2008年03月22日

◆ 自分の遺伝子 6 (解説A)

 ここまで「自分の遺伝子」について、あれこれと論じてきた。
 本項では、補足的な解説をする。
 ( ※ 補足的といっても、かなり大事な話を含む。ていねいな解説。) ──

 利己的遺伝子説では、次のような説明がされることがある。
 「生物は自分の遺伝子を増やそうとして行動する」

 これについて、すでに長々と説明してきた。( 自分の遺伝子 1
 そして、「自分の遺伝子」という概念はおかしい、というふうに結論した。特に、「自分の」というところがおかしい。「自分にある」というのならわかるが、「自分の」と見なすことはおかしい。それは「自分だけにある」ものではなく、「自分にもある」というものだからだ。
 (例。A型遺伝子は、自分だけにある遺伝子ではなく、自分にもある遺伝子である。)
 以上は、結論(ないし核心)である。この基本的なこと以外に、補足的なことをいくつか列挙しておこう。

 (1) 誰の遺伝子?

 「自分の」と言えないことは、他者もまたその遺伝子をもつことからわかる。たとえば、A型遺伝子をもつ個体はたくさんいる。

 それとは別に、次のこともある。
 「『自分の遺伝子』という発想では、自分の子孫にある遺伝子を『自分の遺伝子』と見なす。だが、そうであれば、自分にある遺伝子もまた、『自分の先祖の遺伝子』であるということになる」

 利己的遺伝子説を信じる人々は、自分の子にある遺伝子の半分を「自分の遺伝子」と見なす。しかし、それを言うなら、自分の遺伝子もまた、「自分の親の遺伝子」であるにすぎない。自分の親の遺伝子もまた、「そのまた親の遺伝子」であるにすぎない。
 要するに、各個体の遺伝子はすべて、「自分の先祖の遺伝子」であるにすぎない。そんなものを「自分の遺伝子」と見なすのは、あまりにも独りよがりだ。(エゴイズムを信じる人々にはありがちだが。)

 結局、ここにある発想は、こうだ。
 「おれのものはおれのもの。ひとのものはおれのもの」
            ((c)ひょっこりひょうたんじま by 井上ひさし)
 このあと、「だからせかいはおれのもの」と歌うのだろう。それと同じぐらい、馬鹿げている。
 そして、そのバカらしさは、典型的には、次のようになる。
 「A型遺伝子をもつ各人が、A型遺伝子を指して、『オレの遺伝子だ、オレの遺伝子だ』といがみあう」
 
 以上からわかるだろう。「自分の遺伝子」という発想は、ナンセンスである。
 仮に、「自分の遺伝子」という概念が成立するとしたら、それはただ一つ。自分にある遺伝子が、突然変異で誕生した独自の遺伝子である場合だけだ。
 しかしながら、自分の遺伝子の大半が突然変異の遺伝子であるということは、ありえない。人間と猿でさえ遺伝子は 98%ぐらいが共通しているのだ。とすれば、人間でありながらその遺伝子の大半が突然変異で生じたものだ、ということはありえない。結局、各人の遺伝子ほとんどすべては、ずっと昔からある遺伝子だ。自分だけの遺伝子ではなく、人類の遺伝子プールに昔からずっと蓄えられていた遺伝子だ。そんなものを「自分の遺伝子」と呼ぶことはナンセンスである。

 まとめ。
 各人が「自分の遺伝子」と呼ぶものは、ずっと昔から先祖を通じて伝来したものであって、自分のものでも何でもない、ありふれたものであるにすぎない。そんなものを「自分の遺伝子」と呼ぶのはナンセンスでしかない。A型遺伝子を「自分の遺伝子」と呼ぶのと同様に、ナンセンスである。「自分の遺伝子」という発想は、それ自体がナンセンスである。

