2008年07月06日

◆ 地球温暖化の有無

 前項では、マイクル・クライトンの「地球温暖化」についての主張を紹介した。それとは別に、私なりに見解をまとめてみよう。
 結論を言えば、「地球温暖化については何とも言えない」である。 ──

 最初に結論を言うと、「地球温暖化については、何とも言えない」(現状ではよくわかっていない)である。
 ここでは、「地球温暖化はない」というふうに否定するつもりはないが、少なくとも、「地球温暖化はある」というふうに肯定することもできない。そして、それにもかかわらず肯定的に断定するのは、非科学的であるし、眉唾である。

 ※ ここで言う「地球温暖化」とは、「人為的な地球温暖化」のこと。
   言葉が長くなるので、略記した。
 
 ──

 まず、局地的に言うと、「日本の温暖化」は明白にある。東京でも他の都市でも、ここ数十年、明らかに気温が上昇している。とはいえ、それは日本においての話だけだ。世界各地でも同じことが起こっているわけではなく、日本に限られる。日本では急激に都市化が進んだから、その影響もありそうだ。
 ともあれ、「日本でそうだったから、世界でもそうだ」というような推論はまったく成立しない。
 また、「日本の温暖化」にしても、全面的にイエスとは言えない。たとえば、今年の六月はとても涼しかった。台風の襲来も、近年は少なめだ。「何でもかんでも異常気象だ」というわけではない。特に、夏の深夜帯の気温の上昇は、都市化の影響がすごく大きいだろう。(クーラーの使用もそうだ。)
 
 ──

 次に、世界的な気温上昇について言うと、ここ数十年において気温上昇はたしかにあるようだ。ただし、その幅が問題だ。
 IPCC の報告では、ものすごい気温上昇が起こった、というグラフを示している。そして、こう結論する。
 「 1990年以降の気温の変化は、偶然このような変化が現れる確率は1%で、99%の確率で人為的要因による変化である」

 通常は、このデータと結論が「主流派の説」としてまかり通っている。しかしながら、これがきわめてあやふやである。なぜなら、このデータは非常に偏っているからだ。
  ・ 正確に得られたデータは、先進国(都市化された国)のみ。
  ・ 他の国々(途上国)は、百葉箱。しかし百葉箱の値は、不正確。
   (経年変化で白い塗装が剥がれると、気温上昇となる。)

  ( → 出典サイト による。)

 そもそも百葉箱というのは、日々や季節の気温変動を知るためにある。「冬は0度で、夏は 30度だ」というふうな。このくらいの大きな変動ならば、百葉箱で測定するに足る。
 しかしながら、長期的に見て、「20年間に 0.5度の気温上昇があったか否か」を知るには、百葉箱は全然適していないのだ。(そもそも目視によるので、 0.1度単位の精度をもたない。また、百葉箱そのものがそんなに寿命をもたない。経年劣化の影響もある。)

 比喩的に言おう。30センチの定規で鉛筆の長さを測るのはいい。しかし、30センチの定規を使って、百メートル競走の百メートルを測定して、「これはたしかにぴったり百メートルあるか、それとも5センチぐらいのズレはあるか」を知るには、まったく適していない。30センチの定規を何度も繰り返しているうちに、測定誤差が出る危険性が高いからだ。ここでは「測定誤差」( or 精度)の問題が非常に大きい。そのことに注意しよう。

