2008年02月16日

◆ 反利己的な遺伝子 3


 前回までの話は、奇妙に思えるだろう。いかにもトンデモっぽくて、信じがたく思えそうだ。(「利己的な遺伝子」などと述べて、定説とは正反対だからだ。)
 そこで、わかりやすく詳しく解説する。するとわかることだが、ドーキンスはまさしく偉大な業績を成し遂げたのだ。人々はドーキンスの業績の偉大さをよく理解できていない。その偉大さを、本項は明らかにする。

( ※ 今回は解説。) ──

 まず、前回までの話をまとめると、ドーキンスの言葉は次のように修正される。
  ・ 遺伝子 → 遺伝子集合
  ・ 利己的 → 反利己的

 この二つは、別々のことのようだが、実は同じことである。

 そのわけを知るには、次の三つを比べるといい。
  ・ 「遺伝子」は「遺伝子集合」となる。
  ・ 「遺伝子は利己的だ」は「遺伝子集合は利己的だ」となる。
  ・ 「遺伝子は利己的だ」は「遺伝子は反利己的だ」となる。


 この三つは等価である。
 1番目は、ドーキンスの趣旨に従っただけだ。
 2番目は、その趣旨にしたがって書き直しただけだ。
 3番目は、2番目のことを裏側から表現しただけだ。


 結局、2番目と3番目は、1番目から自然に得られたことである。特に不思議でも何でもない。(言葉だけは定説と正反対だが、言っていることは定説と同様である。)

 ( ※ ここまでは、前々項の要約。)

 ──

 問題は、「そのように書き換えたあと、利己的遺伝子説をどう理解したらいいか」ということだ。特に、次の文が問題だ。
 「個体は遺伝子の乗り物である」

 この文は、次の文に書き直される。
 「個体遺伝子集合の乗り物である」


 さて。書き直したあとの文は、どう理解されるか?
 この件については、「斜めの論理をやめて、直角の論理を取ればいい」と説明した。そうすれば、正確に認識できるはずだ。
 ※ 「斜めの論理」と「直角の論理」は、次の表からわかる。

  個体   個体集合
 遺伝子  遺伝子集合 


 ( ※ ここまでは、前項の要約。)

 ───────────────────────


 こうして、すでに述べたことの要約を得た。
 このあと、以上のことについて、もう少し詳しく説明しよう。


 (1) 表による理解

 まず、念頭の
 「個体は遺伝子の乗り物である」

 という文を見よう。これは、次の文に書き直される。
 「個体は遺伝子集合の乗り物である」


 ここで、「個体」と「遺伝子集合」との関係を知るには、すぐ上の表による理解が大切だ。「個体」と「遺伝子集合」との関係は、表における左上と右下の関係だ。これらを直接的に結びつけると、「斜めの論理」となる。しかし、それは、不正確である。
 では、どうするべきか? 「斜めの論理」のかわりに、「垂直の論理」で理解すればいい。つまり、「個体」と「遺伝子集合」との関係を、次の二つの関係に分解すればいい。
  ・ 「個体   ── 遺伝子」(縦)
  ・ 「遺伝子 ── 遺伝子集合」(横)


 こうして正しい理解をする方法がわかった。


 (2) 横関係:全体主義

 正しい理解をする方法がわかったあとで、実際にその関係を調べよう。
 まずは、「横」の関係から調べる。つまり、次の関係だ。
    遺伝子 ── 遺伝子集合

 この関係は、何か?

 これについては、前項で述べたとおりだ。つまり、
 「遺伝子は遺伝子全体に奉仕する」
 ……(*
 ということだ。一言で言えば、「全体主義」である。(「利己主義」の正反対。)

 それはどうしてかというと、ドーキンスの言う「利己的である」の主語が「遺伝子全体」であるからだ。ドーキンスによれば、次のことが成立する。
 「遺伝子全体が利己的である」

 このことから、(*)のことが成立する。


 (3) 縦関係:影響関係

 「横」の関係のあとで、「縦」の関係を調べよう。つまり、次の関係だ。
      個体   ──   遺伝子
    個体集合 ── 遺伝子集合

 このうち、実際に成立するのは、前者だけだ。この関係は、次の図式で示される。
    遺伝子 → 個体

 これは、「遺伝子から個体への影響関係」のことである。その実態は、次のことだ。
    遺伝子 → 脳(本能) → 個体

 この件は、先に述べたとおりだ。(「遺伝子と本能」の項目。)


