2008年02月07日

◆ 個体は遺伝子の乗り物か?

 個体は遺伝子の乗り物か? この問題について答えるには、前項の区別に準じるといい。つまり、「遺伝/生命」というふうに、二つの場合に分けて答えるといい。 ──
    ( ※ 本項の実際の公開日は、上記の日付と異なっています。
     前半(A)は 2009-03-15 の公開。後半(B)は 2008年04月12日 の公開。)



 「個体は遺伝子の乗り物か?」
 という問題がある。これに対する答えは、一概には与えられない。「どういう立場から答えるか?」という立場の違いによって、答えは「イエス」にも「ノー」にもなる。
 大別すれば、次の通り。

 (A)動物行動学の立場から

     ・ マクロ的(集団的)には …… イエス
     ・ ミクロ的(個別的)には  …… ノー

 (B)生物学の立場から

     ・ 進化については …… イエス (マクロ的なので)
     ・ 生命については ……  ノー  (ミクロ的なので)


 以下では、(A)(B)に分けて論じよう。

 (A)動物行動学の立場から


 動物行動学の立場からは、個体と個体集合とを、分けて考える必要がある。
 そして、このときに必要な発想として、「遺伝子集合淘汰」の発想がある。
   → 遺伝子集合淘汰

 ここから、「遺伝子は反利己的だ」という結論が得られる。つまり、次のことだ。
 「個々の遺伝子は、遺伝子集合全体に奉仕する」

   ( → 反利己的な遺伝子2

 このような認識では、個々の個体や遺伝子を見るのでなく、個体集合全体や遺伝子集合全体を見ている。つまり、物事をマクロ的に見る。
 そして、そのようにマクロ的に見れば、遺伝子は個体に優先する。

 《 マクロ的に 》
 (数だけの増減)


  :::::::
  :::::::
  :::::::
 《 ミクロ的に 》
 (具体的な1匹)


   bee.gif


 一方、ミクロ的に見れば(個体集合でなく個別個体を見れば)、個体は遺伝子によって操作されているわけではない。なぜか? 遺伝子は、個体を形成するだけであって、いったん形成された個体がどういうふうに行動するかは、(遺伝子でなく)個体のシステムが決定するからだ。

 このことは、「ハードとソフト」という比喩で示してもいい。コンピュータは、CPUやメモリなどのハードによって作られる。これが遺伝子に相当する。一方、コンピュータの働きは、CPUやメモリというハードによって決まるのではなく、そこに搭載されたソフトがいかに働くかによって決まる。生物もまた同じ。遺伝子は生物を形成するが、生物がいかに行動するかは生物がソフト的に決める。そのソフトは、生物が環境のなかで成長するにしたがって獲得したものだ。ソフトは環境次第でいくらでも変わる。遺伝子が決めるのは、ソフトではなくて、ソフトを形成する能力だけである。
 したがって、「遺伝子が個体行動を操作する」ということは、個別生物の行動では成立しない。

 具体的な例で言えば、次のように言える。
 ミツバチという種が妹育てをする、というような行動は、本能的な行動であり、遺伝子レベルで決まる。そして、それは、マクロ的に見る限りは、正しい。
 ただし、個別に見ると、ミツバチのなかにも、妹育てをしないでサボっている個体がチラホラと見られる。(そういう研究報告がある。)……同じ親から生まれた同等の遺伝子レベルのミツバチでさえ、そういう違いが生じるのだ。
 つまり、集団レベルでは、「遺伝子によって行動が決まる」と言えるのだが、個々の個体レベルでは「遺伝子によって行動が決まる」とは言えない。なぜか? 遺伝子から個体が形成されるまでには、さまざまな変化が起こるからだ。( → エピジェネティクス
 また、個体形成の過程以外に、後天的な学習の違いもある。各個体はそれぞれ育った環境が微妙に異なるから、学習の過程も微妙に異なる。そして、そこにおいては、遺伝子による決定は成立しない。

 簡単に言えば、次のようにまとめられる。
 「個体の行動は、先天的な要素と後天的な要素との、双方で決まる。先天的な要素だけで決まるのではない」
 「ただし、個体集団を見ると、後天的な要素の違いは無視されるので、先天的な要素だけに着目するようになる。そこで、個体集団については、先天的な要素だけに着目してもいい」

