( ※ 本項では、英米の道について述べる。独仏については知らないので言及しない。)
高木浩光のサイトで、次のことが指摘されている。
「米国の住宅街では、前庭ではなくて、建物の裏側にも、狭い道がある。米国のストリートビューでは、この道を通ってストリートビュー画像を撮影することはない」(大意)
さらに、次のように述べている。(引用)
「こういった道が、他の住宅街を見ても同様に存在している。米国ではかなり確立された住宅様式のようだ。」
「これが米国で何と呼ばれる道であるか知らない。私道といえばそうなのだろう(地図には掲載されていない)けども、きっとこれを指す名称があるに違いない。とすれば、このことは、米国では私道と公道がこれほどまでに明確に区別されていることを表すものとも言えるのではないか。」
このうち、前者は正しいが、後者はピンボケだ。そのことを以下で説明する。
──
(1)
「こういった道が、他の住宅街を見ても同様に存在している。米国ではかなり確立された住宅様式のようだ。」
これは正しい。ただし、米国だけでなく、英国にも共通する。その意味で、東部のイギリス移民の多い地方では成立するが、南部や西部のラテン系移民(有色人種)の多い地域ではそれほどでもない。あくまで英国文化に由来すると考えた方がいい。
なお、これは、私の記憶に従う。そういう話を読んだ覚えがあるが、手元に資料があるわけではないので、少しズレているかもしれない。
ともあれ、こういう住宅様式が確立されているという点は、(地域や階層がいくらか限定されるにしても)おおむね正しい。
ただし、確立されているとしても、普及しているというほどではない。このような住宅様式の基本は、各戸間でつながった裏庭( backyard )があることだ。そして、裏庭をつらぬく通路( backyard alley )があるかどうかは、一概には言えない。たいてい、ない。この通路があってもいいのだが、ないことの方がずっと多い、と言える。
(2)
「これが米国で何と呼ばれる道であるか知らない。私道といえばそうなのだろう(地図には掲載されていない)けども、きっとこれを指す名称があるに違いない。とすれば、このことは、米国では私道と公道がこれほどまでに明確に区別されていることを表すものとも言えるのではないか。」
これはかなり本質からはずれた認識である。そこで、説明しよう。
まず、英米の「道」という概念は、日本の「道」という概念とまったく異なる。
日本では「住宅地」「商業地」などが先にあり、その間を「道」が通っている。
英米では先に「道」があり、その両側に「住宅地」「商業地」などがある。
要するに、主従の関係が逆である。したがって、番地の付け方も、まったく異なる。
日本では、住宅地のブロックを先に取って、そのブロックのなかで、順々に番号付けする。(各戸に)
英米では、道を先に取って、その道の両側で、順々に番号付けする。(各戸に)
日本の考え方だと、住宅地に対して、道がある。道は、公道と私道との二種類がある、と思うようになる。
英米の考え方だと、道に対して、住宅地がある。道は公的なものであり、そこを誰もが通れる。一方、住宅地の裏側にあるのは、道ではない。そこは「通路」みたいなものである。たまたままっすぐになって、通り抜けができるようになっているが、外部の人々が通ることを前提としていない。そこは「住人たちの共有空間」であって、第三者は関係ないのだ。
比喩的に(日本になぞらえて)言うと、ここは、日本の「マンションの通路」に相当する。ここを第三者が勝手に通ることは許されるはずがない。
( cf.日本における通路の扱いについては
→ Google and Me ブログ「ストリートビューと住居侵入罪」)
このような通路は、「私道」と言えば言える。ただし、むしろ、「道ではない」と思う方が妥当だ。つまり、「通路である」「細長い裏庭である」「住民の共有スペースである」というふうに認識するべきだ。
高木氏は、「日本の私道に相当する」ととらえて、「米国のストリートカーは私道に入らないが、日本のストリートカーは私道に入る」というふうにとらえているようだ。
しかし、それはちょっとピンボケである。日本の私道は、必ずしも立ち入り禁止ではない。ただの所有権の問題にすぎない。むしろ、「袋小路の家に対しては、私道を通り抜ける権利を与える」というふうに、私道の権利を制限することもある。(私道の公共性を認める。)
