2009年01月11日

◆ コペンハーゲン解釈とは

 量子力学における「コペンハーゲン解釈」とは、何か? その基本概念を説明する。 ──

 「コペンハーゲン解釈とは、何か?」
 これが本項のテーマである。この件は、ネット上を探せば、Wikipedia その他のページが見つかるので、容易にわかる……と推察される。しかし、そのどれもが、不適当な解説だ。そのせいで、世間には誤解が広まっている。そこで、物事の本質を解説しよう。

 ──

 コペンハーゲン解釈とは、何か?
 これについては、次の説明がなされることもある。
 「観測によって波動関数が収束するという解釈」

 しかし、これは本質的なことではない。副次的なことだ。なぜか? その前の「収束していない状態」というのが何かが、説明されていないからだ。上の説明は、
 「観測によってκではなくなる」
 というふうに示せるが、その肝心のκとは何かが、まだ説明されていない。そのκにあたる部分こそが、肝心なのだが。

 このκにあたるものは、「波動関数が収束していない状態」である。それは、
 「重ね合わせ」
 という概念で説明される。
 だから、「コペンハーゲン解釈とは何か?」という質問には、次のように答えることができる。
 「状態が決定される前を『重ね合わせ』という概念で示す解釈」

 ここでは、「重ね合わせ」という概念が本質的だ。だから、次のようにも言える。
 「コペンハーゲン解釈とは、『重ね合わせ』という概念を用いる解釈だ」


 ──

 一般に、決定される以前の状態については、さまざまな解釈が成立する。
  ・ 重ね合わせ (コペンハーゲン解釈)
  ・ 多世界     (エヴェレット解釈)

 というのが有名な二つの解釈だ。ともあれ、コペンハーゲン解釈では、「重ね合わせ」という概念を用いる。ここに、コペンハーゲン解釈の本質がある。(「観測による収束」というのは、そのあとの副次的な問題にすぎない。)

 ──

 では、「重ね合わせ」とは、何か? それが肝心の問題だ。
 これについて説明しよう。(ここが本項の眼目だ。)

 一般に、波動関数は、確率的に解釈される。確率は、多数の事象についてのみ言える。たとえば、「サイコロを百回振ったときに、どの目が出るか」ということは、確率的にわかるが、そのことは、多数の事象についてのみ言える。
 一方、1回だけの事象については、どうか? 数学的には、
 「1回だけの事象については、確率は何も言えない」
 というふうになる。たとえば、サイコロを1回だけ振ったとき、その目がどれになるかは、確率的には何も断言できない。「6分の1ずつの可能性がある」とは言えるが、断言するとなると、何も断言できない。つまり、「わからない」のだ。

 ところが、コペンハーゲン解釈では、確率的な事象について、1回だけの事象についてまで、何事かを語ろうとする。それが「重ね合わせ」という概念だ。
 たとえば、シュレーディンガーの猫の生死については、確率的に、多数の事象について、
 「多数の猫は、半数は死んで、半数は生きている」
 というふうに言える。ここまでは問題ない。
 それとは別に、1回だけの事象を取ると、特定の1回について、
 「その猫は生きているか死んでいるか」
 が問題となる。確率的にはもちろん、
 「特定の1匹の猫については何も言えない」
 となる。
 ところが、コペンハーゲン解釈では、「特定の1匹の猫についても言える」と考える。そして、こう言う。
 「その猫は、半分生きて、半分死んでいる」
 つまり、「二つの状態の重ね合わせにある」と。── これがコペンハーゲン解釈だ。

 ──

 実際には、上の話は、比喩になっている。現実の猫は、
 「その猫は、半分生きて、半分死んでいる」
 ということはありえない。(そういうふうにして、「その問題はナンセンス」と回避することが可能。これはこれで、一応、パラドックスは回避できている。「ミクロの事柄はマクロには当てはまらない」というふうに。)

 だが、本質的な問題は、まだ回避されていない。量子については、どうか?
 「一つの量子が、Aでもあり、Bでもある」

 ということは、あるのだろうか? 
 コペンハーゲン解釈は、「ある」と答える。それが「重ね合わせ」という概念だ。
 このように「重ね合わせ」という概念を取るのが、コペンハーゲン解釈の本質だ。
 こうして、「コペンハーゲン解釈とは何か」という質問には、上記のように説明された。