 (2) 血筋・血縁

 しかしながら、「自分の遺伝子を残したい」という要求は、生物にあるように見える。これはどういうことか? 実はそれは、次のことを意味しているにすぎない。
 「まさしく自分の子を残したい」
(他人の子ではなく自分の子を)
 これをもっとはっきり言えば、次のようになる。
 「自分の血筋を残したい」

 こういう発想は、昔からあった。ただし、「血筋」という言葉を使うと、いかにも古臭くて封建的に感じられる。そこで、「血筋」という言葉のかわりに、「血縁」という言葉を使うようになり、さらには「自分の遺伝子」という言葉を使うようになった。……しかしながら、その実態は、「血筋」と同じなのである。
 「自分の血筋を引く子供を残したい」
 という古めかしい発想を、
 「自分の遺伝子を残したい」
 というふうに言い換えただけだ。これが本質だ。
 ( ※ なぜなら、「まさしく自分の子を残す」というのは、「自分にある遺伝子を使って、子を生む」ということだから。)

 (3) 矛盾

 では、「血筋」と「自分の遺伝子」(自分にある遺伝子)は、まったく同じ発想なのか? また、もし違うとしたら、どちらが正しい発想か? 

 実は、両者は異なる。
 第1に、「血筋」を考える場合には、夫婦の子を考えるわけだから、当然、「交配」が原理となる。これは有性生殖を原理とした発想である。特に問題ない。
 第2に、「自分の遺伝子」という場合には、「自己複製」が原理となる。自己複製は無性生殖を原理とした発想である。だから、「自分の遺伝子」を考えることには、問題がある。……具体的に言おう。そこから生じる方針は(ハミルトンやドーキンスの言うように)「血縁度を高めればいい」ということである。したがって結論は、「近親交配をするべし」となる。「父娘間や兄妹間の近親交配こそベストだ。生物はそれをめざす」というふうになる。しかしながら、それは真実に反している。矛盾。

 「自分の遺伝子」という発想は、根源的に間違っているのだ。それは無性生殖を原理とした「自己複製」という概念に基づく発想だからだ。
 「血筋」という発想なら、特に問題はない。「貴族の血筋」というような発想をするとおかしくなるが、普通は「徳川家の血筋」とか「豊臣家の血筋」とか、その程度のことしか言わないから、特に問題はない。もちろん、「血縁度を高めるために近親婚をせよ」などと主張することはない。
( ※ ただし男系ばかりを重視すると、とんでもないことになる。これは別項で論じた。  → Y染色体の継承

 では、矛盾ではなく、真相は?
 生物は「自分の遺伝子を残そう」とするのではなく、「自分の子を残そう」とする。つまり、「自分の遺伝子を使って子を残そう」とする。つまり、「先祖から子孫へ」という系統のつらなりを絶やすまいとする。すなわち、「系統の存続」。 …… これこそが生物の目的だ。 ( → 利全主義と系統 (生命の本質)
 要するに、「自分の遺伝子を残そう」という発想を捨てて、「子を残そう」という発想を取ればいい。遺伝子中心の発想を捨てて、生物中心の発想を取ればいい。(つまり、ドーキンス流の「遺伝子中心の発想」ないし「個体は遺伝子の乗り物だ、という発想」を、あっさり捨ててしまえばいい。 → 
 「自分の遺伝子」なんてものは、もともとありもしないのだから、ありもしないものを基礎に据えた発想は、根源的に虚構にすぎないのだ。

