→ リサイクル詐欺(エコキャップ)
これを読んだあとで、「無駄だとしても、エコキャップをやるべきだ」と思う人がけっこういるようだ。「エコや善行のためなら、無駄は許される」と信じて。 ──
( ※ 本項の実際の掲載日は 2010-05-21 です。)
上記の記事には、次の趣旨のことが書いてある。
「宅配便で 1000円を払っても、エコキャップ代は 20円。しかも、そのうち3分の2しかワクチン代にならない」
このような莫大な無駄が生じている。これは数字となって、厳然として現れている。無駄のひどさは、歴然としている。
しかし、このような無駄を是認する人々も多い。
「エコのためなら、無駄をしてもいい」
「善行という大義のためなら、無駄は許される」
というふうに。しかし、このような説は、妥当でない。以下、説明しよう。
(1) エコでない
エコキャップは、名前はエコだが、実際にはエコでない。回収できるキャップの石油よりも、宅配便のトラックを走らせる石油の方が多いからだ。どうせなら、「資源ゴミ」として、自治体に回収してもらう方が、よほどエコになる。エコかどうかという点でなら、エコキャップはまったくエコでない。これはむしろ、
「石油を浪費して、環境に負荷を与えながら、人間が何らかの行動をすること」
と見なす方がいい。だから、どうせならば、次のように語るべきだ。
「善行のためであれば、環境を汚染し、石油を浪費してもいい」
つまり、善のためならば悪をなしていい、ということだ。(自己矛盾。もしくは、泥棒の論理。)
(2) 善行でない
エコキャップ運動をしている人たちは、自分が善行をしているつもりでいる。しかし、本人は善行のつもりでも、実際には善行ではない。正しくは、
「善行をしているつもりで、悪行をなしている」
となる。つまり、偽善である。
これについて、以下で詳しく述べよう。
──
善と偽善は、どう違うか? これについては、下記項目で詳しく述べている。
→ 善と偽善
要するに、その行為が他人のためになるか否かは、問題ではない。善も偽善も、いずれも他人のためになる。
善と偽善の違いは、そのための負担を誰が払うかだ。
・ 自分で払うなら、善。
・ 他人に払わせるなら、偽善。
エコキャップに即して言うなら、次のようになる。宅配便の 1000円について、
・ 1000円を自分で払うなら、善。
・ 1000円を他人に払わせるなら、偽善。
たいていの人は、自分では 1000円を払わない。他人に払わせる。それでいて、自分はキャップを集めているからという理由で、善行をしているつもりでいる。
それは間違いだ。キャップを集めているとき、善行をしているのではない。悪行をなしているのだ。なぜなら、キャップを集めることで、1000円を他人の財布から奪っているからだ。一種の泥棒である。
通常、 1000円を払うのは、学校であったり、PTA であったり、団体であったりする。その場合、学校、PTA 、団体の財布から、 1000円を盗んでいることになる。いや、「盗んでいる」というのは、不正確だ。「善行だとだまして金を出させている」という意味で、詐欺をしていることになる。(だまして自発的に金を出させるから、詐欺だ。)
エコキャップを推進する協会は、詐欺師であるが、同様に、「エコキャップは素晴らしい」と唱えて、学校、PTA 、団体に金を出させている人々も、詐欺師である。彼らは、「善行は素晴らしいことだ」と唱えながら、現実には他人の金を奪い取っているのだ。
そして、そうでない人は、自分で 1000円を払っている人だけだ。現実には、ほとんどの人は、宅配便の 1000円を払わない。口では大義を唱えるが、現実には金を出さない。かわりに、他人に金を出させる。……これが「善」ならぬ「偽善」だ。
「エコキャップは素晴らしい」と唱える人々は、キャップを集めるのではなく、1000円を出すべきだ。自分でキャップを集める必要はない。キャップを集めるのは他人に任せていい。かわりに、自分で宅配便の 1000円を出すべきだ。
ただし、金を出すとき、頭を働かせるといい。
「この 1000円を、どうするか? ユニセフに送れば、20円のワクチンが 50人分になる。エコキャップに使えば、 1000円払っても、14円しか残らないので、1人分にもならない。この 1000円で、50人の子供を救うべきか? 0.7人の子供を救うべきか?」
あなたの判断一つで、49人以上の子供が救われる。
しかし、善意を唱える人々は、こう語るだろう。
「子供がどうなろうと、知ったこっちゃない。おれが善行をしているという自己満足こそが大切なのだ。おれが気持ち良くなることだけが大切なのだ」
