ここでは、「利己的行動をしない」ということは成立するが、「利他的行動をする」ということは(必ずしも)成立しない。 ──
( ※ 本項の実際の公開日は 2009-03-16 です。)
本項で述べることは、論理的に言えば、簡単だ。次の通り。
「常に白だとは言えない」ということは、「常に黒である」ということを意味しない。
常に白である: ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯
常に黒である: ●●●●●●●●●●●●
白とは限らず: ◯●◯●●◯◯●●●◯●
つまり、「常に白である」の否定は、「常に黒である」ではなく、「白とは限らず」である。そこでは、白や灰色や黒がいろいろと混在していることもある。
ここで、
白 = 利己的
黒 = 利他的
とすれば、「常に利己的」の否定は、「常に利他的」ではなく、「利己的とは限らず」である。(利己的だったり利他的だったりする、ということ。)
しかるに、進化論の世界では、このような勘違いがある。つまり、「常に利己的」の否定を「常に利他的」と勘違いしている。
そのことを、以下で示す。
( ※ いちいち断らないが、「ミツバチ」とは「働きバチ」のこと。)
──
進化論の世界では、次の命題が信じられている。
「ミツバチは利他的行動をする」(妹育てをする)
これは、広く信じられていることだが、間違いである。正しくは、こうだ。
「ミツバチは利他的行動をすることもある」(妹育てをすることもある)
つまり、ミツバチは、利他的行動をするとは限らず、したりしなかったりする。妹育てをするとは限らず、妹育てをしたりしなかったりする。そして、割合で言えば、する場合よりは、しない場合の方が、圧倒的に多い。
これが真実だ。つまり、進化論の世界で信じられている「事実」というのは、まったくの嘘八百である。
そのことを、以下で詳しく説明する。
──
歴史的には、次の経緯があった。
まず、ダーウィンの進化論(自然淘汰説)が出た。それによって、動物の形質は、おおむね説明が付いた。ただし、ミツバチを見ると、説明の付かない例が見つかった。それはミツバチの「妹育て」という行動だ。
ミツバチは「妹育て」という行動をする。そのミツバチは、自分の子を生まない。自分の子を生まなけば、その形質は、次世代に伝わらない。だからその形質は、次世代に伝わらずに、消滅してしまうはずだ。なのに現実には、ミツバチには「妹育て」という行動がある。消滅するはずの形質が残っている。これは、ダーウィンの説では説明が付かない。
次に、血縁淘汰説や利己的遺伝子説が出た。そこでは、「妹育てという行動は有利だから残るのだ」と説明された。ただし、個体にとっては有利ではないが、遺伝子にとっては有利なのだ、というふうに、利益の受け手を変えた。(個体から遺伝子へ)……こうして、「妹育てが残る」ということが説明された。
──
さて。ここであらためて考えよう。
「妹育てという行動は有利だから残るのだ」
ということが成立するのであれば、ミツバチはその有利な行動を取るはずだ。まさしくその行動を取るはずだ。つまり、遺伝子が個体に促す形で、ミツバチはせっせと妹育てをするようになるはずだ。しかしながら、現実は違う。
現実はどうか? ほとんどのミツバチは妹育てをしない。妹育てをするミツバチもいるが、妹育てをしないミツバチの方が圧倒的に多いのだ。つまり、「妹育てをするのが有利だから妹育てをする」ということは成立しないのだ。
※ この「妹」とは、「不妊でない妹」つまり「新女王バチ」のこと。後述を参照。
──
詳しく言おう。現実は、こうだ。
「ミツバチは、ひとつのコロニーに数千匹〜数万匹が共同生活をしている。それらの多数のミツバチは、何をしているか? 仮に、ミツバチがいずれも新女王バチ(= 不妊でない妹)を育てようとすれば、数千匹〜数万匹のミツバチがたった1匹の新女王バチをめがけて、わんさと押し寄せる結果になるので、新女王バチは押しつぶされてしまう。だから、現実には、そういうことは起こらない」
数学的に言えば、一つの球のまわりには、 12 個の球しか接することができない。それ以上の球は接せない。( → 最密問題 ,Wikipedia )
同様のことがミツバチにも言える。新女王バチに近づけるミツバチは、せいぜい十数匹だ。なのに、数千匹〜数万匹のミツバチがそれぞれ「妹育てをして自分の遺伝子を増やそう」と思えば、新女王バチは押しつぶされてしまう。
現実には、もちろん、そういうことはない。つまり、ミツバチは、「妹育てをして自分の遺伝子を増やそう」と思って押し寄せることはない。
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要するに、