 (4) 平行関係

 さて。ここまでの話は、何度も述べたとおりだ。大事なのは、このあとのことだ。
 すぐ上の (2) で、「横の関係」を示した。次のように。
    遺伝子 ── 遺伝子集合

 これは「横の関係」である。これに対して、「縦の関係」が作用する。すると、どうなるか? 「横の関係」に「縦の関係」が影響する結果、次のようになる。
 「遺伝子が遺伝子全体のために奉仕する」ということが、そのまま個体レベルに移行する。すなわち、「個体が個体全体のために奉仕する」ということが起こる。

 つまり、「個が全体のために奉仕する」という横レベルの関係が、「遺伝子から個体へ」というふうに縦レベルで移行する。

 結果的に、どうなるかというと、次の二つのことが並行的に起こる。
     個体   <  個体集合
     遺伝子  <  遺伝子集合

 ( ※ 不等号は「左辺が右辺に奉仕する」ということを意味する。)

 つまり、「遺伝子が遺伝子集合に奉仕する」ということが起こると、それが「遺伝子 → 個体」という影響関係(縦の関係)を通じて、そっくりそのまま、個体レベルでも成立する。

 要するに、次のことが重層的に起こる。
  ・ (個体 レベル)  …… 個が全体に奉仕する
  ・ (遺伝子レベル) …… 個が全体に奉仕する
 「個が全体に奉仕する」ということが遺伝子レベルで起こると、それがそっくりそのまま、個体レベルでも起こるわけだ。そして、なぜそうかというと、「遺伝子 → 個体」という「縦の関係」があるからだ。

 このような重層的な関係を「平行関係」と呼ぶことにしよう。
 遺伝子レベルで「全体主義」があるから、個体レベルでも「全体主義」がある。そういうふうに遺伝子レベルと個体レベルで同様のことが重層的に起こることを、「平行関係」という言葉で示すわけだ。


 (5) 平行関係の例

 平行関係の具体的な例を考えよう。たとえば、次の二つの例がある。
  ・ 親が子育てをする。(系統という全体のために奉仕する)
  ・ 働きバチが妹育てをする。(コロニー全体のために奉仕する)


 このいずれの例でも、個が全体のために奉仕している。
 そして、そのいずれでも、「平行関係」が見出される。次のように。
 (i) 親が子育てをする。そのとき、親の遺伝子は、系統の遺伝子全体のために奉仕する。これを個体レベルで言うと、親という個体が、系統の個体全体のために奉仕する。
 (ii) 働きバチが妹育てをする。そのとき、働きバチの遺伝子が、コロニーの遺伝子全体のために奉仕する。これを個体レベルで言うと、働きバチという個体が、コロニーの個体全体のために奉仕する。

 いずれにせよ、遺伝子レベルと個体レベルで、「個が全体のために奉仕する」ということが重層的に起こっている。すなわち、「平行関係」がある。


 (6) 利己的遺伝子説の意義

 個体レベルと遺伝子レベルでは、「平行関係」がある。この平行関係は重要だ。実は、この平行関係こそ、ドーキンスの「利己的遺伝子説」の意義だからだ。

 ひるがえって、「平行関係」を見出さずにいたら、どうなるか? ドーキンス以前のものとして、ただの「遺伝子淘汰」という発想がある。そこでは、次の関係があった。
   ・ 遺伝子 ── 遺伝集合

 ここでは、遺伝子と遺伝子集合の関係を見ているだけだった。次のように。
 「個々の遺伝子が環境で有利・不利であることに従って、遺伝子全体の総数が増減する」

 しかしながら、この解釈は、意味がない。「有利・不利」というのは、「数が増える・減る」のと同じことだから、ただのトートロジーにすぎないのだ。
 つまり、「遺伝子淘汰」の発想を取る限りは、ただのトートロジー以上のことは言えないのだ。かくて「自然淘汰」という原理は、ほとんど無意味になる。(「増えるものは増える」とトートロジーで言っているだけだ。)

 ドーキンスは、遺伝子の「自然淘汰」という原理に、息吹を与えた。ただのトートロジーに、実質的な意味を与えた。つまり、「遺伝子と個体」という関係(縦の関係)を賦与することで、「有利・不利」という言葉に実態を与えたのだ。
 彼が実質的に成し遂げたことは、先の「平行関係」で説明される。ここで簡単に図式化すると、こうだ。

