盤)は捨てられた。それと同様で、「粒子説」(粒子モデル)という物理学的な主張が先にあり、そのためには論理性(および思想基盤)は捨てられる。
 要するに、間違った仮説(粒子モデル)にあくまでこだわる、という点に失敗の理由がある。逆に言えば、間違った仮説(粒子モデル)を捨てることで、正しい理論にたどりつける。……それをなすのが、次項だ。
 
( ※ 次項は、いよいよ解答編。)
 




 ※ 以下は、補足的な話。

 【 補足 】
 二重スリット実験で、「観測の影響」について説明する。

 「観測すると、干渉縞が消える」

 という現象がある。これは、なぜか? 

 通常は、次のように説明される。
 「観測すると、光子を当てた影響で、干渉縞が消える」

 この解釈は、正しくない。なぜなら、たとえ光子を当てても、干渉縞は消えないからだ。真空中に電磁波をかけると、干渉縞はいくらか歪むが、干渉縞が消失するということはない。(観測しなければ。)

 一方、たとえ光子を当てなくても、単なる思考実験で「光子がどちらを通ったか」を考えるだけでも、干渉縞は消える。(光を当てなくても、数式計算によるだけで、干渉縞は消える。)

 では、干渉縞は、どこで消えるのか? それは、(実験であれ理論であれ)統計処理の過程だ。次のように。
 「二重スリット実験で、実験結果を統計処理する。
   ・ 右スリットで観測された場合だけを統計処理する。
   ・ 左スリットで観測された場合だけを統計処理する。
 このような二通りの統計処理をする過程で、干渉縞が消える」

 これが正解だ。
 
 では、その本質は? 超球理論から判明する。
 「(スリットで)粒子が観測された場合とは、(スリットで)『波から粒子への転換が起こった』場合である。一方、『波から粒子への転換が起こらなかった』場合がある。その二通りの場合がある。しかるに、統計処理の過程で、前者の場合だけを抽出して、後者の場合を排除した。そのせいで、結果的に、干渉縞の起こる分の数値が統計的に排除された」

 ここでは、光子が当たった影響などは、何の関係もない。ただの統計処理によって、データを部分的につまみ食いするから、得られたデータが変わっただけだ。(統計のインチキに相当する。)

 ※ 以上の説明では、超球理論の概念を必要とする。
   あらかじめ次項以降の話を理解しておくこと。


 ──────────────────

 《 余談 》

 余談として、「統計のインチキ」の似た例を示す。

 団子が 100個あった。団子が盗まれないように、コペン君が警備していた。すると、二人の泥棒が団子を盗んだ。まず、ネズミ小僧がすばやく走って、コペン君の眼前で団子を盗んだ。一方、ルパンは、花火を破裂させて、コペン君があわてふためいている間に、背後でこっそり団子を盗んだ。……この過程で、ネズミ小僧は観測されて盗んだ。ルパンは観測されずに盗んだ。
 団子がすべて消えたのを知って、団子係は叫んだ。
 「100個の団子が盗まれた!」
 その後、コペン君は報告した。
 「団子が盗まれました。盗んだのは、ネズミ小僧です。それ以外には泥棒はいません」
 しかし、ネズミ小僧が盗んだのは、50個だけである。観測された分を見る限り、盗まれた個数は 50個だ。そこでコペン君は主張した。
 「観測が結果を変えたのだ。観測しなければ、100個盗まれたのだろうが、観測したことで、結果が変わったのだ」

 そこへ、ヒゲもじゃの変人が登場して、こう教えた。
 「観測が結果を変えたんじゃないですよ。あんたが統計数値を操作しただけですよ。自分に見えた分だけを数えて、自分に見えなかった分を数えなかった。そういうふうに統計処理を歪めたから、結果が変わっただけです」
 
posted by 管理人 at 20:00| Comment(7) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
項目:「 超球理論の基本原理」
 返信先:00
 「二重スリット実験はフラーレンのような巨大な分子でも確かめられているそうですが、真空にはフラーレンの超球も敷き詰められているんですか?」