 
 「遺伝子中心の発想」を捨てるべきだ。が、だからといって、ダーウィン流の「個体中心の発想」を取ればいい、というふうにはならない。
 むしろ、次のようにすればいい。
   ・ 「生物の本質については、個体全体としての生物を中心に考える」
   ・ 「小進化の本質については、遺伝子集合淘汰を中心に考える」
 前者の話題は「生命とは何か」であり、後者の話題は「小進化とは何か」である。この双方を、混同しないこと。
 ドーキンスは、両者を一緒くたにして、すべてを遺伝子中心で考えた。なるほど、そうすれば、小進化についてはうまく説明できる。しかし、だからといって、生命の本質についてまで、遺伝子中心で済むわけではない。そもそも、「生命の本質とは何か」というのは、「遺伝子の本質とは何か?」ということとは異なる。生命においては、遺伝子はあくまで一部分にすぎない。そこを勘違いすると、本末転倒になる。
 ダーウィン説の発想では、「個体中心」であった。ドーキンスの発想では、それを否定して、「遺伝子中心」となった。しかし、そのどちらも、話がおおざっぱすぎるのである。生命の原理と、小進化の原理とは、異なる。異なる分野に、同じ原理を当てはめようとした、という点で、根本的に勘違いをしているのだ。

 ※ この話題については、あとでまた論じる。6項目ぐらいあとで。
 ※ 「血縁度が高い個体ほど自分にとって大切だ」という発想も駄目だ。
   この件は、自分の遺伝子 3 で説明した。(ボートの話。)



 ※ 以下は、細かな話題。特に読まなくてもよい。

 [ 付記1 ]
 「自分の遺伝子」という概念について、「目的論」と「結果論」との違いを明示しておこう。
 (a)「目的論」…… 個体は「自分の遺伝子」を残そう、という目的がある。
 (b)「結果論」…… 個体の目的は「遺伝子」を残そう、ということだけである。つまり、「子を残そう」ということだけである。それは目的というよりは本能として備わっている。そして、「子を残そう」として努めた結果、自分の遺伝子を使うしかないので、結果的に、「自分にある遺伝子」を残すことになった。ただそれだけのことである。あえて「自分にある遺伝子を残そう」としたわけではない。

 比喩的に言おう。給食のない学級で、各人は自分の弁当を食べている。それを見て、二通りの見解が出た。
 (a)「目的論」…… 生徒は「自分の弁当」を食べよう、という目的がある。
 (b)「結果論」…… 生徒の目的は「弁当」を食べよう、ということだけである。つまり、「食事」を取ろうということだけである。それは目的というよりは本能として備わっている。そして、「食事を取ろう」として努めた結果、自分の弁当を食べるしかないので、結果的に、「自分の弁当」を食べることになった。ただそれだけのことである。あえて「自分の弁当を食べよう」としたわけではない。(それが証拠に、美味な食事を与えられたら、そっちの食事を食べた。)

 この二つの見解のうち、あなたはどちらが正しいと思うだろうか? もし (a)が正しいと思うのであれば、あなたは目的論者であり、ドーキンス信者である。一種の宗教的な信徒。創造説のかわりに、別の宗教を信じているだけ。ドーキンス教の教徒ですね。創造説の信者とは、宗教が異なるだけ。
 もし (b)が正しいと思うのであれば、あなたは科学者である。

