生物の本質として、「遺伝子が働くこと」だけでなく、「遺伝子が働かないこと」もある。これは「分化」という現象を見るとわかる。 ──
前々項 で述べたとは、一見、反対のことを述べる。
前々項で述べたように、「生物の本質」は、「生きること」、つまり、「遺伝子が作用すること」である。(それだけではないが。)
ただし、「分化」という現象を見ると、それとは逆のことがわかる。つまり、こうだ。
「生物が生きている限り、遺伝子はたえず作用している。ただし、作用しているのは、作用するべき特定の遺伝子だけであって、他の大部分の遺伝子は休止している」
つまり、ごく少数の遺伝子だけが作用して、他の大多数の遺伝子は作用していない。作用するものと作用しないものとがきちんと選別されている。
そして、どれが作用するべきかということは、その場その場で決まる。それは、場所に応じたり、周辺状況に応じたり、いろいろだが、とにかく、何らかの条件に応じて、作用するべき遺伝子が決まり、それ以外の大多数の遺伝子は作用しない(休止している)。
このことは、多細胞動物の「分化」という現象で顕著である。たとえば、膵臓では膵臓で、皮膚では皮膚で、それぞれの場所で、作用するべき遺伝子が作用する。
つまり、多細胞生物の特徴は、「分化」であり、同時に、「作用するべき遺伝子がきちんと個別に分けられる」ということである。
──
こうして、「作用すること」と「作用しないこと」のどちらもが大事だ、とわかった。
逆に言えば、このことが成立しないと、病気になる。
たとえば、癌細胞がそうだ。作用してはならない遺伝子が作用している。
象皮病もまた同様である。
一方、これを逆に利用して、本来は作用しないはずの遺伝子を人工的にうまく作用するように操作したのが、iPS 細胞だ。
( → 前出「性の誕生(半生物を越えて)」 の最後の「補足」)
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以上をまとめると、次のように言える。
生物の本質は、「遺伝子が作用すること」である。ただし、やみくもに遺伝子が作用すればいいのではない。作用するべき遺伝子だけが作用して、それ以外の遺伝子は作用してはならない。つまり、「ON−OFF」の ON だけがあればいいのではなく、「どれが ON か」という選別もまたなされなくてはならない。……そして、そういうことがトータルに制御されているものが、生物だ。
以上のことは重要だ。ここでは、個々の遺伝子が増えるとか減るとか、そういう遺伝子単位の発想は成立しない。かわりに、遺伝子全体を見て、遺伝子全体を制御するシステムが重視される。
このようなシステムが生物の本質だ。そして、そのシステムは、「個体」とも呼ばれる。だからこそ、生物の本質は、「個体」にあり、(個々の)「遺伝子」にはない。
なるほど、生物の本質を探るとき、「遺伝子」に着目することは、大切だ。ただし、そこで見るべき「遺伝子」とは、「個々の遺伝子」ではなくて、「遺伝子全体のシステム」なのである。
だから、こう言える。
「生物とは、遺伝子の働くシステムである」
と。これが生物の本質に対する回答だ。
そして、これは、
「個体(≒ 生物)は、遺伝子の乗り物にすぎない」
という発想とは、まったく異なるものだ。
ドーキンスは、生物の本質を探るとき、「遺伝子」に着目した。そこまではよかった。ただし、彼が見たのは、局部的な一つ一つの「遺伝子」にすぎなかった。しかし、本当は、「一つ一つの遺伝子」ではなくて、「遺伝子全体のシステム」を見るべきだったのだ。
ただし、彼は、生物の本質を探るとき、電子顕微鏡ぐらいのスケールで見たために、生命全般という巨大なものを見失ってしまったのだ。いわば、「木を見て森を見ず」というふうに。
[ 付記1 ]
上では結論として、
「生物とは、遺伝子の働くシステムである」
と述べた。これは、一読しただけでは、ピンと来ないかもしれない。しかしここで、「遺伝子」を「生命子」というふうに書き換えると、こうなる。
「生物とは、生命子の働くシステムである」
これならば、ピンと来るだろう。
遺伝子とは、生物の遺伝的要素を決める単位ではない。生物の生命的要素を決める単位である。そして、それらの単位がたくさん集まって、総合的にシステムとなっているものが、個体(生物)だ。
このことは、比喩的に言えば、次のようになる。
「レンガのようなブロックを組み立てたものが、建物である」
つまり、単位をたくさん組み合わせたものが全体である。……こう考えれば、何も不思議ではない。
だからこそ、遺伝子というものは、「遺伝子」でなく「生命子」と呼ぶべきなのである。( → 生命子 )
[ 付記2 ]
なお、生命活動のうちのほんの一部にだけ、「繁殖」という活動がある。そこにだけ着目すると、「遺伝」という要素だけが見出され、他の部分は見失われる。
このような視野の狭い認識に基づくと、「生物の目的は自己複製だ」とか、「個体は自分の遺伝子を増やそうとする」とか、そういう歪んだ認識が生じる。
これがドーキンス流の発想だ。そこでは「生命の本質」が見失われているのである。そして、その根源にあるのが、「遺伝子の役割は遺伝だ」という認識だ。
2008年04月17日
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