前項 までの三項目のあとで、余談ふうに示す。「生物の目的とは何か?」という話。
《 目次 》
(0) まとめ
(1) 増加による絶滅
(2) ミツバチと人間
(3) 地球環境の破壊
(4) 人口爆発
(5) 個人の生き方 ──
(0) まとめ
ここまでの三項目をまとめてみよう。次の通り。
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…… 以上が、まとめである。
このまとめに基づいて、いくつかの教訓を引き出そう。以下の通り。
(1) 増加による絶滅
「増加」よりも「生存」が大切である。
このことをミツバチは知っていた。本能的に。── だからこそミツバチは、今日まで存続できた。
では、他の生物は? 他の生物もまた、ミツバチのような方針を取ったか? いや、そうとは限らない。
ミツバチは、ローリスク・ローリターンという方針を取った。一方、ハイリスク・ハイリターンという方針を取った生物もいた。そういう生物は、利己的すぎて、欲張りすぎる。その結果、ある程度の期間には、増加することに成功したが、あるとき突然、絶滅してしまった。

たとえば、恐竜を見よう。
恐竜は地上の優者だったが、突然絶滅した。( → ミツバチの教訓2ミツバチの利他的行動 5 )
ここで起こったのは、ありふれた自然淘汰か? つまり、
「優れたものがどんどん増え、劣るものがどんどん減る」
という現象だったか? いや、そうではなかったろう。むしろ、
「優れたものがどんどん増えたが、そのあとで突然絶滅する」
という現象だったはずだ。── ここでは、滅びたものは、劣っていたゆえに絶滅したのではなく、(かつて)優れていたからこそ滅びたのだ。優れていたものが、(古い環境での)優れていた形質ゆえに、絶滅したのだ。
恐竜は、白亜紀の温暖な環境では、哺乳類よりも優れていた。体の大きさでも、熱効率でも、とにかくほとんどの点で、哺乳類よりも優れていた。だからこそ、恐竜は地上の支配者となった。
ところが、いったん環境が寒冷化すると、すべてが逆転した。体の大きいことは「必要な食料が多い」という意味で短所になり、熱効率が高いことは「恒温性がない」という意味で短所になった。こうして、環境の変化のせいで、長所が短所に転じてしまった。一つの環境の優者は、別の環境の劣者になった。
恐竜は哺乳類よりも劣っていたから滅びたのではない。逆である。恐竜はかつて哺乳類よりも優れていたからこそ、環境の変化の前後で差が大きすぎて、環境の変化を乗り越えることができなかったのだ。
そういうわけで、
「優れたものがどんどん増えたあとで、あるとき突然絶滅する」
ということが起こる。
(2) ミツバチと人間
恐竜の絶滅のような例では、なだらかな優勝劣敗(優れたものが増えて劣るものが減ること)は、起こらない。環境が変われば、優者と劣者は交替する。そして、環境が変わるということは、特に珍しいことではない。とすれば、優者が劣者に転じて、優者が一挙に絶滅するリスクはある。
しかしながら、人々はこのことをろくに理解しない。むしろ、優者と劣者の関係が固定的であると考えがちだ。( → ミツバチの利他的行動 5 [ 付記 2 ])
彼らは逆のことを理解できない。すなわち、
「有利なものが 減る」「増えるものが 減る」
という突発的な変化を理解できない。かわりに、
「有利なものは 増える」「増えるものは 増える」
というふうに単純に考えがちだ。ここでは、優者と劣者の関係が固定的だと考えがちだ。二度あることは三度ある、と考える。三度あることは四度ある、と考える。そのせいで、「とにかく増えればいい」とだけ考える。そのあげく、「生きることが何より大事だ」ということを見失う。
人間は、ミツバチほど利口ではない。ミツバチは「増加」よりも「生存」を優先してきた。数億年(?)もの長期間にわたって存続し続けた。一方、人間はというと、たったの 20万年で、早くも絶滅の危機にさらされている。それというのも、「利己主義」にとらわれて、自らの利益を高めようとするばかりだからだ。
( ※ 「自らの利益」というのは、金であることもあるし、子孫や遺伝子の数を増やすことであることもある。)
(3) 地球環境の破壊
猿は、利益を欲して、バナナを取ろうとする。すると、ガラス瓶に手を突っ込んで、手が抜け出せなくなる。
猿から進化した人間は、自らの利益の「増加」ばかりを優先する。そのせいで、自分たちの「生存」が危機にさらされる。
たとえば、地球環境の破壊という問題がある。
一般に、環境の変化は、優者にとって生存の危機をもたらす。ただし、人類の場合、「環境がひとりでに変化したせいで」というより、「環境を自分で変化させたせいで」となる。
つまり、人類はあえて自殺への道をたどっているわけだ。こんなことをする生物は、いまだかつて存在しなかった。というのは、環境そのものを変えてしまう生物がいなかったせいだが。
