2008年01月23日

◇[補説] ミツバチの利他的行動 1

 ミツバチは「利他的行動」をなす。すなわち、自分のを育てるかわりに、自分のを育てる。こういう利他的行動は、「個体は利己的にふるまう」というダーウィン説に反する。
 このことは不思議に思える。そこで、この問題を解決したのが、血縁淘汰説と利己的遺伝子説だ。
 この二つの説を紹介する。(よく知られた話。) ──

 本項では、血縁淘汰説と利己的遺伝子説の成果を紹介する。特に、ミツバチの利他的行動という例で。

 歴史的に見よう。
 最初に、ダーウィン説があった。この説は、「個体の自然淘汰」(個体淘汰)という発想を取る。次のように。
 「個体は、利己的にふるまうと、生存競争で優勝劣敗が起こる。その結果、優れた個体の数が増える」

 この発想(個体淘汰)によって、たいていの形質や行動を説明できた。しかしながら、子育てという行動を説明することはできなかった。子は親にとっては他者である。なぜ親は(自己にとって他者にあたる)子の利益を増やそうとするのか? 

 そこで、次の解釈が出た。
 「親が子を育てるのは、子を増やすことが親の利益になるからだ」
 これは、なんだかこじつけみたいな感じがする。いかにも後付けの理論である。が、とりあえずはこれで形式的には、子育ての理由を説明できた。

 しかし、それでもなお、これでは説明しきれない現象が見られた。それはミツバチやリカオンの行動だ。いずれも、自分の子を育てずに、自分の姉妹や兄弟を育てる。これは、自分の利益にもならず、自分の子の利益にもならない。その意味で、「利他的行動」と見なされる。

 具体的に示そう。ミツバチでは、次のことがある。
 「女王バチは、自分の子を産むが、働きバチは、自分の子を産まない。働きバチは、自分の子を産むかわりに、自分の妹を育てる」

 ここで、自分の妹というのは、母である女王バチが産んだものもので、母と父が同じだから、自分の妹ということになる。
 さて。先に、
 「親が子を育てるのは、子を増やすことが親の利益になるからだ」
 という解釈を示した。しかし、働きバチが妹を育てることについては、この解釈では済まない。
 「自分の子を育てることが自分の利益になる」
 という説明では、「子を育てること」は説明できても、「妹を育てること」は説明できない。
 こうして、ダーウィン説は壁にぶつかった。ミツバチの「利他的行動」という形で。

 ──

 ここで登場したのが、ハミルトンだ。ハミルトンは、「血縁度」という概念を新たに導入した。血縁度とは、単純に言えば「血の濃さ」である。具体的には、「共通する遺伝子の量」である。
 各個体の遺伝子の共通部分を数値化して、「共通する遺伝子の量」をとらえた。これを「血の濃さ」つまり「血縁度」と見なして、次のことを結論した。
 「自分の子を育てなくても、自分の妹を育てれば、同じ血(共通遺伝子)を残すことになる。だから、同じことだ」
 と。
 通常の親子関係では、「自分の子を通じて遺伝子を残す」というふうにするのだが、ミツバチの場合は、「自分の子を通じるかわりに、自分の妹を通じて、自分の遺伝子を残す」というふうになる。つまり、迂回する形で、遺伝子を残す。どっちみち、遺伝子を残すことになるから、それはそれでいいのだ……と考えるわけだ。
 こうして、「個体は遺伝子を残すのが目的だ」という発想(つまり「遺伝子を残す個体が存続する」という発想)で、ミツバチの利他的行動を説明できたことになる。
( ※ なお、「あくまで個体を中心に発想している」という点に注意。遺伝子を中心に発想しているドーキンスとは異なる。)

