2007年12月11日

◆ 医師三原則


 医師のなすべきことは何か? それを示すために、「ロボット三原則」になぞらえて、「医師三原則」というものを立ててみる。
(「ヒポクラテスの誓い」というのもあるが、それとは別の話。) ──

 まず、次の新聞コラムがあったので、紹介しておこう。(朝日・社説 2007-12-11 )
 この夏、公開されたマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」は、米国の医療の現状を鋭く告発した。治療費を払えない患者を病院が路上に捨てる場面は衝撃的だ。
 この日本ではまさか、と思われていたことが実際に起きてしまった。
 堺市にある新金岡豊川総合病院の職員たちが、糖尿病で全盲になった63歳の男性の入院患者を車で連れ出し、荷物と一緒に公園に置き去りにした。
 病院は「医療者として、とんでもないこと」と謝罪した。命を預かる医療機関としては、あってはならないことだ。
 これが本当なら、新聞で大々的に報道されるところだが、この話は嘘である。朝日というのは、話を面白くするために、勝手に嘘記事を書く。というか、事実を歪める。
 社説の後段を読めばわかるが、この「患者」というのは、すでに治療を終えた「患者」であって、その人が勝手に暴力的に病室を占拠していただけだ。治療を終えたのだから、「患者」ではなくて、「元患者」であり、ただの「市民」である。
 治療の必要のある「患者」を追い出すのなら問題だが、治療の必要のない「市民」を追い出すことの、どこが悪いのか? ま、悪いかもしれないが、それは病院が悪いのとは違う。
 これが悪いのだったら、家賃を浮かせたい人は、みんな病院に住み込んで、三食と住居を提供してもらえばいい、ということになる。馬鹿げている。
 ま、具体的にどうすればいいか、という対処の話は、「行政組織と病院が相談するといい」というふうに社説は記している。それはそうだろう。しかし、それならそういうふうに、最初から書けばいい。朝日のように「患者」を置き去りにした、という嘘を書く必要はないはずだ。

 ここでは「マスコミの倫理違反」(面白おかしく書くために事実を歪めること)が問題となる。
 ま、朝日というのは、そういう体質があるものだが。(たぶん文学かぶれの「元文学青年」が、記事を書くせいだろう。下手な小説でも書くつもりで、事実を歪めて報道して、自己満足する。気持ち悪い趣味。)

 ──

 ま、以上は、ただの悪口だ。悪口に付き合わせてしまって、ごめんなさい。
 
 さて。ここから話は飛ぶが、「だったら医師は何をするべきか?」という本項の話題に移る。
 しかも、それを、「ロボット三原則」と比べて論じる。
 
 何でそんなことをするのかというと、話が面白いからだ。朝日の歪曲記事は面白くないが、本項の話題は面白い。
 というのは、本サイトの読者は、科学や社会や情報に関心があるはずだからだ。これらを横断的に考察するというのは、なかなか面白い話題となる。

