2009年01月11日

◆ 観測とは

 量子力学における「観測」とは何か? その本質を論じる。
 (前項の続き。) ──

 初めに、問題と回答を簡単に示しておこう。
 「観測とは何か」というのは、量子論で問題となる。
 コペンハーゲン解釈では、「観測が状態を決定する」と説明されるが、これだと、「意識が物理状態を決定する」ということになるので、困る。(それはテレキネシスという超能力を主張していることになる。もはやオカルトだ。)
 では、正しくは? 「観測する」ことと、「観測できる」(観測可能である)こととを、区別する必要がある。物理学者は、この両者を混同しているから、混乱するのだ。
 たとえば、二重スリットを電子が通るとする。ここで、
 「人が電子を観測すれば……」

 というふうに物理学者は考えたがる。しかし本当は、
 「電子が観測可能な状態になれば……」

 というふうに考えるべきなのだ。そして、観測可能な状態になるかどうかは、人が実際に観測するかどうかには依存しない。
 多くの物理学者は、この違いを理解できないから、混乱してしまうのだ。

( ※ ただし、「観測可能になる」ということを説明するには、超球理論を必要とする。そこでは「波から粒子への転換」という概念で、「観測可能になる」ということを説明する。)

  ────────────

 コペンハーゲン解釈では、「観測が状態を決定する」と説明される。
 では、観測とは、何のことか?

 実は、これについては、定説がない。通常、次のように、いろいろと説明される。
  ・ 量子に光を当てたとき。
  ・ 量子への光の反射を測定器で受信したとき。
  ・ 量子への光の反射を測定器で表示したとき。
  ・ 測定器の表示を人間が見たとき。
  ・ 測定器の表示を人間が理解したとき。(意識による)

 いろいろとあるが、「これだ」というふうに一義的に決める定説はない。

 ──

 そこで、私が本質を示そう。
 「観測」という言葉は、ひとまず忘れる。かわりに、「状態が決定するとき」というふうに考える。
 このことは、次の二通りの意味になる。
  ・ コペンハーゲン解釈  …… 重ね合わせがほぐれるとき。
  ・ 超球理論による解釈 …… 波から粒子に転換するとき。


 後者の「波から粒子に転換するとき」というのは、回転するコインで言えば、「回転状態から、裏または表に決まるとき」のことである。

 ──

 ここまで理解すれば、「観測する」という言葉の意味は、はっきりする。こうだ。
 「機械や人間が観測するかどうかは、どうでもいい。観測する機械も人間も、一つも存在しないでいい。肝心なのは、『観測できる状態になること』である。」


 これは、超球理論で言えば、こうなる。
  ・ (コインが)回転状態から、裏または表に決まるとき。
  ・ (量子が)波から粒子に転換するとき。
  ・ 観測不可能な超球状態から、観測可能な粒子状態になるとき。

 いずれにしても、同じことだ。

 モデル的には、「回転する超球」で考えるといい。
 超球は、初めは回転しないで、粒子になっている。その後、波となる。つまり、回転する超球となって、空間を広く伝播する。その後、ふたたび粒子になる。そのとき、一点に局在するようになる。
 量子は、回転する超球として空間を広く伝播するときには、観測不可能である。しかし、その後、回転が止まる。そのとき、一点に局在する粒子となる。すると、観測可能になる。
 ここで「回転を止める」という操作が、「観測する」ことの本質だ。その意味は、「観測すること自体」ではなくて、「観測できるようにする」ということだ。
( ※ それは前述の「光を当てる」などのさまざまな操作に先立つ出来事だ。)

 ──

 こうして、「観測する」という言葉の本質がわかる。
 観測とは、人間や機械が何らかの測定をすることではなくて、この自然界において量子が観測可能な状態になることだ。だから、そのとき、観測するという人間の行為そのものは必要ない。
 コペンハーゲン解釈では、「観測する」という言葉と、「観測できるようにする」という言葉とを、混同している。そこから、問題の混乱が起こり、人々を戸惑わせているわけだ。
 


 【 補説 】
 もう少し具体的に説明しよう。
 コペンハーゲン解釈では、次のように言われる。
 「観測のために光を当てると、光の影響で状態が確定する」

 しかし、これは妥当ではない。光を当てることと、状態が確定することとは、別のことである。一般的に言えば、光を当てても、「波 → 粒子」という転換は起こらない。
 ただし、「波 → 粒子」という転換が起こったときに、光を当てると、粒子が観測される。そのとき、「光を当てたから、この転換が起こったのだ」と勘違いする人もいる。それがコペンハーゲン解釈の学者だ。
 比喩を言おう。あなたが歩いていると、美人を見つけた。素敵だな、と思って、じっと見ていると、彼女がこちらを向いた。そこであなたは、こう思った。「自分が見つめたから、彼女はこちらを向いたのだ。自分の意識が彼女の行動を決定したのだ」と。しかし、それは違う。あなたが見つめたことと、彼女がこちらを向いたこととは関係ない。ただ、彼女がたまたまこちらを向いたときに、あなたは彼女を見ていた。そのせいで、「自分が見つめたから、彼女はこちらを向いたのだ」と勘違いしたのだ。(因果関係を逆にとらえている。)
 コペンハーゲン解釈もまた同じ。光を当てたから、粒子が出現したのではない。光を当てているときに、たまたま粒子が出現しただけのことだ。ただ、光を当てていないときには観測できず、光を当てているときには観測できる。そのせいで、「光を当てると、粒子を出現させる」と勘違いしたのだ。(因果関係を逆にとらえている。)
 現実には、「波 → 粒子」という転換が起こるのは、光を当てることではなくて、次のいずれかだ。
  ・ 真空中を脱して物質にぶつかったとき。
  ・ 真空中でたまたま確率的に転換が起こったとき。

