2008年11月05日

◆ 不老不死のベニクラゲ

 ベニクラゲという小さなクラゲが、不老不死だと見なされている。では、なぜか? それを知れば、人間も不老不死になれるか? ──
      → ( 参考画像

 まず、通常の生物では、不老不死ということはありえないはずだ。ただ、詳しく見ると、単細胞生物と多細胞生物とに区別できる。

 単細胞生物ならば、原則として不老不死である。ただしそこでは、単純なコピーが起こるだけだ。まともな進化もない。そこには充実した生涯などはない。( → 性の誕生(半生物を越えて)
 一方、多細胞生物では、単細胞生物のようなことはない。多細胞生物は、十分に進化しているし、そのためには、ただのコピーだけではありえない。とすれば、不老不死ということは不自然だ。

 有性生物には、本来、自動的に生命を終えるシステム(アポトーシスふう)が組み込まれている。それが通常の「死」である。それがあるからこそ、充実した生涯がある、とも言える。
 ではなぜ、ベニクラゲでは、そういうことが起こらないのか? 

 ──

 そこで、ベニクラゲの生殖を見てみよう。次のサイトに、図による説明がある。
  → ベニクラゲの生活史

 これを見るとわかるように、ベニクラゲの生涯は二通りのコースがある。

 (1) 通常のコース。
  若いクラゲ → 成熟クラゲ → 子を生んで死ぬ
 (2) 不老不死のコース。
  若いクラゲ → 退化(縮小) → 幼体ポリプ → (最初へ)

 
 このうち、(2) だけを見ると、若いクラゲが幼体ポリプになったあとで、また最初に戻る。無限循環だ。その意味で、不老不死である。
 ただし、この無限循環だけがあれば、遺伝子エラーが蓄積するから、長い時間のうちには、遺伝子エラーのせいで滅びてしまうだろう。
 しかし、同時に (1) のコースもあるから、そこで有性生殖が行なわれ、新たな世代が生じる。それゆえ、長い時間を経ても、種の全体としては、遺伝子エラーのせいで全体が滅びてしまうようなことはない。

 ──

 以上をまとめると、その本質は何か? 
 第1に、ベニクラゲという生物には、二通りの生活史がある、ということだ。通常の生物では一通りがあるのに、ベニクラゲには二通りがある。
 第2に、その二通りのうち、本質的なのは (1) の方だ。ここで有性生殖があるからこそ、ベニクラゲは進化してきた。
 第3に、副次的に (2) のコースもある。ここではベニクラゲは不老不死である。では、その意味は? 「死」があらかじめ組み込まれていない、ということだ。

 ──

 ベニクラゲの固有な点は、「死」があらかじめ組み込まれていない、ということだ。これは、「死」があらかじめ組み込まれている生物に比べると、「死」という能力をもたないことになる。
 このことは、個体として見れば有利ではあるが、種としては不利だ。老化した(つまり細胞分裂の過程で遺伝子エラーの蓄積した)個体が残るので、劣化した個体が増えすぎて、若い個体の生きる余地が少なくなり、種全体としては生存能力が低下してしまうからだ。( → 生と死
 ではなぜ、ベニクラゲは、種全体の利益を犠牲にしてまで、個体の利益を増そうとするのか? 

 このことについては、次の仮説が成立するだろう。
 「ベニクラゲは、死という能力をもたなくても、もともと脆弱すぎて、自然界で生きる能力が低かった。自分から死ななくても、自然が勝手に殺してくれた。そのおかげで、死という能力をもたずに済んだ」


 このようなことは、しばしば起こる。ある生物が、突然変異により、何らかの能力を失う。通常は、そこで滅びてしまうのだが、環境のおかげで、その遺伝子の作用がうまく代替される。おかげで、滅びることを免れる。
 たとえば、人間がそうだ。哺乳類にはビタミンという成分を自ら作成する能力が備わっていた。しかしながら人間にはその成分を作成する能力がない。そのための遺伝子が欠落している。しかし、それでも問題ない。なぜなら、植物を食べることで、植物からビタミンを摂取するからだ。……ここでは、遺伝子の欠落が、環境のおかげで補填(補充)されている。

