2008年03月31日

◆ 自分の遺伝子 8 (解説C)

 引きつづき、補足的な解説。その3。
 自分の遺伝子を増やすために、ミツバチやライオンを見習うべきか? 近親相姦や子殺しをするべきか? 他人を殺して、その女房を奪うべきか? ──

 (5) ミツバチとライオン

 「自分の遺伝子」という発想だと、ミツバチの「妹育て」や、ライオンの「子殺し」をうまく説明できる……ように見える。
 しかし、そんな説明は詭弁である。この説明が成立するとしたら、人間にも同様のことが成立するはずだが、実際にはそんなことはない。
 そのことを、以下の (i)(ii) で示す。

 (i) ミツバチと血縁度 0.75
 ミツバチの「妹育て」について、次の説明がなされる。
 「自分の子を生んで育てても、血縁度は 0.5 だが、妹を育てると、血縁度は 0.75 だ。後者の方が血縁度が高い。ゆえに、後者をなす。(= 自分の子を育てず、自分の妹を育てる。)」

 しかし、こんな説明が成立するなら、次のことが成立するはずだ。
 「人間もまた、血縁度が 0.75 になる方法がある。兄と妹の近親相姦だ。また、母と息子、あるいは、父と娘で。……いずれにしても、『近親相姦の方が血縁度が高い。ゆえに、近親相姦をなす』という結論が出る」
 馬鹿げた結論だろう。机上の空論であることがこうして判明する。

 (ii) ライオンの子殺し
 ライオンの「子殺し」について、次の説明がなされる。
 「他者の子を殺して、メスに自分の子を生ませれば、自分の遺伝子を多く残せる。ゆえに、ライオンは子殺しをなす」

 しかし、こんな説明が成立するなら、次のことが成立するはずだ。
 「人間もまた、他者の子を殺して、未亡人に自分の子を生ませれば、自分の遺伝子を多く残せる。ゆえに、男はたがいに殺しあい、強者がハーレムを築く。また、戦争をしたら、勝者は敗者の女を強姦する」
 なるほど、こういう例は、見られなくもない。だが、決して普遍的な真実ではない。こんなことを、「生物として当然のこと」と見なすような生物学者は、頭がイカレている。ヒトラーの優生思想と同じ。(つまり狂人。)

 (6) 生物の特殊事情

 では、真相は? まずは、事実を見れば、次のことがわかる。
 「自分の子を生まずに妹育てをするのは、ミツバチやその同類など、ごく限られた生物種に見られるだけだ。決して生物一般の普遍的原理ではない」
 「他者の子を殺すのは、ライオンなどの、いくつかの限られた生物種に見られるだけだ。決して生物一般の普遍的原理ではない」

 いずれにせよ、生物一般の普遍的な事柄ではなく、少数の例外的な事例だ。── とすれば、そこには、それぞれの生物における何らかの特殊事情があるはずだ。その特殊事情を知ること。それこそが、物事の本質を知るということだ。

 ひるがえって、
 「自分の遺伝子を増やすことが目的だから」
 というような普遍的原理で語ろうとすると、どうなるか? ミツバチでもライオンでも、あらゆることをうまく説明できるが、そのかわり、その説明が他の生物(たとえば人間)にも適用されることになってしまうので、学説としては破綻してしまっている。
 「何でも説明できる学説」は、たしかに便利だが、便利すぎるがゆえに、真実ではないのだ。
なぜか? それは、虚偽をも説明してしまうからだ。たとえば、次のように。
 「人間もまた近親相姦をするのが当然だ」
 「人間もまた子殺しをするのが当然だ」

 真実を知るために、大切なことは、「何でも説明できる強力な学説(万能の学説)を取ること」ではない。「強すぎず、弱すぎず、真実にぴったりと当てはまるような、ジャストサイズの学説を取る」ということだ。そして、そのことは、「事実をあるがままに見る」ということからなされる。

( ※ だから、このあとの「血縁淘汰説」のシリーズでは、「事実をあるがままに見る」ということを念頭に置いて、話を進める予定だ。)



  【 追記 】
 「自分の遺伝子を増やすため」
 というのは、実は、万能の学説(何でも説明できる学説)である。
 例。
   ・ ライオンが子殺しをするのは   → 自分の遺伝子を増やすため
   ・ 他の生物が子殺しをしないのは → 自分の遺伝子を増やすため
   ・ ミツバチが妹育てをするのは   → 自分の遺伝子を増やすため
   ・ 他の生物が妹育てをしないのは → 自分の遺伝子を増やすため

 このように、すべてを説明できてしまう。(相反することさえも。)

 しかし、このように「何でも説明できてしまう」というのは、「何も説明していない」というのと同じである。Aも非Aもどっちも説明してしまうような学説は、何も説明していないのと同じである。

 実は、「自分の遺伝子を増やすため」というのは、「その形質の遺伝子がある」ということを語っているにすぎない。次のように。
   ・ ライオンが子殺しをするのは   → その遺伝子があるから
   ・ 他の生物が子殺しをしないのは → その遺伝子があるから
   ・ ミツバチが妹育てをするのは   → その遺伝子があるから
   ・ 他の生物が妹育てをしないのは → その遺伝子があるから

