働きバチは、不妊である。ではなぜ、不妊なのか? ── そのわけを探るのが、本項の目的だ。
実は、ここには、ミツバチの特殊な事情がある。 ──
働きバチは不妊である。では、なぜ? そのわけを探ろう。
そもそも、
「不利な個体は淘汰される」(個体淘汰)
「不利な遺伝子は淘汰される」(遺伝子淘汰)
という発想がある。これらからすると、不妊の働きバチは、真っ先に淘汰されていいはずだ。ではなぜ、そうならないのか?
──
血縁淘汰説(利己的遺伝子説を含む)によれば、
「妹を育てることが有利だ(遺伝子をたくさん残せる)からだ」
というふうに説明された。これで一応、説明できたつもりでいた。しかしこれは、理屈になっていない。
この説が説明していることは、次のことだ。
「働きバチは自分の子を育てるよりも妹を育てる方が有利だから、子を産めるのにもかかわらず、あえて妹を育てる」
しかしこれは、二重の意味で間違っている。
・ 妹を育てることは、有利ではない。( → 前項 (5)(6) )
・ 働きバチは不妊である。子を産むという選択肢はもともとない。
以上のことが前項で示された。
──
以上をまとめよう。
「ミツバチは、AとBという選択肢のうちで、Aが有利だから、Aを選択する」
というのがこれまでの説だった。しかし、よく調べると、
「Aというのは、有利でなく不利である。ただし、Bという選択肢はもともと存在しない。だから、好むと好まざるとにかかわらず、不利であるAという選択肢を取らざるを得ないのだ。Bはないのだから」
というのが真実であった。
比喩的に言おう。
寿司屋でイカとタコばかりを注文する客がいた。それを見て、進化論学者が説明した。
「イカとタコは美味なのである。だからイカとタコが選択されたのだ。他のものは不味いから選択されなかったのだ」
と。しかし、実状は違った。本当は、この客は、トロとウニが大好物だった。しかし、金がない。金がないから、トロとウニを注文することはできない。彼にはもともと、トロやウニという選択肢はなかったのだ。選択肢がないから、否応なしに、イカとタコを選ばざるを得なかったのだ。
ここでは、「美味ゆえに自然淘汰で選ばれた」などという屁理屈をこねまわす前に、「選択肢がない」という事実を見抜くべきだ。そして、「なぜなら金がなかったからだ」という理由を見出せばいいのだ。
真実を知るとは、そういうことだ。「イカが美味だからさ」などと述べるのは、ただの強弁にすぎない。
──
血縁淘汰説がおかしいことは、別のことからもわかる。それは生物学的な観察だ。それは、次のことだ。
「ミツバチのような生殖方法を取る生物は、(一部のアリなどを除けば)他の種には見られない」
ということだ。その生殖方法が本当に有利である(血縁度を高めるということが本当に有利である)のならば、他の生物だって、その生殖方法を取ればいいはずだ。
そして、それは、特に難しくない。なぜなら、血縁度を高めるということは、生殖方法を、「無性生殖と有性生殖の混合にする」ということだからだ。( → 前項 (1) )…… それは、有性生殖の生物にとっては、「進化する」ということではなく、「退化する」ということだ。そのくらいのことは、たいして難しくない。
( ※ 猿が人間に進化することは非常に難しいが、人間が猿に退化することはそんなに難しくない。あちこちの遺伝子が壊れれば、自然に猿並みの人間ができそうだ。

ともあれ、血縁度が 75%(無性生殖と有性生殖の混合)というのが、すばらしい(有利な)生殖方法であれば、多くの生物に普及してきたはずだ。しかし、現実には、そうなっていない。血縁淘汰説の発想では、その現実を説明できない。(前にも述べたとおり。)
前項 (1)(2)(5) で述べたことを思い出そう。「無性生殖と有性生殖の混合」(血縁度が 75%)というのは、有利な生殖方法ではなく、不利な生殖方法なのである。
・ 無性生殖という劣った性質を部分的に含む。
・ 次世代に自分の遺伝子を 37% しか残せない。
・ 突然変異が次世代に伝わりにくい。( → 前項 [ 付記5 ])
こういうふうに、あれやこれやと、不利なのだ。
だから、設問を立て直さなくてはならない。つまり、新たな設問は、こうだ。
「なぜ働きバチは、不妊なのか?」
「なぜミツバチは、特殊な生殖方法を取るのか?」
「なぜミツバチは、不利な生殖方法を取るのか?」
──
このうち、最後の問いに着目しよう。
「なぜミツバチは、不利な生殖方法を取るのか?」
ここで、注意。
働きバチが子でなく妹を育てるのは、それ以外に選択肢がないからだ。(子を育てるという選択肢がない。不妊なので子を産まないから、子を育てたくても子が存在しない。)……だから、たとえ不利であるとしても、そうする以外にはない。
一方、ミツバチが不妊であるのは、選択肢の有無が違う。選択肢はあるのだ。というのも、ここでは「不妊である」ということは前提とされていない。「不妊である/不妊でない」という二つの選択肢が想定されるのだ。……たぶん、進化の途上では、その二つがどちらも存在したのだろう。にもかかわらず、「不妊である」という選択肢を取ったものばかりが存続してきた。すなわち、不利な形質を取ったものばかりが存続してきた。
これは根源的な矛盾に思える。なぜ、ミツバチという種は、不利な形質を取った方が存続したのか?
