前項の「自分の遺伝子」の関連で、「浮気の遺伝子」を話題にする。
・ 浮気は素敵なことなのか?
・ 人間はなぜスケベなのか?
その問題に答える。 ──
以下は、学術的な話ではなくて、肩の凝らない雑談である。おしゃべりや冗談のようなものだ。真面目に読まないでください。
( ※ ちょっと真面目な話は、後半の [ 付記1 ]に回した。)
──
「浮気の遺伝子」というものが、話題になることがある。では、「浮気の遺伝子」というものは、どう理解されるか? ── 俗っぽい話題だが、ちょっと言及しよう。(生物学的な論説というよりは、世間話ふう。)
「浮気の遺伝子」というものは、字義通りには成立しない。というのは、当人が結婚しているか否かを、遺伝子が認識するはずがないからだ。当人が結婚していれば浮気で、結婚していなければ自由恋愛。……そんなことまで、遺伝子は区別できない。
だからここでは単に「性欲の遺伝子」というのを考える。男は性欲が強くて、やたらと交尾(エッチ)をしたがる。では、どうして、男は交尾をしたがるのか?
俗流の解説では、次のように説明される。
「男は、自分の遺伝子を残すために、交尾をしたがる。そして、交尾をしたがる意欲の強い男ほど、いっぱい交尾をして、いっぱい子孫を残した。結果的に、そういう遺伝子が多く残った。だから男はやたらと交尾をしたがるのだ」
なるほど。これはいかにも、もっともらしい。 (^^);
ただし、この解説は、正しい箇所と、正しくない箇所とが、混合している。
[ 誤 ] 「男は自分の遺伝子を残そうとする」というのは誤り。
[ 正 ] 「性欲の遺伝子があると性欲が強くなる。それが淘汰のなかで生き残ったから、それが増えた」というのは正しい。
前者は、「自分の遺伝子」という概念を用いているので、誤りだ。
後者は、ただの「遺伝子淘汰」の発想なので、正しい。
一方、俗流解説は、この双方が混然としている。だから、あまり正確とは言えないが、おおむね正しい。
( ※ 専門家は俗流解説をしばしば批判するが、上記の意味では、さして大きく間違っているわけではないのだ。おおまかには正しい。)
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ただし、似ているようでも、次の釈明(浮気男の釈明)は、正しくない。
「浮気をするのは非倫理的だけどさ、遺伝子のせいなんだから仕方ないだろう? 遺伝子がどんどん増えようとしているんだ。僕は遺伝子に命令されて動いているだけなんだ。浮気をしても、それは、僕のせいじゃなく、遺伝子のせいなんだ。僕はちっとも悪くないよ」
「遺伝子というものは、自己複製をして増えたがるものなんだよ。それが遺伝子の本質だ。だから、僕が自分の遺伝子を増やそうとするのは、遺伝子に駆られただけであって、当然のことなんだ。生物というものはすべからく、そういうものなんだ。男であれば、どんどん浮気して、どんどん女を孕ませて、どんどん子を増やしたがるものなんだ。それが自然なんだ。自然の摂理には逆らえないよ」
この釈明は、もっともらしいが、成立しない。
そもそも、次のいずれも成立しない。
・ 生物の目的は自己複製をして増えることだ。
・ 生物は自分の遺伝子を増やしたがる。
・ 性欲が強ければ、自分勝手にその性欲を満たしてもいい。
一番目と二番目については、別の箇所で論じた。ここでは論じない。
三番目に着目しよう。「性欲がある」ということと、「性欲に従って好き勝手していい」ということとは、別のことである。
生物学的に言えることは、「性欲というものは、とても強いものだ」ということだけだ。男なら誰だって知っている。それをなだめつけるのに苦労するものだ。そして、なだめつけるのが、当然なのである。(さもないと女子中学生を襲った沖縄米兵みたいなことになる。)
性欲が強いということと、強い性欲に従って勝手なことをなすということは、別の話である。浮気をしたがることと、浮気をすることとは、別のことである。勘違いしないように。
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さらに無駄話を続けよう。
浮気をしたがることと、浮気をすることとは、別のことである。では、その違いは? こうだ。
「浮気をすると、楽しいと思える。だが、実際に浮気をすると、予想に反して、ひどい目に遭う」
どんなふうにひどい目に遭うか?
