前項 の続き。
ミツバチの利他的行動について、真相を少しずつ示すことにしよう。
まず、本項では、根源的な核心のみを探る。
働きバチは妹を育てる。なぜか? 「それが有利だから」というのが、血縁淘汰説の説明だった。しかし、実は、その行動は有利ではない。
だから、「自分の遺伝子をたくさん残せるから有利だ」という説明は、根源的に成立しない。(つまり、血縁淘汰説は成立しない。) ──
本項では、ミツバチの利他的行動について、真相を示すことにする。その第一回目。
ここでは、血縁淘汰説や利己的遺伝子説を否定することを目的とはせず、かわりに、別の発想を提出することを目的とする。
「血縁淘汰説や利己的遺伝子とはまったく別の発想で、こういう発想もありますよ」
というふうに。
比喩的に言えば、「天動説」というものがあるときに、「地動説」という別の発想を出す。地動説は、天動説とは異なるし、天動説とは矛盾する。しかし、天動説を直接的に批判しているわけではない。むしろ、天動説については何も語らないまま、今までとは別の視点から発想している、というだけのことだ。
本項の立場も、こういうものだ。他の説を批判することを目的とはしておらず、新たな発想を出すことのみを目的とする。
──
本項では、物事の本質を探るため、原理的な話を述べる。いくつかの論点を示すが、それぞれの論点においては、まず疑問を呈示し、次に、疑問への回答を呈示する。
ともあれ、次の (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7) という論点がある。
(1) 75% の理由
ミツバチでは血縁度が 75% という高い値になる。これは通常の有性生殖の 50 % よりもずっと高い値だ。では、なぜ?
血縁淘汰説の発想では、「血縁度が高いほど有利だ」ということになる。とすると、「血縁度の高い生殖方法があるのは、その生殖方法が有性生殖よりも有利だからだ」ということになるかもしれない。
では、本当にそうか? いや、違う。いきなり本質を言えば、こうだ。
ミツバチの生殖方法の本質は、「無性生殖と有性生殖の混合」ということだ。
さて。理由はあとで述べるとして、とりあえずは上のことを受け入れよう。生殖形態が「無性生殖と有性生殖の混合」であるとする。
ならば、そこに生まれる子供の血縁度もまた、両者の中間となるのが必然だ。次のように。
・ 無性生殖 …… 血縁度 100%
・ 有性生殖 …… 血縁度 50%
・ 混合 …… 血縁度 75% ( 100% と 50% の中間)
こうして、「血縁度が 75% という高い値なのは、なぜか」という疑問に、解答が得られた。( 100% と 50% の中間だから。)
なお、理由を述べておこう。ミツバチの生殖方法が「無性生殖と有性生殖の混合」だということは、次のことからわかる。
・ 母親( 2n )由来の遺伝子 …… 有性生殖
・ 父親( n ) 由来の遺伝子 …… 無性生殖(単為生殖)
母親は、普通の有性生殖と同じだ。一方、父親は、「単為生殖」という形の「無性生殖」によって誕生している。
母親(有性生殖)と父親(無性生殖)とから産まれた個体は、「無性生殖」と「有性生殖」の混合で産まれたことになる。
当然、血縁度もまた、「無性生殖」(自己複製)の値である 100% と「有性生殖」(交配)の値である 50% との平均で、75% になるわけだ。
( ※ 詳しくは、前述の図を参照。 → 血縁度の図 )
(2) 混合の意味
ミツバチの働きバチは、特殊な生殖形態によって産まれる。「無性生殖と有性生殖の混合」という形で。では、なぜ? その意味は?
血縁淘汰説や利己的遺伝子説ならば、「それが有利だから」というふうに説明するだろう。「そうすれば遺伝子をたくさん残せて有利だから」と。
しかし、そんなことを言い出したら、人間だって何だって、みんなミツバチと同様になっていいはずだ。有性生殖をやめて、無性生殖と有性生殖の混合という方法を取ればいいはずだ。その方が(個体または遺伝子にとって)有利なのだから。……しかし、そんなことはありえない。(前項で述べたとおり。)
だから、「それが有利だから」というのは、理由にならない。
むしろ、逆に理解する方がいい。つまり、
「無性生殖と有性生殖の混合は、純粋な有性生殖に比べれば、無性生殖が混じっていることになる。その分、下等な生物の性質が混じっていることになるので、不利なのだ」
と。ここでは、血縁淘汰説とは逆に、
「自己複製の割合が高いほど不利だ」
ということになる。そして、その理由は前述のとおり。つまり、「自己複製の割合が高い」というのは、「無性生殖としての性質をいっぱい帯びている」ということだから、生物にとって不利なのだ。(量はともかく質の点では。)
75% という値を見ると、「血縁度が高いぞ、ミツバチはすごい」と感嘆する進化論学者もいそうだ。そして、「ミツバチは遺伝子をたくさん残せて、いいなあ、すばらしいなあ、自分もそうなりたいなあ、遺伝子をたくさん残したいなあ」と、さんざん羨ましがりそうだ。
