2008年12月11日

◆ ケペル先生の教え

 昔、NHKの「ものしり博士」という番組で、「ケペル先生」というのが登場した。そこでは次の言葉が流れた。
 「 ♪ 何でも考え 何でも知って 何でもかんでもやってみよう 」

 ここから科学的な教訓が得られる。 ──

 この番組は、子供向けの教養番組。
 ケペル先生は、そこに登場して、あれこれと知識を教えてくれる。
 詳しくは、下記。
  → ケペル先生の紹介サイト

 顔は、前期と後期がある。上記は、後期タイプだが、前期タイプもある。
  → 画像説明

 後期だけなら、動画を見ることもできる。
  → YouTube

 ここで耳に残る印象的な言葉は、次の言葉。
 「 ♪ 何でも考え 何でも知って 何でもかんでもやってみよう 」

   → http://jo.at.webry.info/200601/article_16.html

 ──

 さて。本項は別に、「懐かしのテレビ番組」の話をしたいわけではない。上記の印象的な言葉を、取り上げたい。

 私はこの言葉が大好きだった。興味津々になって、本当に「何でも考え 何でも知って」というのをめざすようになった。図鑑や科学事典などをたくさん読むようになった。のちには百科事典をたくさん読むようになった。
 とにかく、「なぜ?」と考えて、物事を知ってみたくなった。幼児のころの体験というものは、大きく影響するものだ。

 ただ、子供なので、「何でもかんでもやってみよう」というわけには行かなかった。それでも、学研の「科学」という雑誌を買ったりして、いろいろと実験みたいな工作をやってみようとしたものだ。

 ──

 以上は、前フリ。このあとで、本題に入る。
 いまの大人は、どうだろうか? 一番多い見解は、次の見解だ。
 「専門家の意見を尊重する」


 これは、逆に言えば、次のことを意味する。
 「偉い人が言ったなら、それをそのまま信じる。人の言うことを、そのまま鵜呑みにする」


 つまり、こうだ。
 「偉い人が言ったなら、それを真実だと思い込んで、知ったつもりになる。それに反することを、信じない。自分では何も検証しないで、単に偉い人が言ったから、という理由で、それを信じる」


 これは結局、こういうことだ。
 「自分では考えない。自分の頭を使わない。他人の言ったことだけを信じる。それで、知ったつもりになる」


 しかし、これでは、知ったつもりにはなっても、知ってはいないことになる。「自分は知っているぞ」と自惚れるが、実は、何も知っていないのだ。言葉を知っているだけで、事実を知っていないのだ。

 こういう態度は、次のように言える。
 「他人に考えてもらい、他人に知ってもらい、他人にやってもらう。その結論としての言葉だけを知る」
 「(自分では)何にも考えず、何にも知らず、何もかもやってみない」

 つまり、ケペル先生の教えと反対だ。そして、それが、多くの大人のやる態度だ。
 常識的な大人というのは、そういうものである。未知の真実を探ろうというより、既存の知識を頭に詰め込んで、それを真実だと思い込むだけだ。

 ──

 具体的な例は、次のことだ。
 「アリストテレスが、『天は Earth のまわりを回転する』と言った。だから、天動説を否定する地動説など、正しくない」
 「量子力学の偉い人が、『宇宙は対称的だ』と言った。だから、『対称性の破れ』など、ありえない」
 「常温核融合は、学界の主流派に認知されていない。だから、『常温核融合の現象』など、ありえない」
 「ナノバブル水なんて、学界の主流派に認知されていない。だから、『ナノバブル水に殺菌効果がある』ということは、ありえない」

 これらの例では、常識的は大人は、頭のなかの知識にこだわるせいで、事実そのものを否定するようになる。「頭のなかの知識が正しいのだ。ゆえに事実が間違っているのだ!」と。