妻から攻撃されて、子供からは白い目で見られて、家庭が崩壊する。下手をすると、職を失い、浮浪者となる。
そうならなくても、妻と別れて多額の慰謝料と養育費を払うか、浮気相手に慰謝料と養育費を払うか、どっちかだ。大金持ちならいざ知らず、普通の人にとっては、とんだ修羅場にさらされる。
結局、妻と愛人の、双方を得るのではなく、双方の大半を失う。初めは1(妻)を得ていて、次に浮気をして1のほかに別の1を得るが、やがて発覚すると、1と1の双方を失う。あるいは、どっちかが少しだけ残るが、元のように1が残るわけではなく、せいぜい総計で 0.5 ぐらいしか残らない。
なるほど、浮気というものは、一時的には甘い蜜を吸える。だが、そのあとでは、ひどい目に遭う。個人にとっては、大損だ。そんなことはちっとも個体の利益にならない。
だから、利己的に行動したければ、大損をする浮気なんかやめた方がいい。それが結論だ。
しかし、である。人間には、悲しい性(さが)がある。性欲というやつが。性欲なくしては、人間は繁殖できない。だから否応なしに、性欲にとらわれる。強い性欲に。
では、何のために、強い性欲にとらわれるのか?
実は、子供を産むというのは、親にとっては負担になるばかりなのだ。それは、親の利益になるのではなく、親の損になるだけだ。
・ 女ならば、妊娠と子育てに、多大なコストがかかる。
・ 男ならば、交尾の最中はエネルギーを使い、体を酷使する。
また、ふだんからして、頭がそのことでいっぱいになる。
(勉強や仕事が手に付かなくなる。下手をすると大失敗。)
だから本当は、大人は、浮気もせずに、交尾もせずに、うまい者だけ食べているのが一番だ。とはいえ、大人がそんなことを実行したら、子が産まれなくなってしまう。それでは種の全体が滅びてしまう。そいつは困る。
だからこそ、種の滅亡を防ぐために(正確には系統の滅亡を防ぐために)、個体には強い性欲が備わっているのだ。遺伝子による本能として。
個体には、性欲の遺伝子がある。その遺伝子のせいで、性欲が発現して、やたらと交尾をしたがるようになる。それは、個体の利益のためではなくて、個体に損をさせるためだ。個体が利己主義で勉強や仕事ばかりをしていると、種が滅亡してしまうから、そうならないように、個体の利己主義を抑える形で、遺伝子が働いているのだ。
普通、個体は自己の利益を増やそうとするので、勉強や仕事を優先して、性欲を抑制する。ただし、性欲が強すぎると(あるいは理性が弱まると)、ときたま、おかしなところで交尾をしてしまうことがある。その例が浮気だ。
そして、浮気をすると、その一瞬だけは、楽しい気分を味わえる。だが、その後では、地獄に陥る。── このときようやく、「こんなことなら、浮気なんかしなけりゃよかった」と後悔する。だが、後悔しても、もう遅い。そもそそも、これは人間の悲しい性(さが)なのだから、仕方ないのだ。自分が損をするとわかっていても、自分にも制御できない性欲に駆られて、ついつい、馬鹿な真似をしてしまうのだ。
世の中には、こっそり浮気をする男もいる。愛人に大金を貢ぐ男もいる。独身のままプロの女性を買って大金を散在する男もいる。……彼らはいずれも、自己の利益を減らしてまで、交尾をしようとする。
では、なぜ? 「自分の遺伝子」を増やすためか? 「自分の複製」を増やすためか? 違う。利己的な遺伝子(性欲の遺伝子)に操作されているからだ。利己的な遺伝子のせいで、利己的な遺伝子を増やすために、個体は損をするハメになるのだ。── 個体は、交尾をすればするほど、得をするのではなく、遺伝子に利用されて損をするばかりなのだ。
性欲に駆られてやたらと浮気をする人もいる。その人は、「浮気をするのは、遺伝子ゆえに当然のことなのだ。オレが浮気をするのは正当なのだ。オレは悪くない」と思うべきではない。むしろ、「オレは、遺伝子に利用されて、ひどい目に遭っている。オレは遺伝子に利用された大馬鹿ものだ」と思うべきなのだ。
( ※ この遺伝子は、「性欲の遺伝子」だけである。現実に意味するのは、「性欲という本能ばかりに駆り立てられて、やたらと交尾ばかりをするようでは、大馬鹿ものになる」ということ。)
「浮気をするのは自分の利益になる」(自分の遺伝子を増やせるから自分の利益になる)と思うのは、とんだ勘違いだ。
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ではなぜ、多くの人々(特に学者)は、「浮気をするのは自分の利益になる」と思うのか?