しかしそれは勘違いだ。血縁度が高いということは、その生物が無性生物のように下等であるということを意味している。普通の有性生物よりも、細菌に近いということを意味している。そんなことは、羨むべきことではない。進化の度合いを下げてまで、自己複製の度合いばかりを高めたければ、その人は細菌になってしまえばいいのだ。
とにかく、血縁度が高いということは、有利なことではないのだ。生物として下等であるということを意味するのだから。
(3) 不完全な自己複製
血縁度が高いことは、「不完全な自己複製」という言い方でも説明できる。
無性生物では、完全な自己複製があり、血縁度が 100%である。
有性生物では、交配があり、血縁度が 50% である。
両者の混合では、「自己複製」と「交配」が半分ずつ混じりあって、血縁度が 75% となる。……ここでは、「半分だけの自己複製」と「半分だけの交配」とが、ともにあることになる。
この「半分だけの自己複製」と「半分だけの交配」との混合形態を、「不完全な自己複製」と呼ぶことにしよう。
ミツバチの生殖の特徴は、「不完全な自己複製」である。それは、無性生殖と有性生殖の混合であるがゆえに、血縁度が両者の中間値になるだけでなく、性質もまた「自己複製」と「交配」の中間形態になった。
とすれば、働きバチにとって妹は、「不完全な自己複製」である。それは、「完全な自己複製」に少し似ているので、いわば、「自分の代役」である。
働きバチにとって、妹は「自分の代役」である。これはとても重要なことだ。なぜなら、働きバチは、妹を育てるとき、自分の子の代わりとして育てているのではなく、自分自身の代わりとして育てていることになるからだ。(いわば、「自分の分身」として。)
(4) 妹と姪の血縁度
では、なぜ、「自分の代役」「自分の分身」なんてものが登場する必要があったのか? それは、働きバチが「不妊」であることと、密接な関連がある。
働きバチはどうしても「不妊」である必要があった。(その理由は長くなるので、次項で示す。)
さて。不妊である働きバチは、どうするか? もはや「子を生んで育てる」という生物の本質をなくしている。そして、生物の本質をなくした個体(または系統)は、生存価値がないので、子孫がなくなり、断絶してしまうはずだ。
しかし働きバチは、ずっと存在し続けている。とすれば、「子を生んで育てる」という生物の本質をなくしたまま、なおかつ別の形で、生物の本質を維持していることになる。では、どんな?
それが、「自分の代役」「自分の分身」を育てることだ。このことによって、「子を生んで育てる」という自分の役割を、「自分の代役」「自分の分身」に委ねることができる。
このことを明確に理解するために、生命の本質である「世代交代」という概念を導入しよう。( → 利全主義と系統 (生命の本質))
まず、次のことがわかる。
・ 自分 → 妹 (世代交代 なし)
・ 自分 → 子 (世代交代 あり)
・ 自分 → 姪 (世代交代 あり)
ここで注意。子や姪を誕生させることには世代交代があるが、妹を誕生させることには世代交代がない。
とすれば、妹を誕生させることは、生命の本質である「世代交代」という重要な性質が抜け落ちていることになる。
対比的に述べよう。
「世代交代」という観点からすると、自分の親を育てることは、意味がない。いくら育てても、親は自分よりも先に死んでしまうので、子を残す効果はないからだ。
「世代交代」という観点からすると、自分の妹を育てることも、意味がない。自分と同じ世代に属するのだから、自分と同程度の時期に死んでしまうからだ。
「世代交代」という観点からすると、意味があるのは、自分の子を残すことと、自分の姪を残すことだ。これらならば、次の世代を産むという意味がある。
しかしながら、働きバチは「不妊」である。つまり、自分の子を残すことはできない。……とすれば、自分の子を残すかわりに、自分の姪を残すことしかできない。そして、自分の姪を残すためにこそ、自分の妹を育てる。
こうして真実がわかっただろう。働きバチは、自分の子を育てる代わりに、自分の妹を育てているのではない。自分の子に代わるものは、自分の姪である。
では、自分の妹は? 自分の妹は、自分の子に代わるものではなく、自分自身に代わるものである。つまり、「自分の代役」「自分の分身」である。(なぜなら、同じ世代に属するのだから。)
(5) 不妊の妹を増やしても無駄
妹でなく姪が重要だということは、次のことからもわかる。
「不妊の妹を育てても遺伝子を残さない」
なるほど、血縁淘汰説によれば、
「妹を育てれば遺伝子をたくさん残すことができる」
ということは、一応は成立する。少なくともその時点では。しかし、妹は、自分と同世代だから、自分とほぼ同時期に死んでしまう。その意味で、「遺伝子を残す」という効果はないのだ。ここでは生命の基本である「世代交替」ということが成立していないからだ。
したがって、空間軸でなく、時間軸で見れば、不妊の妹を育てることには、「遺伝子を増やす」という効果は皆無である。
このことは、次のことからもわかる。
「不妊の妹だけを育てて、新女王バチを育てなければ、次世代はまったく産まれないので、遺伝子は滅亡する」
このことからも、次のことが結論できる。
「遺伝子を増やすという意味は、姪の数を増やすことであって、妹の数を増やすことではない」
