2008年04月06日

◆ 自分の遺伝子 9 (解説D)


 引きつづき、補足的な解説。その4。
 すでに述べたように、「自分の遺伝子」という概念は間違いだ。そこで、「なぜ間違えたか」という話をする。 ──


 (1) 「自分の遺伝子」という誤解

 「自分の遺伝子」という発想は、正しくない。(すでに述べたとおり。)
 特に、おかしな例を示そう。前項でも述べたが、次のような結論が出てしまう。
 「自分の遺伝子を増やすことが大事だとすれば、他者の遺伝子を減らすことが大事だということになる」( → ライオンの子殺し
 「とすれば、生物はいずれも、仲間同士で殺しあいをするべきだ。仲間を殺せば殺すほど、自分の遺伝子を増やすことができるからだ」
 「ライオンは、他者の子を殺す。ならば、他の生物もまた、ライオンと同じように、他者の子を殺すといい。そうすれば、自分の遺伝子をたくさん残すことができる」
 「特に、人間もまた、ライオンのように、他者の子を殺すといい。そうすれば、ライオンのオスが非常に強力になって百獣の王になったように、人間のオスもまた非常に体力が強力になるだろう。」
 こういうことは、論理的にはまったく正しい。論理的にはどこも間違っていない。
 しかし、その結論は明らかにおかしい。では、どこがおかしいのか?
 もちろん、「自分の遺伝子を増やすことが大事だ」という根源的な発想がおかしいからだ。論理が間違っているのではなく、最初の基盤が間違っているのだ。(ここまでは、前項でも述べたとおり。)

 (2) 小進化の偏重

 ではなぜ、生物学者(特に進化論学者)は、「自分の遺伝子を増やすことが大事だ」という基盤を取るのだろうか? なぜ、そう考えるのだろうか? ……それは、次のことが成立するからだ。
 「進化においては、遺伝子集合淘汰という原理が成立する。つまり、進化においては、有利な遺伝子が増えるという『遺伝子の集合淘汰』が成立する。そこでは、特定の遺伝子を増やそうとする行動が、進化をもたらす」

  ( ※ ここで言う「進化」とは「小進化」のこと。)

 たとえば、「妹育て」とか「子殺し」とかがある。これらの行動(形質としての行動)においては、「妹育ての遺伝子」や「子殺しの遺伝子」が、「遺伝子集合淘汰という原理のもとで、増えていく。
 ここには、「遺伝子集合淘汰」という原理がある。そして、この原理を、「自分の遺伝子を増やそうとする」という原理だと、見なす。それが、ドーキンスなどの解釈だ。
( ※ これは、論理的な誤解である。この件は、すでに述べたとおり。)

 ただし、真の問題は、そのような誤解自体ではない。もっと根源的な問題がある。それは、次のことだ。
 「生物の本質は進化(小進化)をすることだ、と見なすこと」

 ここに根源的な誤解がある。

 なるほど、「生物の本質は自己複製だ」という発想を取るなら、そのような解釈は成立するだろう。次のように。
 「なぜなら、自己複製があれば、自己複製をする遺伝子が自然淘汰にさらされることで、そこに小進化が起こるからだ」
 「生物の本質は、自己複製である。遺伝子は、どんどん自己複製をしたがる。遺伝子の乗り物にすぎない個体もまた、遺伝子の自己複製(という目的)のために奉仕する。こういう解釈によって、小進化を説明できる」


 なるほど、この発想はもっともらしい。
 しかし、そのような発想を取ると、「子殺し」のような変な結論が出てしまうのだ。だから、そのような発想は、もともと成立しないのだ。
 具体的に言おう。人間のオスがたがいに殺しあいをすれば、人間のオスは、どんどん強力になり、どんどん凶暴になるだろう。つまり、どんどん進化するだろう。「自分の遺伝子を増やす」ということで、進化がうまく説明される。
 しかし、そんな進化には、意味はないのだ。ライオンならば、肉食獣なので、草食獣を襲うために、体が強力であることは絶対的に必要だ。しかし人間は、肉食獣ではないのだから、体が強力であることは絶対的に必要だとは言えない。むしろ、知力の方が、よほど重要だろう。
 要するに、ライオンに当てはまることは、人間には当てはまらない。「自分の遺伝子を増やすという原理で、子殺しゆえに進化が起こる」ということは、ライオンには当てはまるが、人間には当てはまらない。
 ここでは、進化と生命との区別に注意しよう。
 生命にとって、進化(小進化)は、何の必要性もない。また、生命の本質が自己複製だということも、成立しない。「生物は、どんどん進化をするために、たがいに殺しあいや子殺しをするべきだ」、というような学説は、まったく成立しないのだ。(少なくとも、ライオン以外の通常の生物については。)