( ※ 「不利」= 遺伝子が増えにくい )
──
実は、ここに、根源的な問題があるのだ。
先にも述べたが、ここには、ミツバチの特殊な事情がある。だからこそ、ミツバチにおいては、「不利な形質を取ったものが存続した」というふうになった。
ただし、このことは、あらゆる種に一般的に成立することではない。あくまでミツバチにおいてのみ成立する特別なことなのだ。
とすれば、「血縁度が高い方が有利だからだ」というような、あらゆる種に共通するような一般的な原則を探し出しても、無意味であろう。それよりは、むしろ、ミツバチだけに成立する特別な事情を探り出すべきだ。
ミツバチにおいては、
「不利な形質を取ったものが存続した」
というふうになった。なぜ、そうなのか? なぜ、ミツバチだけはそうなのか?
────────────────────────
ミツバチの特殊な事情を探るために、ミツバチの生態を詳しく述べよう。(いかにも生物学ふうの話。ミツバチ学とでもいうような。)
ミツバチの生態で重要なのは、天敵との関係だ。例として、スズメバチを取って示そう。
( ※ ここでではスズメバチを例に取るが、実際には他の天敵も含めて、さまざまな天敵が該当する、と考えてほしい。 → 文末の 【 追記2 】 を参照。)
スズメバチは、ミツバチにとって非常に危険である。ミツバチよりも大きくて強いし、その毒は人間を殺すほど強力だ。
肉食のスズメバチが、甘いミツバチを捕食する。スズメバチは、おいしい大好物のミツバチを見つけたら、仲間のスズメバチを呼び寄せて、ミツバチの巣に襲いかかり、巣にいるミツバチを皆殺しにしてしまう。たった数十匹のスズメバチが、三万匹ものミツバチを皆殺しにした、という例もある。( cf. 動画 ,静止画 )……まさしく殺し屋である。
ここでミツバチは、生き残るための、生存戦略を取った。
一般に、スズメバチというものは、ふだん偵察活動をしている。うまくミツバチの巣を見つけたら、仲間に知らせる。そして、いったんそうなったら、ミツバチにとってはもはや手遅れだ。
だからミツバチは、偵察活動をするスズメバチとめぐりあった時点で、すぐさま、何が何でも殺害する必要がある。それ以外には、生き残る方法はない。しかし、である。単独のミツバチは、あまりにも非力である。スズメバチにはとうてい、対抗できない。では、どうするか?