 つまり、集団レベルでは、「遺伝子は個体行動を決める」と言ってもいい。(それ以外の分を無視するからだ。)

 ところが、これを混同すると、次のような勘違いが生じる。
 「個体集団では先天的に行動が決まるから、個別の個体でも先天的に行動が決まる。遺伝子が個体の行動を決める」

 これが「個体は遺伝子の乗り物だ」という発想だ。
 これは、集団レベルの話と、個別レベルの話を、混同してしまっているのである。マクロ的な話と、ミクロ的な話を、混同してしまっているのである。「マクロ的に成立するからミクロ的にも成立するはずだ」と勝手に勘違いしてしまっているのである。
 それが「個体は遺伝子の乗り物だ」というドーキンスの説だ。それは、マクロ的に見る限りは正しいのだが、マクロ的な話を、いつのまにかミクロレベルにまで持ち込んでしまったため、話が拡張されて、虚偽になってしまったのだ。

 比喩的に言おう。
 「日本人は、米飯が好きだ」
 というのは、マクロ的には正しい。しかし、ミクロ的には、米飯の嫌いな人もたくさんいる。マクロとミクロとは異なる。集団と個別とは異なる。
 しかしながら、これを混同して、
 「日本人は、米飯が好きだ。きみは日本人だ。ゆえに、きみは米飯が好きだ」
 というふうに論理を展開してしまうのが、ドーキンスだ。それは、一応は論理的に見えるが、マクロとミクロを混同しているという点で、しょせんは虚偽なのである。


 《 補説 》
 「マクロ的」という言葉がわかりにくいかもしれないので、解説しておこう。

 (1) 「マクロ的に見る」というのは、「統計的に見る」という意味である。たとえば、遺伝子Aをもつ個体集団について、統計的な増減を考える。そのとき、個体集団は「遺伝子の乗り物」と見なされる。これは別に、奇妙ではない。
 たとえば、医薬の薬効調査で、医薬 N を飲んだ患者と、偽薬 P を飲んだ患者とがいる。これを統計的に見るときには、患者たちは「薬の乗り物」と見なされる。統計処理の際には、患者一人一人の個性などは無視して、患者たちはあくまでも「薬の乗り物」と見なされる。それが統計処理の立場だ。統計処理というのは、そういうものなのだ。

 (2) ただし、たくさんの患者を人間的に見ることもできる。「どの一人一人も大切な生命をもつ患者だから、これらの患者を助けてあげたい」と思うこともある。そのときには、たくさんの患者は、生物としての患者であるから、「人間としての患者」であって、「薬の乗り物」ではない。
 これは統計処理の立場とは、まったく異なる立場だ。これは、マクロ的な認識ではなくて、ミクロ的な認識がたくさんあることに相当する。

 (3) 同様のことは、他の統計処理でも同様である。結局、統計処理では、個々の個体はただの「乗り物」として認識される。それだけのことだ。このことは特に奇妙でも何でもない。ただの処理上の問題にすぎない。



 この件については、次の箇所でも別途、述べている。
  → 「利己的遺伝子とは」というページの、「正解」という章

( 要点。ドーキンスの言う「利己的な遺伝子」という発想は、「遺伝子は永遠のもの」という発想をする時点で、抽象的な遺伝子となってしまっており、物質的としての個別的な遺伝子ではなくなってしまっている。むしろ、物質的としての個別的な遺伝子として扱うべきだ。)


 (B)生物学の立場から


 生物学の立場からは、「進化と生命」というふうに分けて考えることができる。
 これは、先に述べた「マクロ/ミクロ」という違いに合致する。次のように。
  ・ 進化 …… マクロ的 (種全体の進化を考える)
  ・ 生命 …… ミクロ的 (個々の個体の生物活動を考える)


 進化を考えるときには、個々の個体の生物活動を考える。これは、ミクロ的な認識だ。だから、そこでは、先天的な要素と後天的な要素をともに考える必要がある。したがって、「遺伝子は個体を操作する」というふうに考えるべきではない。「そういうこともあるが、それだけでは済まない」というふうに考えるべきだ。
 