 ベニクラゲも同様だ。本来ならば、死という能力をもたない種は(個体は自ら死ななくても)種として絶滅してしまうはずなのだが、幸い、生きる能力が低すぎるせいで、放っておいてもどんどん死んでしまう。自らあえて死ぬことができなくても、環境がかわりにどんどん死なせてくれる。そのおかげで、死という能力をもたなくても、絶滅を免れたのだ。
 正確に言えば、ベニクラゲそのものは死を含む通常の生活史をもつ(図を参照)のだが、その一部に、奇形として、不老不死の生活史をもつ異体のコースを併存させることが可能になった。そのような奇形は、通常ならば(遺伝子エラーの蓄積で)数代のうちにさっさと滅びてしまうはずなのだが、その前に、苛酷な環境のせいで、どんどん殺されていってしまうのだ。

 なお、苛酷な環境とは何か? 他の魚類にどんどん食われてしまう、ということだ。具体的には、「ベニクラゲは1cm程度で非常に小さく食べごろで、さらにクラゲなので早く泳げません。これでは魚の食料として格好の的なのです。しかも毒も持っていないし、他に特別の能力も一切ありません」という事情だ。( →  出典

 ──

 付記だが、水族館では、このような環境はない。ベニクラゲは他の魚類に食われてしまうこともない。天敵などは存在しない。だから、いくらでも増殖できるし、いくらでも不老不死になれる。
 では、それは、まさしく夢の事情か? 残念でした。そうはなりません。
 仮に、そうなるとしたら、水族館の水槽がベニクラゲでいっぱいになる。そして、あまりにもベニクラゲが多くなりすぎたせいで、水が汚れて、酸欠などで、ベニクラゲ全体が全滅する。 ……(*
 そこで、そうならないように、水族館員がベニクラゲを間引きする。増えたら、採取して、捨ててしまう。
 つまり、自然による淘汰圧は働かないが、人為的な淘汰圧が働く。人間が天敵のかわりを果たしているわけだ。だから、結局、同じことなのである。
( ※ 仮に、この人為的な淘汰圧が働かなければ、(*) で述べたように、全滅する。)



 [ 補説1 ]
 ここから、教訓を得られる。
 うまい話というものは、一般に、ありえない。うまい話には、裏がある。もし聞いたら、疑った方がいい。
 通常の詐欺ですら、インチキがあるのに、まして「不老不死」なんていう特別なうまい話には、裏があるに決まっている。
 ついでだが、あなたが不老不死になりたければ、そうなることも可能だ。それは、次のことだ。
 「今すぐ殺されること」
 たとえば、銃殺でも何でもいい。今すぐ殺されてしまえばいい。そうすれば、あなたは不老不死になれる。
  ・ 今すぐ死んでしまえば、もはや死なない。
  ・ 殺されれば、自分が老衰死することはない。

 こうしてあなたは、不老不死を獲得できる。
 そして、それと同じことをやっているのが、ベニクラゲだ。彼らは、生涯のどこかの過程で、魚という殺人者(殺魚者?)に殺されてしまう。だからこそ、自分から死ぬ前に他者に殺されるわけで、不老不死になれる。そして、その生涯は、ごく短い。よく知らないが、数年にもならないだろう。数カ月かもしれない。
 あなたが不老不死になりたければ、生まれてから数カ月か数年で殺されてしまえばいい。そうすればあなたは生涯、不老不死だったことになる。

