2008年05月17日

◆ 新常用漢字の基準は中国語か

 新常用漢字を定める審議会では、漢字の選択基準として、何を用いているか? 驚くべきことに、「日本語よりも中国語の用例を重視する」という方針である。こんなことでいいのか? 
          ( ※ 本項の記述は 2008-07-13 ) ──

 常用漢字というものは、日本語のためにあるはずだ。とすれば、日本語の用例を基準にして、選択の当否を決めるべきだ。
 実際、そのための用例集としては、日本語の用例集をたくさん用いている。(印刷会社・週刊誌・新聞・ネット・教科書・ KOTONOHA など)
  → internet watch 2

 ところが、である。この頻度調査をそのまま使えばいいのだが、あえてこの頻度調査を歪める方針を打ち出した。次のように。
 「日本語の用例の分については無視して、中国語(漢語)としての用例のみを見る」

 換言すれば、こうだ。
 「訓読みの用例は無視して、音読みの用例のみを見る」

 驚くべきことだが、これは事実だ。
  → internet watch 5

 ──

 具体的な例を挙げよう。
 「覗」「馴」という漢字は、「のぞく」「なれる」という訓読みがある。また、これらの語は、「除く」「慣れる」という同訓異義語との区別のためにも、漢字が是非とも必要だ。
 しかも、頻度はとても高い。当り前だ。小学生でも使うような平易な日本語なのだから、「覗」「馴」という漢字は常用漢字として当然あるべきことなのだ。そのことは、「常用漢字は日本語のためにある」という原則からすれば、当然のことだ。

 ところが、審議会は、この常識を捨てた。かわりに、次の方針を取った。
 「『覗』や『馴』という文字は、訓読みでは多用されるが、音読みでは熟語の用例が少ない。いくら訓読みで多用されていても、音読みの熟語例が少なければ、そのような単語は採用しない」


 つまり、こうだ。
 「日本語としてどんなに多用されていても、中国語としての用例が少なければ、その文字は日本語としての資格がない」


 これはつまり、こういうことだろう。
 「日本語は中国語の一部にすぎない。独立した言語ではない。だから、日本語が独立した言語として文字を決めるのは、おこがましい。あくまで日本語は中国語の一部として、中国語の用例にしたがって決めるべきだ。日本語の用例がどんなに多くても、中国語としての用例が少なければ、中国語の立場からその文字は否定される」

 
 つまり、日本語と中国語の関係は、下僕とご主人様である。下僕にとってどんなにその文字が必要であっても、ご主人様にとって必要性がない限り、その文字は採用されない。下僕の独自の必要性なんて、最初から採用の原理から排除されるのだ。
 これが、現在の審議会の取った方針である。まことに馬鹿げたことであるが。

 そして、その結果、 「覗」「馴」などの文字が排除された。
 さらにまた、「這」という字は(あとで排除されたのではなく)最初から採用されなかった。これは「這う」「這い回る」などに用いて、頻度も非常に高いのだが、「日本語に用いる漢字は必要ない」(!)という奇妙な方針のもとで、除外されてしまったのだ。
(採否の基準はあくまで中国語である。)
(「俺」という字もまた、似た事情にあるようだ。さすがにこの文字ははっきりと「除外」とまでは行かず、宙ぶらりん状態だが。)

 ──

 では、なぜ、こういう馬鹿げたことが起こったか? 理由はこうだ。
 「委員がすべて漢字オタクである」

 漢和字典を見ればわかるように、漢字関係の専門家というのは、中国語の文字の専門家である。漢和字典はあくまで「中国語の漢字を読むための字典」であって、「日本語の漢字を読むための字典」ではない。
( ※ 後者に該当するものは、「新潮日本語漢字辞典」ただ一つである。あとはすべて、日本語系でなく、中国語系。用例は「巧言令色少なし仁」などの漢文。) 

 そして、こういう漢字オタク(中国語オタク)が、日本語のための漢字(常用漢字)を決めようとしているのだ。「漢字のことは漢字の専門家に任せろ」とばかり。

 しかし、常用漢字というものは、漢字の専門家が決めるべきことではなく、日本語の専門家が決めるべきことだ。そこには難しい文字などは何もない。単に日本語としての用例だけがあるはずだ。
 とはいえ現実には、委員は漢字の専門家が大部分だ。漢字の大好きな連中ばかりが集まっており、日本語の大好きな連中は排除されている。(小説家や詩人などはいない。ネットに棲息する漢字オタクならいっぱいいるが。)

 そして、その結果、日本語の基本基準は、中国系の人々に乗っ取られてしまったのである。中国による日本侵略は、意外なところで成功してしまった。    がく〜(落胆した顔)



 [ 付記 ]
 審議会の方針がいかに馬鹿げているかは、次の方針と対比するといい。
 「中国語における基本漢字の選定は、中国語の用例にはよらずに、日本語における中国漢字の用例に従う」(中国人はそんな馬鹿げたことはしないだろうがね。)
 「 Oxford 英和辞典における、日本語由来の英語(sushi など)は、英語におけるその語の頻度にはよらずに、日本語における日本語としての用例で決める。英語としては全然使われていない日本語を、『よく用いられる重要な英語』として Oxford 英和辞典に採用する」(英国人はそんな馬鹿げたことはしないだろうがね。)

 中国人であれ英国人であれ、馬鹿げたことはしない。しかし日本人だけは、馬鹿げたことをする。よほど中国に侵略されたがっているのだろう。……とか、すでに頭が中国に侵略されてしまっている。エイリアン同然。
 こういう委員は、全員クビにするべし。そして一からやり直すべきだろう。さもないと、日本語が中国に侵略されてしまう。
(といっても、侵略されることは目に見えている。将来的には、今回の馬鹿げた「新常用漢字」を全面改定する必要に迫られるだろう。そのときは、中国かぶれでない、真の日本人によって決めてもらいたいものだ。)
posted by 管理人 at 16:57| Comment(0) |  文字規格 | 更新情報をチェックする
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