 [ 付記2 ]
 間違いの核心を示そう。
 大切なのは、遺伝子集合を単位として考えることであり、個体の遺伝子を単位として考えることではない。
 そして、遺伝子集合を単位として考えるのであれば、単に「増える遺伝子が増えた」と結果論で考えればいい。逆に、個体の遺伝子を単位として、「自分の遺伝子を増やすため」というふうに目的論で語るべきではない。
 ドーキンスは、この二つのことを混同してしまった。それというのも、「利己的」という言葉に、妙にこだわったからだ。
 この「利己的」という言葉は、かなり多義的なところがある。遺伝子集合淘汰については結果論で語るくせに、個体行動について語るときには目的論で語る。
 しかし、目的論で語るべきではない。「こうすれば自分の遺伝子を増やすことができるから、そのために個体はそういう行動をする」というふうに語るべきではない。「自分の遺伝子を増やすために、ミツバチは妹育てをする」とか、「自分の遺伝子を増やすために、ライオンは子殺しをする」とか、そういうふうに目的論で語るべきではない。
 むしろ、個体行動について語るときにも、結果論で語るべきなのだ。つまり、「そういう遺伝子が増えたから、そういう行動をするだけだ」と。たとえば、「妹育てをする遺伝子が増えたから、妹育てをするだけだ」とか、「子殺しをする遺伝子が増えたから、子殺しをするだけだ」というふうに。
 ただし、ここでは、「なぜその遺伝子が増えたのか?」ということを説明する必要が生じる。そして、その説明のためには、「理由」を語ればいいのであって、「目的」を語る必要はない。── ここが重要だ。
 ドーキンスは「自分の遺伝子を増やすため」というふうに、目的論で語る。しかし本当は、「これこれの特殊事情により、これこれの形質の遺伝子が増えた」というふうに、「原因 → 結果」という因果関係で語るべきだ。そして、その因果関係を突き止めるということが、真実を知るということだ。
 その因果関係は、それぞれの生物ごとに異なる。ミツバチにはミツバチの特殊事情があり、ライオンにはライオンの特殊事情がある。そういうことを一つ一つ生物学的に探求するということが、真実に至る道だ。
 「自分の遺伝子を増やすために」という仮説は、あまりにも便利で強力であるが、それゆえ、危険なのである。それは禁断の果実のようなものだ。いい気になって食いつけば、虚偽を食わされるだけだ。……ただし、食いついた本人は、それが虚偽だとは気づかない。かくて、虚偽を虚偽だと理解しないで、虚偽を真実だと思い込んで、「自分は真実をつかんだ」という妄想にふける。……それが、利己的遺伝子説だろう。
 利己的遺伝子説の核心である「利己的」という発想は、非常に危険である。それは悪魔のように人々をたぶらかす。そのような危険なものは捨てて、「遺伝子集合淘汰」という発想だけを取ればいい。そうすれば、妄想の道に迷うことを避けることができる。

 [ 付記3 ]
 前項では「目的論/結果論」ということを論じた。そこでは、「ドーキンスは目的論で論じている」というふうに述べた。これに対して、次の反論も出た。
 「ドーキンスは目的論者ではない」
 しかしこれは、誤読である。勝手に拡大解釈した上で、その拡大解釈を否定しているだけだ。この手の誤読が非常に多いので、なるべく誤読しないように、読者は注意してほしい。

 論理的に言えば、次のことは異なる。
   「ドーキンスは目的論で論じている (こともある)」
   「ドーキンスは目的論者である」

 これと似た論理的混同は、次のような例がある。
   「彼は金を稼ぐ (こともある)」
   「彼は金を稼ぐことだけが目的の金銭崇拝論者だ、守銭奴だ」


 要するに、誰かが 何かをする (こともある) ということと、誰かが 何かをしてばかりいる ということとは、異なる。
 ドーキンスは根っからの目的論者ではない。特に、「遺伝子集合淘汰」という発想を取っているときには、結果論を採っており、目的論を採っていない。この範囲では、ドーキンスの立場は正しい。
 ただし、ドーキンスが「自分の遺伝子を増やすため」というふうに語るときには、彼は目的論者になってしまっている。つまり、彼本来の立場を離れ、自分自身の主張に反する立場を取ってしまっている。これが前項でも述べたように、「彼は自分の学説を裏切ってしまっている」ということだ。
 繰り返す。ドーキンスの「遺伝子集合淘汰」という発想は正しい。しかし、彼の「自分の遺伝子を増やすため」という発想は正しくない。この部分のみ、私は否定している。つまり、部分否定している。完全否定しているわけではない。

 生物学者には、やたらと被害妄想を感じる人が多いらしく、私が何かを部分否定すると、勝手に「全否定している」と拡大解釈したあげく、「その全否定は間違いだ」というふうに主張する人が多い。
 そういう人には、次のことをお勧めしたい。
 「論理の混同を避ける」
 「被害妄想にならないように精神科のクリニックを受ける」
 こういう対処を取れば、「ドーキンスを全否定しているこいつは間違いだ、トンデモだ」というような(誤読ゆえの)批判は生じないだろう。