( ※ 漫画で言えば、「鉄腕アトム」の「ガロン」のようなものだ。惑星を改造する能力をもつが、その巨大な力のせいで、自分で自分を滅ぼしてしまう。)
人類は自らの巨大な力によって、地球環境を破壊しつつある。地球温暖化。緑地の減少。砂漠化。水不足。異常気象。氷河や南極では氷が溶けはじめている。南洋の小島は海面下に沈んでいく。……地球環境はまさしく破壊されている。
人類は、自らなした環境破壊のせいで、自らの生存が危機に瀕している。それにもかかわらず、地球温暖化を避ける努力を、十分になしていない。「地球温暖化を避けなくちゃ」という声だけならば、たくさん出回っているが、声だけだ。実際に地球温暖化を避けるための方策は、ろくに取られていない。
たとえば、石油の消費量は、中国やインドで急増しつつある。一方、東南アジアやアマゾンの熱帯林は、急速に減少しつつある。人類はまさしく破局に向かって、まっしぐらに突き進んでいる。
ではなぜ、こんなことが起こったのか? 人類の能力が不足しているからか? いや、人類の能力が過剰だからだ。人類はもともと、ミツバチより愚かだった。それでも、力が不足していたせいで、地球を破壊する能力は小さかった。しかるに、今や人類の能力は過剰である。知力は足りないが、破壊力だけは抜群だ。かつては毒ガスや核兵器で人類同士の殺しあいをするだけだったが、今や人類同士だけでなく、他の生物をも次々と滅亡させていく。さらには、地球そのものを破壊していく。
ではなぜ、人類はかくも愚かなのか? 知能指数が低いからか? いや、錯覚しているからだ。間違ったことをしていながら、「自分は正しいことをしている」と信じているからだ。
人類は、「利己主義」や「自然淘汰」などの発想にとらわれている。そのせいで、「利益を増やすこと」「数を増やすこと」を優先する。だから、「生存」をないがしろにしてしまうのだ。── 自己の生存を。他の生物の生存を。また、地球環境の存続を。
(4) 人口爆発
このことは、人口爆発という問題を見るとわかる。ここでもまた、「数を増やすこと」が優先されている。
よく考えよう。生物学者は、こう語る。
「生物にとって大切なのは増加である」
これが正しければ、人口爆発は、むしろ好ましいことになる。次のように。
「数が増加すれば、自然淘汰により、優れたものが生き残る。そのことで、人類はどんどん優秀になるだろう。だから、人類の数はどんどん増加すればいい。そうすれば、人類はどんどん進化するだろう」
本当にそうか? ある程度は、そうだろう。ただしその後、「あるとき突然、人類全体が絶滅する」というシナリオが成立する。ちょうど、次のように。
「池にいるミジンコが、どんどん数を増やしていく。しかしあるとき突然、呼吸困難により、全体が絶滅する」
( ※ 似た話もある。 → ハスの葉クイズ )
ここでは「数を増やせばいい」という発想は成立しない。数を増やす道は、むしろ、絶滅に至る道だ。
ミジンコは、ひたすら増加することで、絶滅に近づく。人類もまた、人口爆発の形で、ひたすら増加することで、絶滅に近づく。
にもかかわらず、生物学者は、そのことに気づかない。生物の本質を「自己複製」と見なして、生物の目的を「増加」だと考える。そのせいで、大切なことを理解できない。── 生物の目的は「生存」だ、ということを。
(5) 個人の生き方
人類は滅亡する道をたどっているのかもしれない。恐竜やサーベルタイガーのように。人々は、「今はどんどん増えているから、明日も明後日もどんどん増えるだろう」と信じている。だが、それが夢想にすぎないということを、ローマクラブは教えた。( → ハスの葉クイズ )
しかるに、生物学者は、それに耳を傾けない。相も変わらず、
「増えるものは増える」「今日増えるものは明日もまた増える」
とだけ考えて、
「増えたものが突然絶滅する」
ということに気づかない。つまり、ミツバチほどの知恵をもたない。 人類はあえて滅びる道を選んでいる。
それならそれで、仕方あるまい。人類全体は放置しよう。かわりに、一人一人にとって「自分はどう生きればいいか」ということを考えよう。
生物学者は「数の増加こそ大切だ」と唱える。では、一人一人は、生物学者の言葉に従うべきか? 次のように。
・ 金を増やす
・ 子を増やす
・ 遺伝子を増やす
しかし、その結果は、次のようになった。
・ 金を増やす → 地球環境の破壊
・ 子を増やす → 人口爆発
・ 遺伝子を増やす → 人口爆発
いずれにせよ、馬鹿げている。
ここでは、一人一人が利益を「増加」させることが、人類全体の利益を「減少」させる。
しかしそれでも、エゴイスティックに生きればいいか? 人類全体の利益を「減少」させても、自分の利益だけを「増加」させればいいか?
