結局、ミツバチの利他的行動は、リカオンの利他的行動と同じである。つまり、ヘルパーだ。 ( ※ 本項の実際の掲載日は 2010-01-23 です。)
これまでの復習
ミツバチの利他的行動について、ドーキンス(利己的遺伝子説)は、ハミルトン(血縁淘汰説)に基づいて、次のように説明した。「ミツバチが妹を育てるのは、自分の遺伝子を増やすためである」
しかし、「生物は自分の遺伝子を増やそうとする」という発想は、根源的に成立しない。そのことは、「生物は近親相姦をしたがらない」ということからわかる。自分の遺伝子を増やすためなら、近親相姦をするべきなのだが、生物はそうするどころか、それを忌避する。
→ 近親婚のタブー(自分の遺伝子)
では、生物学的に何が成立しているかといえば、ただの「遺伝子淘汰」である。つまり、「環境で有利な遺伝子集合は増える」ということだけだ。
→ 遺伝子集合淘汰
ミツバチの例で言えば、「妹育てをする遺伝子の方が有利だから増える」というだけのことだ。
→ 自分の遺伝子 8 (解説C)
──
では、ドーキンスは、どこをどう勘違いしたのか?
彼は、「ミツバチが何かを育てる」という行動を見て、
「ミツバチは自分の子を育てるかわりに、自分の妹を育てる」
と認識した。(ここまでは正しい。)
そのあと、この行動を説明しようとして、
「自分の子を育てるよりも、自分の妹を育てる方が、遺伝子を多く残せる」
と結論した。これは間違いだ。真でなく偽だというより、真にも偽にもならないような、トンチンカンな論理だ。見当違いと言える。
なぜなら、「遺伝子を残す」という点で考えるなら、世代ごとに考える必要があるからだ。自分の妹をいくら増やしても、自分と同世代だから、自分の次世代を残すことにはならない。同じ世代では、「残す」ということが成立しないのだ。
「残す」ということを成立させるには、自分の次世代に着目する必要がある。すると、次の図式が成立する。(数値は血縁度)
現世代: 自分(100%) : 妹(75%)
次世代: 子 (50%) : 姪(37%)
つまり、次世代で見るなら、自分の子は 50%なのに、姪は 37% だ。だから、妹経由で姪を残すのは、直接 自分の子を産むよりも、自分の遺伝子を多く残せない。つまり、ドーキンスの説は成立しない。
→ [補説] ミツバチの利他的行動 3
リカオンとの類似
ここまでに述べたことを振り返ると、ミツバチとリカオンとの類似に気づく。つまり、こうだ。「ミツバチもリカオンも、自分の子を産まないで、妹(または兄弟)が子を産むのを助ける。つまり、姪や甥が産まれるように、助ける」
このようなことは「ヘルパー」という概念で認識される。ミツバチもリカオンも、妹や兄弟のヘルパーとして働いているのだ。その点ではまったく同じなのだ。
そして、このような行動は、「自分の遺伝子を増やすため」という認識では説明されない。なぜなら、そのような行動を取ることは、「自分の遺伝子を減らす」(血縁度の低い子孫を残す)ということになるからだ。
要するに、「自分の遺伝子を増やすため」というような、ドーキンス流の認識は、まったくの間違いだ。そもそも、「自分の遺伝子」という発想そのものがおかしいのだ。
かわりに、「有利な遺伝子集合が増える」という「遺伝子集合淘汰」の認識が正しいことになる。
ミツバチの場合にも、リカオンの場合にも、「ヘルパーをする形質の遺伝子集合が増える」となる それだけのことだ。きわめて簡単だ。
ドーキンスの「自分の遺伝子を増やすため」というような認識は、真実からは遠く隔たっているのである。(はっきり言えば、「自分の遺伝子を増やすため」というような認識は、利己的遺伝子という概念に矛盾する。自己矛盾。)
( ※ と言うと、ドーキンスマニアが怒るだろうが。 (^^); )
[ 付記1 ]
ハミルトンやドーキンスは、どこで勘違いしたか? 自分の子(50%)の代わりに、自分の妹(75%)を育てる、と思ったことだ。
しかし実は、「育てる」という点で言えば、自分(100%)の代わりに、自分の妹(75%)を育てるのだ。そして、「残す」という点では、自分の子(50%)の代わりに、自分の姪(37%)を残すのだ。
ハミルトンやドーキンスは、この二点で勘違いした。
誤 50% < 75% (血縁度大)
正 100% > 75% (血縁度小)
正 50% > 37% (血縁度小)
[ 付記2 ]
もう一つ、彼らが根本的に間違っている点がある。「妹を育てると、妹を通じて遺伝子を多く残す」と考えている点だ。
実は、働きバチが育てている妹たちは、そのほとんどすべてが(自分と同じく)不妊である。不妊である妹をいくら育てても、不妊である妹は子を残さないから、妹を育てても「遺伝子を多く残す」ということにはならない。
例外的に、新女王バチがいる。新女王バチだけは、妹でありながら、不妊でない。だから、新女王バチを育てることだけには、「遺伝子を残す」意義はある。しかしながら、新女王バチは、たったの1匹しかいない。千匹の働きバチが、たった一匹の新女王バチを育てても、遺伝子を増やすことにはならない。千匹の働きバチがそれぞれ最低1匹の子を残せば、千匹残る。千匹の働きバチがそろって新女王バチを育てても、新女王バチは1匹しか残らない。遺伝子は増えるどころか減ってしまう。(ただし、姪を見るなら、姪は何千匹も残る。)
要するに、遺伝子の増減を見るなら、妹でなく姪を見る必要がある。この意味でも、「妹を育てることが有利だ」と見なした発想は、間違っている。
( ※ この件は、「[補説] ミツバチの利他的行動 3」や「血縁淘汰説 [ 核心 ]」で詳しく説明したとおり。)
【 追記 】
ミツバチとリカオン以外にも、利他的行動(ヘルパー)をする生物はある。
ミーアキャット、マングース、マーモセット、ハダカデバネズミなどだ。( → 出典 )
この出典サイトによると、
「群れを離れた個体の生存率が比較的低いことから、下位の雌にとっては群れにとどまることがより良い戦略である」
とのことだ。このことも、ミツバチとリカオンとほぼ同様である。
また、この出典サイトによると、
「雄の生き方は違います。大半の雄は生後18〜36ヶ月になると自分の群れを離れ、既存の群れに加わるか新たな群れを作ります。」
ということだ。このことからも、「自分の遺伝子」という概念が成立しないことがわかる。
( ※ もし「自分の遺伝子」という概念が成立するなら、近親婚が好ましいので、雄は群れに留まるはずだ。しかし一般に、近親婚はなされない。ライオンのオスもプライドという小さな群れを離れる。なお、下記を参照。
→ 近親婚のタブー(自分の遺伝子) )