「Why?」という質問に対して、「How many?」への回答をする人がいる。「なぜそうなるの?」に対して、「これこれの値になります」と答える。
トンチンカンな回答だが、工学系の人には、こういう回答をする人が多い。 ──
この世界には、さまざまな謎(に思えること)がある。特に、初心者には、多くのことが謎に思えるだろう。そこで「なぜ?」と質問する。
ところが、これに対して、「これこれの値になります」というふうに、数値的な量で答える人々がいる。それで答えたつもりになる。
これは、工学系の人々には、典型的に見られる態度だ。また、実験畑の人にも、しばしば見られる。
例1。
「量子力学で、量子はなぜそのようにふるまうのですか?」
「実験の予測と結果が合致すれば、それでいいんだ。もし合致すれば、その理論は正しいことになる。これが科学的態度というものだ。……だから、なぜという理由なんか、わからなくたっていいんだ。原理や真理なんか、どうでもいい。科学で大切なのは、真理じゃない。(数値だけだ。)」
例2。
「トヨタの車は、どうして売れるんですか?」
「売れる理由なんか、どうでもいい。とにかく売れればいいんだ。売れる分、どんどん作ればいい。さあ、トヨタは、車をどんどん増産しよう!」
( ※ しかし、その後、トヨタの車は売れなくなり、トヨタは大赤字になった。「本当はバブルで売れたせいだった」という理由を考えなかったせい。真実を知らないで、数値だけにとらわれた結果。)
例3。
「飛行機は、なぜ飛ぶのですか?」
「なぜという原理なんか、どうだっていい。渦理論を使えば、飛行機にかかる圧力についてはちゃんと計算できる。その計算値が合っているのだから、それでいいんだ。原理なんか、どうだっていい」
( → 「飛行機はなぜ飛ぶのか」の 【 追記8 】 で詳しく説明した。
──
素人はしばしば、
「なぜ?」
と質問する。それは、
「何でも考え、何でも知って」
というケペル先生の教えにかなう。
しかし、知ったかぶった半可通(半専門家)は、「なぜ?」という質問を「どれだけ?」というに誤読して、「これだけ」と答える。それで、答えたつもりになっている。
「何でも考え、何でも知って」
という態度をもつことは、大切だ。専門家は、ともすれば、
「何でも知っているつもりになる」
だけであり、その結果、
「自分では何も考えないで、教科書の知識を理解するだけ」
となりがちだ。
彼らの多くは、「Why」と「How many」とを、勘違いしてしまうのだ。「How many」だけを知って、「Why」を知らない。初心を見失うせいで、かえって落とし穴にはまりこむ。
[ 付記 ]
「How many」と書いたが、「How much」「How long」「What」などの方が適切なこともある。英語と日本語とでは、ズレがある。
【 追記 】
余談だが、本項で述べたことは、「マークシート世代」(前項)と関係があるかもしれない。
マークシートでは、次のようになる。
「論理や思考の過程は、どうでもいい。結果としての数値だけが合っていればいい」
こういう教育が身についてしまう。そうなると、「なぜ?」よりも「どれだけ?」という数値だけを重視する思考法になってしまう。
日本の教育から必然的に、半可通の人々が大量生産されているのかもしれない。
( ※ 「思考訓練の場としての英文解釈」が珍書になってしまう、というのが日本の現実。最も正統的なものが、最も傍流になる。そういう現実がある。)
( ※ 最近の「英語で英語教育」というのも、同じかもしれない。実用性ばかりを考えて、思考力を養うという教育の本質を忘れてしまっている。「英語を話せればいいのさ」という発想で、無意味な英語をしゃべるだけの空っぽな馬鹿を大量生産しようとしている。)
【 関連項目 】
具体的に詳しい例を示す。
→ 「飛行機はなぜ飛ぶのか」の 【 追記8 】
2008年12月27日
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