 ──

 ひるがえって、ケペル先生みたいなことをやった人々もいた。
  ・ ガリレオは自分の望遠鏡で天体を観察した。何でもやって、何でも知ろうとした。
  ・ 南部陽一郎や、小林・益川は、「対称性の破れ」が起こるという可能性を考えて、従来の枠組みの外に踏み出した。
  ・ 常温核融合の現象を探る人々は、ごく微量ながら、常温核融合の現象を実験的に見出した。
  ・ ナノバブル水を調べる人々は、とにかく実験してみて、その殺菌効果(癌の抑制効果)を確認した。

 これらの例では、頭のなかの知識にこだわらないので、事実そのものを虚心坦懐に直視するようになる。

 ──

 結論。

 科学の進歩とは、未知の領域に踏み出すことだ。そのためには、従来の知の枠組みから踏み出すことが必要になる。
 しかし、たいていの人々は、自分では考えず、他人の考えを学ぼうとするだけだ。そういう人々は、自分の知識とは異なる知識を呈示されると、「トンデモだ」と騒ぐのだ。

 どんな分野であれ、フロンティア(最前線)の領域では、真偽は判明していない。真偽が判明していないときに、真偽を判明させようとするのが、研究者の仕事だ。
 一方、たいていの人々は、「研究とは何か」ということを理解しない。彼らは単に「役立つ知識を教わりたい」と思うだけだ。
 だが、そこで知るのは、真の「知識」ではない。知識という名の言葉だけだ。言葉の上で情報を知っているだけで、実際には事実を知っていないのだ。
 そして、そういう人々が、自分の知っている言語情報とは異なる事実を突きつけられると、矛盾に直面して、あわてふためいて、事実の方を「間違いだ」「トンデモだ」と非難するのである。



 ※ 以下は、誤読する人についての解説。特に読まなくてもよい。

 [ 付記 ]
 世の中には、「ナノバブル水とは何か」「常温核融合とは何か」も知らないまま、それを「トンデモだ」と決めつける人々が多い。彼らはたぶん、子供のころ、ケペル先生の教えを聞かなかったのだろう。
 教科書の知識を言葉として覚えることだけに熱中して、現実の事実を知ろうとしない。そういう受験勉強みたいなことばかりを、彼らはやっていたのだろう。秀才というタイプには、そういう人々が多い。事実を知るよりは、テストの点数だけを上げたがるタイプ。

 こういう人々は、やたらと攻撃的になる。自分よりも劣る人を見出して、しきりに攻撃しようとする。優秀な人間ならば、無知な人々に「教えてあげよう」と思うものだが、半分だけ優秀な人間ならば、無知な人々を見てやたらと攻撃的になる。
( ※ こういうふうに攻撃的な人々は、おそらく、傷ついた幼児体験があって、トラウマになっているのだろう。かわいそうに。やたらと攻撃的な人々には、同情してあげてください。)
( ※ 自分がそういう攻撃的な人間だと自覚した人は、心理的なカウンセラーにでも行って、セラピーを受けるといいでしょう。……ただし、ケペル先生のところじゃありません。  (^^); 

 


 【 追記 】
 本項にリンクした人で、あまりにもひどい誤読が散見されるので、解説しておこう。( ※ 特に読まなくてもよい。)

 本項の趣旨は、次のことである。
 「学界の主流派の意見を、天下り的に鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えよう」

 一方、これを誤読すると、次のようになる。
 「学界の主流派の意見を否定して、傍流の意見(反主流派の意見)を信じよう」

 つまり、本項は、「AかBかを自分の頭で考えよう」と述べている。ここでは、「Aではない」というふうに語っているのではなく、「自分の頭で考えよう」と語っているのだ。
 なのに、これを誤読して、「Aが駄目だからBだ」と述べている、と解釈する人がいる。つまり、「頭ごなしにAを信じるかわりに、頭ごなしにBを信じよう」と述べているのだ、と解釈するわけだ。
 ひどい誤読だ。何たる国語力。日本人の言語力の低下は、麻生首相だけではないようだ。けっこうまともな人でさえ、ここまでひどい誤読をするようだ。