 【 補説 】

 「コペンハーゲン解釈とは何か」
 ということは、コペンハーゲン解釈の立場からは、上記のように説明される。ただし、これでは、「自分で自分を説明する」というわけだから、物事の本質はわからない。物事の本質を知るには、コペンハーゲン解釈の外から見るといい。つまり、コペンハーゲン解釈を否定する立場から。
 以下では、コペンハーゲン解釈を否定する立場から論じよう。(私の立場。)

 ──

 コペンハーゲン解釈というのは、「重ね合わせ」という原理を取る。しかし、これは、根本的におかしい。それは論理学的には、
 「Aかつ非A」
 という状態、つまり、矛盾という状態であるからだ。つまり、コペンハーゲン解釈というのは、論理学における「矛盾」を「重ね合わせ」と呼び替えているだけだ、というふうにも見なせる。(まったく同じではないが。)

 「矛盾」では、Aと非Aがどちらも完全に成立する。
 「重ね合わせ」では、Aと非Aがどちらも半分ずつ成立する。
  ( ※ 比率は、半分すつとは限らないが、それはどうでもいい。)


 このようなことを主張するコペンハーゲン解釈というのは、論理的にいい加減すぎる、と見なせる。それが物理学者シュレーディンガーの批判だった。そして彼は「シュレーディンガーの猫」という問題を取り出して、「重ね合わせという発想は、生と死の共存だろ、変だろ」と指摘したのだった。(他の人々には、蛙の顔にションベン、だったが。)

 ──

 しかし、私はもっとシンプルな形で、「重ね合わせ」という概念の問題を示した。それは、「回転するコイン」だ。
 回転するコインを見て、どう考えるか? 次のようになるだろう。
  ・ コペンハーゲン解釈 …… 「裏」と「表」の重ね合わせだ。
  ・ 当り前の解釈   …… 「裏」でも「表」でもない「回転状態」だ。

白コイン黒コイン
 裏表という二つの状態
 の「重ね合わせ」  
 
回転コイン

 回転している。    
 上半分では、表または裏のどちらも成立しうるが、同時に双方が完全に成立することはない(i.e. 矛盾していない)。ただし、半分ずつ成立している。(i.e. 重ね合わせ状態にある。)
 下半分では、表または裏のどちらもまだ成立してない。(未決定である)……ここでは、コインは、倒れずに回転している。「表で倒れているか、裏で倒れているか」と尋ねられたら、「倒れていないから、どちらでもない」と答えるしかない。
 ──

 コペンハーゲン解釈は、明らかにおかしい。
 たとえば、回転するコインにコップをかぶせる。その状態では、どちらであるともわからない。やがて、コップをはずしたときに、裏表が判明する。これについて、どう解釈するか? 

 コペンハーゲン解釈は、こう説明する。
 「コップをはずしたときに、観測した。観測したときに、重ね合わせの状態がほぐれた。その直前まで(コップをはずすまで)は、裏と表の重ね合わせの状態にあったのだ。そして、観測が状態を決定した」


 しかし、通常の解釈ならば、こう説明する。
 「最初のころは、コインは回転状態だった。その後、コインが倒れて、裏表が決定した。ただし、決定はしたが、判明はしていない。そのあと、観測すると、状態が判明した。……ここでは、決定と判明とは異なる。決定について観測は関係ない」


 このように説明するのが、私の立場だ。つまり、「超球理論」の立場だ。(そこでは、「コイン」のかわりに「量子」が回転している、と見なす。)

( ※ この点については、「「重ね合わせ」とは何か?」というページで詳しく説明している。)

 ──

 コペンハーゲン解釈の立場と、超球理論の立場とは、次のような対比でも示される。
  ・ コペンハーゲン解釈 …… 赤と青の重ね合わせ
  ・ 超球理論の解釈    …… 細かな赤と青の交代


 これについては、次の図のように示せる。

   《 理論的な状態(中間値) 》

     ━━━━━━━

   《 コペンハーゲン解釈 》

     ━━━━━━━
             +
     ━━━━━━━

   《 超球理論の解釈 》


         
     



 以上の図についての詳しい説明は、次の箇所に記した。
   → シュレーディンガーの猫の核心 (その後半)

( ※ ここでポイントは何かというと、「超球理論」の発想を取れば、ごく普通に物理学的な解釈だけで済む、ということだ。「重ね合わせ」という、奇妙な哲学的 or エセ論理学的な発想は必要ない。コペンハーゲン解釈は、「重ね合わせ」というへんてこりんな新概念を導入したが、そんなものはなくても済むのだ。あくまで科学的に考えることができる。)