どうせたとえるのであれば、「私道か否か」よりも、「通路か否か」で考える方がいい。たとえば、多くのマンションが林立する団地ふうの場所がある。そこで、マンションとマンションの間に、狭い通路があることもある。そこにストリートカーが侵入するのは、とんでもないことだ、と言えるだろう。そういう問題だ。
一方、同じようでも、マンションが林立する団地ふうの場所の周囲は、かなり公共性があるので、そこがたまたま私道であったとしても、「そこは私道だから侵入するのはけしからん」と大声で非難するほどのことではない。
要するに、「道の所有権がどうなっているか」ということはあまり重要ではなく、「その道ではプライバシー性が高いか」(住民のための閉じた空間であるか)ということが問題となる。
その意味で、「私道か公道か」にこだわる認識は、いささかピンボケと言えるだろう。大事なのは、道の所有権ではなく、プライバシー性なのだ。
( ※ 私道と言えば、都市再開発された駅前繁華街で、店舗の前の道が拡幅されていることがある。そこは、もともとは狭い公道があるだけだったのだが、店舗が奥に後退したので、歩道が広くなっている。とはいえ、その歩道は、もともとは店舗の土地であり、私道として扱われる。それでも、その私道を、多くの通行人が通る。……ここで、「私道を第三者が勝手に通るのはけしからん」と怒鳴りちらしても始まらない。そこはたとえ私道であっても、公的な場所だから、誰でも通っていいのだ。……このように、私道か否かよりも、別の観点から公共性が判断される。)
[ 付記 ]
高木氏は次のように結論する。
「日本のストリートビューはこの道にまで入り込んで撮影しているようなものだと説明すれば、アメリカ人にも日本での不快感が理解されるのではないだろうか。」
この結論は、ちょっと微妙である。
第1に、感覚的には、まさしくその通り。日本人が感じる気持ち悪さは、その通りだ。
第2に、法的には異なる。通路を通るわけではなく、公道上を通るからだ。
この違いがどうして生じるかといえば、両国の国情が違うからだ。米国では広い公道と、狭い通路とがある。日本では、狭い公道ばかりがある。日本の狭い公道を「米国の狭い通路のようなものだ」と表現するのは、感覚的には正しいとしても、ちょっと誇張気味だ。正確なたとえになっていない。詐欺的な誇張とも言える。
だから、上のたとえを語るにしても、「感覚的にはそういう感じですよ」というふうに、留保をつけた方がいいだろう。(「誇張している」と文句を言われないために。)
【 注記 】
本項は、私の記憶に従って書いたことだ。もちろん、学術的な文書ではない。また、専門家の解説でもない。部分的に不正確なところがあるかもしれない。
「百科事典ふうに立派な根拠のある有料文書」
だとは思わないでほしい。単に、
「何も知らない人々のために、初歩的な情報を提供する」
というだけのことだ。したがって、重箱の隅を突ついて、
「ここが不正確だぞ! おまえはトンデモだ!」
と騒がないでほしい。日本には、そういうふうに騒ぐ連中が多すぎるので、念のために注釈しておく。
もし不正確な点があれば、コメント欄に指摘を記述してほしい。謹んで承ります。
【 追記 】
本質的に言えば、私道か公道かは、どうでもいい。
第三者が私道に入っても、特に問題ない。また、第三者が私道で撮影しても、特に問題ない。問題なのは、私道で撮影して、その画像をネットで公開することだ。
( ※ この件は、前にも述べた。 → ストリートビューと住居侵入罪 )
私道かどうかが問題になるのは、次の点だけだ。
「公道上で撮影するのだから、撮影して公開してもいいはずだ」(*)
Google はこう論じて、自己正当化する。しかし、その論拠自体が正しくないのだ。たとえ公道上で撮影するのであれ、プライバシーを侵害してはならないのだ。公道か私道かなどは、どうでもいい。
なのに、公道か私道かを論じるのでは、Google の土俵に乗ってしまっている。それでは、(*)という Google の言い分を認めてしまったようなものだ。それでは困る。
とにかく、プライバシー侵害があるかどうかだけが問題だ。公道か私道かなどは、どうでもいい。相手の土俵の乗るべきではない。物事の本質のみを論じるべきだ。
【 関連項目 】
ストリートビューについての海外の論調を紹介する。