 ──

 もう少し学問的に細かく説明しよう。
 ハミルトンの説では、「共通する遺伝子の量」(血縁度)が計算される。その詳細は、次の通り。

 ミツバチでは、メスは染色体が 2n だが、オスは n である。(なぜなら、オスは「単為生殖」で産まれるからだ。通常の有性生殖の場合に比べて、染色体は半分しかない。)
 さて。女王バチと働きバチの関係は、親と子(母と娘)である。また、女王バチと新女王バチの関係も、親と子(母と娘)である。一方、働きバチと新女王バチの関係は、姉と妹である。
 働きバチは、自分の子を育てずに、自分の妹である新女王バチを育てる。それは、なぜか? ハミルトンは、「共通する遺伝子の量」を調べた。

 (i) 女王バチと働きバチなら、その関係は親子関係だから、共通する遺伝子は 50% である。この点は、普通の有性生殖と同様である。(詳しく言うと、働きバチの遺伝子では、 2n のうち、半分の n は母親由来で、半分の n は父親由来である。母親由来の n の分だけが、母親と共通する。だから、母親と共通する遺伝子は 2n のうちの n で、50% である。残りの 50% の n は父親由来である。)
 (ii) 女王バチと新女王バチなら、やはり通常の親子関係と同様である。したがって、共通する遺伝子は、 50% である。
 (iii) さて。働きバチと新女王バチなら、どうか? その関係は、親子ではなく、姉妹関係である。では、共通する遺伝子は? 母親由来の分は 2n のうちの n だが、 2n のうちの どちらの n になるかは半々の確率だ。だから姉妹間では、母親由来の分( n )が共通する確率は 50% だ。一方、父親由来の分( n )は、オスが単為生殖なので、必ず同じ遺伝子になる。同じ父親をもつ姉妹は、父親由来の遺伝子( n )が必ず同じである。つまり、父親由来の遺伝子が共通する確率は 100%だ。まとめると、
  ・ 母親由来の分( n ) …… 共通する確率は 50%
  ・ 父親由来の分( n ) …… 共通する確率は100%

血縁度の図

 ここで、 50% と 100% の平均を取ると、75%となる。(母親由来と父親の合計を見たときの値。)つまり、
 「ミツバチの姉妹間では、共通する遺伝子の割合は 75% となる」

 こういう結論が得られた。(働きバチと新女王バチ。)


 さて。働きバチが他のオスと交配して、自分の子を産む場合を考えよう。(そんなことはないのだが、あったと仮定する。)その場合、働きバチと自分の子との関係は、親子関係だから、遺伝子が共通する割合は 50% である。一方、働きバチが自分の妹を育てた場合には、自分の遺伝子を残す割合は 75% である。(前述。)
 つまり、働きバチは、自分の子を産んで育てるよりも、自分の妹を育てる方が、自分の遺伝子を残せる割合が大きい。(!)
 だからこそ、働きバチは、自分の子を産んで育てるかわりに、(自分の子を産まずに)自分の妹を育てるのだ。実際、それで、(自分の子を産んで育てるよりも)自分の遺伝子をたっぷりと残せるのだから、それでいいのだ。

 こうして、ハミルトンは、「血縁度」という概念を導入することで、ミツバチの利他的行動を、見事に説明した。
    ( ※ 「血縁度」「適応度」「包括適応度」という、似た概念・用語がいくつかある。これらの違いについては、Wikipedia を参照。/ 簡単に言うと、血縁度という概念は、遺伝子淘汰という概念の生じた初期のころから、フィッシャー、ホールデン、シュワール・ライトなどによって提唱された。それをさらに同種全体まで拡張して、「包括適応度」という概念を取ったのがハミルトンである。彼はこのとき「遺伝子集合淘汰」に近い発想を取っている。)[ …… この箇所、コメント欄の指摘を受けて、全面的に書き直した。元の文章では、「血縁度」「適応度」「包括適応度」を同等のものであると誤解されそうな文章だった。それはまずかった。]
    ( ※ Wikipedia にも記述があるように、適応度の本来の概念は、「ある生物個体がその生涯で生んだ次世代の子のうち、繁殖年齢まで成長できた子の数」というものであった。ここには「次世代」という概念が含まれている。このことに注意。このことはあとで重要な問題を引き起こす。)