ここで、特別な方法がある。それは「ハチの一刺し」だ。すなわち、自己の命を犠牲にしてまで、抜けない毒針を刺して、スズメバチを殺す。ここには、ハチの自己犠牲がある。この自己犠牲によって、他の仲間の全員が助かる。
では、ハチの一刺しには、どういう意味があるか? 次のように分けて考えるといい。
・ ハチの一刺しをする …… 自分だけが死ぬ (他者は助かる)
・ ハチの一刺しをしない …… 全員が死ぬ (自分も他者も死ぬ)
ハチの一刺しをすると、自分は死ぬが、他者は助かる。ハチの一刺しをしないと、あとで巣がスズメバチに襲われるので、自分も他者もすべて死ぬ。とすれば、ハチの一刺しをしたからといって、特に損をするわけではない。(少し早く死ぬだけだ。)
さて。ここで、コロニーの全体に着目しよう。おのおののハチは、ハチの一刺しを「する/しない」という二つの選択肢がある。
「する」を選択すれば、低い確率で死ぬが、大多数は生存できる。
「しない」を選択すれば、あとでスズメバチに襲われて、確実に死ぬ。
とすれば、「する」を選択した方が、生存の可能性がずっと高い。
ゆえに、ハチの一刺しを「する」を選択することは、そのコロニーのハチたちにとって、損ではなく得なのだ。
──
以上のことは、「利己主義」にかわる「利全主義」で説明される。
利全主義は、利他主義に似ているが、決定的に異なることがある。それは、「利他主義をなす個体は損をするが、利全主義をなす個体集団は得をする」ということだ。
たとえば、ミツバチでは、次のようになる。
・ 全員が 利己的にふるまう …… 全滅
・ 1匹だけ 利他的にふるまう …… 全滅 (最初に自分が死ぬ)
・ 全員が 利他的にふるまう …… ほぼ生存 (少数者は死ぬ)
ここでは、「全員が利他的にふるまう」という選択肢を取った場合のみ、ほぼ全員が利益を得る。(利全主義の成立。) 一方、それ以外の場合は、利己的であれ利他的であれ、全滅する。
スズメバチがミツバチのところへ来た。ここで、全員が利己的にふるまえば、全員が逃げ出して、巣は全滅するし、自分も死ぬ。また、一匹だけが利他的に行動しても、その一匹が「ハチの一刺し」をするだけで、結果は同じである。しかし、全員が利他的にふるまえば、たくさんいるミツバチのうち、スズメバチと同数の少数者だけが「ハチの一刺し」をして死ぬが、他のミツバチは全員が助かる。
だから、「利全主義」の意味は、次のことだ。
・ 一匹でなく全員が利他的にふるまう。
・ そのことの損得は、多大な得である。
ここでは、次の逆説的なことが成立する。
「得をしようとして利己的にふるまえば、かえって損をする。損をしようとして利他的にふるまえば(全員がそうすれば)、かえって得をする」
標語で言えば、「損して得取れ」である。そういう逆説的なことが成立するのだ。……ここにミツバチの行動の神秘がある。
( ※ ここで注意。ハチの一刺しをしようとして、利他的に行動しても、実際に損するわけではない。千匹のミツバチがスズメバチに襲いかかっても、実際にハチの一刺しをするのは、そのうちのごく少数だけであるから、大部分は損をしない。この場合、利他的行動が損をもたらすことは、現実にはほとんどないのだ。)
──
こうして、ミツバチにとっては「全員が利他的にふるまうこと」が最善だ、とわかった。つまり、「利全主義」に従うことが。
問題は、「どうやって利全主義の行動を取らせるか」だ。実は、ミツバチにそうさせることは、容易ではない。なぜなら、生物というものは一般に、「仲間に対して利全的」「群に対して利全的」というような性質をもたないからだ。
生物に根源的に備わる性質は、「系統に対して利全的」であることだ。つまり、「自分の子のために自己犠牲すること」だ。では、この原則の下では、どうなるか?
働きバチが子を産めば、自分の子だけを守ろうとする。スズメバチが来たら、親子愛ゆえに、自分の子だけを守ろうとして、他の子を守ろうとはしない。すると、「ハチの一刺し」をしない。なぜなら、「ハチの一刺し」をすれば、もはや自分の子を守れなくなるからだ。だから、そんなことは他のハチに任せる。利他主義のハチに。
しかし、全員が「ハチの一刺し」をしなければ、そのせいで全員が皆殺しになる。ここでは、親は利全主義(系統への利全主義)を働かせているのだが、それでもやはり全滅する。
となると、生き残る方法は、たった一つ。わが身かわいさという利己主義を捨てるだけでなく、子をかわいがる親子愛をも捨てることだ。系統への利全主義をも捨てることだ。── そして、そのために、あえて不妊になる。つまり、自分の子を産まない。
自分の子を産まないと、どうなるか? 子はいないが、妹がたくさんいる。それら妹はいずれも同等の価値がある。働きバチがそれぞれ自分の子を産めば、自分の子だけが大切だが、働きバチが自分の子を産まなければ、たくさんいる妹はすべて同等の価値がある。……つまり、働きバチは、たくさんいる妹たちのうちの どれか一匹を守ろうとすることはなく、妹たち全体を守ろうとする。つまり、コロニーの全体を守ろうとする。
こうして働きバチは、妹たちの全員を守ろうとして、「ハチの一刺し」をやる。まるで母親のように。……それは、姉が母親にかわって妹を守るということであり、母性愛の変形である。
──
進化の歴史では、おそらく、二通りのミツバチが誕生したのだろう。次のように。
・ 働きバチが不妊であるタイプ (標準)
・ 働きバチが不妊でないタイプ (異常)
この二通りは、その後、どうなったか?
