水分蒸発量( or 保水力)を高める方法では、次のように言える。
・ 草と木は、いずれも人工物よりも優れている。
・ 草よりも、木の方が優れている。 ──
保水力を高めるのは、草や木を使うのが標準的だ。ではなぜ、草や木がいいのか? また、草と木ではどちらがいいのか? この問題を考察する。
(1) 草 ,木 > 人工物
草と木は、人工物(スポンジなど)よりも優れている。なぜなら、次のことがあるからだ。
第1に、人工物の水分蒸発量は、常にほぼ一定である。雨だろうが晴れだろうが、気温が低かろうが高かろうが、特に変動はしない。(物理学の法則にしたがって変動するだけだ。
第2に、草や木などの植物は、水分蒸発量が、状況に応じて変動する。なぜなら、草や木などの植物には、気孔があるからだ。気孔ゆえに、晴れて気温が高いときには水分蒸発量が特に多くなる。
要するに、草や木などの植物には、自然の「調節弁」が付いているのだ。これは、人工物(スポンジなど)にはないものだ。また、同様の機能を人工的に実施するとしたら、気温センサーや湿度センサーやモーターによる可動弁やガラスハウスなどが必要となり、とんでもなくコストがかかってしまう。
草や木などの植物は、このような優秀な性質がある。晴れたときには、水分蒸発量が高まることが好ましいのだが、そういうことを、自動的にやってのけるのだ。非常に優れた性質である。
たとえば、緑のカーテン(植物スダレ)ならば、そういうことをやってのける。一方、緑色の布のカーテンに、水を吹きつけて湿らせても、同じことは実現できない。曇った日にも水分蒸発が続くし、晴れた日には水がなくなってしまうかもしれない(雨水利用ならば)。かといって、水道水を散布することを日本中で実施するとしたら、たちまち水不足になる。肝心の人間様に回ってくる水がなくなる。
人間が人工的にいくらやっても、植物の機能にはとうてい及ばないのだ。
(2) 木 > 草
では、植物のなかでは、草と木のどちらがいいのか? それは、木だ。では、なぜ?
それは、木には「木陰」があるからだ。高い位置に葉があり、低い位置に木陰がある。
高い位置にある葉には日光がさんさんと降りかかり、そこにある気孔から水分が蒸発していく。その蒸発量は、晴れか曇りかに応じて、自動調節される。気象の状況に応じて変動する。(前述)
一方、低い位置には、木陰がある。ここは、葉によって日光が遮られているので、気象の状況に応じて変動することが(あまり)ない。晴れても曇っても、木陰の状況は同じである。外部の気温が高くても、根元のあたりはいつも同じぐらいの気温である。
では、草ではどうか?
葉の気孔からの蒸発量は、(原則として)木の場合と同じである。晴れた日には多く、曇った日には少ない。
一方、根元からの蒸発量は、木の場合とは異なる。草では、木と違って、上部と下部と間の距離が小さい。外部の気象の状況が、根元のあたりにもかなり影響する。晴れた日には、外部の高い気温が高くなり、その高い気温の空気が根元にも入り込む。また、ときどき日も射す。すると、根元のあたりの温度が上昇するので、根元のあたりでは水分がどんどん蒸発する。
つまり、草の場合、根元のあたりの状況が外部の気象の状況を大きく受ける。「いつも同じようだ」というわけには行かない。すると、どうなるか? 曇った日には、水分が蒸発する必要もないのに、水分が勝手に蒸発してしまう。晴れたにはさらにひどく、日光や気温のせいで水がどんどん蒸発してしまう。こうして水がどんどん蒸発するが、降水量は一定だから、やがて地面に含まれる水分が枯渇する。結果的に、次のようになる。
・ 雨が降った直後には、晴れても曇っても蒸発量が多い。
・ 雨が降ってしばらくすると、もはや水分があまり残っていない。
これを一言で言えば、「保水力が小さい」ということだ。その結果は、(水分蒸発量が少ないことではなくて)「水分蒸発量に変動が生じる」ということだ。
以上まとめて言えば、次のようになる。
・ 木では、保水力が常にほぼ一定である。
(雨でも晴れでも、いつも一定の水分が保たれている。)
・ 草では、保水力が変動する。
(雨のあとでは多いが、晴れたころには水分が不足しがち。)
このことを、水分のない都市砂漠と比べると、次のようになる。
木 > 草 > 都市砂漠