 [ 補説2 ]
 なお、不老不死になる方法は、もう一つある。それは、生まれてこないことだ。
 一般に、不老不死の生物は、殺されない限り、どんどん増殖する。そのあげく、増えすぎて、環境が汚染されて、全滅する。全滅すれば、もはや生まれてこない。生まれてこなければ、老いることもないし、死ぬこともない。
 あなたが不老不死を望むなら、あなたはこの世に生まれてこなければよかった。そうすれば、あなたは不老不死になれたはずだ。たとえば、金属や水や土など。これらは、無機物であり、生きていることがない。それゆえ、不老不死である。あなたはそういう無機物になればよかった。
 一方、あなたが生物として、いったん生まれた後で、不老不死になるとしたら? どうなるだろうか? あなた一人だけならばいい。だが、同じ種の全員が同じことをすれば、子供もまた不老不死なので、全体として増えすぎて、結局は全滅する。かといって、種が増えないように、子供を生まない(不妊である)ならばいいかというと、その場合には、あなたもまたこの世界に(親の子供として)生まれることができなかったことになる。つまり、もともと生きることができなかったことになる。
 最後の手段として、子供も生まずに、クローンで増えたとしたら? その場合は、あなたにはあなたの人格がなく、あなたは誰かのクローンであったことになる。具体的な例としては、単細胞生物がある。単細胞生物はいずれもクローンだ。あなたは単細胞生物になることもできた。そうなりたかったですか?   (^^);

 結局、人間が人間として人間らしく生きることができるのは、不老不死でないからだ。人間は限りある生命を持つがゆえに、限りある生命を輝かせることができる。時間というを短く限定することで、そのを限りなく向上させることができる。( → 生と死

 あなたがもし不老不死を望むのならば、あなたは生命の質を最低化すればいい。つまり、生まれてこなければいい。(無機質になるのでもいい。)
 また、あなたが生まれたあとで不老不死を望むのであれば、その種が全滅するか、自己矛盾に陥る(もともと生まれてこないことになる)か、いずれかだ。
 あるいは、あなたが不老不死を望むのであれば、あなたは悪魔と取引をすればいい。悪魔はあなたの願いを叶えてくれる。すなわち、あなたを不老不死にする。そのかわり、あなたの魂をもらう。そのときあなたは、魂を失って、不老不死の石像となるだろう。

 [ 補説3 ]
 もうちょっと生物学的に説明しよう。(学問的に)
 ベニクラゲは、不老不死であることで、普通の多細胞生物よりも優れている、と思えるかもしれない。しかし実は、普通の多細胞生物よりも劣っているのだ。なぜなら、「クローン」という単細胞生物の方法を、半分だけ帯びているからだ。
 単細胞生物は、「クローン」という方法を採ることで、不老不死である。では、そのことは、すばらしいか? いや、すばらしくない。クローン先の個体は不老不死とも言えるが、クローン元の個体はあっさり死んでしまうからだ。その両者を「同じ個体」と見なすのは、生物学者の悪癖である。なるほど、遺伝子的には、どちらも同じである。しかし、遺伝子が同じだからといって、同じ個体だということにはならない。なぜなら、コピーされた個体は、元の個体の記憶をもたないからだ。そこでは単に「同じ遺伝子をもつ別物」ができるだけなのだ。
 だから、もし「不老不死になりたい」と思う人がいるのならば、その方法を私は教えてあげよう。あなたは今すぐ死んでしまえばいいのだ。そして、そのかわりに、あなたの遺伝子をもつクローンを誕生させればいい。あなたの遺伝子をもつクローンが誕生することで、遺伝子的にはあなたは不老不死になれる。
 ベニクラゲを「不老不死」と見なすというのは、そういうことだ。

 ついでだが、上記のことは、まんざら冗談ではない。次の記事がある。
  → 凍結16年の死体マウスからクローン
  “ 凍結していた死体から、クローン技術でマウスを誕生させることに……成功した。冷凍庫で凍らせた死体からクローンを作製したのは世界初。”

 あなたが「不老不死になりたい」と思うのならば、あなたは今すぐ死んでしまえばいいのだ。 (……ただし、死体の冷凍を、お忘れなく。  (^^); )