標準タイプは、不妊である。それゆえ、今の形で存続してきた。
異常タイプは、不妊でない。それゆえ、スズメバチが来たときには、わが子だけを守ろうとしただろう。そういう個体が数匹ぐらいいるだけならば問題ないだろうが、そういう個体が多くなると、誰もが自分の子を守ることに専念して、利全的行動を取らなくなる。こうして、「全員が利他的行動を取る」という条件が満たされなくなり、利全主義が崩壊する。となると、スズメバチが来たとき、「ハチの一刺し」をする個体が不足して、全員が死ぬ。かくて、絶滅して、今日まで存続することはない。
──
以上をまとめて見よう。
大切なのは、「ハチの一刺し」である。では、「ハチの一刺し」が成立するには、どうすればいいか?
利己主義では、全滅する。少数者だけの利他主義でも、全滅する。生き残るには、全員による利他主義が必要だ。それが「利全主義」だ。
ただし、「利全主義」が成立するのは、容易ではない。生物はもともと利己的だからだ。そこで、その利己主義を強制的に削り取るために、ミツバチは「不妊」という形質を備えた。放っておけば各個体があまりにも利己的にふるまって、収拾がつかなくなるから、各個体をそろって罰する形で、利益を得られる方法を奪い取った。すなわち、全員を不妊にしてしまった。(これで利己主義による利益は最小になる。)
こうなると、各個体はもはや、利己主義の道を取れなくなった。で、そのあと残されたもののなかで、最善のものを取ろうとした。「トロがないならイカでも取るか」というふうに。こうして全員が利全主義を取るようになった。
そして、そのような選択をした系統だけが、スズメバチの攻撃に耐えて生き残ることができるようになった。
要するに、こうだ。ミツバチは、スズメバチという強敵に直面したとき、共同行動のシステムが必要となった。そこで、共同性を高めるために、特殊な道を取った。それは「自分の子をもつ」かわりに「共同の妹をもつ」というシステムだった。こうして、利全主義を取ることで、集団全体の利益を追求した。かくてミツバチは、スズメバチに対抗して生存できるようになったのだ。
ここでは、「利全主義」を取るために、「利己主義」を最小化した。つまり、「不妊」という方法を取った。── これがミツバチに秘められた特殊な事情だ。
※ 補足的な話を少し述べておこう。
[ 付記1 ]
ミツバチの「利他的行動」というのは、言葉では「利他的」であるが、実際には「利他的」ではない。それは、「利他的」というよりは、「利全的」である。
( ※ 今回のシリーズのタイトルは「ミツバチの利他的行動」だが、これは正しいタイトルではない。……歴史的な経緯から、このタイトルを取ったが。)
なお、以前述べた「利全主義」は、個体と系統とのあいだでなされるものだった。そこにおける「全体」とは、時間的な「全体」であった。(祖先から子孫へという全体。)
本項における「利全主義」は、個体とコロニー集団とのあいだでなされるものだ。ここにおける「全体」とは、空間的な「全体」である。(「群」という概念で理解してもいい。正確には同じ巣にいる血縁集団のこと。)
ただし、注意。ここでは、「群淘汰」という発想を取っているのではない。
群淘汰というのは、群と群とが利己主義で競争して自然淘汰が起こる、という発想だ。
本項では、群同士の関係ではなく、個体と群との関係を見ている。そして、そこに、利己主義とは別の原理を見出している。それが「利全主義」だ。ここでは、群と群との競争を見ているのではなく、個体とコロニーとの協調を見ている。
[ 付記2 ]
ミツバチの「利他的行動」というのは、普通の有性生物における「母が子を愛する」というのと、ほとんど差はない。差があるとしたら、「子のかわりに、妹を愛する」(子のために自己犠牲をするかわりに、妹のために自己犠牲をする)ということだけだ。