ミツバチがどんなに妹の数を増やしても、そこには遺伝子を増やす効果はないのだ。千匹でなく、1万匹であろうと、1億匹であろうと、1兆匹であろうと、どんなにたくさん妹を増やしても、妹は自分と同世代なので、すべてまもなく滅亡する。一方、不妊でない新女王バチを育てて、姪を産めば、遺伝子は着実に残る。
大事なのはあくまで姪の数であって、妹の数はまったく無意味なのだ。
それゆえ、血縁淘汰説の
「(血縁度の高い)妹の数を増やすのは、遺伝子の数を増やすためだ」
という説は、まったく成立していない。
( ※ 自分の子のかわりに自分の妹を育てても、遺伝子を増やすという意味では効果はないのだ。自分の子は次世代に残るが、自分の妹[不妊]は次世代に残らないからだ。)
(6) 正しい計算方法
こうして、血縁淘汰説ないし利己的遺伝子説の、根本的な計算ミスが判明した。これらの説は、血縁度を計算するとき、比較対象を間違えてしまったのだ。
血縁淘汰説では、比較するとき、
子 ─ 妹
という比較対象を選んだ。そして、「子育て」と「妹育て」とを対比した。しかし本当は、
子 ─ 姪
自分 ─ 妹
という比較対象を選ぶべきだったのだ。そして、「子育て」と「妹育て」とを対比するのでなく、次のいずれかを対比するべきだったのだ。
・ 「子育て」 と 「姪育て」
・ 「自己保存」と「妹育て」
では、正しい比較対象を選んで、あらためて血縁度を計算し直そう。すると、次のようになる。
・ 自分の子 …… 50%
・ 自分の妹 …… 75%
・ 自分の姪 …… 37%
つまり、自分の子(50%)のかわりに、自分の姪(37%)を残すと、血縁度はかえって下がってしまうのだ。 50% から 37% へと。
要するに、「自分の子を育てること」と、「妹を育てて、妹に自分の姪を産ませること」とを比べると、前者よりも後者の方が不利なのである。
働きバチが妹を育てるのは、遺伝子を残す点で、有利だからそうするのではなく、不利であるにもかかわらずそうするのだ。 [ 重要! ]
( ※ 上記の 37% の理由は、次の通り。……姪にとって、母親経由の遺伝子は、共通するものが 75% である。理由は血縁淘汰説のとおり。一方、父親経由の分は 0% である。というのは、働きバチと、その姪とでは、オスが異なるからだ。こうして 75% と 0% の平均で、37.5% となる。……同様のことは、前項でも説明した。)
(7) 血縁度と個数
ここまでの話を聞いても、信じがたく思えるかもしれない。次のように。
「世代交代なんてことが大切なのか? そんなの関係ねえ! 大事なのは、遺伝子の個数だけだ。とにかく、遺伝子が増えればいいのだ。妹の遺伝子だろうが、母親の遺伝子だろうが、祖父の遺伝子だろうが、とにかく自分の遺伝子と同じ遺伝子の総数が増えればいいのだ。それが遺伝子中心の発想だ」
ま、そう思いたければ、そう思ってもいい。しかし、そう思っても、それならそれで、もっとひどい結果に陥る。
そういうふうに遺伝子中心の発想をするということは、集団遺伝学ふうの発想だ。そして、集団遺伝学では、大事なのは、遺伝子の個数だけである。遺伝子がどれだけ増えるか、ということだけが大事になる。血縁度ではない。
わかりやすく言おう。「血縁度」というのは、「濃度」の概念である。たとえば、1リットルの食塩水の濃度が 10% であれ、100リットルの液体の食塩水の濃度が 10% であれ、とにかく、濃度だけに着目する。
一方、集団遺伝学の発想は、「個数」の発想である。たとえば、同じ濃度の液体でも、1リットルの食塩水と、100リットルの食塩水とでは、そこに含まれる食塩の量は 100倍も異なる。ここでは、「濃度」でなく「個数」が重要となる。
では、「個数」の発想をすると、どうなるか?
ミツバチに戻ろう。働きバチは、自分の子を増やすこともできるし、自分の妹を増やすこともできる。自分の子の血縁度は 50% であり、自分の妹の血縁度は 75% である。では、残される遺伝子の個数も、この比率のとおりになるか?
違う。なぜならば、産まれるはずの子の個数と、妹の個数とが、異なるからだ。
・ 子を産むときは、1匹の働きバチが複数の子を産んで育てる。
・ 妹を育てるときは、働きバチ全体がただ1匹の新女王バチを育てる。
具体的に例示しよう。
・ 働きバチが自分の妹を育てた場合
…… 残る遺伝子は 0.75 × 1 = 0.75
・ 働きバチが自分の子を1匹産んで育てた場合
…… 残る遺伝子は 0.5 × 1 = 0.5
・ 働きバチが自分の子を2匹産んで育てた場合
…… 残る遺伝子は 0.5 × 2 = 1.0
・ 働きバチが自分の子を 10匹産んで育てた場合
…… 残る遺伝子は 0.5 × 10 = 5.0
以上からわかるだろう。「自分の子を産んで育てるよりも、自分の妹を産んで育てる方が、(遺伝子を残すために)有利だ」と言えるのは、「自分の産む子の個数は1匹だ」という場合だけだ。その場合には、確かに、血縁淘汰説のとおりになる。
しかし、有性生殖の生物で、「出産する子の数が1だ」ということは、ありえない。そんなことでは、少子化のせいで個体総数が急減して、種が滅びてしまう。
