( ※ 「自分の遺伝子」シリーズの「ライオンの子殺し」の関連 ) ──
ハヌマンラングール ( → 写真 )という猿は、「子殺し」をする。
この話題についての記事があったので、紹介しよう。(朝日・朝刊・特集面 2008-04-28 )
ただ、引用する前に、注記しておく。
記事では「特殊な出来事」「異常な出来事」という言葉があって、人々からは異常な出来事だと思われていた、と記されている。
しかしこれは、学界の常識であって、世間の常識ではない。なぜか? ここには、言葉の誤解があるのだ。
ここに述べられている「子殺し」とは、(自分の)子を殺すことではない。そんな異常なことをする生物は、この世に一つもない。
ここで述べられている「子殺し」とは、自分の子を殺すことではなく、他者の子を殺すことである。それは「子殺し」ではなく、「継子殺し」である。そして、親が継子(ままこ)を虐待したり殺したりすることは、決して珍しくない。人間にもときどき見られる。
だから、いわゆる「子殺し」とは、子殺しのことではない、と理解しよう。そんな呼び方は、男を女と呼び、女を男と呼ぶようなもので、概念の混乱を引き起こす。
以下では、慣習に従って「子殺し」という言葉を使うが、そこで意味されているのは「継子殺し」のことだ、と理解してほしい。ここを混同すると、とんでもない思考の混乱に陥ってしまうだろう。
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記事の要旨を示す。
- インド・デカン高原西部のダルワール近郊に、ハヌマンラングールという猿中型の猿がいた。それを杉山幸丸が観察した。
- 群は、一匹のオスと複数のメスと複数の子からなる群を形成していた。ハーレムふう。(オスはボスである。)
- 群を形成していない若いオスもいて、若いオスたちの群もあった。
- あるとき、ハーレムふうの群を、若いオスたちの群が襲撃して、乗っ取った。元のボスは追放された。
- 若いオスのうちの一匹が、新たなボスとなった。
- 新たなボスは、ハーレム内の子を殺した。(子殺し=継子殺し)
- するとメスが発情した。
- メスが発情したので、新たなボスはメスと交尾できるようになった。
「子殺しをした結果、メスが発情して、オスが交尾できるようになった。とすれば、オスが子殺しをするのは、メスを発情させて、自分の遺伝子を多く残すようにするためだ。つまり、オスが子殺しをするのは、自分の遺伝子を増やすためだ」
なお、この説の前提には、次のことがある。
「子殺しをする遺伝子がある」
つまり、子殺しをする遺伝子をもつ個体は、子殺しをするので、自分の遺伝子を増やせる。子殺しをしない遺伝子をもつ個体は、子殺しをしないので、自分の遺伝子を増やせない。だから、子殺しをする遺伝子をもつ個体が増える。……そういう論理だ。
しかしながら、子殺しをするか否かは、遺伝子で決まるとは言えないようだ。
- ヒマラヤのハヌマンラングールの群では、ハーレムを形成せず、複数のオスがいるが、そこでは「子殺し」はない。
- ゴリラでは、子殺しがあったりなかったりする、ということが見られた。( 60年代のルワンダでは子殺しがあったのに、90年代のルワンダでは子殺しがなくなった。78年以降のコンゴでは子殺しがなかったのに、2003年以降のコンゴでは子殺しがあった。)
( ※ なお、参考で言えば、ハヌマンラングールのいるダルワールという地方も、あまり肥沃な土地ではなく、生存は容易だとは言えないようだ。)
「子殺し」という現象は、ハヌマンラングールとゴリラのほかに、チンパンジーやライオンなどでも見出されるという。そのいずれも、「ボスがいて、ハーレムを形成する」という共通性があるようだ。つまり、ハーレムを形成する場合にのみ、子殺しが見られる。
一方、同じ種でも、ハーレムを形成しない場合には、「子殺し」は見られない。(ヒマラヤのハヌマンラングールがそうだ。複数のオスがいて、ボスはいない。)
また、もともとハーレムを形成しない種では、やはり「子殺し」はない。(テナガザル。一夫一婦制)
また、メスが子育て中(妊娠・授乳中)にも交尾できるボノボでは、子殺しがない。
(記事の要旨、終了。)
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以上のことのポイントを整理しよう。