 【 注記 】

 本項では、「コペンハーゲン解釈とは何か?」という問題に限って、基本的なことだけを述べた。
 もっと詳しい話は、「重ね合わせとは何か?」「波動関数とは何か?」という問題を探りつつ読むといい。
 この問題は、他の問題と深く関係しているから、「コペンハーゲン解釈とは何か」という問題だけを読んで解決するわけではない。それはあくまで、問題への入口だ。比喩的に言えば、「電気とは何か?」「重力とは何か?」という大問題について、古典的な古い解釈を一つだけ紹介したようなものだ。
 その古臭い解釈を一つだけ知っても、物事の本質を理解することはできない。物事の本質を理解するには、学問的に広く理解する必要がある。
 「コペンハーゲン解釈とは何か?」という問題は、大きな問題への入口にすぎない。入口だけをよく知っても、物事が解決するわけではない。
 この問題を真に解決するには、「量子力学とは何か?」ということを探る必要がある。
 ただ、それでも、「コペンハーゲン解釈とは何か?」という質問について、「重ね合わせを原理とする解釈だ」というふうに知っておくことは役に立つ。
 比喩的に言えば、「天動説とは何か?」という質問に答えるようなものだ。そこに真実はないとしても、歴史的にどういう問題が論じられていたかは、知っておくと有益だろう。(科学史的に。)

 ともあれ、本項はあくまで、とっかかりだ。詳しい話は、先にも示したように、次のページを参照。
  → 「重ね合わせ」とは何か?
  → シュレーディンガーの猫の核心



 [ 補足 ]
 コペンハーゲン解釈がどうして「重ね合わせ」という奇妙な概念を取ったか? ……という問題もある。これについては、次のように答えることができる。
 「コペンハーゲン解釈は、あくまで粒子説に基づいたからだ」
 粒子説に基づく限り、AとBという二つの状態の混在を見たときに、
   「1個のAと1個のBの重ね合わせ」
 というふうに解釈するしかない。
 しかし、「粒子説」を否定して、「場の量子論」の発想を取れば、その必要性はない。そこでは「1個の粒子」という発想は成立せず、「場」という発想だけがある。
 つまり、「場」という発想を取れば、もはや「重ね合わせ」という概念は必要ないのだ。

 換言すれば、コペンハーゲン解釈が誤ったのは、あくまでも「粒子説」にこだわったからだ。本来ならば、「場」の発想を取れば良かったのに、あくまでも「粒子説」にこだわった。「一つの量子は一つの場所に局在する」(粒子である)という説にこだわった。そのせいで、「一つの粒子が複数の場所に存在する」という「重ね合わせ」という解釈を取るようになった。…… もともと「場」という解釈を取っていれば、そんな奇妙な解釈を取る必要はなく、普通の科学だけで済んだのだが。


( ※ 「場の量子論」と「粒子説」の比較は前述。
   → 量子論の根源問題
( ※ 「場」についてのモデルは、下記にある。
   → 玉突きモデル )



 【 参考サイト 】


 → ようこそ量子 ( 根本香絵)
     「重ね合わせとは何か」を、超初心者向けに説明する。
      筆者は女性物理学者。Kae 博士がカエルで解説。

 ( ※ なお、これはあくまでコペンハーゲン解釈による説明だ。
     超球理論では、そういう説明はしない。「回転状態」を
     「裏と表の重ね合わせ」というふうには説明しない。)



 【 関連項目 】

 本項の続編のような話がある。下記。

  → コペンハーゲン解釈の破綻

 ※ コペンハーゲン解釈が理論として破綻していることを示す。
posted by 管理人 at 12:32| Comment(2) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
量子力学に関係するか解らないのですが。

1980年代末フィーバーした常温核融合が、近年再び注目を集めはじめている様です。

最近のガソリン高や環境対策としてエネルギー問題の究極の解決策と不況対策のグリーンニューディールの一環としての常温核融合に大量の財政の投入は無駄つかいになるのか?

熱核融合も膨大な予算でまだ実験段階でありますが常温核融合実用化はとんでもない事でしょうか是非一度取り上げて解説して頂きたいと思います。

ご参考
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page273.htm
Posted by 一読者より at 2009年01月11日 19:38
常温核融合の項目は別にあります。左上の欄で、サイト内検索すれば見つかります。記述済み。

まともに研究もしていないので、実用化云々以前。
Posted by 管理人 at 2009年01月11日 19:50
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