 ──────────────────────────
 
 さて。ハミルトンの説は、ミツバチの利他的行動を説明したが、それで万事オーケーかというと、そうでもない。これはあくまで「仮説」にすぎなかったのだ。真実というよりは、真実かどうかわからない眉唾の仮説である。
 比喩的に言うと、これは、物理学の「ローレンツ収縮」にあたる。その仮説で、うまく物事を説明できるし、事実に合致する。だが、いかにもとってつけたような仮説であって、信頼性がない。その仮説は、たしかにミツバチの利他的行動を説明するが、ミツバチ(など)の利他的行動を説明するための専用の仮説であって、一般性がなかった。
 たとえば、普通の個体保持(獲物を捕ること)などは説明できなかった。ある行動については「個体の利己主義」で説明し、ある行動については「血縁淘汰説」という特別な仮説で説明する。そこには、統一性がない。
 これでは、いくらうまく行っても、いかにもご都合主義に思える。

 ──

 ここで登場したのが、ドーキンスだ。彼はまさしく、物事を統一的に説明した。すなわち、一般的な個体維持の行動(利己的行動)も、ミツバチにおける妹育ての行動(利他的行動)も、また、親子間における育児の行動も、すべてを統一的に説明した。
 そのために、
 「利己的な遺伝子」
 という発想を導入した。その内容は、先に「◇ 利己的遺伝子の意味」という項目で説明したとおり。
 つまり、
  ・ 「自己複製は利益だ」
  ・ 「遺伝子は自己の利益を増すために行動する」

 という二つのことを根本として、
 「遺伝子が自己複製するように、個体は行動する」
 という結論を得た。この結論を採ると、このただ一つの結論から、さまざまなことが統一的に説明されるようになった。
 具体的には、次の通り。
  ・ 個体が餌を取るのは、そのことで遺伝子が増えるからだ。
  ・ 親が子を育てるのは、そのことで遺伝子が増えるからだ。
  ・ 働きバチが妹を育てるのは、そのことで遺伝子が増えるからだ。

 このすべてに共通するのは、「個体は遺伝子を増やすために行動する」ということだ。これは「個体は遺伝子の乗り物である」とも表現された。
 ここで、「個体は遺伝子の乗り物である」とも表現は、一見、奇妙でおかしな主張であると思われた。それでもとにかく、この発想を取ることで、物事はすべて統一的に説明された。上記のように。
 それだけではない。ドーキンスの説によると、「利他的行動」だけでなく、「共進化」という現象も、うまく説明された。

 こうして、さまざまな現象がすべて統一的に説明されるようになった。しかも、そのために必要だったのは、ごく単純な当り前ふうの二つの原理だけだった。つまり、二つの単純な原理から、生物のさまざまな行動をすべて統一的に説明することができるようになったのだ。それゆえ、ドーキンスの説は、科学的で説得力のある説だと見なされた。
 こうして、利他的行動専用の「血縁淘汰説」よりも、はるかに信頼性のある学説が登場したことになる。(たとえ利他的行動については、血縁淘汰説とまったく同じ内容だとしても、その信頼性がまったく異なるわけだ。ローレンツ収縮と相対論ほどの差がある。)


 ──────────────────────────


 さて。
 ハミルトンの説やドーキンスの説を聞いて、あなたはどう感じただろうか?
 「なるほど、すばらしい説明だ!」
 と感じたなら、あなたは詐欺師に引っかかる性格をしている。口先巧みな弁舌にあっさりと引っかかるタイプだ。
 一方、逆に、
 「うまいこと言ってやがるが、どこかおかしいぞ。こいつ、口先で人をだまそうとしているな」
 と怪しむようなら、あなたは詐欺師に引っかからない性格をしている。怪しい論理を怪しいと直感する、物事の核心を察する直感力が冴えている。