まず、「子殺し」とは、子を殺すことではなく、継子を殺すことである。
また、子殺しをするのは普遍的な現象ではなく、ある種の条件が必要だ。
- ハーレムを形成すること
- 環境が苛酷であり、生存が困難であること。
(ここで言う「生存」とは、自分の生存だけでなく、子孫の生存をも意味する。)
「利己的遺伝子説」は「目的論」を取っている。「子殺しをすると、交尾ができる。だから、交尾をするために、子殺しをするのだ」と。
こういうふうに「××のために何かをなす」というのは、目的論である。しかし猿は、何らかの目的をめざして、論理的に行動しているわけではない。それを目的論で説明するのは、科学的な説明ではない。比喩にはなるが、ただの文学的な説明であるにすぎない。そんなものは、いくらわかりやすくても、理屈にはなっていないのだ。( → 前出1 ,前出2 )
科学的に考えるなら、「目的」よりも「原因」を考えるべきだ。なぜハヌマンラングールやライオンでは、そういうことが起こるようになったのか? 結果がどうかではなく、どういう原因があったのか? ……すると、次のことがわかる。
そもそも、生物(有性生物)における基本原理として、「親は子を大切にする」という原理がある。( → 利子主義 )
特に哺乳類では、母親にその傾向が強い。哺乳類の子は母親による育児(授乳)を絶対的に必要とする。それゆえ、母親は何よりも子を重視する。(仮にそうでなければ、その種は滅びてしまう。)
ここでは、母親にとっては、子が最重要であり、次が自分であり、その次がオス(夫)である。つまり、オスにとっては、メスにおける自分の位置は、三番目であるにすぎない。ないがしろにされているわけだ。オスは、メスにとって、単に「子の父親」であるにすぎない。(結婚したたいていの男性諸氏は実感しているはずだ。)
しかも、その子が他のオスの子であるとすれば、オスはメスにとって「子の父親」としての位置さえもない。三番目どころか、ただの他者であるにすぎない。通りすがりの風来坊と同じような位置だ。たまたまちょっと同棲しているだけであって、絶対的な位置ではない。
そこで、オスは、継子を殺す。その意味は? 「メスにとって子の将来の父親」としての位置を得るためだ。こうして、(まだ子のいないメスにとっては)オスはメスにとって最重要の位置を得ることができる。つまり、愛を得ることができる。(メスにとってオスは、自分の子の父親なのだから、何よりも大切となる。自分と同じくらいに。)
以上のことの本質を言えば、こうだ。
「オスが継子殺しをする理由は、メスの愛を得るためである。もし継子殺しをしなければ、メスはオスを愛さず、ハーレムが崩壊してしまう。したがって、ハーレム社会を維持する種においては、継子殺しが必然となる」
ここでは、「ハーレム社会の維持」が先にある。そして、そのために、「子殺し」という現象が見られる。当然ながら、ハーレム社会のない種においては、「子殺し」もないはずだ。
実は、親が継子を重視しないのは、あらゆる種においてみられる。人間だって、継子を大切にすることはない。ただ、たいていの種では、オスは継子を大切にしないで放置するだけだが、ハーレム社会を維持する種では、オスは継子を殺す。継子に対する扱い方がちょっと違うだけで、本質的には大差があるわけではない。
ともあれ、根源としてあるのは、「ハーレム社会を形成するか否か」である。「子殺し」という現象は、ハーレム社会から派生するだけのものだ。別に普遍的な現象ではない。
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あらためて考え直そう。利己的遺伝子説との対比で考える。
「自分の遺伝子を増やすために子殺しをする」
という利己的遺伝子説は、成立しない。それだったら、他の動物だって、子殺しをするはずだ。特に、継子に限らず、あらゆる他者の子殺しをするはずだ。そうすれば、自分の遺伝子を多く残せるのだから。……しかし、そんなことはありえない。
また、利己的遺伝子説では、「子殺しをするとメスが発情するから」と述べているが、「なぜそうなのか?」を述べていない。「子殺しをするとメスが発情するのはなぜか?」を示さないと、「メスを発情させるために子殺しをする」という説明は、ただのトートロジーにしかなっていない。説明になっていないのだ。
では、正しくは?
