2008年01月30日

◆ ミツバチの教訓 1 (生物の原理)

 前項までの話をまとめて、教訓となる結論を引き出そう。
 まず、生物にとって大切なのは、「増加」よりも「生存」である。このことをはっきりと意識しよう。 ──

 (1) 前項までのまとめ

 ミツバチの利他的行動の話(前項までの話)をまとめてみよう。(特に読まなくてもよい。)

 ミツバチは、利他的な行動を取る。つまり、自分の利益に反する行動を。これは「個体は利己的に行動する」というダーウィンの説に反する。
 そこで新たな発想が生じた。それは「遺伝子が増えるように個体は行動する」という発想だ。この発想ですべては解決すると信じられた。
 しかしその発想には、根本的な錯覚があった。遺伝子が増えるように見えるのだが、実は同世代の遺伝子が増えるだけで、次世代の遺伝子はろくに増えないのだ。だから「遺伝子が増えるように個体は行動する」という発想は成立していないのだ。
 つまり個体は(自分にとっても遺伝子にとっても)不利な行動をしている。ではなぜ、あえて不利な行動をするのか? それは不利な行動の方が生存率が高いからだ。
 つまり、増加率を高めるよりも、生存率を高める方が、ずっと大切なのである。なぜなら、増加率を高めたあとで、突然全滅してしまうのでは、何にもならないからだ。……このことは「ハイリスク・ハイリターン」よりも「ローリスク・ローリターンの方がよい」というふうに説明される。

縦軸は対数表示

 生物にとって何より大切なのは、増加率を高めることではなく、生存率を高めることだ。だからこそミツバチは、生存率を高めるために、あえて不利な方法を取った。増加率を下げる方法を。


 (2) ミツバチの知恵
 
 すぐ上のまとめから、教訓を引き出そう。
 生物にとって大切なのは、「増加」よりも「生存」である。そのことをミツバチは知っている。
 ひるがえって、現代の生物学者のほとんどは、そのことを知らない。「生物の本質は自己複製だ」と信じて、「増加することが生物の本質だ」と思い込んでいる。「とにかく数を増やすことが大事なのだ」と。
 しかしミツバチは、そうではないことを教えてくれる。生物にとって大切なのは、数を増やすことではなく、生きることなのだ。

 ミツバチは何にも増して、生きることを優先した。だからこそスズメバチの強力な攻撃に耐えて、利己主義を捨てて、一致団結して、対抗することができた。自ら不妊になるという不利益をも甘受した。
 仮にミツバチが、生物学者の意見に従っていたら、どうなったか? ミツバチは利己主義でふるまっただろう。個体または遺伝子の利己主義にしたがって、せっせと数を増加させただろう。そしてあるとき突然、スズメバチの攻撃にさらされて、全滅したはずだ。なぜなら、そのミツバチは、利己主義に従うがゆえに、一致団結することができず、自己犠牲をすることもできず、「ハチの一刺し」をすることもできないからだ。
 生存こそ何より大切だということを、ミツバチは知っている。

 (3) ミツバチの原理

 生物学者は、生命の本質を「利己主義」だと見なす。しかしミツバチは、「利己主義」を取らない。かといって、「利他主義」も取らない。ミツバチが取るのは、「利全主義」だ。── つまり、「全体の利益を増すことで、自分自身の利益をも増す」という主義だ。(なお、「自分の利益」とは、「増加」ではなく、「生存」である。)

 生物学者は、「利己主義か、利他主義か」と二者択一で考える。つまり、次の二者択一だ。
  ・ 自分が得をして、他者が損をする。(利己主義)
  ・ 自分が損をして、他者が得をする。(利他主義)


 一方、ミツバチは、次の原理を取る。
  ・ 自分が得をして、他者も得をする。(利全主義)


 しかるに生物学者は、ミツバチの取る原理を理解できない。あくまで「利己主義か、利他主義か」と二者択一で考えて、「利己主義だ」と結論するばかりだ。真実の存在しない領域で真実を探すから、拾い上げるものは虚偽となる。
 ミツバチは賢い。生物学者には理解できない原理を取る。なぜか? ミツバチは何よりも生きることを大切にするからだ。増加ばかりを大切にする生物学者には、ミツバチの本質はとうてい理解できないのだ。

