2008年01月09日

◆ 酒酔い運転の意味


 酒酔い運転をして轢き逃げをした犯人がいる。彼はこのたび裁判所で、「酒酔い運転ではない」と認定された。この事件をめぐって、酒酔い運転の本質を論じよう。
 酒酔い運転とは、何なのか? 泥酔して、正常に運転操作をすることができなくなることか? ──

 まず、記事を引用しよう。
 裁判長は八日、危険運転罪の成立を否定し、脇見による前方不注視が原因とする業務上過失致死傷罪を適用、懲役七年六月を言い渡した。業過致死傷の併合罪では最高刑。
 判決理由で川口裁判長は、最大の争点だった今林被告の酔いの程度について「高度に酩酊(めいてい)した状態ではなく、アルコールの影響により正常な運転が困難な状態だったとは認められない」と認定。
 今回、検察側は飲酒量や目撃証言、衝突直前まで被害車両に気付かなかった運転状況などを示し「アルコールの影響は明らか」と主張。しかし判決は、被告の事故前後の運転状況や飲酒検査結果から「酒気帯び」とした警察の判断などから、危険運転致死傷罪にはあたらないと判断した。
 ただ、危険運転致死傷罪の適用要件となる「故意」の立証は内心にかかわる問題で、立証の困難さが指摘されている。また同罪の適用基準はなおあいまいだ。
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008010802077927.html
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 裁判長は、今林被告が運転を始めた時、「酒に酔った状態にあったことは明らか」としながらも、〈1〉スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった〈2〉事故直前、被害者の車を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切った――ことなどを重視し、「アルコールの影響により、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない」と判断した。その上で「景色を眺める感じで脇見をしていた」とする今林被告の供述の信用性を認め、事故の原因については「今林被告が漫然と進行方向の右側を脇見したことにあった」と結論づけた。
 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08010852.htm
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 裁判長は、最大の争点だった今林被告の酔いの程度を「高度に酩酊(めいてい)した状態ではなかった」と認定、「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態だったとは認められない」と判断した。
 http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008010802077931.html
 ──

 ここでは、酒酔い運転の定義が問題だ。裁判所も検察も、酒酔い運転を、次のように定義している(はずだ)。
 「泥酔して、正常に運転操作をすることができなくなること」
 そして、このことが否定されたので、「酒酔い運転ではない」という結論が得られた。
 なるほど、その定義が正しいのであれば、この運転者は酒酔い運転をしていたことにならない。
 ただし、問題は、その定義だ。本当に、その定義は正しいのか? 

 ──

 さらに引用しよう。
 事故後に被告から検出された呼気一リットル中のアルコールは〇・二五ミリグラムで、酒気帯びと認定された。この数値は、弁護側が「正常な運転ができないほどは酔っていなかった」と危険運転を否認する大きな柱となった。
 しかし被告は検知直前に〇・五−一リットルの水を飲んでおり、検知を行った警察官は法廷で、被告が一回の呼吸で膨らませるべき風船を二回吹いたことや、酒酔いと酒気帯びを区別する歩行テストを怠ったことなどを証言。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008010802077922.html
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 ビール1缶(350ミリリットル)と焼酎ロック9杯(540ミリリットル)を飲んだ。
( 読売・夕刊 2008-01-08 )
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 被告は居酒屋などで約4時間も酒を飲んで車を運転した。判決も「起こすべくして起こした事故」と指摘している。
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080108ig91.htm
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 警察官による検知が酒気帯びだったというのも、事故から1時間近くたってからのことだ。その間に元市職員は現場から逃げ、水を大量に飲んでいた。
 http://www.asahi.com/paper/editorial20080109.html
 ここでは、水を飲んで、証拠湮滅を図って、0.25 という値にした、ということ(証拠隠滅罪のようなこと)がある。裁判所はこれを基準にして「酒酔い運転ではなく酒気帯び運転だ」と判決を下した。しかし、本当は、そんなことはたいして意味はないのだ。
 検査時の呼気がどうか、が問題なのではない。「ビール1缶(350ミリリットル)と焼酎ロック9杯(540ミリリットル)を飲んだ」ということが決定的に重要である。これを基準にして、決定するべきなのだ。裁判所の認定基準は、完全に非科学的である。
( ※ そもそも、「チェック」のための道具である「酒気検出の値」を、罪の有無の基準に用いる、というのがおかしい。「殺人チェックカメラに写らなかったから無罪」というようなもの。チェック機にかかるかどうかだけで認定している。犯罪事実の有無について論じていない。)