→ 「ストリートビューと海外の論調」
( ※ 海外ではストリートビューのプライバシー侵害はどう論じられているか、という話題。英文)
タイムスタンプは下記 ↓
という高木氏の推測については、次のように答えよう。
「 backyard alley 」
検索するにはハイフンを付けて backyard-alley で検索すればよい。
画像を知りたければ、そのまま検索してもいいが、flickr で 「 backyard alley 」を検索してもいい。これだ。
http://www.flickr.com/search/?ss=2&ct=6&w=all&q=backyard+alley
(1) 次の引用文があった。
「住宅の前に前庭、歩道、並木、そして道路。裏手は裏庭、そしてアレィ(alleys)とよばれる裏通り。これがアメリカの都市の基本の区画割りである。」
これは、正しくない。backyard はあっても、backyard alley はないことの方が多い。このことは、Google マップを見れば一目瞭然なのだが。
もともとのイギリス式では、backyard は各戸に共通的な裏庭であって境界はないのだ。alley を付けるのは、あとからできた変形にすぎない(ようだ)。alley があるのを基本と見なすような記述は、正しくない。それが成立しない例(反例)は、山のように見つかる。
なお、高木氏は引用元の文章と写真をちゃんと見るべきだった。引用元で示されているのは alley である。トラックの通れるような幅広い裏通りだ。これは、高木氏が示した狭い通路( backyard alley )とは違う。
(2) 次の記述があった。
「グーグル株式会社なら確実に進入していそうな道ばかりなのに、やはり入っていない。 …… 地図には道路として(白い道で)示されているのに進入していないところがかなり多くあった。どういう基準なんだろうか。」
これは別に、不思議ではない。日本の都会だって、ストリートビューがない道はたくさんある。(あとで削除されたとも思えない場所。住宅地などではないのに、掲載されない。しかも、一括して、通り全体がない。)
例。御茶ノ水駅の西方 300メートル。また、その少し南西。(後者はちょっと私道っぽいが。)
その他、都心でも、ストリートビューがない道は、ところどころで散見される。
特に、秋葉原の末広町の東側は、かなり広い一帯で、ストリートビューがない。
さらに言えば、新宿駅の西口の北側は、広い範囲に渡ってまったくストリートビューがない。大きなホテルの前さえ、ないのだ。このあたり一帯を怖がって避けている、という感がある。
あらためて調べたら、もっとおかしなことがわかった。ストリートビューだけでなく、地図そのものが欠落した感じなのだ。初期画面の縮尺か、ちょっと拡大した縮尺では、このあたり一帯の道路が欠落している。たとえば、(蒲田駅の北側の)「おなづか小」や「大森高」の周辺の道路がまったく表示されない。
不思議に思った。そこで、縮尺を拡大して表示すると、ようやくたくさんの道路が表示されるようになる。
つまり、道路情報が欠けているわけではない。なのに、ある程度の縮尺では(特にストリートビューで使いたくなるような縮尺では)、道路がまったく表示されなくなっているわけだ。
これでは、実用上からも、不便だろう。
ちなみに、Yahoo と livedoor の地図では、こういう変なことはなかった。
これはどういうことかというと、国土が広すぎて、撮影箇所があまりにも多大になるので、細かいところまではいちいち通っていられない、ということなのだろう。
これは、データ量がどうのこうのというよりは、撮影の人件費の問題だろう。
もう少し言うと、たとえ細かなところを撮影しても、そんなストリートビューを見る人はいないから、無駄なことにコストをかけない、というわけ。
つまり、コスト・パフォーマンスの問題。プライバシーの問題ではないですね。(私が経営者だって、同じ判断をする。無駄金をかけて無駄情報を集めても無意味。)
その意味で、「私道だからストリートビューが撮影しない」という高木氏の判断は、米国 Google を買いかぶりすぎている。米国 Google がそんなに善良なはずがないでしょう。ただの金儲けのための会社ですよ。単にコスト・パフォーマンスで考えているだけ。「善人だから」なんて思ない方がいいだろう。