 後者は、非常に低い頻度で発生する。たとえば、二重スリット実験で、片方のスリットに光を当てているとしよう。そこに電子は出現するか? 学説により、二通りに分かれる。
  ・ 光を当てれば、必ず観測される。 …… コペンハーゲン解釈
  ・ 光を当てても、まず観測されない。…… 超球理論の解釈
 現実には、後者になるはずだ。電子銃から発射された電子(の波)に対して、電磁波である光なんかが、まともに影響するはずがないのである。実際、どこの実験室にだって、(光以外の)電磁波はあふれている。電磁波の存在しない真空中というのは、ほとんど存在しない。そして、そこにおいては、電磁波は(電子のような)物質に対して、ほとんど何も影響しないのである。せいぜい磁力によって進路を歪めるということぐらいであって、存否に関しては影響しない。つまり、そのときたまたま粒子が出現することはあるが、しかし、光を当てても、光を当てなくても、出現頻度は同じである。「光が電子の状態を確定させた」ということはない。

( ※ なぜ光が電子に影響しないかというと、電子としての超球の振動数は、電磁波である光子の振動数とは、[超球の次元では]全然異なるからだ。)
( ※ ともあれ、「光を当ててもたいていは観測されない」という事実によって、コペンハーゲン解釈は実験的に否定されることになる。)
( ※ なお、コペンハーゲン解釈がこのような勘違いをしたことの理由は、「光を当てなくても、電子はもともとそこに存在している」と信じたことである。つまり、「粒子説」を取ったことである。……超球理論によれば、そんなことはない。つまり、「光を当てても当てなくても、そこにはもともと粒子としての電子は存在していない〔波だけがある〕」というふうになる。……コペンハーゲン解釈は、そのことを理解できないから、「光を当てたから状態が決定した」と思い込んでしまうのである。コペンハーゲン解釈の誤りのすべては、「粒子説」を取ったことに原因がある。)


 《 コペンハーゲン解釈 》


          
    ● 
          

 上図 : 電子が、電子銃から二つのスリットの方向に発射される。状態は未定。
 下図 : 光が当てられると、一方は状態が確定する。光が状態を決定する。


            光
          ● (存在)
    ●    光
          ○ (非存在)


 《 超球理論の解釈 》

          
    ● ) ))))))

 電子は、粒子から波に転じる。通常はずっと波のままである。場合によっては、波から粒子に転じることもあるが、その際、光を当てようが当てまいが、関係ない。光は状態に影響しない。観測は状態に影響しない。

 


 電子と光子がともに粒子であるならば、観測される頻度は、光の強さに比例するはずだ。
    観測される頻度 ∝ 光の強さ

 しかし超球理論によれば、光をいくら強くしても、波である電子は決して観測されないはずだ。
( ※ ただし、理論計算すると、上記の実験は成立しないことになるかも。というのは、理論計算すると、「波が粒子に転換する頻度」というのが出てしまって、それが「観測される頻度」になるからだ。……本項で述べたことは、理論的にはあまり意味がないかもしれない。その意味で、「ニュートン力学と相対論が異なる数値を出す」というような明白な形の違いにはならないかもしれない。……ただ、概念的には、違いができる。)

( ※ 数値では違いは出ない、というのは、仕方ない。超球理論は、数式は、従来の量子論とまったく同じ数式を用いるからだ。ただし、モデル的な認識が異なる。……超球理論は、それ自体で何らかの数式を出す理論というよりは、そのモデルから次の新たな数式理論を出すための基礎となる。このモデルに基づいて、将来、まったく新たな数式モデルが出現しそうだ。とりあえずは、そのための基礎概念を出すのが、超球理論の役割だ。)
 ──

 ポイント(着目点)を示そう。
 コペンハーゲン解釈の発想は、「曖昧な存在である粒子に光を当てると、曖昧な状態が確定する」と思い込んでいる。
 しかし本当は、「曖昧な存在である粒子」などは、ありえない。そこでは、「曖昧な」というのがありえないのではなく、「粒子」がありえないのだ。
 コペンハーゲン解釈のキモである「曖昧」 or 「重ね合わせ」という概念以前に、そもそも発想の前提である「粒子」という概念が成立していないのだ。



 【 関連ページ 】
 (1)
 「観測」についての本質的なことは、本項に記してある。
 ただし、細かな点については、下記のページを見てほしい。

  → 観測の意味

 書いた日付の順序としては、上記が先で、本項が後だ。
 しかし、読むべき順序は、本項が先で、上記は後だ( or 読まなくても良い。)
 大切なのは本項で、上記は(核心以外の)細かな話題となっている。

 (2)
 コペンハーゲン解釈の問題点については、前にも述べたことがある。
   → コペンハーゲン解釈の破綻
      http://openblog.meblog.biz/article/117039.html
posted by 管理人 at 19:06| Comment(0) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