有性生殖の生物である限り、「出産する子の数は2以上だ」となる。特に、昆虫のように下等な生物だと、(生存率の低さを補うために)出産数(つまり産卵数)はとても多くなる。数十〜数千の値になるはずだ。
とすれば、普通の有性生殖をして、自分で子を産んで育てる方が、自分の遺伝子をはるかに多く残せるのだ。個数で数える限りは。
だから、働きバチは、「自分の遺伝子をたくさん残す」という意味では、たった一匹の新女王バチをいくら育てても、無意味なのである。
( → 後述の [ 補足 ] [ 付記1 ] を参照。)
(8) 真相(論旨の逆転)
以上の説明からわかるように、「自分の遺伝子を残すために妹を育てる」という説明は、すっかり破綻した。
では、真相は? それは、先に述べたとおりだ。つまり、こうだ。
働きバチが妹を育てるのは、遺伝子を残す点で、有利だからそうするのではなく、不利であるにもかかわらずそうするのだ。
「血縁淘汰説」や「利己的遺伝子説」では、「妹育てという利他的行動があるのは、そのことが有利だからだ」と説明した。(自己にとって・遺伝子にとって)
しかし、「有利だからそうする」と考えるべきではない。むしろ、「不利であるにもかかわらずそうする」と考えるべきだ。
となると、残る問題は、こうだ。
「働きバチはなぜ、なぜあえて不利な行動をするのか?」
こうして物事を逆転させてとらえることで、いよいよ真相に近づくことになる。
その真相は、部分的に言えば、こうだ。
「ミツバチは、『不妊』である。『自分の子を産んで育てる』という能力を奪われている。だから、好むと好まざるとにかかわらず、不利な方を選ぶしかないのだ。なぜなら、有利なものは、もともと奪われていて存在しないから」
以上をまとめて、わかりやすく示そう。
働きバチは本来、妹のかわりに自分こそが、新女王バチになりたかった。しかし、それはできない。運命ゆえに。
そこで仕方なく、自分の妹を育てることにした。自分が生殖するかわりに、自分の妹が生殖する。その妹とは、普通の有性生殖による兄弟姉妹ではなく、「不完全な自己複製」である。だからこそ、それは「自分の代役」「自分の分身」としての価値をもつ。
こうして、「自分の分身」が生殖をして、その子を産む。その子は、働きバチにとっては、姪にあたる。働きバチにとって、姪の血縁度は、50% でなく、37% にすぎない。自分の遺伝子を多く残すという点では、不利である。だが、ぜいたくは言えない。何しろ自分は、「不妊」なのだ。 50% という選択肢はない。 37% がいやなら、何もしないで、 0% という選択肢を選ぶしかない。しかし、そんなことをすれば、子も姪も残せなくなる。それは最悪だ。それゆえ、50% よりも不利だとわかっていながら、あえて 37% の姪が産まれることに協力する。
こうして、働きバチは(姪を生ませるために)妹育てをなす。
────────────────────
以上で、本項の論点を終える。
これら論点を見た後で、本項全体をまとめてみよう。
「血縁淘汰説」や「利己的遺伝子説」は、ミツバチの利他的行動について、「有利だからそうするのだ」と説明した。
しかし、詳しく調べてみると、有利だと思えたことは、ちっとも有利ではなかった。たしかに「濃度」を調べる限りは、濃度が濃いので有利に思えたのだが、遺伝子の「個数」を調べると、個数が少ないので不利なのだ。
こうして「有利だからそうする」という説は破綻した。
となると、「有利だからそうする」という説のかわりに、「不利にもかかわらずそうする」という説が必要になる。そして、その説の根拠は、
「有利な方法はもともと存在しない」
ということだった。有利なものと不利なものとを比較して、不利なものを選ぶのではない。有利なものが存在しないから、不利なものを選ぶしかないのだ。たとえ不利でも、ないよりはマシなのだから。
となると、問題は、次のことに帰結する。
「なぜ働きバチには、有利な方法がないのか」
つまり、こうだ。
「なぜ働きバチは、自分の子を産めないのか?(不妊なのか?)」
これが根源的な問題となる。
次項では、この問題を扱おう。
[ 補足 ]
上の 「(7) 血縁度と個数」について、若干、補足的に説明しておこう。
上では、こう述べた。
「新女王バチは1匹しかいないから、いくら新女王バチを育てても、遺伝子の数を増やすことはできない。遺伝子の数は1から増えない。いくら血縁度の高い妹を育てても、遺伝子を増やすことにはならない。遺伝子を増やすことを考えるのであれば、妹の遺伝子でなく、姪の遺伝子を考えるべきだ」
これはたしかにその通りだ。そして、そのことがもっと典型的に示すことができる。
1匹の働きバチが1匹の新女王バチを育てるのならば、
「自分の子を育てるのと、自分の妹を育てるのを比べる」
という発想ができなくもない。(血縁淘汰説の発想。)
しかし、である。多数の働きバチが1匹の新女王バチを育てるのならば、どうか? もはや、そういう発想は成立しない。
・ 多数の働きバチが、それぞれ自分の子を育てる。
・ 多数の働きバチが、(共通する)ただ1匹の妹を育てる。
この場合には、遺伝子の数を増やす効果は消えてしまうのだ!