 ま、ドーキンスの説なら、「個体は遺伝子の乗り物だ」というのがいかにも嘘っぽいから、「こいつは変だな」と直感する人も多いだろう。
 しかし、ハミルトンの説だと、数字ばかりがやたらと並ぶので、どこにもゴマ化しはないように感じられて、「なるほど、すばらしい論理的な説だ」と感嘆する人も多いだろう。……そして、そういう人は、数字のペテンにあっさりと引っかかるタイプだ。
 一般的に、数字ばかりを信じて、「どこか変だぞ」と気づく直感がないと、あっさりだまされるものだ。

 次項では、どこにどういう問題があるかを、具体的に説明しよう。本項ではとりあえず、二つの説を紹介しておいた。
( すでに世間では広く知られた話である。本項を読む前から知っている人も多いだろう。とりあえずは、次項の説明の前の、前フリだと思って、整理のつもりで読んでおいてほしい。)



 ※ 以下は、細かな補足。

 [ 付記1 ]
 二つの説のうち、肝心の本体部分は、ハミルトンの説である。
 ドーキンスの説は、ハミルトンの説に根拠を与えるものだ。…… つまり、「なぜ血縁淘汰説が成立するか」という根拠を。「なぜ個体は血縁度を高めようとするのか」ということを。
 だから両者は、
   「ドーキンスによる根拠づけ」+「ハミルトンによる詳細」

 というふうに合体した形で、ようやく学問的な重みをもつようになる。

 [ 付記2 ]
 ハミルトンやドーキンスが示したのは、「利他的行動」の根拠である。
 ここでは、遺伝子淘汰の概念を利用しているが、説明そのものは動物行動学の説明である。遺伝子淘汰集団遺伝学の話ではない。勘違いしないように。
 ここでは、遺伝子の増減についての話もあるが、それは、話題というよりは、ただの論拠にすぎない。間違えないでほしい。

 [ 付記3 ]
 利己的遺伝子説では、「個体は遺伝子を増やすために行動する」と述べる。このことは、遺伝子淘汰説ないし集団遺伝学を単に比喩で表現しただけだ、というふうに解釈することできる。
 そこでドーキンスは、このレトリックをしばしば用いた。そのせいで、このレトリックに引っかかってしまう人も続出した。
 しかし、それは、ドーキンスが自己正当化のために持ち出したレトリックであって、本当は嘘である。ドーキンスの概念には、「行動」という概念が含まれているが、遺伝子淘汰説や集団遺伝学には、統計項目としての「形質」という抽象的な概念はあっても、「行動」という現実世界の概念はない。

 [ 付記4 ]
 ドーキンスは、「私の説は正しいのです」と示すために、さまざまな論理的なペテン(レトリック)を用いている。「これはただの比喩です」と繰り返したのもその一つだが、なかでも最高のペテンは、「利己的」という用語だろう。これがひどいペテンであることは、数日後の項目(ミツバチ・シリーズの直後)で示す。聞いてびっくり玉手箱、というようなペテンを暴露するので、乞う、ご期待。

( ※ 次項では、まず、核心部分での学術的な難点を指摘する。)

 → 次項
posted by 管理人 at 21:26| Comment(2) |  生命とは何か | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『「血縁度」は、ハミルトンの用語では、「包括適合度」という。』の意味が分かりません。

Inclusive fitness=包括適応度は
(包括適応度)=(ある個体の適応度)-(利他行動のコスト)+(血縁度)×(利他行動による血縁個体の適応度の増加)
と定義されます。
包括適合度=Inclusive fitness=包括適応度であるとすると、 血縁度と包括適合度はあきらかに別のモノであるはずですが、管理人さまの書き方ではあたかも同じものであるように思われます。
Posted by 郭公 at 2013年07月13日 15:58
> by 郭公

 ご指摘ありがとうございました。ご指摘をうけて、本文を修正しました。
Posted by 管理人 at 2013年07月15日 22:12
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