こういう発想が、「偽善」の特徴だ。
彼らはあくまで、自分のために「善」をしているのであって、救われる他人のために「善」をしているのではない。
【 追記 】
さらに強く言えば、エコキャップ運動は「悪だ」とさえ言える。このことを理解するには、この運動を「自発的な行動」でなく「強制的な行動」だと見なすといい。
ごくわずかな金を得るために、生徒に強制的にキャップ集めをやらせて、さんざん労働させる。……これはもはや、奴隷制そのものだ。生徒を奴隷化していることになる。
そして、それを「善だ」と唱える人々は、生徒の頭を洗脳していることになる。エコキャップ教の教祖みたいなものだ。「これは善です」と唱えて、生徒を奴隷のごとく奉仕させる。無駄だとわかっていながら、「無駄は善です」と洗脳して、あえて無駄をやらせる。そのことで生徒の人生を奪う。
たとえば、高校でそういう無駄をやらせれば、生徒の時間を奪うことになり、生徒の学力は低下する。
以上は、強制的にやらせる場合の話だが、自発的にやるのだとしても、同様である。強引に金を奪う強盗と、自発的に金を出させる詐欺との、違いがあるだけだ。本質的には、同様だ。
エコキャップ運動は、詐欺のようなものだ。それは、宅配便の金を奪うだけでない。生徒や大人の時間を奪い、人生を奪う。その意味で、非常に悪質な新興宗教と同じだ。
エコキャップをやりたい人は、勝手にやればいい。しかし、「エコキャップは善だ」と唱えて、他人を運動に誘い込む人は、無垢な人々を奴隷にするのと同じであり、とんでもない悪をなしているのだ。詐欺的な悪。
そして、それにだまされた生徒たちは、1円にも満たない金を拠出するために、多大な時間を無駄にさせられ、貴重な人生を奪われる。若い日々の時間はとても大切なのに。
Time is money. (時は金なり)
エコキャップ運動をする人は、この格言をかみしめてほしい。
[ 付記 ]
本当に善をしたい人は、次のいずれか。
(1) ユニセフ
※ 画像をクリックして、ジャンプ。(黒柳徹子のサイト)
(2) クリック募金
パソコンで1回クリックするだけで、キャップを何十個も集めた効果がある。
→ クリック募金(ワクチンなど)
→ クリック募金(難病 or ワクチン)
→ その他の クリック募金(一覧)
※ 以下の話は、次項から移転しました。
【 参考 】 ( 2008-11-25 )
「ペットボトルのキャップをリサイクル」
という言葉は、そもそも嘘八百であると思える。というのは、これは「リサイクル」でなくて「リユース」(再利用)であるからだ。
既存のプラスチックを液状化して、プラスチックに再生する、ということは、ほとんどなされない。というのは、リサイクルするためにエネルギーがたくさん必要なので、すごく無駄になるからだ。それよりは、ただの石油からプラスチックを作る方が、よほど省エネになる。
で、回収したプラスチックはどうなるか、というと、たいていは焼却される。一方、ペットボトルの場合には、細かく裁断されて、ぬいぐるみの内部の詰め物(など)に使われる。特に、中国でそうだ。だから、中国では、日本のペットボトルを大量に輸入している。……これが主な使途だ。
ま、「リユース」であっても、何らかの形の省エネにはなる。しかし、これを「リサイクル」と称するのは、妥当ではない。
なお、本当に「リサイクル」をしていることもあるだろうが、だとしたら、かなり罪深いことだ。というのは、「リサイクル」では、エネルギーがかなり無題になるからだ。
たとえば、通常の方法では、石油1キログラムからプラスチックが 900グラム作れるとしよう。(残りの 100グラムは作成のために必要なエネルギーに使われる。)
一方、リサイクルの場合には、廃棄プラスチック1キログラムから、新規プラスチック 500グラムができる。しかし、残りの 500グラムは、無駄に浪費されてしまう。輸送や洗浄や作成のためにエネルギーがかかる。)……これでは、かえって省エネにならない。「リユース」の方がよほどまともだ。
一般に、「汚れたものをきれいにする」には、かなりのエネルギーがかかる。(エントロピーの法則みたいなものだ。)したがって、いったん使用されたプラスチックを「リサイクルする」というのは、それ自体が省エネに反するのだ。
ついでに言えば、「ペットボトルを使う」という行為そのものが、大いに省エネに反する。ペットボトルの飲料など、飲むのをやめてしまえばいい。どうしても飲むなら、自分の水筒にお茶でも入れて飲めばいい。それなら問題ない。
どちらかと言えば、「ペットボトルをやめましょう」という運動の方が、よほど省エネになる。どうしてそうしないんですかね?