そして、それは、「自分の子が産まれない」(不妊である)という点が違うだけのことだ。基本原理は、「親が子のために自己犠牲をする」という意味での「利全主義」(系統の利全主義)と同様である。
狼の母親が子を守ろうとして自己犠牲をするのも、ミツバチが妹を守ろうとして自己犠牲をするのも、どちらも同じ原理による。それは、原理で言えば「利全主義」だが、本能で言えば「愛」にあたる。
こうしてみると、ミツバチの利他的行動の本質がわかる。ミツバチは他の動物と違って、利己主義ではなく利他主義で行動している、と見える。だが、実はそんなことはないのだ。どちらも同じ原理(利全主義)で行動しているだけなのだ。
ただ、守るべき対象が「子か/妹か」という違いがある。その違いは、「不妊であるか/不妊でないか」という違いに由来する。
ミツバチの特殊な事情とは、特殊な原理をもつことではなくて、「不妊である」ということだけだ。着目するべき点は、「不妊」ということであって、高い血縁度ではないのだ。
結局、血縁淘汰説や利己的遺伝子説は、全然ピンボケなものを理由にして、ミツバチの利他的行動を説明した。そのせいで失敗したわけだ。
( ※ 病気の理由がウィルスであるときに、顕微鏡で病原菌を探るようなピンボケ。)
[ 付記3 ]
本項では、「利全主義」で説明したが、「利己主義」で説明する立場もある。
たとえば、「個体が全体のために自己犠牲をする」というのを、「遺伝子の利己主義だ」というふうに説明する。しかし、その説明では、いろいろと矛盾が発生する。── たとえば、前項で述べたように、不妊という形質を説明できないし、50%の子でなく 37%の姪を取ることも説明できない。
[ 付記4 ]
集団遺伝学ふうの「遺伝子淘汰」の発想で説明する立場もある。
たとえば、「妹を育てるのが有利だったから、その遺伝子が増えただけさ。増えるものが増えただけさ」というふうに。
しかし、これは、遺伝子の増減は説明しているが、利他的行動を説明していない。この説明は、矛盾を含む間違いではないが、利他的行動の理由については何も言っていないに等しい。
さらにまた、この説明には、根源的な難点がある。この件は、次項で詳しく説明する。(リスクという概念を用いて。)
【 追記1 】
「ハチの一刺し」のかわりに「蜂球」というものもある。( → Wikipedia )
これについては説明しなかったが、「ハチの一刺し」と似ている。ただ、「ハチの一刺し」は一匹だけでやれる必殺技だが、「蜂球」は集団で行なう共同行動なので、それだけ高度な方法だと言えるかもしれない。
話としては「応用編」なので、話を理解できたかどうかを試すための練習問題になりそうだ。
では、解答は? 「全体でやれば得だが、一匹だけでやれば損」ということだ。つまり、「利全主義」で説明がつく。その点、「ハチの一刺し」と同様である。
【 追記2 】
ミツバチの社会性を「スズメバチ対策」として示したが、それを「スズメバチ対策だけ」ととらえるべきではないだろう。ここでは、「代表的な話」というふうに、原理を示した、と見なす方がいい。
原理はともかく、生物学レベルでは、次のことがある。
「ミツバチにとってスズメバチ対策が必要なのは、スズメバチという天敵のいる地域(アジア・アメリカなど)に限られる。欧州は違う」
つまり、アジアにいるトウヨウミツバチ(東洋蜜蜂)は、天敵としてのスズメバチへの対策が必要だが(特に蜂球などをつくる)。だが、セイヨウミツバチ(西洋蜜蜂)は、スズメバチという天敵がいないので、スズメバチへの対策が必要でない。
では、セイヨウミツバチはどうして、針をもつのか?