 ところが、IPCC の調査では、このような「測定誤差」が十分に考慮されていない。「測定誤差」の問題を無視したまま、「地球温暖化が明白にある」というふうに、一挙にひとっとびで結論を出してしまっている。このような態度は、まったく「非科学的」と言えるものだ。統計学の基本原理さえわきまえていない、と言える。
 要するに、IPCC というのは、環境保護の点では「国際的に公正な科学調査」というふうに思われているのだが、まったくの嘘八百である。そこにあるのは「最初に結論ありき」という政治的な立場であり、「初めからある結論に合わせて統計を歪めて解釈する」という非科学的な立場だ。
 そして、この意味で、マイクル・クライトンが環境保護論者や世論を批判しているのは、まったく正しい。「地球温暖化がある」という主張は、「科学的な見解」というよりは、「科学的な洗脳活動」(世間を一方の思想に染めようとする政治キャンペーン活動)なのである。
 少なくとも科学的に見る限りは、「統計誤差が大きすぎるので、まだはっきりとしたことは言えない」というふうに結論するべきだ。

 ──

 では、環境保護論者の立場を離れて、もうちょっと正確に物事を見るとしたら、どうなるか? 
 人為的な測定手段(観測装置)というのはあやふやだから、もっと明白な直接的な証拠を得たい。そこで、南極の氷を調べたり、樹木の育成速度を調べたりして、気温や炭酸ガスの濃度を調べる、という調査もある。
 しかしながら、それによると、気温と炭酸ガスとのあいだには明白な比例関係はない。炭酸ガスの増加に関係なく、気温の上昇があることもある。
  → 出典サイト

 さらに面倒なのは、次の可能性だ。
 「炭酸ガスが上昇したせいで気温が上昇したのではなく、気温が上昇したせいで炭酸ガスが上昇した」
 こういう可能性もあるのだ。少なくとも、大過去における「比例」の部分においては。(それが正しいかどうかは不明だが、そういう学説もある。)

 ──

 さらに言おう。
 ここ 30年ぐらいにおいて、地球温暖化はたしかに見られる。しかし、その程度の気温変動は、過去において何度も見られてきた。当然ながら、同じように上昇した時期もあったし、逆に下落した時期もあった。波のように変動してきたわけだ。
 だから、30年ぐらいの短期的な変動を見て、「(長期的に)地球温暖化がある」と断言するには、まだまだあまりにもデータ不足なのである。「はっきりとしたことはわかっていない」と言うしかない。
 しかしながら、このような科学的な立場を離れて、勝手に外挿法の立場を取るのが、IPCC のような環境保護論者だ。
 「ここまで、1,2,3 というふうに増えたから、このままずっと増えるだろう。百段階まで進めば、値は 100 になるだろう」
 というふうに。つまり、「二度あることは三度ある、三度あることは百度ある」という発想だ。こういう発想のもとで、「百年後にはものすごい温暖化が起こって地球は破滅する」という結論が出る。
 しかしながら、「気温は波のように変動してきた」という過去の歴史を見れば、「三度あることは百度ある」というふうには言えない、とわかるはずだ。「上がれば上がる」ではなくて、「上がれば下がる」というのが、周期的変動の原則だ。

 このことは、株にも当てはまる。「ここまで上がってきたから、このあとも上がるだろう」と思って投資するのは、素人である。そういう外挿法の発想で投資すると、株価が上昇しきったところで株を買い、そのあとで株が大幅下落して損をするハメになる。素人判断の外挿法は禁物なのだ。
 にもかかわらず、現代の環境保護論者は、周期的変動をなす気温の一部を見て、外挿法で「百年後にはものすごい温暖化が起こって地球は破滅する」という結論を出す。まことに非科学的と言うしかない。

 具体的な例として、「海面上昇」がある。なるほど、「海面上昇」自体はある。温度が上昇すれば、水の体積が増えるので、海面は少し高まる。その幅は数センチ程度だ。
   → 出典サイト(グラフ)

 ただし、その影響が将来的にどのように出るかは、不明確だ。
 IPCC は、これを勝手に外挿法で推定して、「百年後にはものすごく海面が上昇する」と推定する。
   → 出典サイト(グラフ)
 しかしながら、先に見たように、気温の変動そのものが「ずっと上昇する」とは言えない。気温は今後は下がるかもしれず、その場合には、海面上昇もないことになる。
 つまり、「過去に数センチの幅で上昇したから、今後も数十センチも上昇するだろう」とは言えず、「過去に数センチの幅で上昇したから、今後は数センチの幅で低下するだろう」というふうになるかもしれない。何とも言えないのだ。
 しかも、この「数センチ」という値も、かなり疑わしい。測定方法にもいろいろとあるので、数センチも上昇したかどうか、疑わしい。(はっきりとしない。)