 (3) 小進化と生存

 では、生物にとっては、何が大切か? それは「生きること」だ。自分の遺伝子を増やすこと(または何らかの遺伝子を増やすこと)ではなくて、個体として「生きること」だ。それこそが生物にとって何よりも大切なことだ。
 たとえば、あなたにとって何より大切なのは、あなた自身が生きることだ。特に、自分の子をまだ生んでいない人であれば、自分よりも大切なものなど、何もない。(親ならば自分よりも子を大切にするだろうが。)

 さて。ここで、生物が殺しあいをすれば、生物が進化できるとしよう。そのおかげで、ずっと先の未来にいる子孫は、いくらか優秀になるとしよう。
 では、そのために、あなたは他人を殺すか? あるいは、他人の子を殺すか? 他人を殺し、その未亡人を奪って、自分の子を生ませるか? まさか。そんなことはするまい。仮に、そのようなことをしようとすれば、逆に、他のライバルから、返り討ちに遭う危険がある。
 人は誰しも、遠い将来の子孫のために、自分の生命を危険にさらしたりはしない。人間だけではない。たいていの生物はそうだ。子殺しをするような生物種は、あくまで限られた限定的な例外なのだ。
 なるほど、子殺しをすれば、その生物種の全体は、たしかに進化(小進化)をする。しかし、種の全体が進化するために、個々の個体が殺しあう、というようなことは、原則的にはありえない。……なるほど、ライオンは子殺しをすることで、どんどん強力になった。ライオン以外にも、子殺しをするや似たようなことをする生物種はある。しかし、そのようなことをする生物種は、あくまで例外的なのだ。
 生物にとって大切なのは、遠い将来の子孫を進化させることではない。個体として、自らが生きることだ。
 とすれば、通常の生物は原則として、「殺しあい」や「子殺し」などはしない。また、原則として「不妊になる」ということもない。(もちろん例外はあるが。)

 生物の本質を「遺伝子を増やすこと」とか「自己複製」とか、そういうふうに解釈することは、とんでもない間違いなのだ。むしろ、生物の本質は「個体として自らが生きること」である。このことを噛みしめるべきだ。
 そして、そのことを理解しないと、「子殺しや妹育てや近親相姦はあらゆる生物で有利である」というような変な結論が出てしまうのだ。

( ※ 「生物の本質は生きることだ」ということは、下記を参照。
  → ミツバチの教訓 1増加の意味

 (4) 生存と自然淘汰

 「生物の本質は生きること(生存)だ」
 とすぐ上に述べた。では、生存小進化とは、どういう関係にあるか?
 実は、この両者は、矛盾ないし対立する関係にある。つまり、次のことが成立する。
 「淘汰圧が強いと、小進化は進行し、生存率は低まる」
 「淘汰圧が弱いと、小進化は停滞し、生存率は高まる」


 淘汰圧が強い環境とは、苛酷な環境である。そこでは、小進化はどんどん進行するが、生存率は低い。たとえば、ライオンが草食獣をとらえる成功率は、かなり低い。そのせいで、ライオンは飢えてしまいがちだ。狩りが下手なライオンは、どんどん餓死していく。だから実際、ライオンの個体数は、あまり多くない。草食獣の個体数はかなり多いが、ライオンの個体数はとても少ない。普通の環境は、ライオンにとって苛酷な環境だ。というわけで、そこでは、淘汰圧が強いせいで、小進化は進行し、生存率は低い。

 淘汰圧が弱い環境とは、生きやすい環境である。そこでは、小進化はあまり進行しないが、生存率は高い。たとえば、たいていの草食獣が草を食べることは、容易である。そのせいで、草食獣は、飢えることが少ない。だから実際、草食獣の個体数は、かなり多い。いくらかは肉食獣に食われてしまうが、それでも草食獣の個体数は圧倒的に多い。普通の環境は、草食獣にとって、生きやすい環境だ。というわけで、そこでは、淘汰圧が弱いせいで、小進化は進行しにくいが、生存率は高い。

 (5) 結論

 以上のことから結論を下そう。
 一般に、個体としての生物にとって大切なのは、自然淘汰があることではなく、自然淘汰がないことだ。淘汰圧が強いことではなく、淘汰圧が弱いことだ。優勝劣敗が起こることではなく、優者も劣者も誰もが生存することだ。
 進化が起こる状況が素晴らしい、と思うべきではない。むしろ、進化が起こらない状況こそすばらしい。自然淘汰などは起こらない(淘汰圧の低い)状況こそ、生物にとってすばらしい。このことを、根源的に勘違いしてはならない。