実は、ここでも、話は同様である。原理はまったく同じだ。ただし、針を向ける相手が異なる。「スズメバチ」でなくて、他の動物だ。
具体的には、どんな動物か? 小型の哺乳類が考えられる。というのは、大型の哺乳類である熊は、ミツバチに刺されながらも、平気でミツバチの巣を食べてしまうからだ。
( ※ 熊が蜂の巣に手を突っ込んで、蜂の巣を食べてしまう、という動画が YouTube あたりにあるのを見たことがある。ちょっと見つからないが、興味のある人は探してみてください。)
この際、熊は、「甘くておいしいな」という気分なのだろう。同様に、他の動物(犬や猫などの類?)だって、手を突っ込んで、食べてしまうかもしれない。
そこで、そういう天敵から巣を守るために、蜂の針があるわけだ。蜂の針は、犬や猫などを撃退するには有効だろう。(熊みたいに皮の厚い動物には無効だとしても。)
本文では、「スズメバチへの対抗策」というふうに述べたが、例として取り上げるには、「スズメバチ」よりも、他の動物(イタチやオオカミなど)の方が適切だったかもしれない。
※ 本項では、生物学的な現象を説明した。
理論的な原理については、次項で損得勘定とともに説明する。
>生殖方法を、「無性生殖と有性生殖の混合にする」ということだからだ。
>( → 前項 (1) )…… それは、有性生殖の生物にとっては、「進化する」
>ということではなく、「退化する」ということだ。そのくらいのことは、たいして難しくない。
>( ※ 猿が人間に進化することは非常に難しいが、人間が猿に退化することは
>そんなに難しくない。あちこちの遺伝子が壊れれば、自然に猿並みの人間ができそうだ。
「退化は進化の対義語である」というありがちな誤解もしています
そもそも「単為生殖」は ,いかなる意味においても「退化」ではありませんけどね
>働きバチは、不妊である。ではなぜ、不妊なのか? ── そのわけを探るのが、本項の目的だ。
>実は、ここには、ミツバチの特殊な事情がある。
>
>ミツバチの生態で重要なのは、スズメバチとの関係だ。
>ミツバチは、偵察活動をするスズメバチとめぐりあった時点で、
>すぐさま、何が何でも殺害する必要がある。それ以外には、生き残る方法はない。
>ここで、特別な方法がある。それは「ハチの一刺し」だ。すなわち、自己の命を犠牲にしてまで、
>抜けない毒針を刺して、スズメバチを殺す。ここには、ハチの自己犠牲がある。
>この自己犠牲によって、他の仲間の全員が助かる。
>ゆえに、ハチの一刺しを「する」を選択することは、そのコロニーのハチたちにとって、損ではなく得なのだ。
>ミツバチは、スズメバチという強敵に直面したとき、共同行動のシステムが必要となった。
>そこで、共同性を高めるために、特殊な道を取った。それは「自分の子をもつ」かわりに
>「共同の妹をもつ」というシステムだった。こうして、利全主義を取ることで、集団全体の
>利益を追求した。かくてミツバチは、スズメバチに対抗して生存できるようになったのだ。
「ミツバチはスズメバチに対抗するために働きバチが不妊になって社会性を高めた」ですか?
なかなか愉快な説ですが,スズメバチ(スズメバチ亜科)もミツバチと同様の社会性ですけど,
スズメバチの社会性は何に対抗するためなんでしょう?
ミツバチと違ってスズメバチは毒針を刺しても死にませんから,上記の「ハチの自己犠牲」は当てはまりませんね
だいたい,ミツバチのズズメバチへの対抗手段といえば,「ハチの一刺し」より「蜂球」でしょう
「蜂球」なら,ミツバチは自己犠牲なく,ズズメバチを殺せますし
>ミツバチの天敵としてアジアだけに生息するスズメバチがいるが、
>アジアで進化したトウヨウミツバチはスズメバチへの対抗手段を獲得した。
>巣の中に侵入したスズメバチを大勢のミツバチが取り囲み蜂球とよばれる塊を
>つくり、蜂球の中で約20分間の間に48℃前後の熱を発生させる。取り囲まれた
>スズメバチは上限致死温度が44〜46℃であるために耐えられずに死んでしまうが、
>ミツバチは上限致死温度が48〜50℃であるため死ぬことは無い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%81
膜翅目全体では孤独性のものも多いのですが,
伊藤嘉昭の「動物の社会」(東海大出版会)によれば,
真社会性は膜翅目全体で少なくとも11回は独立に進化したと考えられていて,
社会性の初期段階と考えれれる種も,
オキナワツヤハナバチCeratina okinawanaやオーストラリアのAllodapula属,
スズメバチ科のハラホソバチ亜科などが報告されています
>Life Cycle of a Subtropical Xylocopine Bee, Ceratina okinawana, with Some Related Problems
>OKAZAKI Katsunori 1
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003377444/
>Biological observations on the primitively social bees of the genus ヌAllodapulaネ
>in the Australian region (Hymenoptera, Xylocopinセ)
>Charles D. Michener
http://www.springerlink.com/content/p34746860611815h/
>越冬するオオハラホソバチ
http://www.esj.ne.jp/meeting/abst/55/P3-254.html
ここから「なぜ膜翅目でこれほど頻繁に社会性が進化したのか?」という疑問が生まれ,
「半倍数性という膜翅目の特殊な性決定様式が社会性進化を促進したのではないか?」
という仮説が提唱されたんですけどね
他にも細かい間違いを挙げれば切りがないのですが,
社会生物学や血縁淘汰に対する理解以前に,
南堂さんにはハチに対する愛がまったく感じられませんよ
そもそも「単為生殖」は ,いかなる意味においても「退化」ではありませんけどね。
冗談が理解できないんでしょうか? 「人間が猿に退化してしまえばいい」というのは、冗談に決まっているでしょうが。「人間が猿に退化するとは生物学的にどういうことか」なんてことを論じたいのだったら、2ちゃんねるにでも行ってください。
> スズメバチの社会性は何に対抗するためなんでしょう?