 海面上昇については、理論的計算から、次の見解もある。
 海水の熱容量は大気の熱容量の 1000倍以上あることがわかる。大気温度を1℃上昇させるに必要な熱エネルギーでは海水温は0.001℃しか上昇しない。大気温度を 1000℃上昇させる熱エネルギーがあってやっと海水温を1℃上げられる。
 大気中の温室効果ガス(二酸化炭素(CO2、水蒸気)の影響で大気温度が数℃上昇することは考えられても、海水温度が数℃上昇することや、氷がとけることは考えにくい。
 地球温暖化による海面上昇で人類が溺れる以前に、大気温度上昇(高熱化)により人類は滅亡するため、海面上昇はあまり気にすることはないと思われる。
( → 該当サイト
 つまり、海面上昇を引き起こすには、ものすごい大気温度上昇が必要だが、現実にはそんなことはありえない。大気温度がそこそこに留まっている限り、海面上昇などはほとんど起こらないのだ。にもかかわらず、海面上昇が起こっているという観測データがあるとしたら、その観測データは恣意的に歪められて採用された観測データだ、ということになりそうだ。

 なお、クライトンの書籍によれば、実際に観測された海面上昇は、せいぜいごくわずかな値らしい。測定方法もいろいろあって、厳密な値を断定できるほどではなく、また、あったとしても、数センチ程度に留まるらしい。……これについても「海面上昇の有無については何とも言えない」というのが、妥当なところであろう。少なくとも、「陸地が水没する」というほどのことはない。ま、数センチぐらいの変動はあるかもしれないが、それは一日の潮汐の変動(場所により1メートル以上)よりも、ずっと小さい。

( ※ なお、ツバルなどの珊瑚礁諸島が水没するというのは、別の理由も考えられる。珊瑚礁の島が、島の重みで地盤沈下していく、ということはあり得そうだ。また、局地的な地盤沈下が起こっているということもあり得そうだ。……この点では、局地的な事象を一般化することはできない。「一事が万事」という外挿法的な発想は成立しない。)

( ※ 余談だが、外挿法的な発想に、人々はあまりにもとらわれがちだ。「これまではそうだったから、未来でもそうだろう」と。その例は、プロ野球にも見られる。「昨年は巨人と中日が強かったから、今年もそのどちらかが優勝するだろう。阪神はずっと弱いだろう。昨年と同様に」と。これがシーズン前の専門家の予想だった。私だけは「阪神優勝」と思ったけれど、そう思った専門家は、阪神出身の専門家を除いてほとんどいなかった。……そして、今や現実には、「阪神のぶっちぎり」である。外挿法の発想なんて、全然アテにならないのだ。 → ほぼ同趣旨の話

 ──

 まとめ。

 地球温暖化がある程度起こっている、というのは正しい。ただし、その規模は、過去における気象の周期的な変動の幅を抜け出しるかどうかは、議論の余地がある。温暖化傾向が、本当に人間の炭酸ガスのせいなのか、あるいは違うのかは、何とも言えない。統計的誤差の範囲内を大きく逸脱してはいない。
 つまり、「地球温暖化なんか起こっていない」というふうに否定するつもりはないし、「地球温暖化はまさしく起こっている」と一応言えるのだが、それが人間の人為的活動のせいだと断言するのは非科学的だし、また、百年後にものすごくひどいことになっていると(予言的に)断言するのも非科学的だ。
 現状では、「よくわかっていない」「だから先のこともわからない」というのが、妥当なところだ。にもかかわらず、「地球温暖化はものすごい問題だ」と大騒ぎするのは、科学的に妥当ではない。
( ※ その意味では、環境保護論者への批判論者[クライトンなど]の意見は、まったく妥当である。)