 以下では、この両者について、分けて述べよう。

 ──

 (1) 進化について

 進化について、個体と遺伝子の関係を考えよう。
 進化は長大な時間における現象だ。通常、何万年もかかる。そこでは、寿命のある個体は次々と交替していく。長大な時間において継続的に存在しつづけるのは、遺伝子だけだ。こういう長大な時間においては、一つ一つの個体は「遺伝子の乗り物」と見なせるだろう。当然だ。
 たとえば、GN123 という名前の遺伝子があったとする。その遺伝子は、何万年もの間、ずっと引き継がれる。そして、その遺伝子を引き継ぐのは、莫大な数の個体だ。これらは次々と交替して、痕跡を残さない。(ごくわずかな例外が化石を残す。)
 こういうふうに、個体は、「遺伝子を引き継ぐもの」としてのみ意義がある。それが「遺伝子の乗り物」としての個体の意味だ。
 だから、こう言える。
 「(進化においては)個体は遺伝子の乗り物である」

 と。このことは、「進化においては」という限定句をつけて、成立する。

 (2) 生命について

 生命について、個体と遺伝子の関係を考えよう。
 生命は、一つ一つの個体における現象だ。ここでは、長大な時間は関係なく、今現在だけが重要だ。正確には、それぞれの個体の「誕生から死まで」の生涯期間だけが重要だ。何万年もの時間は関係ない。
 ここでは、個体の誕生と生存のために遺伝子は利用される。個体が誕生するときに遺伝子は利用され、また、個体が生存している間にも遺伝子は利用されている。
 誕生と生存は、それぞれの個体において、今現在における現象だ。そこでは過去の何万年もの過程(進化の過程)は、特に考慮されない。過去の進化の過程は、たしかに重要ではあるが、特に考慮されることはない。
 たとえば、医者は、遺伝子疾患の患者を診るとき、「この患者のこの遺伝子の作用がおかしいな」というふうに考慮することはあるが、「この患者のこの遺伝子は進化の過程でどのように形成されたか」ということは考慮しない。過去の歴史は関係なく、今現在だけが大事だ。
 だから、こう言える。
 「(生命においては)遺伝子は個体の手段(道具)である」

 と。このことは、「生命においては」という限定句をつけて、成立する。

 ──

 以上の (1)(2) を示した。この二つは、どちらか一方が真実だというわけではない。どちらも部分的な真実だ。つまり、異なる場合における、異なる真実だ。
 とすれば、「この二つのどちらが正しいか」と考えるべきではなく、「この二つは別々のことだ」と理解するべきだ。

 つまり、次のようにと区別するべきだ。
  ・ 進化 …… 何万年という長大な期間における現象。
  ・ 生命 …… 今現在( or 生涯期間)における現象。


 進化の現象は、何万年という長大な時間における現象だ。そこでは、個体は無視され、遺伝子だけが考慮される。ここでは、個体は遺伝子の乗り物である
 生命の現象は、今現在( or 生涯期間)における現象だ。そこでは、個体こそが最重要である。遺伝子は個体の誕生と生存のための手段にすぎない。ここでは、個体は遺伝子の乗り物でない

 ──

 この両者をはっきり区別しよう。では、なぜ区別するべきか? ここには、根源的な違いがあるからだ。それは、次のことだ。
   ・ 進化における遺伝子 …… 「遺伝子集合」のこと。
   ・ 生命における遺伝子 …… 「個々の遺伝子」のこと。

 ( ※ この両者の原理的な違いは、先に「反利己的な遺伝子 1」で示したとおりだ。)

 前者(進化における遺伝子)は、ドーキンスの言う「遺伝子」のことである。それは、「遺伝子集合」ないし「遺伝子全体」のことである。それはつまりは、悠久の時間のなかで同一性を保つものであり、不滅のもの・永遠のものである。たとえば、「A型遺伝子」全体のことだ。これは何万年もの間、同一性を保つ。……そして、この遺伝子が何万年も持続するあいだに、個体は「遺伝子の乗り物」として扱われる。正確には、個体は「遺伝子集合の乗り物」として扱われる。