それはここでは論じていません。いちいち突っかからないでください。論じていないことはたくさんあります。同じ質問をドーキンスやハミルトン(やその継承者)に言ってごらんなさい。
難癖のための難癖は、受け付けておりません。
> だいたい,ミツバチのズズメバチへの対抗手段といえば,「ハチの一刺し」より「蜂球」でしょう。
「蜂球」もありますね。それにも言及しようかとも思ったのですが、副次的なことなので、まずは主要なことを話題にしました。主要なことさえわかれば、副次的なことへの解答もわかるはずです。
実は、「蜂球」でも、説明はほとんど同様です。「一匹だけで殺す」という必殺技を使うかわりに、「利全主義」による作業として説明されます。……ま、そのくらいのことは、頭をちょっと働かせればわかります。(だからいちいち書かなかった。ここでは原理だけを示すのが狙いであり、すべてを書くつもりはなかったので。)
「蜂球」という現象をうまく説明できないのは、私の説ではなくて、従来の説の方です。たとえば、ESS 理論。
→ Wikipedia 「社会生物学」 の 「ESS 理論」の項目。
とにかくまあ、どうせ調べるなら、つまみ食いふうに調べるんじゃなくて、先の方まで調べてくださいね。そうすれば、いちいち私が解説する手間も省けるから。
誤読。
ミツバチの特殊な事情によって説明しているのは、「社会性進化の原因」ではありません。そのことは、同類の全体を見れば、すぐにわかるとおり。当り前でしょうが。
本項で示しているのは「妹育て」だけです。血縁淘汰説だって利己的遺伝子説だってそうです。私の説もそうです。「膜翅目にしばしば見られる社会性進化の原因」なんて、誰も論じていません。
そんなこと、膜翅目を見れば、すぐにわかることでしょうに。
>ここから「なぜ膜翅目でこれほど頻繁に社会性が進化したのか?」という疑問が生まれ,「半倍数性という膜翅目の特殊な性決定様式が社会性進化を促進したのではないか?」という仮説
そうですよね。そういう仮説が考えられるし、私も言及しようとしたのですが、そこまでの余裕はありませんでした。今回は。そもそも、仮説にすぎないし。
いずれにせよ、ここでは、「利己的遺伝子説」というのとは別の立場で「利他的行動」を説明することが眼目です。脇のあたりの細かなことについては、言及していないことはたくさんあります。
上記のことを一生懸命教えてくれているつもりのようですが、すでに承知していることなので、いちいち書く必要はありません。また、そちらが言及していないことでも、問題はたくさんあります。それらについていちいち細かな点まで言及するつもりはありません。当面の話題は、別のことです。
・ 言葉尻をとらえて突っかかる。
・ 言及していないことについて説明を求める。
こういうのは原則として、付き合いたくありません。
論じるなら、言葉尻じゃなくて、本筋の話について正々堂々と正面からぶつかってきてください。ネチネチとした揚げ足取りは、お断り。承認しないで削除することもあります。ただのゴミなので。
>「人間が猿に退化してしまえばいい」というのは、冗談に決まっているでしょうが。
私が誤りだといっているのは,「人間が猿に退化……」の部分ではなく,
「有性生殖の生物が『無性生殖と有性生殖の混合にする』のは
『進化する』のではなく『退化する』ということだから,たいして難しくない」の部分ですよ
この部分も冗談ですか?