それは、彼らが、浮気を夢想するばかりで、浮気をなかなか実行しないからだ。
彼らは、「浮気は素敵だ、浮気は素敵だ」というふうに書くが、ただの口先だけであって、実際には浮気をしない。だから、浮気というものを「楽しいものだ」と想像する。
しかし、浮気が楽しいのは、想像している間だけだ。── 架空世界。虚構世界。バーチャル世界。そこでのみ、浮気は楽しい。
一方、現実の浮気は、楽しいどころか、地獄そのものだ。なるほど、交尾をしている最中には、一瞬の快感はある。ただし、そのあとでは、虚しくなる。「何だってオレはこんな馬鹿げたことをやっているのだろう」という、ほろ苦い思いがするはずだ。
浮気がいかに苦しいものであるかは、浮気文学を読むとよくわかる。「浮気は楽しいですよ」なんて書いてある文学もあるが、それは、短いショートショートだけだ。つまり、小話だけだ。
長編小説になると、その正反対だ。浮気がいかに苦しいものであるか、リアルに書いてある。(たとえば、東野圭吾「夜明けの街で」)
とにかく、浮気が楽しいのは、浮気をする以前の夢想だけである。現実の浮気は、違う。
現実の浮気というものは、夢想とは違うものだ。それは、利己的遺伝子に駆り立てられて、ある種の別人格(自分ではない自分?)に操作されて、自分のしたいこととは別のこと(損をすること)を、あえてなしてしまうことだ。「わかっちゃいるけどやめられない」という形で。
それが浮気の真実だ。なのに、
「浮気はすばらしい。男が浮気をするのは、生物学的に当然のことだ」
なんて思う人は、夢想ばかりをして、現実の浮気を全然知らないのだ。
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さて。ここで問題だ。なぜ彼らは、夢想ばかりをするのか? 実は、そこにこそ、問題の本質がある。
交尾には、快感がともなう。快感があるのは、快感の遺伝子があるからだ。そして、快感の遺伝子とは、快感をもたらすことで、交尾はすばらしいという夢想や錯覚をもたらす遺伝子なのだ。
交尾は、現実には何も与えないのだが、心のうちで快感をもたらす。そのせいで、ただの体力消耗運動が、すばらしい出来事だと錯覚されるようになる。
それが快感の遺伝子の役割だ。そして、その快感の遺伝子にだまされて、人々は「交尾はすばらしいことだ。なぜなら最高の快感を与えてくれるから」と思い込むのだ。
これはまあ、麻薬中毒患者と同様である。麻薬は現実には何も与えてくれないのに、すばらしい幸福を与えてくれると錯覚させる。なるほど、麻薬をやっている間だけは、たしかに恍惚とした感覚にひたれる。ただし、麻薬から醒めたあとでは、現実に戻る。そのとき、「下らない妄想のために大金を払うハメになった。大損だ」と悟る。
交尾も同様だ。やっている間だけは、たしかに恍惚とした感覚にひたれる。ただし、醒めたあとでは、現実に戻る。そのとき、「下らない妄想のために体力や金を払うハメになった。損した」と悟る。
ま、普通の人は、そう悟る。つまり、「たしかに気分はよかったのだが、損得勘定で言えば損したな」と。
ただし、多くの生物学者は、悟らない。むしろ、「交尾をすればするほど利益が増す」と思い込む。(なぜかというと、「生物の目的は増加だ」という発想から。)
彼らは「交尾をすればするほど利益が増す」と思い込み、「だから利益を増すために個体は交尾をする」と思い込む。……それがまあ、多くの生物学者の誤解だ。
はっきり言っておこう。交尾というのは、個体の利益にはならない。快感をもたらしてくれるが、ちっとも個体の利益にはならない。交尾をしている間、個体は、「利己的な遺伝子」に駆り立てられて、奴隷のごとく奉仕させられ、自分にとって損になることをしているだけなのだ。 快感のせいで、そうとは気づかないまま。
これが真実だ。そして生物学者は、真実を伝えるかわりに、誤解をふりまく。彼ら自身がだまされているせいで。
( ※ なお、子供を残すということは、個体にとっては利益にならないが、遺伝子全体にとっては利益になる。それが利己的遺伝子説の発想だ。一方、「自分の子供を残すと、自分の遺伝子を残せるので、有利だ」と思うのは、利己的遺伝子説ではなくて、ただの間違いである。そのことを前項では詳しく説明した。)
