( ※ 本項の実際の掲載日は 2010-01-28 です。)
近親婚をすると家系が絶えやすい……ということを、前項では示した。
このように、近親婚は好ましくないものだ。では、なぜ? その理由は、近親婚が有性生殖の原理に反するからだ。(私はそう考える。)
有性生殖の原理とは何か? もちろん、交配だ。
→ 有性生物と無性生物
では、交配とは、何か? 両親の遺伝子をシャッフルすることだ。上記項目の図を再掲すれば、下図だ。

・ 無性生物では、自分の遺伝子セットを複製しようとする。
・ 有性生物では、自分の遺伝子セットを他者の遺伝子セットとシャッフルする。
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有性生殖の原理は、「交配」である。それは、自分の遺伝子セットを他者の遺伝子セットとシャッフルすることだ。
このことは大切だ。こうすれば、たとえ自分の遺伝子に欠陥遺伝子が含まれていても、他者(配偶者)の遺伝子のおかげで、子では欠陥が露呈しないで済むことが多い。
また、遺伝子をシャッフルすれば、たとえ自分の遺伝子に欠陥遺伝子が含まれていても、その欠陥遺伝子が子に伝わる確率は半分で済む。(ペアになる遺伝子のうちのどちらか一方だけが欠陥遺伝子ならば、それが子に伝わる確率は半分である。)
この場合、その欠陥遺伝子は、世代交代のうちに消滅してしまう可能性もある。一方、無性生殖の場合には、欠陥遺伝子は除去されずにずっと残る。(いくら世代を重ねても残る。ごく稀な例外を除けば。)
このように、遺伝子をシャッフルする原理(つまり交配)は、とても大切だ。それは有性生殖に、有利さをもたらす。では、どんな有利さを? 次のことだ。
「欠陥遺伝子を発現させにくいシステムがあるので、個体の構造を、高度な複雑な構造にすることができる」
個体の構造が、高度な複雑な構造であるためには、個体の遺伝子が、高度な複雑な遺伝子であることが必要だ。ゾウリムシのような単細胞生物の遺伝子は、比較的簡単な遺伝子で済むが、魚類や哺乳類の遺伝子は、高度な複雑な遺伝子であることが必要だ。
ところが、高度な複雑な遺伝子であると、エラーが起こりやすくなる。とすれば、そのエラーを減らすシステムが必要だ。さらには、たとえエラーがあっても、そのエラーを発現させないシステムが必要だ。……そして、そのための原理が、有性生殖の「交配」なのである。(上記の通り。)
逆に言えば、無性生殖という原理を取る限りは、エラーを減らすシステムがないし、また、エラーを発現させないシステムもない。エラーは時間がたつにつれてどんどん蓄積していくばかりだ。……だからこそ、無性生殖の生物は、高度な複雑な遺伝子をもてない。もしもてば、そのうちのいくつかは欠陥遺伝子となり、個体が滅亡してしまうはずだ。
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ここまで述べれば、近親婚の意義も明らかだろう。
有性生殖の原理は、自分の遺伝子セットを他者の遺伝子セットとシャッフルすることである。
しかるに、近親婚はどうか? 近親婚は、「自分の遺伝子セットを増やそう」ということであるから、「自分の遺伝子セットをシャッフルする」という効果を減じる。それはつまり、有性生殖の効果を減じるということだ。(かわりに、無性生殖の原理のようなものを取ろうとする。)
そして、その結果は、有性生殖の有利さを減じる。(上記の通り) つまり、エラーの除去ができないし、また、エラーが発現しやすくなる。そのことが、つまりは、「近親婚による絶滅」(ハプスブルク家の例)なのである。
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無性生物の原理は、自分の遺伝子セットを増やすことだ。
有性生殖の原理は、自分の遺伝子セットを他者の遺伝子セットとシャッフルすることだ。
この違いをはっきりと理解することが必要だ。そして、その違いを理解できないと、ドーキンス流の「生物の本質は自分の遺伝子を増やすことだ」というような発想にたどり着く。そのあげく、「近親婚は素晴らしい」(自分の遺伝子を増やすから)というような結論に結びついてしまうのである。……「自分の遺伝子を増やす」という原理は無性生殖の原理だ、と気づかないまま。( ※ 詳しくは → この項目 )
( ※ ただし、ドーキンスが間違えたというよりは、その前のハミルトンが間違えたのだが。ドーキンスは、自分の「利己的遺伝子」という概念を忠実に守ればよかったのに、ハミルトンの学説と自分の学説をミックスしたせいで、とんでもない結論に至ってしまった。ドーキンスの説はあまりにも強力だったので、ハミルトンの間違った説を証明することにも成功してしまったのだ。皮肉なことに。 (^^); 切れすぎる刀が自分自身を切ってしまうようなものかも。)