たとえば、1000匹の働きバチがそれぞれ自分の子を生めば、自分の遺伝子は たくさん増える。1000匹の働きバチがたった1匹の妹を育てても、自分の遺伝子はほとんど増えない。(1匹への重複が起こるからだ。)
[ 付記1 ]
働きバチの血縁度について、補足しておこう。( (6) の補足。)
「姪の血縁度は 0.37 で、子の血縁度は 0.5 だから、子を産む方が有利だ」
と述べた。ここでは、一匹ずつの働きバチを見ている。一匹ずつの働きバチは、妹を育てて姪を産ませるより、自分の子を産む方が有利だ。
一方、働きバチ全体を見ると、どうか? 新女王バチは一匹だけだから、働きバチ全体は「共通の一匹」だけを育てている。それは、全体としては、遺伝子数を増やすどころか減らす効果がある。
具体的に数字で考えよう。
千匹の働きバチがそれぞれ二匹の子を産めば、二千匹の子が誕生する。血縁度が 0.5 なら、前後で自分の遺伝子数は同じである。(親は、1×千。子は 0.5×二千。どちらも千。別途、オスに由来する分が千ある。)
一方、千匹の働きバチが一匹だけの新女王バチを育てれば、働きバチ全体が増やす遺伝子はたった一匹分だ。全体としての遺伝子数は、およそ千分の一に激減する。
ただし、新女王バチの遺伝子でなく、新女王バチが産む子[働きバチの姪]の遺伝子まで考えれば、遺伝子数が激減することはない。ただし、その場合には、妹との血縁度(0.5)でなく、姪との血縁度(0.37)を見る必要がある。
というわけで、妹であれ、姪であれ、そちらの経路を経由する方法で遺伝子を増やそうとしても、自分の子を産むのに比べれば、不利である。
特に、「子でなく妹を育てれば、自分の遺伝子を多く残せる。だからミツバチは自分の妹を育てるのだ」と考えるのは、ナンセンスである。
千匹の働きバチがただ一匹の新女王バチを育てる、という過程では、自分の遺伝子の数は、増えるどころか減ってしまうのだ。
( ※ 新女王バチ以外の妹を育てることについては、(6) の最後の (i) で示したとおり。)
[ 付記2 ]
自分の子と比較されるものは、自分の妹ではなく、自分の姪である。このことについて、わかりやすく示すには、次のモデルが考えられる。
「ミツバチではなく、別のハチを考える。このハチも、ミツバチと同様の原理である。ただし、このハチが産む個体数(= 産卵数)は、1000 ではなくて、たったの 10 である」
ここでは、1000匹のハチが、1匹の新女王バチ(= 妹)を育てる。ただし、新女王バチが産む個体数は、10 である。現世代では 1001 匹のハチがいるが、次世代では 10匹しかいない。百分の1だ。そのせいで、このハチは急速に個体数を減らしていく。最終的には滅亡する。
つまり、「血縁度が高いから」という理由で、「子よりも妹を育てる方が有利だ」という発想を取ると、とんでもない結論になるのだ。(濃度ばかりを考えて個数を考えないから。)
だから、考えるのであれば、「自分の子と自分の妹」を比較するのでなく、「自分の子と自分の姪」とを比較する必要がある。あくまで同じ世代で比較する必要があるのだ。
[ 付記3 ]
同様のことを典型的に示そう。たとえば、人間がこう考える。
「自分の子を育てるのと、自分の兄弟を育てるのとは、どちらが有利か?」
これに対して、「兄弟は半分の自分だ」という発想から、次の説が出そうだ。
「自分の子を一人育てるのと、自分の兄弟を二人育てるのとは、同等の効果がある」
実際、これを真顔で語った人がいる。次のように。
「二人の兄弟または八人の従兄弟のためであれば、自分の命を犠牲にしてもいい」
( → 自分の遺伝子 3 )
しかしながら、自分の兄弟をいくら助けても、子供を育てるのとは違って、世代交代にはならない。それでは、意味がないのだ。
たとえば、次のことを考える。
3人兄弟がいる。各人は、他の二人の兄弟を支援する。
AはB,Cを。
BはA,Cを。
CはA,Bを。
するとどうなる? この3人兄弟は、誰も子供を生まない。つまり、次世代が誕生しない。それでは、家系が絶えてしまう。そして、その種の個体がみんなそうすれば、その種は滅亡してしまう。
というわけで、「世代交代」という概念なしに、「兄弟を育てればいい」という発想をしても、そんな発想は無意味なのだ。
( ※ 特に、「二人の兄弟のためであれば、自分の命を犠牲にしてもいい」という発想は、滑稽である。仮に、三人の兄弟がいずれも そう思ったら、あるとき、三人とも「自分が死ぬ」と言い出すので、全員が死んでしまうだろう。……ほとんどジョーク。ここでは、個体は淘汰されるのではなくて、勝手に自分で自殺するわけ。生物としては最悪の行動だ。)
[ 付記4 ]
本項で述べたことに納得できない人がいれば、コンピュータでも使って(あるいは紙と計算で)、シミュレーションしてみるといい。
「働きバチの遺伝子はどのくらい残るのか?」
と。
たとえば、女王バチが千匹の働きバチを残す。そのうちの一匹だけに、有利な突然変異が起こったとする。その突然変異の遺伝子は、どうなるか? 働きバチが自分の子を産んだ場合と、妹育てという経路で遺伝子を残した場合とで、どっちが自分の遺伝子を残せるか?