基本としてあるのは、「利子主義」である。メスは何よりも子を大切にする。だから、子育て中には、発情しない。(もし子育て中にやたらと発情すると、育児がなおざりになるので、子が死んでしまって、種が滅びてしまう。だから、育児中には発情しないように、生物学的にホルモンで抑制されている。)
一方、メスが子を失うと、ホルモンによる抑制から解放される。そのせいで、発情することができるようになる。
つまり、「子殺しによってメスは発情する」のではなくて、「子殺しによって、発情の抑制から解放される」のである。(似ているが異なる。)
そして、発情の抑制から解放されたメスは、新たなオスとのあいだに、新たな子を作ろうとする。つまり、メスとオスとのあいだに「愛」の関係を築こうとする。これは有性生物(特に哺乳類)の基本原則だ。
結局、こう言える。継子がいる間は、オスはメスとのあいだに生物の基本原則を構築できない。そこで、オスはメスとのあいだに生物の基本原則を構築するために、継子を殺す。これは不思議でも何でもない。
そして、なぜそうするかと言うと、その種がハーレムを形成するからだ。
ハーレムを形成しない種では、他者の女房と恋愛関係を結ぶことはない。他にいくらでも未婚のメスがいるのだから、あえて他者の女房と恋愛関係を構築する必要はない。妊娠中のメスや、育児中のメスなど、ほったらかしていい。未婚のメスと交尾すればいいのだ。
しかるに、ハーレムを形成する種では、そうではない。未婚のメスを自分のものとするだけでなく、他者の女房だったメスをも自分のものにしようとする。あっちのメスもこっちのメスも、群のなかのすべてのメスを自分のものにしようとする。そこで、他者の女房だったメスが、その子(オスにとっては継子)を大切にしないで、オスの方を大切にするようにと、継子を殺すわけだ。
こうして、「ハーレムを形成するか否か」で、子殺しの有無が起こる、とわかった。
要するに、通常の種では、人妻には見向きもしないで、未婚女性を狙うのだが、ハーレムを形成する強欲なオスのいる種では、未婚女性を狙うだけでは飽き足りずに、人妻をも得ようとする。そこで、人妻を「母親」でなく「ただの女」にするために、継子を殺すわけだ。
( ※ これはエゴイズムの極致であろう。普通の種では、こういうことは起こらないのだが、エゴイズムの強い種では、こういうことが起こる。そして、すべてをエゴイズムで説明しようとする利己的遺伝子説では、このような特殊事例を普遍的なことだと見なして、「自分の遺伝子を増やすためには当然なのさ」とうそぶく。)
※ 補足的な説明を記す。
[ 付記1 ]
正解ではなく、誤認を示そう。
次の認識はまったくの間違いだ。
「人間では自分の子を大切に守るのに、ハヌマンラングールは自分の子を殺す」(つまり、「継子殺し」でなく「真の子殺し」をする。)
このような誤認をしてはならない。
第1に、人間だって、継子を大切にしない。また、他の種だって、オスが継子をいちいち育てるような種は、ほとんどないだろう。(気がつかないまま育てていることはあるだろうが。人間だって、気がつかないまま、他のオスの子を育てていることは、かなりあるようだ。それと同じ。)
第2に、ハヌマンラングールは、継子に対する扱い方がちょっと過激なだけだ。他の種では、単に餓死させるだけだが、餓死させる前に積極的に死なせているだけだ。つまり、時間の節約を取るだけだ。(他の種では、オスが積極的に育児しないことで、継子を餓死させてしまうことは、いくらでも見られるだろう。人間だって、大差ない。「途上国の飢えた子供に支援を」と言われて、財布の金を出す人はほとんどいない。)
[ 付記2 ]
本項の説明では、問題が一つ残る。次のことだ。
「なぜハーレムを形成するのか?」
ライオンであれ、ハヌマンラングールであれ、ハーレムを形成する。その理由は、何か? 私としては一応、次のように答えよう。
「環境が苛酷であるからだ。そのせいで、淘汰圧が強まり、優勝劣敗の原理が強まった」
ライオンであれ、ハヌマンラングールであれ、ゴリラであれ、その生存環境は、かなり厳しい。ライオンやゴリラだと、体が大きいせいで、大量の食物を摂取する必要がある。そうしなければ、生存できない。しかるに、それが困難だ。
となると、苛酷な環境における強い淘汰圧のもとで、優勝劣敗の原理が強く働く。優者は生き延び、劣者は滅びる。そのことが、今生きている個体(親)において働くだけでなく、将来生まれる個体(子)においても働く。……かくて、エゴイスティックで強力な個体がたくさんの子を残す。エゴが弱かったり、体が弱かったりすると、子を残せずに、滅びる。
だから、「ハーレムを形成するのは、環境が苛酷だからだ」と説明できる。こうして、環境の変動と子殺しとの有無との関係(前述)もまた、説明される。
※ 環境の苛酷さについては、次を参照。
→ 自分の遺伝子 9 (解説D) の (4) 生存と自然淘汰
[ 付記3 ]