 [ 付記1 ]
 ただし、だからといって、「地球温暖化を阻止する京都議定書などを守る必要はまったくない。炭酸ガスを出し放題にしていい」と主張するつもりもない。
 なるほど、「地球温暖化は人為的な炭酸ガスのせいである」とは言えないが、「地球温暖化は人為的な炭酸ガスのせいではない」とも言えないからだ。肯定できないからといって、否定できるわけではないからだ。
 この点では、私は、クライトンの立場(否定論)とはかなり異なる。これについては、前項で述べたとおり。

 [ 付記2 ]
 単純に言えば、地球温暖化を声高に唱えることは、「オオカミが来た」という嘘を声高に唱えることだ。
 それは明らかに(根拠のない)嘘であるのだが、その嘘を叫ぶ少年は、「だって本当にオオカミが来たのを見たんだよ」と信じきっている。本当は、彼が見たのは、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」であって、ただの犬の遠い姿であったのだが、勝手に勘違いして、「オオカミが来た」と叫ぶ。
 彼が叫ぶのは善意ゆえだし、人々を救おうとしてのことだ。だが、彼がそう叫ぶせいで、人々の仕事はメチャクチャになり、人々は大損する。
 そしてまた、彼が叫んでいることは、常にまったくの嘘だというわけではない。十回目ぐらいには、それが真実となり、まさしくオオカミが寄せてくる。(確率的に、10分の1の真実。)
 では、こういうふうに大げさな嘘をつくことは、善なのか、悪なのか? ……これが地球温暖化の問題だ。マスコミの多くは、「善意ゆえなのだから、少しぐらいの嘘と誇張は許される」と考える。クライトンや私は、「あまりにも誇張された言葉は、嘘であって真実ではないぞ」と指摘する。すると環境保護論者は、曲解して、揚げ足取りをして、「だったら省エネなんか何もしないでいいというのか? 途方もない無駄をやり続けてもいいというのか?」と非難してくる。 
 こうして彼らは、自分の嘘を正当化する。 (政治活動とはそういうものだ。真実か否かではなくて、嘘の正当化をするものが勝者となる。  (^^); )
 
 [ 付記3 ]
 炭酸ガスの抑制は、「地球温暖化阻止のため」ではなくて、「限られた資源を有効に使うため」という意味で、絶対に必要である。(前項で述べたとおり。)
 そして、このことは、意外な方面で明白になる。たとえば、次のことだ。
 「米国の三大自動車メーカー(ビッグスリー)は、大型の高燃費車の売れ行きが悪くなったせいで、シェアをどんどん落として、規模が縮小し、そのせいで大幅赤字になっている。いずれも倒産寸前の状態だ」
   ( → 2008-07-05 ごろの新聞報道。)
 石油資源が限られているならば、石油価格は高騰する。それに応じて消費者はガソリンがぶ飲みの大型車を嫌う。なのに、そういう時代の趨勢を見抜けずに、「省燃費なんかどうだっていいのさ」なんてうそぶいていると、自分で自分の首を絞めることになるのだ。
 情けは人のためならず。省エネは人のためならず。他人でなく自分のために省エネは必要である。……それが人類の取るべき立場だ。
 人類は、地球環境を救うためではなく、自分の生活を救うためにこそ、省エネをする必要がある。これが基本原理だ。
 とはいえ、マスコミの多くは、その真実を知らせず、「地球環境を救おう」というようなデタラメばかりを、非科学的に報道する。悪意のない嘘ではあるが、嘘が出回るせいで、嘘を信じなかった人々がかえって苦しむハメになる。嘘はまことに罪深い。
 