「ミツバチはみな、新女王バチを育てる」
ということは、原理的にありえない。したくても、不可能なのだ。そうすることは、ミツバチが十数匹しかいないときには可能だろうが、数千匹〜数万匹もいるときにはとうてい不可能だ。
現実には、大多数のミツバチは、妹育てをしない。(したくてもできない。)
では、何をしているか? 妹育てでなく、単にコロニーの維持をしているだけだ。巣を作ったり、蜜を採集したり。あるいは、不妊の妹育てをしたり。
これらの行動は、(不妊でない妹について)「妹育て」を目的としているのではなく、「コロニーの維持」をしているだけである。そこでは、利益を得ているのは、新女王バチただ1匹ではなく、コロニー全体である。
とすれば、これを「新女王バチ(不妊でない妹)の利益のため」と見なすのは、とんでもない勘違いだ。なぜなら、それぞれの個体は、自分もまた利益を受けているからだ。自分自身が利益を得る行動を「利他的行動」と呼ぶのはおかしい。
( ※ 比喩的に言おう。会社に属する各人は、会社で生産活動をして、自分の給料を得ている。とすれば、給料をもらう行動を利他的行動とは言えない。ただし、そのなかで、新女王バチみたいな「社長」というのが、一番の利益を得ている。そして、それだけに着目する平社員は、「おれたちが働いているのは、社長のためだ! おれたちは利他的行動をしている!」と叫ぶ。そう叫んでいる平社員は、「自分もまた利益を得ている」ということを見失っているのだ。……そして、このような勘違いをするのが、現代の進化論学者だ。ワーカー・ミツバチがそれぞれ自己の利益を得ているということを見失って、ワーカー・ミツバチが女王バチだけのために奉仕していると勘違いする。)
《 注記 》
ここでは新女王バチだけを考えており、他の妹を育てることを考えていない。なぜか? 他の妹は、不妊であり、遺伝子を残せないからだ。遺伝子を残せない妹をいくら育てても、自分の遺伝子を残す効果はない。自分の遺伝子を残したければ、不妊でない新女王バチを育てる必要がある。それ以外は無効だ。……この件は、下記で詳しく説明した。
→ [補説] ミツバチの利他的行動 3 の (5)
──
話を初めに戻そう。
ミツバチのなかには、「妹育て」をする個体もある。それはダーウィン流の「利己主義」では説明できない。そこでそれを「利他的行動」だと見なした上で、「個体の利他的行動は、遺伝子の利己的行動だから、個体はそうするのだ」という説明が出た。
しかし本当は、「利他的行動が有利だ」ということはないし、「必ず利他的行動をする」ということもないのだ。なるほど、「利己的行動だけ」という原理が否定されて、「利他的行動も」という反例が見つかった。しかしながら、その反例は常に成立するわけではない。むしろ、成立しないことの方が多い。
「常に利己的行動」というのは否定されたが、「常に利他的行動」というのが肯定されたわけではなく、「利己的行動も利他的行動もある」というのが正しい。(「常に白だ」は否定されたが、「常に黒だ」が肯定されたわけではなく、実際には、「白も黒もある」というふうになる。)
そして、「利己的行動も利他的行動もある」ということが成立するとき、そこで原理となるのは、利己主義でも利他主義でもなく、利全主義である。つまり、「全体の利益を高めること」だ。
コロニーのなかでは、新女王を育てるミツバチもあるが、一方、巣作りをするミツバチもあるし、蜜を採集するミツバチもあるし、不妊の妹を育てるミツバチもある。そのすべてに共通するのは、「コロニー全体の利益」である。そこでは、個体は全体のために働き、そのことで、個体もまた利益を受ける。つまり、利全主義が成立する。
( ※ 利全主義については → 利全主義と系統 )
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さて。このような利全主義のもとで、各個体が役割分担をすることは、生物学の世界では、よく知られている。それは社会性という言葉で説明される。( → Wikipedia )
そこで、「利全主義」や「社会性」という概念のもとで、ミツバチの行動をとらえ直せば、次のように言える。
「ミツバチは、(妊娠可能な or 不妊の)妹を育てる。これは、ミツバチに必ず備わった形質ではない。ミツバチに必ず備わっている性質は、妹を育てることではなくて、利全的行動を取ること(社会性をもつこと)だ。そして、それが発現するとき、『妹育て』『巣作り』『蜜の採集』などのそれぞれの行動がなされる。ここでは、ミツバチは『妹育て』だけをなすわけではない」
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では、ミツバチがこのような行動(利全的行動・社会的行動)をするのは、なぜか?
