( ※ 本項の実際の掲載日は 2011-08-03 です。)
「生命とは何か?」
「生命の本質とは何か?」
という問題については、すでに十分に示してきた。解答はすでに与えられている。本項では、総集編ふうに、簡単にまとめる。(結論だけ。)
ざっと簡単に要旨を示せば、次の通り。
──
(1) 遺伝子の意味
遺伝子と生命との関係は、これまでの4項目で述べてきた。引用しよう。
「生物の本質は、生と死をもつことだ」
(そして、いったん死んだものは、生き返らない。物質とは異なる不可逆性がある。)
生物の本質は、「生きること」だ。これは、いかにも当り前ふうのことだが、まさしく本質的なことなのだ。
生物の本質を知るには、「生物と無生物とのあいだ」を知ればいいのではない。「生物と死体のあいだ」を知ればいいのだ。そして、これについて考察すれば、こうわかる。
「生物が生きているとは、遺伝子があるということだけでなくて、遺伝子が活動しているということだ」
生物が「生きている」とは、「遺伝子がある」ということではなく、「遺伝子が作用している」ということだ。
遺伝子は、個体の「誕生」のときに作用するだけでなく、個体の「生存」のときにも作用する。
「動的平衡」という概念……(中略)……その概念は、「生物とは絶えず変動している存在だ」ということだ。もう少し正確に言えば、「生物とは、組織の各要素がたえず交替している存在だ」ということだ。
そのことは、こう言い換えることができる。
「個体はたえず部分的に生み出されている」
「遺伝子が作用する」ということには、二通りがある。「個体の誕生」と「個体の生存」である。
この二通りがあるが、「遺伝子が作用する」という作用原理そのものは原理的に同じである。両者はまったく別々のことをなしているわけではない。原理的には同じことをなしているのだ。
図式的に書けば、次のように書ける。
生物の本質 = 遺伝子の作用 = 個体の誕生 + 個体の生存
遺伝子が存在することが大切なのではない。遺伝子が作用するということが大切なのだ。
遺伝子の数が増えることが大切なのではない。遺伝子が作用して個体を生かしているということが大切なのだ。
生命は世代から世代へと伝達されていく。そして、そのためにあるのが、遺伝子だ。
・ 個体が前世代の個体から生まれるために。
・ 個体が次世代の個体を生むために。
・ その間を含む生涯期間には、個体が自らを維持するために。
この三つの目的のために、遺伝子は働く(作用する)。ここでは、「遺伝子が存在すること」が大事なのではなくて、「遺伝子が作用すること」が大事なのだ。
注意すべきことがある。
まず、個体を見ればすべてがわかるわけではない。(昔の生物学。)
また、遺伝子を見ればすべてがわかるわけではない。(近年の生物学。)
むしろ、個体と遺伝子のダイナミックな相互過程を見ることが、生命を知るために必要なことなのだ。(私の立場)
そして、このダイナミックな相互過程を知るためのキーワードが、「遺伝子の作用」だ。それは、「遺伝子の増加」や「遺伝子の自己複製」とは、まったく異なる概念である。
生物の本質は、「遺伝子が作用すること」である。ただし、やみくもに遺伝子が作用すればいいのではない。作用するべき遺伝子だけが作用して、それ以外の遺伝子は作用してはならない。つまり、「ON−OFF」の ON だけがあればいいのではなく、「どれが ON か」という選別もまたなされなくてはならない。……そして、そういうことがトータルに制御されているものが、生物だ。
だから、こう言える。
「生物とは、遺伝子の働くシステムである」
と。これが生物の本質に対する回答だ。
──
(2) 世代の交替
遺伝子と生命の関係は、上で述べた。
一方、個体としての生命の本質は、どこにあるのか? これについては、かなり前に述べた。前出項目から引用しよう。
生物には、寿命がある。ここから、重要な知見が得られる。次のことだ。
「一つ一つの個体には寿命があるのに、それでも生物は延々と存続し続ける」
これを一言で言えば、こうなる。
「生物は世代交代をする」
「世代交代」── これこそが生物において決定的に重要なことだ。
生物には寿命があり、たえず老化し、やがて死ぬ。それでも生物は、世代交代をして、ずっと存続し続ける。
「数を増やす」ということは、まったく目的になっていない。「数を増やす」ということは、「自己複製」や「交配」においては、どうでもいいことなのだ。
何より大切なのは、「世代の交替」である。つまり、「過去から未来へ」「先祖から子孫へ」という形で、その生物を存続させることだ。つまり、系統の存続だ。── これこそが、個体の死という宿命に縛られた生物において、唯一の絶対的な原理だ。
「われわれのなすべきことは、先祖から子孫へとつながる全体(= 「系統」)のなかで、一つの世代として、おのれの使命を果たすこと」
使命とは、何か? 「系統から受け取ったものを、系統に返す」ということだ。
では、そのための方法は? その方法を、特に考える必要はない。おかしな進化論の本を読んで、あれこれと考える必要はない。単に自然に生きればいい。人は、自然に生きる限り、本能に従う。本能に従えば、自動的に正解にたどりつける。
すなわち、こうだ。
「誕生したあと、子供時代には、親の愛によって成長する。その後、異性を愛し、異性とのあいだに子を生み、子を育てることで、親から受け取ったものを子に与える」
これを簡単に言えば、こうなる。
「誕生と死のあいだの期間(寿命・一生)において、一つの個体としてよく生きること」
人間は(愛と性という)本能にしたがって、よく生きればいい。
何よりも大切なのは、「よく生きること」だ。誕生と死のあいだで。
有性生物の本質を知ると、われわれ人間が何であるかという真実にも気づくようになる。人間を生物学的に理解するということは、確かに、人間の根源的な本質を教えてくれるのだ。
( → 利全主義と系統 (生命の本質) )
※ 以上は、ただの抜粋である。詳しい話を知りたければ、元の項目に当たってほしい。
また、これまでの長いシリーズを、じっくり読んでほしい。
→ カテゴリ内の項目一覧
【 追記 】
世代交代とは何かを、解説しておこう。
個体は、寿命があり、死を免れない。個体には誕生と死がある。
一方、種( or 系統)は、長期的に続く。それは、個体における限界としての「死」を乗り越える。
個体はもともと「死」に制約されている。その個体が、個体の全体としては「死」を乗り越える方法。それが「世代交代」だ。
一方では「誕生と死」を持ちながら、他方では「誕生と死」を乗り越えた永続性をもつ。個体レベルでは「誕生と死」を持ちながら、全体レベルでは「誕生と死」を乗り越えた永続性をもつ。……ここに生命の特質がある。
この原理。それは機械のような物質とはまったく異なった原理だ。機械は使い捨てであり、再生されることはない。せいぜい部品を換えて補修されるだけだ。ポンコツの自動車はどう補修してもポンコツの自動車であり、それが新品の自動車になることはない。しかし生物は違う。あるとき生物があれば、1年後にはそれが古びているが、さらに1年後にはそこにまったく新しい生物が出現している。ただしかたわらには、古い生物の死骸がある。……こうして、古いものはたえず死に、新しいものはたえず誕生する。それが生物の原理だ。
そして、その全般に関わっているのが、遺伝子だ。
ここから説き始めて宗教を起こすと一儲け出来るかも知れませんね。
その時は使徒として馳せ参じます。^ ^)
南堂先生のブログは1年ほど前に存在を知り,ずっと読ませていただいていましたが,過去記事にも非常に有益でおもしろい内容がたくさんあるのですね。勉強になりました。
(河本の話題からこんな深い内容に触れられるなんて,すごく得した気分です 笑)