 後者(生命における遺伝子)は、本シリーズのテーマとなる「生命」における「遺伝子」のことである。それは「それぞれの個体ごとに微妙に異なる、個々の遺伝子」のことであり、「個体の生命を形成するもの」としての遺伝子である。たとえば、山田太郎には彼なりの遺伝子セットがあり、それは親から引き継がれたものだ。これは個人ごとに異なるものだ。そして、この遺伝子(遺伝子セットのうちの遺伝子)は、その個体の生涯においてのみ意味があり、「個体に生命をもたらすもの」として扱われる。……ここでは、個体は「遺伝子の乗り物」ではない。正確には、個体は「個々の遺伝子の乗り物」ではない。かわりに、「個々の遺伝子は個体の道具である」と言える。
 
 このように、単に「遺伝子」という言葉で呼ばれていても、「進化における遺伝子」と「生命における遺伝子」とは、まったく別のものである。前者は「遺伝子集合」のことであり、後者は「個々の遺伝子」のことである。両者は同じものではない。

 ──

 ともあれ、この両者をはっきり区別しよう。そうすれば、「個体は遺伝子の乗り物であるか?」という疑問に、単純に一通りで答えることはできない、とわかる。 
 しかしながら、両者を区別しない立場もある。すると、単純に一通りで答えることになる。

 もし「進化」だけに着目すれば、「生命」の方は無視される。すると、「個体は遺伝子の乗り物である」と答えることになるだろう。(そうしたのがドーキンスだ。)
 もし「生命」だけに着目すれば、「進化」の方は無視される。すると、「個体は遺伝子の乗り物でない」と答えることになるだろう。(私はそう主張しているわけではない。)

 大切なのは、二つの場合を区別して、それぞれ場合ごとに、別々の答えを出すことだ。

 ──

 ドーキンスは、両者を区別しなかった。そして単純に、
 「個体は遺伝子の乗り物である」
 と主張した。なるほど、その言葉は、進化については成立する。それはそれでいい。誤りだということはないし、真実を語っていると言える。
 しかしその言葉を、(進化だけでなく)生命についてまで当てはめるのは、拡大解釈だ。……ここでは、Aに成立することを、Bにまで当てはめてしまっている。(比喩的に言うと、女に当てはまる真実を、男にまで当てはめてしまっている。)

 ドーキンスは、まったく間違ったことを言っているわけではない。たしかに彼は、真実を発見した。ただしそれは、ある分野だけでの真実だ。それを他の分野にまで当てはめるのは、拡大解釈というものだ。

 こうして、ドーキンスの主張の誤りの核心が、ようやく判明する。
 ドーキンスは、まったく間違ったことを言っているのではない。部分的には真実を語っている。ただし、進化における真実を、生命一般にまで拡大解釈したことが、誤りなのだ。これは「虚偽を語る」という問題ではなくて、「部分的な真実を拡大解釈したせいで、真実が虚偽に転化してしまった」という問題だ。

 ──

 したがって、ドーキンスの誤謬を是正する方法も、明らかになる。すなわち、こうだ。
 「『個体は遺伝子の乗り物だ』という主張を、進化だけに限定して、生命現象には適用しない」

 つまり、過去の歴史(進化)については適用していいが、現在の現象(生命)については適用してはならない。

 進化については、どうか? たとえば、化石の現場で、さまざまな化石を見る。そこには生物の進化の過程が見出される。そこにあるのは化石だけだ。そして、化石は、進化の現象だ。人は化石を見ながら、「こういう進化があったんだな」と思い浮かべる。そのとき、一つ一つの個体の生涯にはいちいち思いを寄せない。長大な歴史において、一つ一つの個体は、「遺伝子の乗り物」であるにすぎない。一つ一つの個体は、進化の長大な歴史では、ほとんど無視される。

