2008年12月09日

◆ 独創性と道具

 下村脩と中村修二に、共通する点がある。「装置を自作する」ということだ。 ──

 クラゲの発光メカニズムでノーベル賞を受賞した下村脩についての解説ないし関連話ふうの記事があった。下村脩は、大量のクラゲから、該当の物質を取り出すのが、ものすごくうまかったという。他人にはできないような超絶的な技巧。(朝日・夕刊 2008-12-09 )
 この技巧というのがどういうことなのかは、詳しく説明されていないので、よくわからない。ともあれ、他人にはできない方法を駆使して、うまく該当の物質を集めたようだ。莫大な量から、ごくわずかな物質を精製する。

 これと似た話は、中村修二にもある。彼は装置を自作することで、特殊な装置による実験を繰り返し、青色LEDの開発に成功した。

 また、古いところでは、キュリー夫人の話もある。ウランの精錬でラジウムを抽出したとき、ものすごい量のウランを精錬した。これは、映画にもなっていて、その労働の大変さがうまく画像化されていた。(私は昔、その映画を見たことがある。「キュリー夫人物語」という題名ではないが、そんな感じの映画。)

 ──

 さて。ひるがえって、今では、たいていの研究室では、それとは異なることがなされている。
 「自分では仕様を注文して、あとの装置は、業者に製作させる」

 これは、「研究者は頭だけを使えばいい」という発想なのだろう。

 しかし、こういう発想は、本田宗一郎が厳しく批判した。彼は「現場主義」を唱え、技術者は現場で工具をいじって、実験に携わるべきだ、と教えた。なぜか? 現場でものをいじらない限り、物事の本質は見えてこないからだ。実験成果の数値だけを見て、机上で「ああだ、こうだ」と考えても、駄目である。あるいは、数値をコンピュータの上で処理したり、シミュレーションしても、駄目である。現物を見る必要があるのだ。

 ──

 要するに、ここに、一流と超一流の差が現れる。一流の研究者は、世の中に掃いて捨てるほどいるが、彼らは決して超一流にはなれない。なぜなら、他人と同じことばかりをやっているからだ。たいていの研究者は、「他人よりも一歩先に出たい」と思って競争する。しかし、超一流の研究者は、「他人のやらないことをやる」のである。他人が最新式の装置を購入して研究するとき、超一流の研究者は装置を自作するのだ。なぜ自作するかと言えば、最新式の装置を使う人は何百人もいるが、自分のやる分野を進む人は自分一人しかいないからだ。

 つまり、自作するか否かは、独創性の有無と同じであろう。
 そしてまた、単に独創性があることだけでなく、独創的な分野を邁進するという「実行力」も問題だ。そのためには、自分の専門分野だけをタコツボ的に進むのでなく、工学的な装置製造の能力も必要となる。

 要するに、「専門分野を徹底的に進めば、すぐれた研究ができる」なんていう発想は、てんで間違っているのだ。そういう発想をする人は、その時点で遅れている。
 真に独創的な人は、他人の進まない領域を進む。そこを進むときには、どこにもないブルドーザーのようなものが必要となる。だから、そのブルドーザーのようなものを、自作するのだ。

 ついでに言えば、これは、あらゆる分野に当てはまる。たとえば、数学でさえ、同様だ。数学において画期的な業績を上げる人は、そのための「道具」となる新概念もまた、自作するのが普通だ。
 「一つの道を深く進めば、人より先に進める」
 と思うのは、間違いだ。そういう方法では、同じ道をたくさんの人が進むので、早晩、行き止まりになる。
 独創的な人は、人の通らない未知の領域を進む。そのとき、彼は、ブルドーザーのような力を用いる。それは、研究そのものの独創性とは、ちょっと違った面にある。

 たいていの人は、「こうしたら面白いかな」というような独創的な発想だけは持つこともある。しかし、発想するだけで、実行しない。あるいは、実行できない。
 しかし、真に独創的な人は、「こうしたら面白いかな」というような独創的な発想を持つだけでなく、その独創的な発想を、まさしく実行する実行力がある。そこに彼我の差が現れるわけだ。



 [ 余談 ]
 実行力があるということは、知性の差というよりは、意思の差かもしれない。独創的な人というのは、たいてい、知能指数が抜群に高いというより、意思が抜群に強い。……ここを理解すれば、他の人々が学ぶ点もわかるだろう。「いっぱい本を読んで勉強すればいい」というようなものではないのだ。

 ついでに言えば、女性を得るときも、男の魅力や優秀さよりは、行動力がものを言うようだ。たとえば、諏訪内さんを引っかけた男がいる。彼の魅力や優秀さよりは、彼の行動力が諏訪内さんを引っかけたのだろう。美女を得るも得ないも、行動力しだい。

 「優秀でなくても行動力がある」という人物は、詐欺師になれる。たいていの研究者に不足しているのは、詐欺師の能力かもしれない。独創的な人間というのは、詐欺師としても優秀になれそうだ。……ただし、その能力を、女を引っかけることのかわりに、真実を探り出すために使うわけだ。……こう書くと、話が胡散臭いように思えるが、実際、独創的な人間というのは、犯罪者となっても優秀になれそうな人が多い。くそまじめな人間というのは、犯罪者としても研究者としても、超一流にはなれないようだ。

( ※ 話がちょっと脱線してしまった。ま、余談だから、仕方ないが。  (^^); )



 【 関連項目 】
 本項と同趣旨のことは、前にも書いたことがある。簡単に、だが。
   → ノーベル賞の教訓

 あと、前項も参照。ちょっとだけ、関連する話がある。ちょっとだけね。
   → 前項の[ 付記 ]
posted by 管理人 at 19:17| Comment(1) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
キュリー夫人 の映画は DVD で売っている。500円。
映画的な面白さは、並みであろうが、理系の研究者にとっては、教訓的な感じがして、興味深く見ることができるだろう。子供の教育用に買ってもいい。

とにかく、500円ならば、買って損はありません。

( Amazon にもあるが、リンクやアフィリエイトは付けません。検索すればすぐに見つかるはず。)
Posted by 管理人 at 2008年12月10日 21:08
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