 [ 付記1 ]
 本項は、何を言いたいか? 冗談か? いや、違う。本気で冗談を信じている生物学者の頭のことだ。
 多くの生物学者(や新聞記事)は、まともな顔をして、「ベニクラゲは不老不死だ」と書く。ここでは、単にクローンというコピーを作ることを、不老不死だと勘違いしている。
 馬鹿じゃなかろうか? そういう馬鹿さ加減を、ここでは指摘している。
 要するに、たいていの生物学者は、「生物とは何か?」を理解していないのである。「生物とは遺伝子の発現だ」とだけ考えているから、「遺伝子が同じならば生物も同じだ」と考える。
 そこには根本的な錯誤がある。「生物はただの遺伝子の発現だ」と思い込む錯誤が。つまり、「生物はただの遺伝子の発現を越えたものだ」という真実を理解できない錯誤が。
 そして、この錯誤は、多くの生物学者に共有されている。それは「個体は遺伝子の乗り物だ」という発想だ。こういう発想に汚染されているから、「遺伝子が同じならば、個体も同じだ」という馬鹿げたことを主張する。
 「ベニクラゲは不老不死だ」という話を聞いたら、「冗談はやめてくれ」と言うのが正しい。なのに、まともな顔をして、「ベニクラゲは不老不死だ」と語るような連中の話を、信じてはならない。
 世間にはびこるデタラメを指摘するのが、本項の狙いだ。
 
 [ 付記2 ]
 なお、この「不老不死」を「若返り」と表現している文章もある。( Wikipedia など。)だが、それは誤りだ。
 一つの個体が老体から幼生に変化するわけではない。老体の個体から、幼生の個体が、新たに生じるだけだ。
 比喩的に言えば、あなたが老人から子供になるのではなくて、あなたは死ぬが、あなたと同じ遺伝子をもつ子供が、新たに生じるだけだ。その子供は、あなたという個体とは、遺伝子は同じであるが、まったく別の個体である。(クローンと同様。遺伝子は同じだが、個体としては別。)

 多くの生物学者は、遺伝子を個体の本体だと思いがちだが、違う。遺伝子は同じでも、個体としては異なることがある。そのことはクローンを見ればわかる。とにかく、この点、勘違いをしてはならない。
 ベニクラゲは、「若返る」のではなく、「いったん死んだあとで、同じ遺伝子を持つ新たな幼体として生まれ変わる」のである。……これが本質だ。

( ※ この点、「生まれ変わる」のは、単細胞生物の「自己複製」に似ている。)
( ※ 「クローン」という言葉を使ったが、人為的なクローンとは違う。というのは、原始的な母細胞から新たな個体を作るのではないからだ。古い個体が崩れて、そのあとの肉塊から、新たなポリプが生じる。ここでは途中に「単一の細胞からの発生」という家庭は存在しない。その意味で、人為的なクローンとは違う。)

 [ 付記3 ]
 なお、ベニクラゲを「不老不死である唯一の生物」と表現する人もいるが、まったくの誤りである。
 無性生物(単細胞生物)もまた、ベニクラゲと同じように、「同じ遺伝子で新たに生まれる」ということをなす。ベニクラゲは、有性生物と無性生物との、双方のコースをもつ。そして、無性生物のコースを取るときには、「不老不死」となるように見えるが、同じことは、無性生物ならばどれもがやっているのだ。ベニクラゲを「不老不死」と見なすのならば、アメーバも、酵母菌も、大腸菌も、みんな「不老不死」なのである。ベニクラゲだけじゃない。
 ここを根源的に勘違いしている人が多いようなので、指摘しておく。

 《 補足 》
 細かな話。
 遺伝子に着目する限りは、「(ベニクラゲの)遺伝子は不老不死だ」と言ってもいい。しかし、それを言うなら、ベニクラゲ以外のすべての単細胞生物(無性生殖の生物)もまた同様である。
 また、有性生殖の生物でさえ、個々の遺伝子(たとえばメラミン色素の遺伝子)を見れば、その遺伝子は不老不死である。
 しかし、遺伝子を見て、「不老不死だ」などと語るのは、馬鹿げている。なぜなら、遺伝子は生命ではないからだ。もともと生きることのない対象について、「不老不死」を語ること自体が馬鹿げている。
posted by 管理人 at 19:09 | Comment(0) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
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