本質的に考えよう。
自然淘汰説では、「生存競争」が起こる。とすれば、自分が生き延びるためには、他者の利益を減らすことも厭わないはずだ。
特に、環境が悪化して、個体数が減少するときには、他者を死なせることが自分が生き延びることと等価になる。そこでは「殺しあい」は当然なのだ。
そして、その「殺しあい」が、自分でなく次世代のレベルで起こるのが、「継子殺し」だ。親同士の闘争が、別のレベルで現れただけのことだ。
だから、「子殺し」の本質は、「自然淘汰」があることではなくて、「自然淘汰が過度にあること」である。そして、その理由は、「環境の悪化」もしくは「環境の苛酷さ」であろう。環境が悪化すれば、どのような生物だって、似たようなことをなすだろう。(自分の生存と繁殖のために、他者を犠牲にする。エゴイズムの極度の貫徹。)
図式的に示せば、次の通り。
環境の悪化 → 自然淘汰の強化 → エゴイズムの強化 → 他者の抑制
[ 付記4 ]
したがって、次のいずれも間違いである。
1. 世間常識
「人間は他者を殺そうとはしない。人間は他者を傷つけてまで生きようとはしない。」
⇒ それが嘘八百だということは、世界各地の戦争を見ればわかる。
2.利己的遺伝子説
「(人間でなく)動物が子殺しをするのは当然だ。自分の遺伝子を増やそうとするためなのだから。」
⇒ それが嘘八百だということは、たいていの動物が「子殺し」をしないことからわかる。「子殺し」はあくまで、苛酷な環境における出来事なのだ。
[ 付記5 ]
なお、利己的遺伝子説に準じれば、こう言える。
子殺しの理由を「自分の遺伝子を増やすため」と説明するのでは、まともな説明にはならない。どの種にも同様のことが当てはまるから、どの種でも子殺しが起こりそうになるからだ。
むしろ、どうせ言うなら、「自分の遺伝子を増やそうとする傾向が強まったため」と言うべきだ。「自分の遺伝子を増やすため」という傾向があるとしても、それは通常は他者の子を殺すほどではない。ただし、環境が非常に苛酷になり、現在の個体の半分ぐらいは子孫を残せない(子孫が将来的に半減する)というような苛酷な環境においては、「自分の遺伝子を増やすため」という傾向を強めざるを得ない。他者を滅ぼしても、自分の子を残そうとする。そういうふうに、エゴイズムが極度に強まる。……それがつまり、「ハーレムを形成する」ということだ。
私の主張では、生物の目的は、「将来の子孫を残すため(増やす必要はないが絶やさないため)」というふうになる。( → 系統の存続 )
そのことを、「自分の遺伝子を増やすため」というふうに歪めて表現してもいい。
ただし、そうだとしても、それは子殺しの説明にはならない。子殺しの説明をするには、「将来の子孫を残すため」または「自分の遺伝子を増やすため」というふうに説明するだけでなく、「その傾向が極度に強まったからだ」と説明する必要がある。
こう説明してこそ、環境との関係も説明できるのだ。
[ 付記6 ]
おまけで、チンパンジーの例を説明しておこう。
チンパンジーも、子殺しをする。しかし、乱婚なので、ハーレム社会を形成するとは言えない。
→ チンパンジーの子殺しとカニバリズム(1 (*)
→ チンパンジーの子殺しとカニバリズム(2
しかし、チンパンジーは、乱婚だとはいえ、単純なフリーセックスの社会ではなく、ボスがいて、ボスの性的な優位もある。
→ ボスは、他のオスよりも、多くの子どもを残す
以上をかんがみると、次のように言えそうだ。
「チンパンジーは、半分だけのハーレム社会である。完全なハーレム社会ではないが、ハーレムのない平等な社会でもない。ハーレム社会の傾向がいくらかはある。だから、子殺しの傾向もいくらかはある。
上記記事 (*) には、次の指摘もある。
チンプの群れで肉食が起きるのは、そもそも集団内に興奮状態が高まっているときであり、肉食で興奮するのではなく、興奮しているときに肉食がおこるように思われると鈴木氏は指摘している。これは、「子殺しの傾向もいくらかはある」ことの証明だと言えよう。
なお、「乱婚だから、子殺しをするときの子供は、自分の子供である可能性もある」と上記記事には記してあるが、そうとは言えない。なぜならチンパンジーは頭がいいから、相手のメスと交尾したことがあるかどうかを、覚えているかもしれない。チンパンジーにだって好みはあるだろう。オスにとって「自分とはやらせてくれないメス」(または、オスがやる気にならなかったメス)というのは、自分の子供を産んでいないはずだ。とすれば、その子供を殺すとしても、不思議ではない。
動物学者が思うほど、チンパンジーは馬鹿ではないのだ。
【 参考 】
本項は、前述の「ライオンの子殺し」の補足的な意味合いがある。
→ 自分の遺伝子 4 (子殺し・性淘汰)
※ この項目でもまた、「ライオンの子殺し」を話題として、
本項と似た趣旨のことを述べている。「淘汰圧の強化」など。
ただ、本項の方が、より本質的である。