( ※ ダジャレで言えば、生物学者の原理は「利己主義」であり、ミツバチの原理は「利口主義」である。ミツバチは生物学者よりも賢い。)

 (4) 自然淘汰という原理

 ミツバチには知恵がある。ではなぜ、人間ミツバチほどの知恵がないのか? 
 それは、人々が真実とは別のものを信じているからだ。すなわち、妄想を。その妄想とは? こうだ。
 「自然淘汰こそ絶対的な原理である」

 人々は、自然淘汰を絶対的な原理として信じている。「自然淘汰」を常に基本原理として据えてきた。(「個体淘汰 → 群淘汰 → 遺伝子淘汰」という変遷はあったが、自然淘汰そのものは基本原理とされてきた。)
 では、自然淘汰は絶対的な原理であるのか? 進化論学者は「イエス」と答える。しかし私は「ノー」と答える。

( ※ ただし注意。これは、完全否定ではなく、部分否定である。「自然淘汰は決して成立しない」と述べているのではなく、「自然淘汰はたいして重要ではない」と述べているのだ。(つまり、ではなくだと述べている。)

 では、自然淘汰よりも重要な原理とは? それは、(前項末で示した)生存原理だ。つまり、次のことだ。
 「生物にとって大切なのは、増えることよりも、生きることだ」


 「生存原理」は「自然淘汰」に優先する。ではなぜ、人々は「自然淘汰」ばかりを重視するのか? それは、生存原理がふだん隠れているからだ。人々は、隠れた本質を見るよりも、目に見える表面ばかりを見がちである。
( ※ その一例が「遺伝子」だ。遺伝子の本質は、生命形質であるのだが、人々は肝心の生命形質には着目せず、どうでもいいような遺伝形質ばかりに着目しがちである。たとえば、「目がある」ということには着目せず、「目の色がどうのこうの」ということに着目しがちである。 → 遺伝子の意味(生命子) )

 人々は、見やすいものばかりを見がちである。そのことは生物の原理にも当てはまる。自然淘汰は目につくが、生存原理は目につかない。なぜなら、生物はどれもが、生きているからだ。生きている限りは、生きていることの貴重さに気がつかない。
 だがあるとき、危機が襲いかかる。すると、生きていることが困難になる。放っておけば死んでしまいそうだ。こうなればもはや、「増えるかどうか」なんていうことは吹っ飛んでしまう。「生きるかどうか」ということだけが最優先の問題となる。

 つまり、こうだ。人々はふだん、「生きていること」の重要性には気がつかない。その基本を無視したまま、表面的なことだけを気にする。「目がある」というようなことは意識せず、「目の色がどうのこうの」というようなことばかりを意識する。そうして「自然淘汰」の問題を考えている。……しかしいったん「生きていること」が危機に瀕すると、そのときようやく、「生きていること」の大切さに気づく。「目の色がどうのこうの」というようなことは気にしない。「生きていること」だけが問題となり、それを守るためにはあらゆるものを二の次にする。ここではもちろん、「自然淘汰」も二の次になる。

 「生存原理」は生物の基盤である。この基盤は、ふだんは目につかない。だとしても、この基盤があることを、しっかり理解するべきだ。「生存原理」は、ふだんは(当り前のこととして)意識されずにいるが、だとしても、絶対的に重要なことなのだ。



 次項 につづく。
posted by 管理人 at 22:47| Comment(6) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
再々の連投、失礼します。

生命の目的が存続にある、という結論でよろしいでしょうか?
そうであればそのことに根本的な異論はありませんし、
私が知る限り生物学者も遺伝学者も進化論者もそのことに異を差し挟むという方はいなかったと思います。

>ミツバチは何にも増して、生きることを優先した。だからこそスズメバチの強力な攻撃に耐えて、利己主義を捨てて、一致団結して、対抗することができた

「利己主義を捨てて一致団結し」たのではなく、女王の利己主義によってシステムを押し付けられた可能性はありませんでしょうか。
不妊になったのではなく、(女王によって)不妊に「させられた」可能性(比喩的表現です、念のため)です。