そもそも、ミツバチというのは、小さな個体だ。だから、1匹が単独で生き延びようとするよりは、多数が集まって共同活動する方が、生き残る確率が高くなるだろう。それで、共同活動をするようになるわけだ。
( → ミツバチの利他的行動 5 の「ハイリスク・ハイリターン」)
結局、
「ミツバチは(自分の遺伝子を増やすために)妹育てをする」
という解釈は、まったくの間違いだ。正しくは、
「ミツバチは、社会性があり、仕事を分担する。そのうちの一つに、(妊娠可能な)妹を育てることも含まれる」
というのが正しい。
( ※ なお、ミツバチにその性質が備わったことは、「遺伝子集合淘汰」の発想で説明される。 → 遺伝子集合淘汰 ,血縁淘汰説とは )
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さて。ここまでで、話はだいたい片付いている。だが、このあとで、重要なことが新たに登場する。── それは「不妊」ということだ。
ミツバチはたしかに社会性を帯びている。では、なぜ、ミツバチは社会性を獲得したのか?
そもそも、人間のような知性をもつ動物でさえ、社会性をもつことは難しい。まともな人は社会的に協調するが、ひどい人は「自分だけよければいい」という発想で、自分勝手なことをして、集団に迷惑をかけるものだ。その典型が泥棒だ。そういう自分勝手なエゴイストを罰すために「法律」というものができたりする。
人間でさえ、社会性を維持することは難しい。なかんずく、進化論の学者という連中は、「優勝劣敗」を唱えて、「利己主義はすばらしい」と推奨する始末だ。「社会性が大切だ」ということとは正反対で、自分勝手なエゴイズムを最重要の真実だと唱える始末だ。
人間はこれほどにも愚かである。ではなぜ、人間よりも知性の劣るミツバチが、社会性を獲得できたのか?
実は、そのために、「不妊」という性質があるのだ。「不妊」という性質を帯びると、個体は自分の子を残せない。「自分の子を残す」という利己主義が成立しなくなる。そこで、仕方なく、「自分の姪のため」という方針に転じる。(妹のためというよりは姪のため。 → 妹と姪 )
ここでは、「不妊」という形質が、決定的に重要だ。ミツバチが「妹育て」や「巣作り」などをするのは、社会性を帯びるということだが、それは、「利己主義」を捨てることによって成立した。「利己主義」を捨てるために、「不妊」という形質が備わった。
換言すれば、「不妊」という形質を獲得することで、ミツバチは「社会性」を帯びることができるようになったのだ。
( → ミツバチの利他的行動 4 )
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これに似たことは、人間社会にも見出される。
- 例1。軍隊。…… 軍隊では、男ばかりになるのが原則だ。仮に、軍隊に妻や子供が同伴すれば、男は妻や子供のことが気がかりになって、まともに戦闘活動をできなくなる。そこで、兵士を妻や子から隔離する。このことで、兵士は、本国にいる妻たちや子たちのために自己犠牲をするようになる。(ミツバチがスズメバチと戦って自己犠牲をするのと同様。)
- 例2。不妊の人。…… 何らかの理由で不妊の人は、どうするか? 自分のために贅沢三昧をするか? ま、そういう人もいるが、愛情のある人であれば、自分の愛情が満たされないのを感じる。そこで、養子をもらうことがある。ただし、一人か二人の養子をもらうかわりに、多数の子供たちに尽くす場合もある。ボランティアのような形で。こういうことは、不妊の人にはしばしば見出される。(生物学的に不妊であるとは限らず、たまたま未婚で子供を生まなかった人をも含む。)
まとめ。
「ミツバチは利己的行動をする」
ということはない。しかし、だからといって、
「ミツバチは利他的行動をする」
ということもない。現実にあるのは、
「ミツバチは利全的行動をする」
ということだ。そして、その形質がミツバチに備わったのは、ミツバチには「利己的行動をする」というのを抑制するための形質が備わっていたからだ。それが「不妊」という形質だ。
ミツバチは、「不妊」を代償として、社会性を獲得したのである。
( ※ ただし、不妊は生物一般に成立する原理ではない。ことさら強い社会性が必要になる環境に棲息する種においてのみ成立することだ。)
( ※ このように不妊という形質を帯びた種は、ミツバチの他にも、いくつかある。シロアリやハダカデバネズミなど。リカオンも似た事情にある。)
【 関連項目 】
利己主義は絶対的な原理ではない。それが成立せず、利全主義が成立することも、多々ある。
人間で言えば、一人一人にとって、自分の利益を増すことよりも、人類全体の利益を増すことの方が大切だ、ということもある。このことは、次の項目で説明した。
→ ミツバチの教訓 4 (生物の目的) の (2)
( ※ 利己主義が絶対的な原理ではない、ということは、別項でも説明する予定。「進化論と経済学」という題名で。)