自分の子を産んだ場合には、ごく普通になる。(子を千匹産むのでも、二匹だけ産むんでも、どっちでもいい。)
自分の妹を育てた場合には、自分の突然変異の遺伝子は、妹にはまったく伝わらない。これでは、いくら妹を育てても、意味がない。
( ※ 妹を育てることで有利になるのは、自分の遺伝子というよりは、母親の遺伝子である。母親に突然変異の遺伝子が発生した場合、その遺伝子は、働きバチとその妹の双方に伝わる。)
※ 以下は、関連する細かな話題。読まなくてもよい。
[ 補注1 ]
「無性生殖と有性生殖の混合」という特殊な生殖方法は、ミツバチのほかに、アリの仲間にも見出される。
[ 補注2 ]
「無性生殖と有性生殖の混合」という特殊な生殖方法は、昆虫以外の生物にもしばしば見られる。
たとえば、イソギンチャク。生殖のサイクルの途中に単為生殖がある、という生物は、けっこういろいろとある。
また、種の内部で何らかの単為生殖を保っている、という生物もある。たとえば、銀ブナ。
とにかく、「無性生殖と有性生殖の混合」という生殖形態は、広い生物の世界では、特に珍しくもない。先に「特殊な生殖方法」と述べたが、これは「基本的な2タイプからは逸脱する」というぐらいの意味であって、「それをやる生物種がめったにない」という意味ではない。
[ 補注3 ]
進化の過程では、「無性生殖から有性生殖へ」というふうに、一挙に一足飛びにジャンプしたわけではない。おおよそ、次の過程を取ったと推定される。
・ まず、1倍体(n)の無性生殖。
・ 次に、1倍体(n)の染色体が倍増する形で、2倍体(2n)の誕生。
・ 次に、2倍体(2n)の交配
ただし、無性生殖と有性生殖の間には、いろいろと途中段階があったはずだ。「接合」とか、「無性生殖と有性生殖の混合」とか。
とにかく、「無性生殖と有性生殖の混合」というものは、特に珍しいものでもない。本項でそういう概念を出したからといって、別に、著者が勝手なことを主張しているわけではない。
──
ともあれ、「自分の遺伝子を残すために」という発想では、「妹を育てる」または「不妊である」ということは説明しにくい。もっと別の理由が必要だ。その理由は、次項で説明される。
【 参考文献 】
ミツバチの生態を説明するページ(特に、新女王バチの誕生)
http://www.honeyworld.co.jp/story.html
http://www.3838.com/mitsubachi_park/lifestyle/hixtukosi.html
http://www10.plala.or.jp/kasuga3/insect/mitubati.htm
2008年01月25日
過去ログ
>カブトムシやカマキリやトンボのような、大型化した昆虫とは異なる。
>( ※ なお、ハチというのは、進化の歴史で、羽アリが大型化したものだ、
>というふうに考えられなくもない。たがいに近縁な生物種と考えられる。)
完全変態の膜翅目(ハチ,アリ)が不完全変態のカマキリやトンボよりも「下等な部類」とは随分ユニークな発想ですね
(「ハチというのは、進化の歴史で、羽アリが大型化したものだ」というのもなかなか破壊力のある珍説ですが……)
この人の頭の中では「進化=大型化」なんでしょう
いわゆる「高等」や「下等」というのは祖先生物の形質(原始的形質)をどれだけ保持しているかという相対的なもので,
有利や不利とは関係ない話なんですが,
「下等だから不利」という発言を繰り返していることからして,
どうやら本気で根本的な勘違いをしているんでしょう
>「無性生殖と有性生殖の混合は、純粋な有性生殖に比べれば、無性生殖が
>混じっていることになる。その分、下等な生物の性質が混じっていることになるので、不利なのだ」と。
>血縁度が高いということは、その生物が無性生物のように下等であるということを意味している。
>普通の有性生物よりも、細菌に近いということを意味している。そんなことは、羨むべきことではない。
>進化の度合いを下げてまで、自己複製の度合いばかりを高めたければ、その人は細菌になってしまえばいいのだ。
>とにかく、血縁度が高いということは、有利なことではないのだ。
また,「細菌に近い 」発言からして,「無性生殖」という語についても,
発生生物学上の定義(配偶子が関係しない生殖様式の総称)と
進化生物学上の定義(作られた子の遺伝子が親とまったく同じになる生殖様式の総称)がゴッチャになっていますね
ミツバチの「単為生殖」は進化生物学上の定義では「無性生殖」ですが,発生生物学上の定義では「有性生殖」で,
どちらの定義でも「無性生殖」となる細菌の「分裂」とはまったく異なる現象です
私はそういう意味で使っているんじゃないんですが、詳しい解説をすると面倒なので、省略します。だいたい、これは話の本筋とは関係のない余談です。余談をつまみ食いして、揚げ足取りをするのには、付き合っている暇がありません。あしからず。
高等か下等かというのは、論旨とは全然関係ない話です。こういうネチネチした反論に対処するのは、時間の無駄なので、スルーします。
> まったく異なる現象です
当り前でしょ。そんなこと。いちいち鬼の首でも取ったかのように指摘しないでください。誰だって知っていることなんだから。
高校生レベルの生物学の知識はある、ということを前提として書いています。いちいち解説しません。あしからず。
>こういうネチネチした反論に対処するのは、時間の無駄なので、スルーします。
でもね
「下等な生物の性質は不利なのだ」という誤った説明を
延々と繰り返しているのは南堂さんの方でしょ
>高校生レベルの生物学の知識はある、ということを前提として書いています。
南堂さんは高校生レベルの生物学の知識を明らかに欠いています
そうでなければ,
「ハチは、羽アリが大型化したものだ」なんて恥ずかしい説明はできませんよ