女王は(生物学者の意見に従ったわけではないでしょうが)利己的に振る舞い、
その遺伝子の利己主義によってせっせと不妊の働き蜂を増加させ群の勢力を拡大し、
スズメバチの襲撃に対しても蜂球という対抗手段をもってこれに打ち勝ち、淘汰圧に耐え切って現在まで存続している、という推論です。

>利己主義に従うがゆえに、一致団結することができず、自己犠牲をすることもできず、「ハチの一刺し」をすることもできないからだ。

「一致団結」とまではいかないにしても、集団化することは(自分の役割を他人に肩代わりさせることが期待できるという意味で)十分に利己的な行動だと思えます。
「自分が被るかもしれない損を他者に受け持たせる(相対的に自分が得をする)」というのは高度な利己主義だという認識です。
もちろんリスクとして他者が引き受けるはずの損害を引き受けなければならなくなる可能性はありますが、
母集団が大きくなるほどそのリスクは下がるわけで、「ハチの一刺し」も正にこれでしょう。
すなわち集団化することは利己的行動であると言う論理展開は可能だと思います。
結局のところ、ここでいう「利全主義」はとりもなおさず高度な「利己主義」の現れであるということができるのではないでしょうか。

やっぱりゴミ箱ですか?
Posted by ItsSin at 2008年02月05日 22:13
1.存続と増加の優先関係が違います。

2.利己主義という言葉を勝手解釈しすぎです。自分の利益になる行動をする、というのが利己主義ではありません。「集団化する」という言葉は、三人称複数には成立しますが、三人称単数には成立しません。

 ──

 相当に誤読しています。私の意図とは違う方向に曲解しています。何とかして反論しよう、と思うのではなく、相手が何を言おうとしているか、理解しようとしてください。
 ま、勝手読みの誤読をすれば、いくらでも批判は可能ですが。
Posted by 管理人 at 2008年02月05日 22:33
ゴミ箱行きは免れたようですね。感謝します。
私の文章が拙いのか、誤解をされているようなので残念です。

>1.存続と増加の優先関係が違います。

これは、「存続」が目的で「増加」は手段と言う意味で合っていますでしょうか?
それで合っているなら、私がこれまで目にした生物学関係者はそのように述べていたと私は理解していたので違和感を持ったのです。

>2.利己主義という言葉を勝手解釈しすぎです。自分の利益になる行動をする、というのが利己主義ではありません。

私の解釈の仕方と南堂さんのが異なるということですね。そのために反論と取られてもしかたがないかもしれませんね。

>「集団化する」という言葉は、三人称複数には成立しますが、三人称単数には成立しません。

これは群体(正確には生物学用語の「群体」とは違いますが)という考えが私の意識の中にありましたのでこのような表現になりました。日本語として不正確だというご指摘であれば、そのとおりですね。

反論を意図して書き込ませていただいたものではありません。
Posted by ItsSin at 2008年02月05日 23:07
個体が利己的な行動をとることを南堂さんは否定してないですよ。というか思いっきり認めているようです。

ItsSinが書かれたような無理な解釈をしなくとも、一見利己的でないような行動を説明できるのではないかと提案しているのではないですか?(つまり利己主義以外の原理があるから行動も利己的ではないということ)
Posted by ポト at 2008年02月05日 23:28
ポトさんへ

私は南堂さんが、「固体が利己的な行動を取ることを否定している」とは思っていませんし、そのようなことは言っていないのですが?

私が述べているのは、(無理な解釈かどうかはひとまず置いて)一見利己的でないような行動も利己的(この場合は女王蜂の)な原理で説明可能ではないかという投げかけをしたつもりでした。
Posted by ItsSin at 2008年02月06日 21:43
ItsSin さんはたぶん私のサイトをちゃんと読まないで、部分的に項目をつまみ食いしているだけなのだと思います。だから誤読だらけ。
ちゃんと最初から最後まで読んでください。質問に対する解答はすでに書いてあるとわかるはずです。それでもわからなければ仕方ないですね。
とにかく、誤読に対しては、解答のしようがありません。質問になっていないので。
Posted by 管理人 at 2008年02月06日 22:03
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