 [ 付記4 ]
 ドーキンスが目的論者か結果論者かと言えば、彼にはその二重性がある、と言えるだろう。
 生物学者が信じている遺伝子淘汰(正しくは遺伝子集合淘汰)を述べるときのドーキンスは、結果論者となっている。
 しかしながら、「自分の遺伝子」という主張をするときのドーキンスは、目的論者となっている。
 では、なぜ?
 それはたぶん、生物学者のほとんどが、目的論ふうに解釈するからだろう。( → 自分の遺伝子 4[ 付記3 ]。ジャック・モノーなど。)
 特にドーキンスで言えば、彼の「利己的」という基本概念が、根源的に目的論を取っている。「利己的」というのは、「自分の利益を増すために行動する」という原理だ。そこには「自分の利益のため」という目的論がある。
 そして、この目的論において、「自分の利益とは、自分の遺伝子を増やすことだ」というふうに、ドーキンスは解釈した。
 だから、彼が基本的に目的論の立場を取っていることは、「利己的」という用語からわかる。
 逆に言えば、彼の言説から目的論を排除するには、「利己的」という概念を排除すればいい。特に、遺伝子集合でなく個々の遺伝子を単位として( ≒ 個体を単位として)「自分の遺伝子」という発想を取ることを、排除すればいい。
 「自分の遺伝子」という発想は、個体を基準にすえた「利己主義」の発想だ。そのような発想は、彼のもう一つの発想である「遺伝子集合淘汰」という発想とは、根源的に矛盾するのだ。
( ※ ドーキンスがこのような矛盾・混同をなしたことは、「遺伝子淘汰」と「遺伝子集合淘汰」とを混同していたことによる。この件は、前出。 → 遺伝子集合淘汰 ……この項目では、当り前のことを語ったように見えるが、なぜ、当り前のことをあえて強調したか、本項でようやく明らかになるだろう。この当り前のことを理解できないから、ドーキンスは「利己的」という概念を用いて、「自分の遺伝子」というような発想を取ったのだ。かくて、間違えてしまった。初めのところで間違えたから、後の方で大きく間違えてしまった。)
posted by 管理人 at 18:19| Comment(1) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど、、、とは言いましても私が本当に理解しているかわかりませんが。

南堂先生の<経済学講義>を読みまして非常に衝撃を受けました。本文はもちろんの事ですが、エピローグの部分は通常の経済学では出て来る事のない事柄です。しかしながら、私もその事は真実であると信じておりますし、南堂先生の考えに共感致します。

私は、配偶者との遺伝子の伝承(父母から受け継いだ内のどちらか半分ずつですが)とは、単純に互いが、それぞれの持つ形質を(どの程度伝わるかわかりませんが)その相手に伝えて欲しいと欲する事なのではないか?と考えます。
誰もが父母から遺伝子を受け継ぎ、過去から続いている生命の糸を繋いで行く本能あるいは義務を感じているからなのではないかと考えます。
半分づつ両親から遺伝子を受け継いでいますが、私は父のコピーでもないし、母のコピーでもありません。多少の形質が似ている傾向はありますが、全く別ものであると考えます。
つまり遺伝子的に考えれば遺伝子集合の一部分でしかないと、、、

それ故、南堂先生のお考えに対して納得したつもりでおります。誤読でしょうか?

しかし個人的には私は男ですので、惚れた女性に私の持っている遺伝子の半分を受け継いだ子供を望むのは当然の事です。私はもちろん科学者ではありませんが狂信者とも思っておりません。

対象に見返りを求めない無償の愛が本質かもしれませんが、同様に利己的に自らの事を愛してあげる事もこれもまた真実と思っております。
Posted by naoki0217 at 2008年03月23日 00:28
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