 ──

 いよいよ核心を論じよう。
 酒酔い運転とは、何か? 前述のように、
 「泥酔して、正常に運転操作をすることができなくなること」
 なのか? 違う。これが間違いなのは、裁判所の判決理由を読んでも、すぐにわかる。
 別の記事では、「被告は店で酒を飲んだあともちゃんと歩いていた」という記述があり、これを持って裁判所は「泥酔していなかった」と論じている。しかし、私の体験からして、メロメロに酔っ払っていても、ちゃんと歩けるものだ。顔は真っ赤で、目を開いているのも困難で、今にもぶっ倒れそうなほど、酔っ払ったことがある。しかし、それでも、ちゃんと歩けた。つまり、酔っ払うと歩けない人もいるが、酔っ払ってちゃんと歩ける人もいるのだ。「歩けるかどうか」ということだけで、「泥酔しているか否か」を決めることはできない。
 仮に、「歩けるか否か」を基準にするのであれば、私は、「大酒を飲んで歩ける」という状態と「大酒を飲んで眠る」という状態の二通りしかないから、私はいくら酒を飲んでも酒酔い運転にならないはずだ。つまり、酒酔い運転というものは(私に関しては)存在しないことになる。
 また、判決理由では、「スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった」ということをもって、「酒酔い運転ではない」と論じている。だが、この場合も、同様だ。「酒を飲んで運転できなくなる」(自損事故を起こす)という水準に至らなければ、「酒酔い運転ではない」ということになるのだから、運転できる限り、酒酔い運転というものは存在しないことになる。(運転できなくなるほど酔えば、酒酔い運転ではない。運転できる限りは、裁判所が「酒酔い運転ではない」と認定する。)
 要するに、判決は、「この世には酒酔い運転は存在しない」と主張しているのも同然である。比喩的に言えば、「殺人」というものを勝手に定義して、「この世には殺人は存在しない」と主張したあげく、あらゆる殺人犯を免罪にするようなものだ。(すべて過失致死にするわけだ。理由は「殺意」というものが「殺意測定器」で検出されなかったから。)

 ──

 以上から、わかるだろう。
 「泥酔して、正常に運転操作をすることができなくなること」
 は、酒酔い運転の定義としては、ふさわしくない。すなわち、この定義に合致するかを論じた裁判所と検察は、いずれも非科学的である。


 では、科学的には? そのことは、ネットを調べれば、すぐにわかる。
 酒酔い運転とは、何か? 「正常に運転操作をすることができなくなること」ではない。正常に運転操作をすることはできるのだが、「正常に危険回避運転ができなくなること」である。

 たとえば、アクセルを踏んで、まっすぐに運転して、最後にブレーキを踏む。……このくらいなら、酔っ払っていても、可能である。
 しかし、横から急に自動車が現れて、そちらに気を引かれて、目の前にいる道路脇の歩行者に気づかなくなり、歩行者をはねる……というようなことが起こる。こういうふうに、危険回避運転ができなくなるのが、酒酔い運転の特徴だ。

 ──

 では、それは、どこから来るか? 
 「神経活動の全般的な低下」
 から来る。その典型的な例は、
 「視野が狭くなる」
 ということだ。視野の周辺部で、人が現れたり、看板が現れたり、自動車が現れたり、光が点滅したりするとしよう。通常ならば、それに気づく。しかし、酒酔い運転をしていると、視野の中心部だけに意識が集中して、視野の周辺部が無視されてしまう。
 このことは、NHKの科学実験で、まざまざと明示された。たったのビール1杯を飲んだだけで、本人は少しも酔っ払っている自覚がないのだが、それでも、「視野の周辺部におけるライトの点滅に注意する」というテストでは、ライトに気がつく回数が激減していた。つまり、「見ているつもりでも、見えない」という状況になる。

 ──

 今回の事故でも、まさしくそのことが明示されている。
 「景色を眺める感じで脇見をしていた」
 とする被告の供述があったそうだが、これこそまさしく、酒酔い運転の特徴だ。「脇見をしていた」というのは、「視野周辺部が見えない」ということだ。被告はまさしく自分が「酒酔い運転独特の不能状況」にあったことを認めている。それを「脇見をしていた」というふうにゴマ化しているが、しょせんは「視野周辺部が見えない」という状況にあったということなのだ。