>「蜂球」もありますね。それにも言及しようかとも思ったのですが、
>副次的なことなので、まずは主要なことを話題にしました。
>主要なことさえわかれば、副次的なことへの解答もわかるはずです。
分かりませんね
分かるのは「蜂球」という対抗手段があるなら,
>だからミツバチは、偵察活動をするスズメバチとめぐりあった時点で、
>すぐさま、何が何でも殺害する必要がある。それ以外には、生き残る方法はない。
という説明は成立しないということですね
また,ミツバチを主食とするスズメバチのいないヨーロッパ原産の
セイヨウミツバチも「真社会性」を進化させていますが,
「蜂球」という対抗手段を持たないので,
大型のスズメバチのいる日本には定着できていません
結局,「ハチの一刺し」なんてスズメバチの対抗手段としてはたいして有効ではなく,
また,スズメバチという天敵の存在が社会性を進化させたという説明も誤りだということです
>本項で示しているのは「妹育て」だけです。血縁淘汰説だって
>利己的遺伝子説だってそうです。私の説もそうです。「膜翅目に
>しばしば見られる社会性進化の原因」なんて、誰も論じていません。
「真社会性」の進化というのは,
自らは生殖せずに「妹育てをする」働き蜂カーストの成立のことですよ
自分が何を論じているのかも分からないのですか?
それで,スズメバチの「妹育て」の方はどう説明するんですか?
ここは冗談ではなくて、そこそこ真実です。ただしここで言う「猿」というのは、チンパンジーのことではなくて、脳の壊れた人間のことです。(木登りが下手だ、とも書いているでしょう?)
たとえば、コメント欄で他人を攻撃することしかないような、頭のイカレた人間もいますが、これはもう、ほとんど猿ですよね。私はこういう人間を、人間とは認めたくないですね。
ま。冗談はさておき。
存在しない遺伝子を作成するよりは、すでに存在する遺伝子から過去の遺伝子を再現する方が、よほど簡単です。ま、絶対レベルでは、ものすごく困難ではあるが、相対的に比較するなら、よほど簡単です。壊れた残骸遺伝子が、非発現部分に残っている可能性もあるので。
ただ、こんなことは、どうでもいいことでしょう?
言葉尻をとらえて、どうでもいいことで、他人を攻撃することが、そんなに楽しいですか? それ以外に楽しみがないんですかね?
> 「蜂球」という対抗手段があるなら,
ないでしょうね、たぶん。ハチの一刺しをする種では。二つも方法は必要ないし。
しかしそれも傍系の話題。
いったい、何を論じているつもりですか? ミツバチの生態の説明ですか? だったらミツバチ学界にでも行ったらどうですか?
私はいまは、利己的遺伝子の話をしているんです。ミツバチのことを扱うとしても、ミツバチを話題にしているわけじゃありません。
お門違いの話をしないで。
> スズメバチという天敵の存在が社会性を進化させた
社会性を進化させた? 誰がそんなことを言ったの?
私はそんなことは言っていないし、論じたこともありません。
あなたはあくまでハチのことを論じていればいいでしょう。「ハチの生態は何か?」ということは、私の関知するところではありません。
だいたいねえ。何でこういう馬鹿げたことを、私に言うんですか? 言うんだったら、利己的遺伝子を扱う学界にでも乗り込んで、そこで論じればいいでしょうに。私のサイトに来るのは、お門違い。
ま、文句を言って、言葉で一刺しするのが趣味だ、というならば別ですが。その場合は、こちらから、以後は拒否します。
ただのネチネチ論議ばかりなので、以後は、コメントが来ても掲載しません。
そもそも、文章が読むに耐えない。人間の書いた文章とは思えない。人間性が皆無。
ミツバチの利全的行動は、「社会性がある」というふうに解釈することもできます。(社会生物学の立場。)
ただしそれは「ミツバチが社会性を進化させた」ということではなくて、「ミツバチの社会性は、スズメバチの来襲に対処する、という形になった」というだけのことです。
比喩的に言えば、黄色人種のメラニン色素は中くらいで、白色人種のメラニン色素は少なめです。だからといって、「白色人種はメラニン色素が少なくなるように、黄色人種よりも進化した」ということはないでしょう。単に違うだけで、進化というほどのことではありません。実際、可逆的です。
「ミツバチが社会性を進化させた」というのは間違いで、「ミツバチが社会性を変えた」または「ミツバチは特有の社会性を備えた」というのが正しい。
ミツバチと他のハチとでは、社会性の現れ方が違いますが、それを進化の程度と結びつけるのは、勘違いです。
了解しました
反論があれば,以後はこちらにお願いします
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1202047787/