 たとえば、草食獣で考えよう。
 食料などの環境が好適である場合には、劣者は容易に生き続ける。たとえば、草がたくさんあって肉食獣が少ないという状況は、自然淘汰が弱い状況であり、好適だ。
 逆に、食糧が不足して肉食獣が多いという状況は、自然淘汰が強い状況であり、最悪だ。
 ただし、そういう最悪の状況では、小進化はどんどん進んでいくだろう。なぜなら、劣者は自然淘汰にさらされて、どんどん死んでいくからだ。たとえば、エネルギー効率が悪い個体は、多くの草を食べないと生きられないので、どんどん死んでいく。また、足の遅いものは肉食獣に食われるので、どんどん死んでいく。こうして、最悪の状況では、小進化はどんどん進行していく。そのことで、遠い将来の子孫は、優れた形質を有するようになるだろう。しかし、今現在の個体は、どんどん死んでいくのだから、たまったもんじゃない。

 同じことは、人間にも当てはまる。
 自然淘汰の強い苛酷な状況では、小進化はどんどん起こるだろうが、そういう状況は、現在の個体にとっては最悪の状況だ。そこでは、優者や強者のみが富を独占し、たいていの人々は弱者となって富を奪われ、どんどん死んでいく。(昔の封建主義時代の農奴や平民のようなものである。現在の失業者やニートたちも似た状況にある。)
 一方、自然淘汰の弱い安楽な状況では、小進化はほとんど起こらないだろうが、そういう状況は、現在の個体にとっては最良の状況だ。たとえば、身障者や病人や高齢者でさえ、あっさり退場させられてしまうことはなく、ちゃんと生きることを保証されている。(年金や医療などの社会保障制度が整備されている。)……そこは理想郷に近い。

 繰り返す。
 生物にとって大切なのは、「生存」であって、「小進化」ではない。遺伝子がどんどん小進化することなど、何の価値もない。個体は遺伝子の乗り物ではないのだ。
 なるほど、「個体は遺伝子の乗り物である」という発想を取れば、小進化をうまく説明できる。しかしそれは、小進化を説明するための理論であり、生命の本質を説明するための理論ではない。なぜなら、生命の本質は、「小進化」でもなく、遺伝子の「自己複製」でもなく、個体としての「生存」であるからだ。

 生命の本質は、個体としての「生存」である。このことを理解することが、何よりも大切だ。そして、そのためには、「自己複製」だの「自分の遺伝子」だの、そんな概念に頭を汚染されるべきではないのだ。
 なるほど、「自己複製」だの「自分の遺伝子」だの、そういう概念を取れば、そこから演繹的に、物事を統一的に説明できる。しかし、そんなふうにして統一的に説明できたとしても、「机上の空論」にすぎない。机上の空論がいくら見事であっても、それは、現実との接点をもたない限り、何の意味もないのだ。そして、現実との接点をもつためには、何よりも、「生物という対象をちゃんと観察すること」が、絶対的に必要なのだ。

( ※ この件は、前項の[ 付記1 ][ 付記2 ]で述べたとおり。)




 本項の話は、次項に続く。そちらで根源的な発想が説明される。
posted by 管理人 at 21:54| Comment(1) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「近親相姦は自分の遺伝子を増やすのに有利だ」
 と述べた。これは冗談半分だったが、現実に近親相姦が実現してしまった。世間で話題になっている。以下、引用。

 ──
 オーストラリアで61歳の父と39歳の娘が恋愛関係となり、2人の間には生後9カ月の女の子まで誕生。2人は豪民放テレビ番組に出演し、「私たちは成人として同意して関係を持った」などと理解を求めたが、視聴者らからは「不謹慎だ」「生まれた子は将来何と思うだろうか」といった非難が噴出している。
 (中略)
 番組でジョンさんは「娘と関係を持つのは違法と分かっていたが、気持ちが理性に勝ってしまった」、ジェニファーさんは「私たちの気持ちを理解し、尊重してほしい」とそれぞれ訴えた。だが、番組のホームページには「理解できない」「この父娘には責任という感覚がないのか」などのコメントが殺到している。
 → http://www.asahi.com/international/update/0409/TKY200804090112.html
 ──

 世間の人々は常識がある。しかし利己的遺伝子説の信者だけは、この二人を擁護するだろう。「自分の遺伝子を増やすために、血縁度の高い子を生むのは、生物として当然である。ミツバチと同様に、そうすることが当然なのだ。それがドーキンス様のおっしゃることなのだから、それは正しいのだ」と。

 あれれ? そう言っていいはずなのに、そう言っていませんね? なぜでしょう? ご都合主義?
Posted by 管理人 at 2008年04月09日 20:41
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