その趣旨は、次の通り。
亀がゆっくり歩いている。アキレスがその後を追いかける。アキレスの方が亀よりも高速だから、いつかはアキレスが亀に追いつくはずだ。 ……(*)
しかし、論理的には、アキレスは亀に追いつけないはずだ。なぜなら、次のようになるからだ。
1.アキレスが亀をめざして1歩進むと、その間に亀は少し進む。
2.アキレスが亀をめざしてさらに1歩進むと、その間に亀はまた少し進む。
3.アキレスが亀をめざしてさらに1歩進むと、その間に亀はまた少し進む。
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こういうことが無限回、繰り返される。1回でも追いつけない。2回でも追いつけない。n回でも追いつけない。無限に続けても追いつけない。つまり、いつまでたっても、アキレスは亀に追いつけない。
このことは、「アキレスが亀に追いつけるはずだ」ということ (*)に矛盾する。
矛盾の発生。つまり、パラドックスだ。
( → 図による説明 のページ )
──
このことは通常、次のように説明される。
「数列の収束を無限回繰り返せば、いつかは収束する。ゆえに、アキレスは亀に追いつけるはずだ。下図参照」
← ←←
└┴─┴───┴────────┘
しかし、この説明は、数学的に間違いである。
数列の「収束」というのは、「極限値に近づく」ということであり、「極限値になる」ということではない。
例として、無理数の「ルート2」を考える。有理数の数列(コーシー列)を取ると、この数列は無理数の「ルート2」にいくらでも近づく。つまり、収束する。しかし、だからといって、数列がいつか「ルート2」に届くことはない。たとえ無限回を経ても、「ルート2」に届くことはない。つまり、「いつか必ず到達する」ということはない。
( ※ 大学で解析学の基礎で学ぶ。常識。)
──
なお、上記の説明では、「正解を知ろう」という立場であり、「パラドックスがどうして生じたのか」を説明していない。
だから、もともと説明にはなっていないのだ。勝手に一方の見解を出しているだけだ。
「Aと非Aの両方が成立します。どうしてこうなるのでしょう?」
という質問に対して、
「これこれの理由でそういう不思議な説明が起こるのです」
と説明するかわりに、
「Aだけが正しいのだ」
と勝手に主張している。そんなのはもともと説明になっていない。単に「一方の側の論理」であるにすぎない。ギリシア哲学者がその返答を聞いたら、「あんたは問題の意味がわかっていないな。問題を読み直せ」と蹴飛ばしてしまうだろう。
──
では、正解は? それは、次のようなものだ。
「これこれの理由でそういう不思議な説明が起こるのです。なぜなら、そこには、これこれの詭弁があるからです」
では、「これこれの詭弁」とは? それは、次のことだ。
「一つの言葉を二つの意味で解釈する」
たとえば、(灰色を意味するような)一つの言葉を、白と黒の二通りで解釈する。こうすれば、一つの言葉に白と黒の双方がまぎれこむから、必然的に矛盾が発生する。
こうして、
「言葉の両義性ゆえに、パラドックス(矛盾)が生じるだけだ」
と説明すればよい。このとき、ようやく、詭弁が説明されたことになる。
──
このあと、具体的な説明を見ればいい。その説明は、簡単に言えば、下記の通り。
「いつまでも 到達しない」と言うとき、「いつまでも」という言葉を、次の二通りで解釈する。(両義的解釈)
・ 「何回やっても」…… 回数の意味で「無限の回数」
・ 「何秒たっても」…… 時間の意味で「無限の時間」
この二通りの意味で、「いつまでも到達しないか?」と問う。
ただし、言葉は一つでも、意味は二通り。
・ いつまでも 到達しない = 何回やっても 到達しない …… 真
・ いつまでも 到達しない = 何秒たっても 到達しない …… 偽
つまり、「いつまでも到達しない」という言葉には、両義性がある。その両義性ゆえに、真と偽とがどちらも成立するので、パラドックスとなる。
( ※ なお、回数の方は、思考の世界のことであり、時間の方は、現実の世界のことである。現実の世界では、ある程度の時間がたてば、アキレスは亀に追いつく。しかし、思考の世界では、思考を何回繰り返しても、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。)
──
まとめ。
以上のことをまとめると、次のように言える。
「かかる回数は無限だが、かかる時間は無限ではない。そのどちらの意味であるかをはっきりとさせれば、矛盾は生じない。そのどちらの意味であるかを曖昧にすれば(両義的にすれば)、矛盾は生じる」
結論。
パラドックスが生じた理由は、言葉を曖昧に用いたときの両義性にある。
( ※ 言葉を曖昧に用いると、こういう両義性が発生して、矛盾が起こる。だから、科学というものは、両義性が生じないように、言葉を厳密に使うのだ。)
( ※ 一方、政治というものは、あえて言葉を両義的に使う。「前向きに検討します」というのが典型だ。これは「何かをします」というのと、「何もしません」というのと、両義性がある。与党も野党も、勝手に解釈することで、両方が満足する。)
( ※ 男と女の関係でも、言葉を曖昧にすることがある。社会ではそういうふうに玉虫色に言葉を使うことは、しばしばある。)
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パラドックスが両義性から生じる、ということについて、より詳しい話は、下記にある。そちらを参照。
→ アキレスと亀のパラドックス (泉の波立ち)
( 回数は無限に増えていくが、時間は無限に増えていかない。なぜなら、先の方では、1回ごとの時間が無限小になるから。無限大 × 無限小 なので、時間は無限大にならない。……ここがポイント。)
[ 付記 ]
ネットを探ると、次のような説明が見られる。
(1) 第1の説明
「1,2,3,……というふうに回数をどんどん増やすことはできるが、無限回に到達することはできない。n をどんなに大きくしても有限だから、n は無限 ∞ に到達することはできない。これが数学的な意味だ」
この説明は、間違いではないが、問題の半分しか説明していない。
ここで説明されているのは、「到達できない」ということの方だけだ。これだけではパラドックスにはならない。もう一つ、「到達できる」ということも示す必要がある。そうしてこそ、矛盾が発生して、パラドックスになる。
(2) 第2の説明
「無限級数を計算すると、最終的には収束する。ゆえに、到達できる」
この説明も、間違いではないが、問題の半分しか説明していない。
ここで説明されているのは、「到達できる」ということの方だけだ。これだけではパラドックスにはならない。もう一つ、「到達できない」ということも示す必要がある。そうしてこそ、矛盾が発生して、パラドックスになる。
( ※ なお、この説明は数学的には不完全である。先の「ルート2」の話を参照。 )
以上の (1)(2) の説明はいずれも、説明としては不足している。この両方をともに示してこそ、パラドックスになる。(数学的に)
しかも、である。パラドックスであることを(数学的に)説明しても、それだけでは問題を示しただけだ。さらに、問題を解決する必要がある。つまり、このパラドックスが見かけだけであることを示す必要がある。
この件は、ちょっと面倒なので、次に 《 参考 》 として長々と示す。
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【 関連項目 】
同じ原理によるパラドックスは、下記にある。
→ バーナンキの背理法 ( nandoブログ)
※ これもまた、「言葉の両義性を用いた詭弁」である。つまり、
一つの言葉を二通りの意味で用い、矛盾があると見せかける。
言葉レベルの両義性を、論理レベルの矛盾に見せかける。
詳しい説明は、上記リンク先を参照。

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最後に 【 蛇足 】 を加筆しました。
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