 [ 付記4 ]
 ついでに現実の結果のことを述べておこう。
 「地球温暖化を阻止するために、炭酸ガス排出量を削減する努力をしよう」
 というのが京都議定書やG8サミットの方針だ。しかし、こんな方針は、ほとんど意味がない、と言える。
 (1) こんな方針をしようがするまいが、どっちみち、炭酸ガス排出量は増える。中国やインドや途上国の石油需要は増えるし、各国の石油供給も増えるから、毎年少しずつ、炭酸ガス排出量は増える。……そして、「炭酸ガス排出が破滅をもたらす」というシナリオが真実であるとすれば、世界はまさしく破滅してしまうのだ。(私はそんなことがあるとは信じないが、恐怖に駆られた人々はパニック状態になって、右往左往するだろう。)
 (2) 「世界が破滅する」というパニックに駆られて、「どうしても炭酸ガス排出量を減らさねば」と思うのであれば、世界の石油生産を大幅に減少させる必要がある。つまり、石油価格高騰が起こっている現時点において、石油を増産するのではなく、石油を大幅に減産する必要がある。……だが、そんなことをすれば、「石油価格の大幅上昇」が起こって、世界経済は壊滅的になるだろう。ガソリンなどの価格は3倍ぐらいに上昇して、さまざまな生産活動が大幅に停滞してしまうかもしれない。下手をするとスタグフレーションとなり、バブル破裂を上回るすごい不況が押し寄せるかもしれない。(しかも今度はデフレではないから、「物価上昇」というおまけが付く。ダブルパンチだ。)

 環境保護論者は、「炭酸ガスを減らそう」と唱えるとき、「石油燃料の需要を減らそう」と唱える。しかし、「石油燃料の需要を減らすこと」で得られる結果は、「石油燃料の価格を下げること」であって、「炭酸ガスを減らすこと」ではない。
 そして、「炭酸ガスを減らすこと」を目的とするのであれば、「石油燃料の需要を減らそう」と唱えるのではなく、「石油燃料の供給を減らそう」と唱えるべきなのだ。……そして、その結果は、石油価格の異常な高騰である。
 そんなことでいいのか? 来るか来ないかもはっきりとしない破滅を恐れて、現在の生活を根本的に破壊するようなことがあっていいのか? 莫大な損失ゆえに(主として途上国で)数千万人か数億人が死ぬかもしれないというのに。
( ※ 現実には、サミットの先進国は、石油の増産という方針を打ち出している。つまり、馬鹿ではないが、自分の言っていることが矛盾していることに気がつかない。一方では「石油節約・炭酸ガス減少」と言い、他方では「石油増産・炭酸ガス増加」と言う。論理的破綻をしても気がつかないわけ。)

 [ 付記5 ]
 そもそも、私の考えでは、「省エネをしよう」というのは、「石油不足に対処して生活を守るため」(価格高騰を防ぐため)であった。ところが、「炭酸ガス抑制のため」というのを目的にするのであれば、「石油減産をせよ」という結論となり、価格高騰を防ぐどころか、かえって招いてしまう。不幸を避けるどころか、かえって招いてしまう。これでは本末転倒であろう。
 だからこそ、やたらと「炭酸ガスを減らせ」とヒステリックに騒ぐべきではないのだ。まして、「太陽光発電や燃料電池に数千億円を投じよ(大金をドブに捨てよ)」などと唱えるべきでもない。
 恐怖にとらわれて、パニック状態になることは、人類を破滅させる。人類を破滅させるものは、炭酸ガスではなくて、「炭酸ガスが怖い」という妄想なのだ。

( ※ クライトンは「恐怖の存在が必要だ」と述べているが、とんでもない。恐怖などはあってはならないのだ。恐怖は、必要なのではなくて、人間の愚かさに付随するものだ。ほしいからあるのではなく、ほしくもないのにあるのだ。人間の愚かさゆえに。……だから一番大事なのは、「人間は愚かな存在だ」ということを理解することだ。恐怖であれ何であれ、人間は自分の必要とするものを制御できるほど賢明ではない。ほしくもないものをあえて招いてしまう、という愚かな存在なのである。そして、それに気づくことが大切だ、と唱えるのが本サイトだ。「パニックにならずに冷静に科学的に考えよ」と。)