( ※ 実は、こういう誤読があるということは、「ナノバブル水」のところでも説明しておいた。しかし、説明しても、理解できないようだ。どうしても誤読しないと、気が済まないらしい。……これはもう、国語力の低下というよりは、知性ないし痴性の問題であるようだ。あるいは、自分の妄想に執着する神経症。日本にはこういう人が、けっこういるんですね。)




  【 後日記 】
 ※ 以下も、特に読まなくてもよい。

 あちこちからリンクを受け、また、メールももらったのだが、大別して、次の二つに分かれると判明した。

 (1) 「こいつはトンデモだ」という批判。ただし、内容は次のいずれか。
  ・ 誤読
  ・ 無知
 つまり、論じている対象については、素人同然の無知。物理化学的な知識は「少ない」どころか「皆無」の人が多い。うろ覚えの知識のまま、最先端分野の知識を「トンデモだ」と批判するわけ。

 (2) 「同意」という賛同。その経歴は、同じ分野における最先端を歩む研究者。業界の研究職など。
 こういう人は、業界にあふれている凡庸な見解に日ごろ辟易しているので、同意できるらしい。また、業界にある凡庸な見解の難点も、常に理解しているらしい。そこで、私のサイトの内容も、ちゃんと理解できるようだ。

 ──

 としたら、素人の喚く批判には、いちいち耳を傾けない方がいいようだ。どうせ素人には何もわからないのだから。というか、自分で調べることもしないで、何を論じているかも理解しないで、単に頭ごなしに批判するだけの人が多いようだ。
 つまり、ケペル先生とは正反対の「石頭」が世間には多い、ということですね。とすれば、やはり、ケペル先生の教えは、大切であるようだ。
 



 【 関連項目 】
  → 常温核融合
  → ナノバブル水 (コメント欄)
 
  → 間違える勇気 (本項の続編。重要。)
posted by 管理人 at 23:04| Comment(7) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の覚えているケペル先生は、顔は後期で、メガネはかけていない、というもの。服装は白衣。

覚えている人、いませんか?
Posted by 管理人 at 2008年12月12日 00:06
本項の趣旨に似たことは、論語にもある。
 「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」
 つまり、学ぶだけじゃ駄目で、自分の頭で考えよ、と言っているわけだ。

 ただし、これを誤読して、次のように解釈する人もいる。
 「思うだけで学ばないのは、全然ダメでしょ」

 何言っているんだか。誰もそんなことは言っていないでしょ。むしろ孔子は、こう言っている。
 「思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。」

 ただ、これは、当り前のことだから、普通は人々の口に上らない。最初の言葉だけが口に上る。
 とはいえ、半可通の人々は、最初の言葉を見ても、変に曲解して、「学ぶことは大切だ!」と大騒ぎするわけだ。それが反論になっていない、と理解しないまま。
 自分の頭で考える能力がない人々は、他人の意見を聞いても、誤読することしかできないものだ。

(そう言う人々は、誰でも知っている常識を主張して、それをあたかも自分の独自の主張であるかのように語る。……そんな常識、誰だって知っているのだ、ということがわからないようだ。「わかりきったことは書かない」というポリシーを理解せず、「わかっていないから書いていない」と曲解するわけ。……2ちゃんねらーふう。文句を言うのが趣味。)
Posted by 管理人 at 2008年12月13日 15:03
「自分の頭でよく考えろ」は、問題になる場合もあるということを書いたことがあるので、参照してみてください。管理人さんはこの問題に嵌っていると思います。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080516/p1
Posted by lets_skeptic at 2008年12月15日 16:25
>  「自分の頭でよく考えろ」は、問題になる場合もある

 別に、今さら言わなくても、わかっています。昔から、次の言葉があります。
 「下手な考え休むに似たり」

 本人が「自分の独自の考え方だ、すごい発見だ」と思って、大々的に主張してみたのだが、実は、その考え方は、とっくの昔に諺で示されていたことにすぎなかった。……そういうことかな。  (^^);