アリが生殖個体以外で翅を欠いているのは進化的(特化的)形質です
アリ科はスズメバチ上科に含まれ,スズメバチやベッコウバチはミツバチよりもアリ類に近縁ですから,
いわゆる「ハチ」(膜翅目に属する昆虫のうちアリ科を除いたものの総称)というのはtaxonとしては無効です
ところが南堂さんは高等なアリ類から原始的なハチ類へ進化したと定説と逆の説明をしていますし,
そもそも「アリ」に対する「ハチ」をtaxonとみなしているという点でも誤りです
高校生レベルの誤りはまだあります
>進化の過程では、「無性生殖から有性生殖へ」というふうに、
>一挙に一足飛びにジャンプしたわけではない。おおよそ、次の過程を取ったと推定される。
>・ まず、1倍体(n)の無性生殖。
>・ 次に、1倍体(n)の染色体が倍増する形で、2倍体(2n)の誕生。
>・ 次に、2倍体(2n)の交配
>ただし、無性生殖と有性生殖の間には、いろいろと途中段階があったはずだ。
>「接合」とか、「無性生殖と有性生殖の混合」とか。
両性生殖(2倍体(2n)の交配)はミツバチの単為生殖(1倍体(n)の無性生殖)
のような段階を経て進化したわけではありませんね
逆に,単為生殖は両性生殖から二次的に進化したというのが常識です
つまり,単為生殖は両性生殖よりも進化的であり,
単為生殖を両性生殖よりも原始的であるとみなす南堂さんの説は誤りです
高校の「生物」では「単為生殖は有性生殖の一種である」と習いますが,
これは,前述のように,発生生物学や細胞学上の定義にしたがったものです
卵細胞という配偶子から発生する以上,単為生殖は有性生殖の一種ですし,
両性生殖を行う生物から進化したという説明の方が妥当でしょう
進化生物学では有性生殖の進化的意義を論じる上で,
クローン生殖である単為生殖は「無性生殖」に含める
(というか「単為生殖」を「無性生殖」の代表のように扱う)んですが,
もちろん,両性生殖から単為生殖が進化したことは大前提であり,
どのような条件で単為生殖が進化するのかというのも進化生物学上のテーマになっています
南堂さんの「推定」は生物学の常識に反していますし,裏づけとなる根拠はありませんね
──
> 不利なのだ
だからね。「不利」という言葉は、ダーウィニズムにおける「不利」という用語とは全然違うんですよ。わかりませんか? 自己流の解釈にこだわらず、相手の意図に沿ってください。あなたは「ダーウィン流の解釈が正しい」と前提しているから、その原理の上で他人の主張を読んで、「間違っている」と論じているわけです。
「自分の主張は正しい。他人の主張は自分の主張とは違う。ゆえに他人の主張は間違っている」
こういう馬鹿げた論議はスルーしたいんですよね。
だいたい、自分で、この低レベルの議論に気がつきませんか? いったい何を論じているつもりなんだか。
> 「ハチは、羽アリが大型化したものだ」なんて恥ずかしい説明
ま、このあたりは、私もアリについての知識の自信がなかったので、断言してはいません。「そういう考え方もできる」というふうに、ぼかして書いています。
ま、その考え方が不適当であれば、削除しましょう。しかしねえ。どうせ書くにしても、まともな大人としての書き方ができませんか? 私は別に断言しているわけじゃないんですが。社会性、あります?
> 単為生殖は両性生殖から二次的に進化したというのが常識です
> つまり,単為生殖は両性生殖よりも進化的であり,
1行目は正しいが、2行目は正しくない。
哺乳類の胎生が、ミツバチの単為生殖より非・進化的、ということはないでしょう。
あなたはあえて相手を攻撃するために、特別な解釈をしているだけです。なるほど、そういうふうにあえて曲解すれば、そういう非難も可能ですがね。私の意図がそういうことではない、ということぐらい、理解できませんか?
人類が単為生殖で産まれるはずもないし、ミツバチが胎生で産まれるはずもない。そういう意味で語っているのに、あえて曲解する必要もないでしょう。あなたの生きがいは他人の文章をあえてねじ曲げて理解して、他人を攻撃して喜ぶことだけ。
付き合うだけ、時間の無駄。
そもそも、論議になっていない、ということが、わかりませんか? あなた流の独自の読解は、私の意図した読解とは違う。あえて言葉尻をとらえて、相手を攻撃することに熱中する。だから、「相手が何を言っているか」と言うことには、まったく関心がない。ただ言葉尻をとらえて攻撃することだけに熱中する。
> 単為生殖は有性生殖の一種ですし,両性生殖を行う生物から進化したという説明の方が妥当でしょう
そんなの、当り前。私はそれに反することを述べているのではない。勝手にねじ曲げて読まないでください。
そういうのは、社会性のない人の立場です。以後は、ゴミ箱行き。
サイトの記述に何らかの不正確さがあった場合には建設的な態度で指摘すること,妥当な指摘について攻撃だなどと短絡的に受け取らない寛容さが肝要ではないかと。
了解しました
反論があれば,以後はこちらにお願いします
>ミツバチの利他的行動@南堂久史
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1202047787/
(5) 不妊の妹を増やしても無駄
を加筆しました。
タイムスタンプは 下記 ↓
http://openblog.meblog.biz/article/2224374.html
Google で検索しても、同じページがすぐに見つかる。
なお、下記も参照。
http://openblog.meblog.biz/article/2239076.html
(2)『とにかく、血縁度が高いということは、有利なことではないのだ。生物として下等であるということを意味するのだから。』の主張は元々管理人さまが人間が高等であると考えているためにでたもので、血縁度の高低とは関係がないように思います。
血縁度が低いことは生物として高等ですか?