 そして、それを罰するためにあるのが、「危険運転罪」である。その意味は、「視野周辺部が見えない」「神経レベルが低下している」ということを通じて、歩行者の生命を危険にさらすことだ。
 ところが、裁判所は、まったく別の見地から問題を見ている。「ちゃんと運転できるか否か」ということを見ている。「まっすぐ運転できるかどうか」「角を曲がれるかどうか」ということだけを見ている。これは、歩行者の安全とは、あまり関係もない。どちらかと言えば、「運転者の生命を守れるかどうか」ということだけを見ている。

 ──

 まとめ。
 裁判所は、酒酔い運転の定義として、
 「泥酔して、正常に運転操作をすることができなくなること」
 を取っている。しかしこれは、歩行者保護の基準ではなく、運転者保護の基準である。そんな基準を取ることは、本末転倒だ。
 自分がちゃんと運転できるかどうかが問題なのではない。歩行者を危険にさらさないように、ちゃんと危険回避運動ができるかどうかが問題なのだ。
 そして、そうだとすれば、「ちゃんと運転できたこと」「ちゃんと歩けたこと」などは、何の意味もない、とわかる。むしろ、「ビール一杯でもすごく危険なのに、ビール1杯と焼酎ロック9杯も飲んだ」ということから、「まさしく神経レベルの低下をきたしていた」と認定するのが妥当だ。(このくらいの酒気が抜けるには、最低でも 12時間以上を要する。)

 裁判所は、「酒酔い運転とは何か」について、科学的判断力を欠いている。検察もまた同じ。「酒気検知器のデータがどうのこうの」という、どうでもいいデータばかりを見て、「大量の酒を飲んだ」という事実を、無視してしまっている。
 つまり、機械による測定データこそが科学的だと思うあまり、自分自身が科学的な判断をできなくなってしまっている。

 無意味な測定データや法律論を論じるよりも、まず、「酒酔い状態とは何か?」ということを、科学的に知るべきなのだ。
 そういう科学的事実を知らない法律バカがのさばるから、悪質な犯罪者が大手を振ってのさばるようになる。

 [ 参考 ]
 「酒酔い状態とは何か?」ということは、ネットを見れば、いろいろとわかる。たとえば、次のサイト。

http://blog.so-net.ne.jp/takenoko-ent/2007-06-30-1
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000170701130001

 自分で運転する人は、これらのページをじっくり読んでほしい。
 ちなみに、私の兄弟は、飲酒法の改正以降、運転するときには一口たりとも酒を飲まなくなりました。これが常識じゃないですかね? 裁判所って、世間の常識が通じないようだ。(だから、陪審制が必要?)
posted by 管理人 at 18:21 | Comment(3) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回の判決はもう一つ大きな問題が有ると思います。
酩酊していて人をひき殺した場合は、逃げた方が得になる判決と言うことです。逃げて酔いを冷ましてから出頭すれば、危険運転致死罪には絶対にならないと言う判例を作ったにすぎないですね。
Posted by YOCHI at 2008年01月10日 23:34
裁判所の論理のおかしなところをもう一つ。
 「ちゃんと歩行できたから泥酔状態ではない」
 という理屈のようだが、
 「ちゃんと歩行できない」
 のであったなら、その場合にはもはや「心神喪失」状態にあったことになり、罪を免責されることになる。(精神科医が判断すれば、「泥酔状態では心神喪失状態にある」と論じるだろうし、法学者は「心神喪失状態ならば罪に問えない」と論じるだろう。)
 つまり「酔っぱらいの行為は罪に問えない」ということだ。
 こうして、裁判所の論理によると、こうなる。
 「酔っぱらい運転と認定された場合には、罪に問えない」
 「酔っぱらい運転と認定されない場合には、酔っぱらいではない」
 こうして、あらゆる酔っぱらい運転は、免責される。
Posted by 管理人 at 2008年01月11日 00:20
はじめまして。
今回の件で非常に納得がいかないのは、「スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった」からアルコールの影響が認められないというくだりです。

結果的に何も起きなかったのだから別にいいじゃん、というのは裁判所の判断としては有り得ない考え方だと思います。今回は、「最終的には」子供を殺してしまったわけですが、もしその事故がなければ「無実」だったわけですよね。酒を飲んだのは事実なのに。
結果的に何も起きなければプロセスは無視される、最悪の判例を作りましたね。
Posted by takeo365 at 2008年01月11日 14:00
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