──
【 注記 】
交尾について否定的なニュアンスで述べたが、「だから交尾をするのは馬鹿げている」と述べているのではないので、念のため。「人間とはそういう悲しい生物なのだと認識せよ」と述べているだけだ。「『交尾をするのは利益のためだ』というのは錯覚だと気づけ」と述べているだけだ。
ここでは、一般人の交尾そのものを批判しているわけではなく、交尾について妄想をしている生物学者を批判している。……勘違いしないように。
( ※ ついでながら、私は一般人の方です。)
※ 以下は補足。ちょっと学術的な話題。
(利己的遺伝子説に関心のある人以外は、読まなくてもよい。)
[ 付記1 ]
俗流解説者は、次のように面白おかしく説明する。
「オスがやたらと浮気をしたり交尾をしたりするのは、自分の遺伝子を増やそうとしているからだ」
これを聞くと、専門家は青筋を立てて怒ることが多い。
「そんな俗っぽい解説をするな! 利己的遺伝子説の趣旨は、ただの遺伝子淘汰だけだぞ」
ま、その批判の趣旨は、マトはずれではない。(遺伝子と個体集合との関係を見失っている、という点を除けば。)
ただし、注意。間違った解説をしているのは、俗流の解説者だけではない。ドーキンス自身もそうなのだ。そのことは、前項の記述からもわかる。なぜなら、ドーキンス自身、同様の間違いを犯しているからだ。それが「自分の遺伝子」という発想である。
( ※ どっちみち、「自分の遺伝子を増やそうとする」という発想を取っている点で、間違い。同じ穴のムジナ。)
このことを理解するには、次の二つを比べるといい。
「オスが交尾をしたがるのは、自分の遺伝子を増やそうとしているから」
「働きバチが妹育てをするのは、自分の遺伝子を増やそうとしているから」
両者の趣旨は、いずれも同様である。
俗流解説者は前者を語り、ドーキンスは後者を語る。しかし、どっちみち、同じ罠にはまっている。「自分の遺伝子を増やすため」という罠に。そのせいで、「遺伝子集合淘汰」という真実から逸れた、落とし穴に落ちてしまっている。
結局、俗流解説者を批判するのであれば、ドーキンスをも批判する必要がある。
[ 付記2 ]
余談ふうの話題。
頭のいい人は性欲が強くなく、頭の弱い人は性欲が強いことが多い。そういう傾向が結構あるようだ。
では、その結果は? こうだろう。
・ 頭の良い人は、生存率で有利だが、出産数は少ない。
・ 頭の弱い人は、生存率で不利だが、出産数は多い。
こうなると、「自然淘汰によって人間はみな頭が良くなる」ということが成立しなくなる。下手をすると、頭の悪い人の方が多くなる。
つまり、性欲の強弱というものは、「優勝劣敗」という自然淘汰をくつがえすほどの効果をもつわけだ。性欲というものの効果はかくも強力なのだ。何というすさまじさ!
だから人間はみな、スケベでバカになる


【 参考項目 】
「浮気の遺伝子についての俗説」というのは、前にも話題にしたことがある。俗説を専門家が批判しているが、いちいち怒るのは馬鹿らしい、という話。
→ [補説] 利己的遺伝子説の修正 2 [ 付記2 ]
( ※ 冗談を冗談と理解できない人が多い。「これは冗談ですよ」と教えてもらわないと、冗談を真に受けるわけだ。)
( ※ そう言えば本項の最後でも、「これは冗談ですよ」と教えておかなかったっけ。)
「快感の遺伝子」についての話題を加筆しました。
(時点は、22日の朝)
しかし残念ながら、本当に愛せる人と交尾したことが無いので、、、まさに情けない、、、
もしかしたら、その浮気症の人間(男女問わず)は、それを求めて冒険しているのでは?、と考えるのは、、、、、
冷静に全ての事を考えたらやはりいけませんね、、、
でも、せめて1度なら許されるのでは?、、、と考えてしまいます。
伴侶にバレてしまうのは言語道断ですが、、、
しかし、後を引いてしまうのでしょうねぇ、、、
できれば避けたいものですね、、、
人間は肉体的に劣化していくものですから、、、
互いに気持ちを保つ、思いやる気持ちを持ちたいものです。