 ──────── 以下、私のコメント ────


 基本的には、フラーレンは、分子であって、超球(素粒子)ではないので、超球理論の範囲外です。「言及外」としか言いようがありません。ともあれ、今回の話とは別の事例です。

 フラーレンの実験は、どういう実験だかよく知らないので、正確には何とも言えません。(発射する個数が)単発で干渉縞なのか、多数で干渉縞なのか、はっきりしていません。原論文を見ていないので。

 ただ、多数で干渉縞が生じるのなら、この実験は別に不思議はないでしょう。多数のフラーレン粒子が帯電しながらたがいに干渉することは、十分に考えられます。
 フラーレンであれ何であれ、大量の粒子を発射して、そこに波があれば、その波が干渉縞を描くのは当然のことです。

 問題は、フラーレンの波がどういうものかです。たとえば、たがいに荷電して反発しながら、振動による濃淡があれば、それは波となるでしょう。空気分子による音波と同様。音波が干渉縞を描くのと同じことが起こります。荷電する微小分子ならば、フラーレンに限らず、すべてに同じことが当てはまるでしょう。
(フラーレンの場合、分子量がきちんとそろっているので、きちんと波動性が作りやすい。ただし、単一の分子ならば、他の分子でも大丈夫だろう。ナノチューブみたいなのは、分子量がきちんとそろわないから駄目だが。)

 なお、フラーレンを単発で発射した場合にはどうなるかというと、理論計算と同じで、単に粒子としてふるまうだけであり、干渉縞は生じないでしょう。当然。

 実験をした人を調べてみると、かなり頭のいい人のようです。私の推定では、これは彼の「いたずら」でしょう。彼はこの実験が無意味だということをわかっていて、あえて素人をだまして、引っかけて、喜びたいわけです。いたずら。
 この実験を見て、「二重スリット実験に新たな歴史が切り開かれた」という発言をする人がいたら、実験者は「しめしめ、間抜けな素人が引っかかったぞ」と喜びたいんでしょうね。
 ま、専門家なら、誰も引っかからないでしょうが。

 ──

 こういういたずらは、許されるか? 許されるでしょう。私もときどき、トンデモ騒ぎをする馬鹿を引っかけようとして、疑似餌を垂らして、いたずらをすることがあるし。  (^^);
( ※ しかし、ただの無知な素人を引っかけようとする点では、この実験者の方がずっと悪質だな。うん。 いたずらというより、意地が悪いですね。意地悪。 私は……たぶん意地悪じゃないでしょう。   (^^); )
Posted by 管理人 at 2009年01月26日 20:45
フラーレンの実験の原論文は、下記にあります。

http://www.quantum.univie.ac.at/research/matterwave/stehwelle/standinglightwave.html

http://hexagon.physics.wisc.edu/teaching/2007f_ph448/interesting%20papers/zeilinger%20large%20molecule%20interference%20ajp%202003.pdf

ざっと見ただけですが(詳しくは読んでいませんが)、私が述べたことの趣旨にだいたい合っているようです。たぶん。
 つまり、単発ではなくて、多数の荷電粒子をビームにして発射しているようです。たぶん。
 ただ、振動をそろえる仕方が違っていて、レーザーを使っています。その点だけが違っている。

 ここでは、何か不思議な現象が起こっているわけではありません。基本的には、音波が(二重スリットで)干渉縞を作るのと、だいたい同じです。物理学的にわかりきった現象です。
 決定的な点は何か? それは、この実験における干渉縞が、フラーレンの固有振動数によって生じるのではなく、レーザーの振動数によって生じる、ということです。その意味で、これは[電子のような]量子の固有振動数によって生じる量子論的な波ではなく、音波の可変的振動数によって生じる古典論的な波と同様です。

 この実験は、本来の二重スリット実験ではありません。二重スリットを使った別の実験であるに過ぎません。二重スリット実験は、量子を発射させると、粒子であった量子が波動性をもつようになる、という実験です。今回の実験はそうではなく、フラーレンをレーザーの波に載せることで、フラーレンがレーザーの波による干渉を示す、という実験です。フラーレンが波動性を示すのではなく、フラーレンがレーザーの波動性の影響を受ける、という実験です。……形の上では二重スリット実験のように見えますが、全然別の種類の実験です。