 このようになる。つまり、「自分の遺伝子を増やすため」というのは、「その遺伝子があるから」ということである。「ある形質がある」というのを、「ある形質の遺伝子がある(から)」というふうに言い換えているだけだ。
 ここでは、形質レベル(遺伝子の発現レベル)のことを、遺伝子レベルで言い換えているだけだ。要するに、トートロジーである。

 結局、「自分の遺伝子を増やすため」という説明は、ただのトートロジーである。だからこそ、何でも説明できる万能の理論であり、かつ、何も説明していないのも同然なのだ。

 比喩的に言おう。同様のことはあらゆる場面で真似ができる。
 例。
  ・ 「あなたどうして私が好きなの?」
    → 「きみに魅力があるからさ」(= きみを好きだからさ)
  ・ 「彼はどうして頭がいいんだろう?」
    → 「彼は優秀な脳があるからさ」(= 彼は頭がいいからさ)
  ・ 「この自動車はどうして売れるんだろう?」
    → 「この車は市場で評価が高いからさ」(= この車は売れるからさ)

 すべて、ただの言い換えである。このように、ただの「言い換え」は、万能の理論となる。それは「AだからA」というトートロジーと同じで、絶対的に正しい。ただし、何も意味していないに等しい。
 それが「自分の遺伝子を増やすため」という学説の本質だ。

( ※ ここでは「論理的には正しい(しかし無意味だ)」と示した。)
( ※ 一方、「自分の遺伝子」という概念そのものが成立しない、ということは、ここまで長々と述べてきた。)



 ※ 以下は、細かな話題。特に読まなくてもよい。

 [ 付記1 ]
 生物学者の心構えについて。
 生物学者にとって何よりも大切なのは、自分の学説を無理やり現実に適用することではない。そういうのは「尊大」で「傲慢」な利己主義者の発想である。
 むしろ、なすべきことは、生物における事実をあるがままに観察することだ。たとえば、ミツバチの生態をあるがままに観察すること。ライオンの生態をあるがままに観察すること。(ファーブルのように。)……そういう観察こそが、優先する。

 [ 付記2 ]
 一つの説をあらゆる物事に適用する、という方針は、一種の演繹主義だろう。そういう発想は、数学コンプレックスに凝り固まった生物学者には、ありがちだ。しかし、本当の数学者は、アインシュタインの言葉を知っている。
 「数学は処女のように純粋だ。ゆえに子供を生まない」
 数学は純粋であるがゆえに、現実への基盤を持たず、現実から遊離して、一種の抽象議論になってしまっている。そのことをアインシュタインは皮肉った。なるほど、その通り。
 だから真の数学者は、ただの抽象論議だけでなく、現実との接点を求めようとする。論理を十分にもっている数学者は、論理以外のものを求める。論理ではない現実的な真実を。
 しかし、そういう数学センスのない生物学者は、「数学的な論理的厳密さ」というのものを求めたあげく、現実から遊離した虚構の妄想を語るだけになる。
 たぶんドーキンスは、子供のころ、数学コンプレックスだったのだろう。だから、演繹的な方法ばかりを極端に押し進めてしまった。そのあげく、現実から遊離してしまった。……数学者の目から見れば、彼は「数学の方法を下手に真似しようとしているだけ」としか見えない。そして、こう皮肉るだろう。「あんた、生物学者でしょ。だったらまず、ファーブルのように、現実を直視しなさい」と。



 ※ 以下では、このあとのシリーズで述べることを予告する。

 [ 補足 ] (特殊事情の事例)
 それぞれの生物種の特殊事情とは、どのようなものか? ミツバチとライオンを取って、ごく簡単に示しておこう。

 (i) ミツバチの妹育て
 ミツバチの妹育てについては、先に詳しく述べた。「自分の遺伝子を増やすこと」ではなくて、「コロニー全体の生存」が目的となる。
 ここでは、スズメバチへの対抗という目的がある。その前提として、ミツバチとスズメバチとの間に、特殊な関係がある。
( → ミツバチの利他的行動 4
( なお、同様のことは、集団生活をするハチの仲間やアリの仲間にも見られる。)

 (ii) ライオンの子殺し
 ライオンの子殺しも、ミツバチと少し似た事情にある。ライオンは「プライド」と呼ばれる群を形成する。そこにはオスを中心としたハーレム社会があるので、異なる血筋(系統)の子が混じると、群社会がうまく成立しない、という問題が生じる。ここにはライオンの特殊な事情がある。

 いずれにせよ、ミツバチやライオンには、その生物に特有な特殊な事情がある。「コロニー」や「プライド」のような群を形成する、という特殊な事情が。……ここに物事の本質がひそんでいる。
 こういう事情があるからこそ、これらの生物では独特な行動が見られ、その一方、他の生物では似た行動は見られない。
 ※ この件は、詳しい話は、このあとのシリーズで論述する。

 ともあれ、これらの生物には、特殊な事情がある。このようなことを、「自分の遺伝子を増やすため」という普遍的な原理で説明しようとすると、矛盾が起こる。(すぐ前で述べたとおり。他の一般の生物にまで当てはめてしまうと、おかしなことになる。)
posted by 管理人 at 21:24 | Comment(0) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
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