いや、それほど単純でもない。一人一人の利益を見ても、自分の利益をやたらと増加させようとして、その結果は、次のようになる。
・ 金を増やす → 働き過ぎで過労死
・ 子を増やす → 育児費や養育費による破産
・ 遺伝子を増やす → クローン人間による自己の二重化
いずれにしても、自分の利益を増やすことは、自分にとってありがたいことではなさそうだ。
では、一人一人にとって大切なのは、何か?
それは、何度も言ったとおりで、「生存」である。「増加」よりも「生存」こそ、何より大切なのだ。次のように。
・ 金を残す → 過労死しない程度に、金を稼ぐ
・ 子を残す → 次世代を残す程度に、子を産む
・ 遺伝子を残す → 次世代を残す程度に、遺伝子を増やす
ここではやたらと数を増やす必要はない。必要な分だけ残せばいい。
では、必要な分とは? それは、「生存」に相当する分だ。
( ※ 「生存」とは、自己の生存および系統の存続。)
わかりやすく言おう。
あなたにとって大切なことは、金や子や遺伝子を増やすことではない。生きているということこそ、何よりも大切だ。あなたは、誕生して、成長して、この日まで生きてきた。そして、これからもずっと生きていく。これに勝るほど大切なことが、他にあるだろうか?
あなたは誕生してから、大人になるまで、ずっと成長してきた。ただしそれは、あなたが自力でなしたことではない。子供のころのあなたは非力だった。あなたが誕生したのも、あなたが成長してきたのも、あなたが自力でなしたことではなく、あなたの親の力でなしてもらった。
だからこそ、あなたが大人になったあとで、あなたは子を誕生させて育てる。── それがあなたの務めだ。それは有性生物であるあなたに、本能として組み込まれている。( → 有性生物の本質 )
あなたがなすべきことは、自己の子や遺伝子を増やすことではない。自分の系統を存続させることだ。かつて自分が親から与えられたものを、今度は自分が子に与えることだ。( → 利全主義と系統 (生命の本質))
では、そのためには、どうすればいいか? やたらと浮気や不倫をすればいいのか? いや、逆だ。あなたの家族を守り、あなたの家族が生存できるようにすればいい。それこそが何より大切なことだ。
とにかく、やたらと数を増やすことが大事なのではない。今まさにここに生きているという「生存」こそが何よりも大切なのだ。そしてまたその「生存」を次の世代に与えるということが。
愛は大切だ、としばしば言われる。その理由も、わかるだろう。
愛が大切なのは、他人に利益を与えるからではない。愛しあう人々が、たがいに支えあって生きていくからだ。……夫婦であれ、親子であれ、愛ゆえにともに生きていく。それこそが大切なのだ。
人々はかつて、親の愛ゆえに誕生した。そして自分が親となるために愛を発揮する。ここには生物としての基本原理がある。……こういうところに、数の増加というような発想を持ち込むのは、野暮というものだ。
( ※ ま、学者というものは、たいてい野暮なものだが。 (^^); )
──
次項 に続く。