【 関連項目 】
→ 善と偽善 ( nando ブログ)
詳しい話は、上記にある。

http://ameblo.jp/propanegas/entry-10208448540.html
引用。
> たかが1248円、されど1248円、エコキャップ49920個分です。
──
ブックオフに1回 売るだけで、エコキャップ5万個分。
エコキャップをどうせやるなら、5万個集めてから、言ってほしいものだ。千個ぐらい集めても、何の意味もない。
店に行くよりもダウンロードすればエコと野球選手が
言っている。一体
何がエコなのか
どれだけ、CO2の減少につながるのか
という疑問が湧くとともに
ドコモにはライフコストという視点が全くない
という連想につながりました。
youtubeにあります
http://www.youtube.com/watch?v=A0rIE5WEx60
各個人の収集点はグラフ化され、点数の低い者は非協力的と非難された。1点が1円換算になるが当時もそうだったはずだ。
100円分の貢献をするために、0.2点とかのベルマークを膨大な手間で切り取り計数し、封筒に入れ回収後再集計しグラフ化までしなくてはならなかった。
ノルマのためにベルマーク付きの商品を無理をして買わざるを得なかった。一家全員でハサミと点数集計に奔走した。
目的はベルマークで学校の備品を買うことにあった。100円分のためにこれほどの手間をかけるなら現金で¥100円寄付したほうが
無駄な買い物と、収集に伴う煩雑な手間から逃れられる。その選択肢も提案をしたが一蹴された。(ものぐさ者の論理とみなされた)
無駄な買い物は視点を変えれば地元の商店の売り上げ増になる。小学生ながら商店と学校が結託しているのではとも思った。
ノルマ未達成による非難をさけるため煩雑な手間と無駄な買い物を強いた実効性の低いベルマーク運動は今のエコキャップ運動と通ずるものがある。
小学生のそれらの手間は「工賃」には入ってない。生産性や効率という概念がない学校の方針に疑義を呈したのは
異端ではあったが経済原則からはさほど間違ってはいない。僅かな備品を買うために学校全体がノルマ漬けになるのは一種の病理である
100円のため不必要なものも含む\1万円分の商品を買い、何時間も掛けて収集集計するのである。
アルミ缶などはリサイクル効率がよい訳ですから、ペットボトルからアルミ缶などに重点を移す方向が望ましいと考えます。
私はエコのためには、「無駄」があっても良いと思うのですが、「逆効果」な結果は避けないといけないと思います。
> キャップをリサイクルする(エコキャップ)よりは、アルミ缶をリサイクルする(エコカン)の方がいい。
戦車不要論といい、管理人さんとは気味が悪いほど意見が一致します
本当に面白いサイトですね。読んでたらあっという間に時間が経ってしまいました
ところで管理人さんは「死刑制度」についてはどんなお考えを持ってますか。機会があれば是非記事を立ち上げてください
あと、「泉の波立ち」でも、ぐぐれば、わかります。
ただし、私は賛成論者なので、反対論者からすごくいじめられています。
でぐぐったら、
「募金詐欺を未だ続けるあしなが育英会」
という記事が見つかりました。
へえ。そう。驚いた。
(エコキャップ関係のコメントは受け付けません。)