つまり、草のある状況は、木のある状況と、都市砂漠の状況との、中間なのである。草のある状況は、木が半分あって、都市砂漠が半分ある、という状況に近い。
※ 都市砂漠 = コンクリートやアスファルトなど。保水力ゼロ。
──
結論。
水分蒸発量や保水力を高めるには、草や木があるといい。ただし、草よりも木がいい。
単に緑の植物があればいいわけではない。また、炭酸ガスの吸収があればいいのでもない。森林のように、たっぷりと保水力を保って、常に十分な水分を有することが必要だ。なぜなら、そうしてこそ、肝心の晴れたときに、たっぷりと水分蒸発量を増やしてくれるからだ。
そのような自動調節機能は、植物だけがもつ。だから、草や木などが大事で、人工的なスポンジなどでは駄目だ。また、草と木では、木の方がいい。どちらも気孔をもつという点では同様だが、草の方では肝心の晴れたときにすでに水分が蒸発してしまっていることが多いからだ。というのは、保水力が小さいからだ。十分な木陰がないせいで。
( ※ 木そのものが必要だというより、木陰が必要だ。木が一本だけあっても、そこの根元では日が射すから、ちゃんとした木陰にならず、保水力は少なくなる。むしろ、木がたくさんある状況が好ましい。そこでは、常に木陰ができて、保水力が保たれる。木は、それが炭酸ガスを吸収するから大事なのではなく、その根元で保水力を高めるから大切なのだ。その保水力が、葉を通じて、水分蒸発量となり、気温を下げる。)
[ 余談 ]
緑豊かな森林は人の心を安らげてくれる。夏の都会で、アスファルト砂漠の乾いた熱気の上を歩くと、死にそうな気分になるが、そんなときでも、公園の木陰に入ると、ひんやりとした涼しさと、優しい湿り気とで、生き返ったような気分にさせてくれる。また、そこには、穏やかな明るい緑の光と、葉や樹木の薫りとがあって、フレッシュな感じも与えてくれる。
森林のそういう優しさは、人工物や草地からは、なかなか与えられないものなのである。また、それは、バーチャルな殺人ゲームや、バーチャルな萌えゲームからも、与えられないものだ。
豊かな樹木のすばらしさをありありと感じ取ろう。都会にいるならばこそ、かえって、ときどき公園に入って、生気を取り戻そう。
【 参考情報 】
木陰の画像を見たければ、こちら。
→ Google 画像検索「緑陰」 ,「森の中」
※ 森林というものは、外から多くの葉々を眺めると素敵なのではない。
森林の内部に入って、静かな木陰のなかに身を休めると素敵なのだ。
特に、せせらぎや小川や泉や滝があると、いっそういい。
(それに比べて、芝生を植えて「緑化しました」なんてのは最低。)
【 関連項目 】
→ 生態系の維持
→ 陸地温暖化説
→ 陸地温暖化への対策 (針葉樹/広葉樹 など)
2008年08月27日
過去ログ

本稿、まさしくそのとおりですね。
森に降った雨は、地面と木に「貯水」され、長時間にわたって陸地の気温上昇を抑える。
アスファルトでおおわれた都会に降った雨は、短時間のうちに下水道にながれ、川となって、海に流れ込んでしまう。結果として、陸地には「貯水」されない。
そのことによって、陸地の温暖化が起こる、ということですよね。
さらに最近の「ゲリラ豪雨」による川での急な増水もこういうことに起因しているのでしょうね。
陸地に「貯水」されるという概念を今まであまり考えたことがありませんでしたが、目からウロコです。
もっとも、地下街が必要なほどの都会では、掘る余地もないかもしれませんが。
現在、幹線道路同士の交差は平面交差か、片側が跨道橋という例が多いと思います。片側3車線以上ある道であれば1車線を側道として残し、真ん中の車線を地下に埋め、上に森を作るのです。環8の井荻トンネルの上を森にするようなイメージです。ただし、井荻トンネルは交差する幹線道路の間隔が近いので連続立体交差になっていますが、基本的には幹線道路との交差点のたびに、地上にあがれる道を造ります。
・CO2の吸収
・騒音の抑制
・ヒートアイランド現象の緩和
・災害時の延焼防止
など、様々な効果が望めると思います。
東京では主要道の地下はたいてい地下鉄なので、実現の可能性は薄いですが。
ケータイで母親を呼び出し、母親が消防署か警察あたりに連絡したが、救助されなかった、という事件。