 生命については、どうか? 個体の生命現象を見るときは、まさしく個体を見る。たとえば、男が女に求愛して、「エッチしよう」と誘う。あるいは、クジャクのオスがディスプレーをして、メスに交尾を求める。……これらの行動では、遺伝子が関与している。ただし、遺伝子は働いているが、あくまで個体が主役である。
   遺伝子 → 脳(本能) → 個体行動
 という形で、個体行動が起こる。遺伝子が直接個体行動を指示しているわけではない。個体はあくまで、脳(本能)にした勝手行動しているだけだ。
 ここでは、「個体は遺伝子増殖のための手段にすぎない」というようなことはない。むしろ、「遺伝子は個体の誕生と生存のための手段にすぎない」と言える。

 ──

 ただし、ここで注意すべきことがある。重要なことが。
 人間の男が女に求愛するのも、クジャクのオスがディスプレーをするのも、そこにいる男やオスのために、そうしているのではない。男やオスが自らの利益のためにそうしているのではない
 では、何のために? 将来生まれてくる子のためだ。人間の男が女に求愛するのも、クジャクのオスがディスプレーをするのも、将来生まれてくる子のためだ。
 ただし、子はまだ生まれていない。このことが重要だ。まだ生まれていない子は、まだ存在しないから、目に見えない。目に見えないから、「何のため?」と問われたとき、「子のため」と答えることは難しい。人は目に見えるものしか見ないからだ。(しかし、目に見えないものを想定すれば、「子のため」と答えることができる。)

 ここで注意。親から見て、子という個体は、自分の遺伝子をもつ個体ではなくて、自分の遺伝子によって誕生させられる個体である。このような形で、「子のため」は「個体のため」と表現できる。
 親が子を生むのは、遺伝子のためではなく、個体のためだ。ただし、ここで言う個体とは、自分という個体ではなくて、(子という)別の個体なのだ。
 遺伝子はたしかに、個体のためにある。ただし、遺伝子は、今ある個体のためにあるだけでなく、将来誕生する個体のためにもあるのだ。── これが、「何のため?」という疑問に対する答えだ。(まぎらわしいので注意。)

 正解はわかった。ただし、この正解を見出すことは、難しい。というのは、やがて生まれるべき子は、今はまだ目に見えないからだ。目に見えないものを想定して、「子のためだ」と答えることは難しい。(前述の通り。)
 たいていの人は、「親が子を生む」という現象を見たとき、「子を生むことは親自身の利益にはならない」と感じるので、「個体のためではない」と結論して、そのあとで、「個体のためでないから、遺伝子のためだろう」というふうに推論する。こうして、間違った落とし穴に落ち込む。「親という個体のためではないが、子という個体のためだ」という真実を、見失ってしまう。

( ※ 「子のため」という原理については、前に「利子主義」という言葉で説明した。 → 該当項目

 ──

 まとめて言おう。
 「個体は遺伝子の乗り物である」という命題がある。これは、生命においては成立しない。むしろ逆に、「遺伝子は個体の誕生・生存のための手段である」ということが成立する。
 ただし、個体の誕生においては、「個体のため」とは、その遺伝子をもつ個体のためではなく、その遺伝子をもつ個体から生まれる個体のためである。しかるに、子はまだ誕生していない。子は目に見えない。目に見えないものについては、人は理解しにくい。そこで、「子という個体のために遺伝子はある」という真実に到達することができない。かわりに、「個体は遺伝子のためにある」「個体は遺伝子の乗り物にすぎない」というふうに、本末転倒の結論に到達してしまう。勘違いによる誤謬。

( ※ これはちょっと、推理小説に似ている。「Aは犯人だ」という仮定がある。この仮定は間違いだとわかった。そこで、「Aは犯人ではない。ゆえに、Cが犯人だ」という結論を出す。しかし本当は、見えない共犯者Bがいた。AとBが共犯で、犯人だったのだ。しかし、見えない共犯者Bに気づかないと、「Aは犯人ではない。ゆえにCが犯人だ」という誤った結論を出す。……こういう論理的倒錯をしたのが、ドーキンスだ。)