(7)
『具体的に例示しよう』の計算が生物学的におかしいと思います。
1匹の妹を育てた場合と複数の自分の子を育てた場合を比較しています。しかし、働き蜂が複数の子を作れるのであれば、女王も複数の子を作れると考えるのが妥当で、子の数を同数にして比較しなければ行けないと思います。
付記1
管理人さまは、以下の計算で示すように、利他行動が生じない条件の例を出しています。
ハミルトン側で利他行動が進化する条件は
(血縁度)×(利他行動による血縁個体の適応度の増加)-(利他行動のコスト)>0
である。ここで、適応度=子の数であるとする。
このとき、働き蜂が2匹の子を産めるとしているので、(元々の子の数)=2とおける。次に、利他行動により女王を助けるとすると、子が産めなくなるため(利他行動のコスト)=2とする。
次に、助けを受けた新女王についてみてみる。適応度の増加は(姪の数)-(元々の子の数)=(姪の数)-2であるが、新女王が1匹だったことから姪の数も同じく1匹であるとする。この時(利他行動による血縁個体の適応度の増加)=(姪の数)-2=1-2=-1となる。
これらを上の不等式の左辺にあてはめると、常に0より小さくなり、利他行動は進化しない。
付記2
そもそも最初の1000個体がどこから来たのかが不明です。元の女王が産んだのであれば、10個体しか埋めない新女王は有害な突然変異が生じているため、このような変異は消えて当然です。
ここでは生殖方法を比較しています。(個体レベルの比較ではない。)
基本的には無性生殖の100%と有性生殖の50%という区別だけがあります。この両者を比較した場合には、明らかに後者の方が高等です。
なお、それ以外の比較は無意味です。
> 1匹の妹を育てた場合と複数の自分の子を育てた場合を比較しています。しかし、働き蜂が複数の子を作れるのであれば、女王も複数の子を作れると考えるのが妥当で、子の数を同数にして比較しなければ行けない
どっちにしたって大差ないですよ。
(A)1000匹の働きバチがただ1匹の新女王バチを育てて、その新女王バチが1000匹を産む
(B)1000匹の働きバチがそれぞれ1000匹を産む (有性生殖)
この両者を比べれば、後者の方が1000倍も多くなります。
> ハミルトン側で利他行動が進化する条件は
> (血縁度)×(利他行動による血縁個体の適応度の増加)-(利他行動のコスト)>0
それはハミルトンの説であり、私の説ではありません。私の説は、ダーウィンの説と同じで、「適者生存による進化」だけです。
> [ 付記2 ]
> 10個体しか埋めない新女王は有害な突然変異が生じているため、このような変異は消えて当然です。
それは自然淘汰による淘汰ですから、消滅するには長い時間がかかります。数千年〜数万年ぐらいの。
一方、本項で示したのは、「1000個体が10個体へと1世代で激減する」という急激な減少です。これだと、数世代で滅亡状態になるでしょう。
両者は別の話です。
──
p.s.
郭公さんは、頭は悪くはないんだろうけど、今回のやりとりを見る限りは、すごく馬鹿に見えますよ。相手の言っていることを理解できず、自己流に勝手読みしている。自分で勝手に誤読した妄想を想定して、その妄想を批判している。いわゆる「藁人形論法」というやつ。それというのも、相手の言うことをきちんと理解できていないからです。
これは NATROM さんがよくやる仕方です。
いずれにしても、「相手を攻撃してやろう」という意識ばかりが強いから、相手の主張を素直に読むことができない。何とか粗探しをしてやろうとばかり思っているから、勝手読みして、ありもしない粗を無理やり見出す。本人が言ってもいないことを「きっとこういう意味で言ったのだろう」と勝手に曲解して、それで鬼の首を取ったつもりになって、鼻高々。
しかしそれはすべてあなたの誤解ゆえの妄想なのです。誤読する前に、「相手が何を言おうとしているか」を、きちんと虚心坦懐に理解するように努めましょう。「相手は間違ったことを言っているんだ。言っていることは支離滅裂なんだ」という前提で読もうとはせずに、「相手は正しいことを言っているんだ。言っていることは筋の通ったことなんだ」という前提で読むようにしましょう。そうすれば、誤読して見当違いの批判をすることがなくなります。
それでしたら、ここで血縁度の話を持ってくるのはますます不適当でと思います。血縁度は無性か有性かだけでなく、繁殖方法によっても変化しますので、
『それはハミルトンの説であり、私の説ではありません。』とおっしゃいますが、(7)、付記1および付記2はハミルトンの説を否定するためにお書きになったのではないのですか?
(7)には『以上からわかるだろう。(中略)その場合には、確かに、血縁淘汰説のとおりになる。 しかし、有性生殖の生物で、(後略)』、付記1には『特に、「子でなく(中略) 妹を育てるのだ」と考えるのは、ナンセンスである。』と書かれており、ハミルトンの説や血縁淘汰説がなりたたない場合について言及されているように思えます。
しかしながら、上で示しましたように、これらは血縁淘汰説などを否定できるものではありません。
あくまで余談の扱いですから、具体的に論じることがそもそも不適当です。話の本筋とは関係ありません。発想の関連と思って、「ふーん」と読み流すだけで十分。反論をするのは見当違い。
> (7)、付記1および付記2はハミルトンの説を否定するためにお書きになったのではないのですか?
違います。ハミルトン説を正面から否定しているわけではありません。(正面から否定しているのは 37.5%の箇所だけです。)
(7)、付記1および付記2は、ハミルトンの説を否定しているのではなく、ハミルトン説には欠けている視点を示しています。「あなた、このことを忘れているよ」というふうに。
> しかしながら、上で示しましたように、これらは血縁淘汰説などを否定できるものではありません。
否定しているのではなく、「大事な点を忘れているから、その説は成立しないよ」と述べています。成立させたければ、(7)、付記1および付記2を考慮して、補正することが必要です。それで初めて、学説として完成します。
つまり、
(A) (血縁度)×(利他行動による血縁個体の適応度の増加)-(利他行動のコスト)>0
(B) (7)、付記1および付記2
この両者を合わせて、学説として完成します。
ここで、(B)は (A)を否定しているのではなく、欠けた点を補足しています。
※ ただし、以上の用意して学説を完成したとしても、37.5%のことによって、学説は否定されます。これは明らかに「否定」です。
ただし、学説を否定する主体は、(B)ではなくて、37.5%のことです。(B)はあくまで、欠けた点の指摘です。