 [ 付記6 ]
 私見を言えば、「気候変動」なんて、大した問題ではない。過去の地球の歴史では、すごい氷河期が何度もあったし、もっと暑い時期もあった。長い地球の歴史のスケールでは、現在の気候変動の幅は、ほとんど無視できるほどだ。「地球が破壊される」と想像するのは、ほとんど杞憂だと思える。
 仮にグリーンランドの氷が全部溶けたって(そんなことは現実的にはありえないと判明しているが)、それでも地球の気象の大幅な変動のひとこまにすぎない。「気温が急低下する」ことは生物環境に大きな影響をもたらすが、「気温が少し上昇する」ことはあまり大きな影響をもたらさない。
 どうせ心配するなら、(バイオエタノールの増産による)森林の減少や、(穀物の増産による)河川の水量減少や干潟の減少の方を、心配するべきだろう。こちらの方がよほど生物に悪影響がある。
 平均気温が1度上がることを心配するよりは、莫大な土地環境を破壊していることの方こそ、心配するべきだ。
( ※ といっても、人間はエゴイストですけどね。自分の心配ばかり。そういうエゴイスト連中が「地球温暖化」を心配して、「環境破壊」の方をなおざりにする。歪んでいますね。)
 


 【 関連項目 】
  → 前項(マイクル・クライトンと地球温暖化)
  → 次項(環境保護と市場原理)
posted by 管理人 at 15:00| Comment(3) | エネルギー・環境1 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
海水の熱容量は大気の熱容量の 1000倍以上あることがわかる・・・地球温暖化による海面上昇で人類が溺れる以前に、大気温度上昇(高熱化)により人類は滅亡する

この説はちょっと感覚的に納得できないものがあるので、ちょっと考えてみました。

マクロなモデルで太陽と大気と地球を考えると、熱的な平衡状態で地表付近の大気温度が1℃あがったとすれば、地表面の温度も1℃あがっていると考えるのが妥当であり、地表面が1℃温度上昇するような状況が発生するとすれば(地球表面全体を1℃あげるほどの熱量があれば)、大陸上の氷もそれなりに溶けるのではないでしょうか。
Posted by Murata at 2008年07月09日 00:26

 納得しにくいかもしれませんが、短期と長期で分けて考えるとわかります。
 一定の熱量があるとして、その熱量の温度上昇効果があるとします。
 短期的には、その熱量は大気だけを暖めて、海水にはほとんど影響しません。大気ばかりが急上昇します。(1000倍で)
 長期的には、大気と海水を同じ温度にしますが、その過程で、大気の熱量は海水に吸収されるので、海水が温まった分、大気の温度は下がります。(1000分の1になります。)
 引用した文章は、ちょっと不正確なところがありますね。その意味で、疑問は妥当ですが、上のように理解するといいでしょう。
Posted by 管理人 at 2008年07月09日 17:19
沈着冷静な証言と拝読いたしました。
南北両極地グリーンランドの氷の融解が今にも起きると思っていました。
原子力 風水力 太陽光発電に早く早く日本は何をしてるんだと大変個人的にはあせっておりました。
そして気候変動 確かにこの20年ほどはここ横浜市内も雪がほとんど降らず、ヤッパリと思っていましたが...。
ツバルの島崩壊原因は日本では海面上昇とばかり報道され、島自体のサンゴ礁成り立ちのための脆弱性、人間自体の破壊は一切報道がありません。もう少し理系 少なくとも中学校高校の化学 生物 数学ぐらいはちゃんと基本として身につけておくべきと痛感しております。
Posted by 普通人 at 2010年02月08日 14:02
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