 一般に、考えてみること自体は、別に、悪いことではありません。少なくとも、他人の言うことを盲目的に信じるよりは、ずっといい。世間の大多数はそうですから。
 とはいえ、考えた結果が、「下手な考え休みに似たり」となる人も多いでしょう。しかし、それは、別に有害でも何でもない。たとえその結果が、トンデモな結論になって、世間から受け入れられないとしても、そのこと自体は特に有害ではないでしょう。

 有害だとしたら、トンデモな主張をする人自身がいるではなく、トンデモであることを盲目的に信じる人がいるからです。たとえば、アガリクスなどが問題なのは、それを主張する人がいるからではなくて、それを盲目的に信じる人がいるからです。

 世間には変な考え方をする人はいっぱいいます。そういう人たちを撲滅するために、「言論の自由を廃止せよ」と主張するよりは、「変な考え方に惑わされないように注意しよう」と啓蒙する方が妥当でしょう。
 また、世間には迷信がたくさん出回っていますが、その迷信をもつ日本人という民族を撲滅するとか、過去の歴史を撲滅するとか、迷信を信じる老人や素人を虐殺するとか、そういうことをするよりは、「迷信を信じるな」というふうに、人々を啓蒙する方が妥当でしょう。
 問題は、トンデモな主張自体にあるのではなく、それを盲目的に信じる人々の無知にあるのです。
 
 以上のことからわかるはずです。
 「下手な考えをする人がいくらかいるから、自分の頭で考えるのをやめよう」
 という主張は、それ自体がトンデモです。あまりにも風変わりな異端の説であり、かつ、世間にとって有害です。
 そういう変人に対して、罵声を浴びせて攻撃するべきか? 「イエス」と答える人もいるでしょう。
 しかしながら、そういうことは、私はしません。私は、その人を攻撃するかわりに、世間を啓蒙します。「そういう変人の言葉にだまされるな」と。
 その点で、ギャーギャーと噛みつく人々と、私とは、まったく立場を異にします。

 「下手な考え休むに似たり」
 ということは、確かにあります。しかしながらそれへの対処は
 「何も考えるな」
 ではなくて、
 「上手に考えよ」
 ということなのです。

 「自分の頭で考えよ」
 という主張に対して、
 「『自分の頭で考えさえすれば、それだけで万事オーケーだ』ということはないぞ。だから、自分の頭で考えてはならない」
 と反論するのは、曲解のあげくの、トンデモな見解でしょう。そもそも、相手の話を、まるきり理解していないことになる。論点が食い違いすぎる。トンチンカン。

( ※ 物事の核心を理解しようとしないで、揚げ足取りをしようとすると、そういう陥穽に陥る。……小林秀雄を学んで、「物事の核心を知ろう」としてみて下さい。「他人を攻撃しよう」「欠点を突こう」「揚げ足取りをしよう」とばかり考えると、核心から逸れていくばかりです。人生の無駄遣いになります。おまけに、恥をさらすだけ。)
Posted by 管理人 at 2008年12月15日 17:19
「下手の考え休むに似たり」では?
Posted by 読者 at 2008年12月26日 13:42
そうです。正しい諺はその通り。
 そういうコメントが来るんじゃないかと、ビクビクしていた。  (^^);

 だけど、書き直すのが面倒で、ほったらかしておきました。  (^^ゞ

   下手な → 下手の

 にすると、全体の意味が通らなくなっちゃくんですよね。だから、わざと、間違えた方を書いています。
 諺とは別の意味で別の言葉を使っている、と解釈して下さい。俗用(誤用)の言葉の方が役立つこともある、というわけ。
Posted by 管理人 at 2008年12月26日 14:13
私の記憶も白い手袋で印象的だった。白衣を着ていたしメガネもかけていなかった。
Posted by ミワコン at 2011年03月18日 21:11
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