 ──

 なお、超球ならば干渉縞ができるからといって、干渉縞をつくるものは超球だとは言えません。音波だって、フラーレンだって、さまざまなものが干渉縞を作ります。干渉縞を作ることから言えることは、「超球だ」ということではなく、「波だ」ということです。その点、上の質問は、最初から成立しない質問です。

( ※ 比喩。凸凹した波状の曲面にパチンコ玉を走らせると、パチンコ玉が波のように上がったり下がったりする。これを見て、「パチンコ玉は粒子性と波動性の双方を示す。ゆえにパチンコ玉は、量子と同じだ。ゆえに、パチンコ玉は超球だ」という迷解釈。  (^^);  )

( ※ もうちょっと正確な比喩を言うなら、こうです。「パチンコ玉を走らせて、そこに大きな音を響かせて、パチンコ玉を振動させる。すると、パチンコ玉が振動による波動性をもつようになる。)
Posted by 管理人 at 2009年01月29日 00:01
本文の後半(最後の方)に、緑色の枠を加筆しました。
 「観測で結果が変わる」
 という話題についての説明。

  タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2009年02月20日 23:40
電子は、電(磁)位・弱い相互作用の強さを表す位・質量密度などの複数の値を
並べたベクトル値関数の波動関数だと仮定して、電場など一切ない真空中だと
光子にような波動関数の状態のように、その関数の値が大きい部分(ピーク)が
結構広がっていると想像できますが、古典的なシュレジンガー方程式のように、
原子核の周りだと、s軌道とかp軌道のような、ピークの狭い固有状態しかとれま
せんよね。(固有状態には確率がある)
このようなピークの狭い波動関数の状態が粒子だと考えれば、粒子状態と波動関数
状態の遷移が簡単に説明できるように思います。
2重スリット実験だと、観測乾板(それが壁でも同じ)には、多数の原子核や電子が
あるので、そのような強い電磁場の近くでは、固有関数のピークは狭く、たぶん、
どれか1つの原子核の周りにある状態が固有関数として出てくるでしょう。
ただし、それぞれの固有関数には確率がついている。
真空中の電子に光を当てたら、光子の電磁場と電子の電磁場が相互作用するので、
電子の波動関数の形が変わってしまうのは当然ではないでか ?
確率を重ね合わせで理解しようとするから、変なことになるんじゃないかな。
現実には、どれは1つの状態で、何回も実験すると、結果が確率に従って分布するだけ。
それから、数学で関数を定義するのに「エーテル」は不要だけど。
Posted by 数学屋です物理屋ではありません。 at 2010年04月14日 11:26


観測の厳密な定義は?

量子力学の「観測」はかなり広い(辞書的
にはある意味間違った)解釈がなされてい
る印象を受けます。

ある系への干渉が、量子状態を古典力学的
へ遷移させるのであれば、必ずしも(量子
力学的な)「観測」は「観測者」も「意識」
も不可欠ではないと思います。

団子の話で違和感を感じたのでコメントい
たしました。

専門家ではありません。
とんちんかんなコメントならすみません。
Posted by レイ at 2011年07月17日 10:22
観測については別項で述べています。
http://openblog.meblog.biz/article/1369317.html

 要するに、現代の物理学では、それをきちんと定義できません。定義で忌諱まま、ああだこうだると論じている。非科学的。それが現代の物理学の難点。
Posted by 管理人 at 2011年07月17日 11:39
外村彰さんが、ノーベル賞候補とされながら、貰う前に逝ってしまわれました。
http://www.nikkei-science.com/?p=24346

外村の新しい電子顕微鏡は,2012年夏に稼働する予定だ。
http://www.nikkei-science.net/images/201111_060.pdf

たぶん、まだまだ期待されていたから、貰えなかったんでしょう。
っていうか、一番大事なところやられてたと思うんですよね。

電子波で見る電磁界分布 【 ベクトルポテンシャルを感じる電子波 】
http://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/200012/20001201-2.html
Posted by ひゃま at 2012年06月17日 17:57
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