   ・ 個体   ── 個体集合
   ・ 遺伝子 ── 遺伝集合


 この二つの関係が重層的に成立する。ここでは、遺伝子が増減するのには、はっきりとした理由がある。次のことだ。
 「その個体の行動が個体全体の利益に役立つか」

 そして、もし「イエス」であれば(個体の行動が個体全体の利益に役立つのであれば)、個体総数が増えるので、遺伝子総数も増える。
 こうして、個体の行動が、個体総数の増減を通じて、遺伝子総数の増減に影響するわけだ。

 つまり、遺伝子というものは、遺伝子淘汰説の想定したように、遺伝子だけで勝手に増減するものではない。また、「環境のなかで増減する」というふうに、漠然とした意味で増減するのでもない。遺伝子というものは、具体的な個体行動ゆえに、個体総数の増減を通じて、増減するのだ。
 たとえば、次のように。
  ・ 親が子を育てると、個体総数が増えて、遺伝子総数が増える。
  ・ 働きバチが妹を育てると、個体総数が増えて、遺伝子総数が増える。

 こういうふうに、個体の具体的な行動(個体行動)が、個体総数を通じて、遺伝子総数に影響する。そのことがはっきりと示された。

 遺伝子総数は、勝手に増減するのではない。個体行動ゆえに、個体総数を通じて、増減する。つまり、遺伝子総数の増減には、個体行動がまさしく影響する。──こういうことを具体的な形で示したことが、ドーキンスの偉大な成果だ。
 そして、その意義は、こうだ。
 「言葉だけはあったが抽象的にすぎなかった『遺伝子淘汰』という概念に、実質的な意味を与えた」


 ドーキンス以前にも、「遺伝子淘汰」という発想はあった。しかしそこでは、「自然淘汰」という原理は、ただのトートロジーに過ぎなかったので、「遺伝子淘汰」という発想は、ほとんど無意味なものにすぎなかった。単に「増えるものは増える」と言っているだけだった。
 しかしドーキンスは、「遺伝子淘汰」という発想に、息吹を与えた。「遺伝子淘汰」という原理は、ドーキンスによって初めて、意味のあるものになったのだ。

( ※ それ以前の「遺伝子淘汰」は、集団遺伝学と同様で、ただ数字をいじっているだけにすぎなかった。そこでは「なぜ増減するか」ということが、まったく無視されていた。いわば机上の学問にすぎなかった。それに命を与えたのがドーキンスだった。)


 (7) 本サイトによる整理

 こうして、ドーキンスの成果は判明した。
 ただし、ドーキンス自身は、そのことを正確に表現できなかった。ドーキンスはまさしく偉大な業績を成し遂げたのだが、彼の表現は不正確だったのだ。
 そこで、本サイトは、彼の言葉を新たに表現し直した。すなわち、前出の表を用いて、「平行関係」というものを見出した。かくて、ドーキンスの業績は、正確に表現されたことになる。

 なお、本項のポイントを示せば、次のようになる。
 「遺伝子全体の増減はひとりでに起こるのではない。個体総数の増減を通じて起こる。そして、そのことをもたらすのが、遺伝子と個体との関係だ。この関係があるからこそ、個体総数の増減が遺伝子総数の増減に結びつく」
 「こういう全体像は、 における平行関係として理解される」



( ※ なお、遺伝子レベルと個体レベルとの関係には、方向性がある。
  ・ 単数形 : 「遺伝子 → 個体」という関係
  ・ 複数形 : 「個体総数 → 遺伝子総数」という関係
 単数形では、表では ↑ という方向になる。[ 形質発現の因果関係 ]
 複数形では、表では ↓ という方向になる。[ 増減の因果関係 ])




 ※ 補足的に付記しておこう。

 本項で述べたことは、「表による認識で正確に認識できる」ということだ。
 そして、そこでは、次の書き換えも、あらかじめ述べられている。
  ・ 「遺伝子」は「遺伝子集合」となる。
  ・ 「遺伝子は利己的だ」は「遺伝子集合は利己的だ」となる。
  ・ 「遺伝子は利己的だ」は「遺伝子は反利己的だ」となる。

 こういう書き換えを通じて、正しい認識に到達できたわけだ。

 なお、こういう書き換えをしないと、とんでもない混乱や誤認に陥る。
 その件については、次項で説明する。
posted by 管理人 at 21:21| Comment(0) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
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