 ──

 なお、この勘違いの典型的な例が、「自分の遺伝子」という発想だ。
 「自分の遺伝子を増やすために行動する」(妹育てをする・子殺しをする)というのも、ナンセンスである。それは、一つ一つの生物の現象を、遺伝子中心主義で解釈するからだ。進化における遺伝子中心主義を、それぞれの個体の行動に当てはめてしまっているからだ。(異なる分野に当てはめてしまっている。お門違い。)
 そもそも、長大な進化の歴史のなかで、個体というものはほとんど無視される。だから、「自分」というものも無視される。したがって、「自分の遺伝子」なんてものも無視される。
 「自分の遺伝子」というものを主役に据えた発想は、根源的におかしいのだ。




 余談ふうの話を示す。(エッセイふうの話。)

 [ 付記 ]
 本項では、「拡大解釈による誤認」ということを示した。(ドーキンスの誤認の本質を示した。)
 ただし、こういうこと(拡大解釈による誤認)は、ドーキンスだけがやらかしたわけではない。「自分は頭がいいぞ」と自惚れている人ほど、そういうことをやらかすものだ。枚挙に暇がないほどだ。
 以下では、そういう勘違いの例を、いくつか示そう。

 (A)釣り人
 釣り人が拡大解釈することがある。
 「大きな魚を釣ったんだ。こんな大きな魚を」
 と両手を広げる。しかし、聞いた人が実物を見たら、ただの小さな魚にすぎなかった。
 ここでは、釣り人は、あえて嘘を言っていうわけではない。自分で自分にだまされているのだ。自分の獲物がすばらしく感じられるので、実物以上にすばらしいものだと思い込んでしまうのだ。

( ※ これはもちろん、比喩となる。釣り人と同じなのが、科学者だ。自分が小さな真実を発見したあと、それがさも偉大な真実であると思い込む。小さな宝を見出して、それを巨大な宝だと思い込む。同じですね。)

 (B)福岡伸一
 先の「生物と無生物のあいだ」の著者である福岡伸一も同様だ。
 この著書で、彼は根源的な勘違いをした。それは、次の主張だ。
 「生命の本質は、動的平衡である」
 これが誤りであるということは、すでに述べたとおり。つまり、その誤りの原理もまた、「拡大解釈」である。彼は、「動的平衡」という部分的真実をとらえた(というか、別人の説を学んだ)。そして、その部分的真実を、生命全般の真実だと、拡大解釈した。……こうして、勘違いをした。
 彼の見出したのは、遺伝子補償(遺伝子欠損に対する補償)である。それは、常に起こることではなく、例外的に起こることにすぎない。また、そのことは、生命の基本原理ではない。そもそも、「遺伝子がなくても大丈夫」なんていうふうに主張することは、「遺伝子によって生命が形成される」という基本原理に反しているから、自己矛盾である。「生命の本質は遺伝子があることだ」と述べて、その舌の根も乾かないうちに、「生命の本質は遺伝子がなくても大丈夫だということだ」(遺伝子補償だ・動的平衡だ)と述べる。あまりにもメチャクチャだ。
 これもまた、拡大解釈による誤りだ。
 (一つは、例外を普遍的現象と見なす拡大解釈。もう一つは、部分的分野の真実を、生命全般における真実だと見なす拡大解釈。)

 (C)生物学者
 福岡伸一の拡大解釈は、はたからみると滑稽に思えるかもしれないが、実は、多くの生物学者もまた同じようなことをやらかしている。
 その一人が、ドーキンスだ。彼は、「進化」という分野における部分的真実を見出したが、それを「生命全般」における真実だと思い込んだ。つまり、拡大解釈した。
 ドーキンスだけではない。現代の人々のほとんどもまた、似たような拡大解釈をしている。それは、次の拡大解釈だ。
 「われわれは、遺伝子というものをとらえた。このことで、ついに生命の神秘をとらえた。われわれ人間はあまりにも偉大だ。まるで神のように」
 違う。そんなことはない。われわれは、遺伝子というものをとらえたが、だからといって、まだまだ生命の神秘をとらえていないのだ。なぜなら、遺伝子というものは、生命という巨大な神秘のうちの、ほんの一部にすぎないからだ。遺伝子の塩基列をいくら解明しても、生命のすべてを解明したことにはならない。
 このことは、「ヒトゲノム計画」というときの大騒ぎを見れば、よくわかる。「ヒトゲノムを解明することで、人間の生命のすべてがよくわかるようになる」と宣伝された。しかし現実には、そうはならなかった。四種類の塩基の配列をいくら知っても、生命の神秘を解き明かすことはできなかった。
 なぜか? 塩基の配列そのものが大事なのではない。塩基の配列が現実に作用する過程こそが重要だからだ。その過程こそが生命現象の神秘なのだ。
 四種類の塩基の配列を知っても、生命の神秘を理解したことにはならない。また、DNAが四種類の塩基からなる二重らせんであると知っても、生命の神秘を理解したことにはならない。なるほど、二重らせんであれ、ゲノム配列であれ、それらを知ることは大切だが、それらはあくまで部分的真実にすぎない。それらを知ったからといって、生命のすべてを知ったことにはならないのだ。
 しかるに、生物学者は、謙虚さが足りない。そのせいで、「二重らせんを知ったことで生物の本質を突き止めた」とか、「ヒトゲノムの塩基配列を知れば生命のすべてを理解できる」とか、思い込む。しかし、そのような思い込みは、拡大解釈というものだ。

 人が知りえたことはあまりにも小さく、生命の神秘はあまりにも大きい。だから、生命の神秘の前で、われわれは、「そのすべてをおれ様が突き止めてやるぞ」などとは思わずに、「そのすべてはあまりにも巨大なのだ」と頭を垂れて謙虚になることが必要なのだ。そういう謙虚さをもったとき、生命の神秘の巨大さを理解できる。
 そして、そのとき、小さな部分的真実を真実だと思うような誤りを避けることができる。
 「動的平衡が生命の本質だ」
 「自己複製が生命の本質だ」
 「遺伝子がわかれば、生命がわかる」
 「遺伝子の増加こそ生命の目的だ」
 「個体は遺伝子の乗り物にすぎない」

 これらの説は、あまりにもちっぽけだ。しかし、そんなちっぽけな説で、巨大な生命を表現できるはずがないのだ。
 福岡伸一であれ、ドーキンスであれ、普通の生物学者であれ、あまりにも傲慢に過ぎる。彼らは「生命の本質を突き止めたぞ」と思いながら、実は、偽物の真実を突き止めているにすぎない。そして、彼らは、傲慢であるがゆえに、自己の誤りを自覚できないのだ。
 真実を突き止めたければ、まずは、おのれの非力さを自覚するべきだ。そうすれば、真実を突き止めようとして、ニセの真実を手にしたとき、「自分の手にしたものは偽物だ」と気づくことができるはずだ。……とはいえ、そういう謙虚さをもつことこそ、何よりも難しいのだが。

( 一般に、「真実を知ろう」という欲求が強いと、ニセの真実をつかんでも、それを真実だと思い込みやすい。福岡伸一の書籍にも、いくつかの例がある。たとえば、野口英世。黄熱病の病原菌というものを探り出そうとして、ありもしない病原菌を見出してしまった。ニセの真実を手に入れて、それを真実だと思い込んでしまった。……こういう例は、歴史上に、枚挙に暇がない。そして、現代のわれわれもまた、同じことをしているわけだ。自分自身では気づかないまま。)

( ※ なお、ここで述べたことの趣旨は、他人を批判して悪口を言うことではない。他人の失敗を「他山の石」として、自らが同じ轍を踏まないようにすることだ。)
 



    ( ※ 初めの方にあるミツバチの画像は、ここから入手しました。)
posted by 管理人 at 19:36| Comment(2) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
次の説明を文中に加筆しました。( 2008-04-20 )
 ──
 このように、単に「遺伝子」という言葉で呼ばれていても、「進化における遺伝子」と「生命における遺伝子」とは、まったく別のものである。前者は「遺伝子集合」のことであり、後者は「個々の遺伝子」のことである。両者は同じものではない。
 ──
 ( ※ これ以外にも、やや長めの説明を加えてあります。その前に。)
Posted by 管理人 at 2008年04月20日 20:39
前半の (A) の最後に、
    青色の枠(補説)
 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2009年03月15日 22:17
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