 では、いよいよ、論じよう。「ロボット三原則」になぞらえて、「医師三原則」というものを考える。

 ──

 まず、「ロボット三原則」とは、こうだ。( Wikipedia による)
  • 第一条  ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  • 第二条  ロボットは人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
  • 第三条  ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
 この三原則は、ただ眺めているだけでは、ただの箇条書きか法律文句みたいにしか見えない。では、その本質は何か? 
 この三原則で重要なのは、第二条だ。これが本質である。そこで、並べ替えて、次のように書いてみる。
  • 第a条  ロボットは人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第b条に反する場合は、この限りでない。
  • 第b条  ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  • 第c条  ロボットは、前掲第b条および第a条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
 わかりやすく書くと、ロボット三原則は、こうなる。
  • 第a条  [本質] ロボットは人間に服従しなければならない。
  • 第b条  [例外] 前項には例外がある。それは、「人間に危害を加えてはならない」ということだ。そういうことを命じる命令には、服従しないでよい。
  • 第c条  [一般] 人間の命令がない場合には、自己保存をするべきだ。自分を壊してはならない。
 以上がロボット三原則だ。
 これにならって、「ロボット」を「医師」に書き換えて、「人間」を「患者」に書き換えると、次のようになりそうだ。
  • 第A条  [本質] 医師は患者に服従しなければならない。
  • 第B条  [例外] 前項には例外がある。それは、「患者に危害を加えてはならない」ということだ。そういうことを命じる命令には、服従しないでよい。
  • 第C条  [一般] 患者の命令がない場合には、自己保存をするべきだ。自分を壊してはならない。
 これは「医師三原則」となるか? いや、ならない。解説付きで示すと、次のようになる。
  • 第A条  [本質] 医師は患者を治療しなければならない。ただし、治療の有無は患者が決定することができるが、治療内容については患者が医師の命令に従わなくてはならない。(治療の有無と、治療内容とで、主従関係が逆転する。)
  • 第B条  [例外] 前項には例外がある。それは、「患者に危害を加えてはならない」ということだ。つまり、「私を殺してください」という患者の依頼・命令には、服従しないでよい。また、医者が治療の方法を決めるにしても、患者を危険にさらす治療をなしてはならない。(ヒポクラテスの誓いと同様。)
  • 第C条  [留保] 患者の命令がない場合には、自己保存をするべきだ。のみならず、患者の命令がある場合でも、自己保存をするべきだ。患者を治療するといっても、自分を壊してまで治療するべきではない。(過労死の禁止)
 もう少し解説しよう。
 第A条 では、「治療の有無/治療内容」とで、主従関係が逆転する。「医師は治療しなくてはならない」というのは、ヒポクラテスの誓いと同様だが、治療内容に着いてまで、患者が命令を下すことはできない。患者は、治療内容がいやなら、その医者を拒んで、よその医者のところへ行くことはできる。しかし、いちいち「ああしろ、こうしろ」と口を挟むことはできない。
 第B条 も、ヒポクラテスの誓いと同様だ。これは手塚治虫の漫画「ブラックジャック」に出てくる「ドクター・キリコ」(安楽死の依頼を受ける医者)を禁止したものだ。
 第C条 は、ロボット三原則とは、まったく異なった趣がある。ロボット三原則では、これは、あくまでオマケである。「人間の命令を聞く」というのが最優先であり、それがない場合にのみオマケふうに「自己保存をせよ」と述べるだけだ。しかし、医師三原則では、これは最優先となる。すなわち、たとえ患者の生命を守るためであっても、医師は自己の生命を犠牲にしてはならない。患者の生命よりも、医師の生命の方が、優先する。……こんなことは、ちょっと聞くと、医師のエゴイズムのように聞こえるから、どこにも書いていないが、とても重要である。
 仮に、医師が自分の生命を犠牲にするとしたら、どうなるか? 一つは、「自己の臓器を削って、患者に移植する」というようなことが起こる。これは、とんでもないことだ。ゆえに、こんなことをしてはならない。そしてまた、過労死についても、同様だ。自己の臓器を削るかわりに、自己の生命を削って、自己の生命を患者に与えてはならない。もしそういうことをすれば、一人の患者は助かるが、多数の患者が助からなくなる。なぜなら、医者が死ぬせいで、以後の患者は治療を受けられなくなるからだ。目先の一人の命は助かるが、二番目以降の大多数の患者の命が失われてしまう。ゆえに、医師は、最優先の原則として、「自己の生命を守る」ということを掲げなくてはならない。

 ──

 以上のことを踏まえて、新たに「医師三原則」を書き下そう。次のようになる。
  • 第1条  [前提] 医師は自己の生命を守らなくてはならない。これが最優先となる。(過労死の禁止)
  • 第2条  [本質] 医師は患者の要望を受けて、治療しなければならない。ただし、治療内容については患者の命令を受けない。
  • 第3条  [例外] 患者の要望を受けることのうちには、「患者を死なせること」つまり「安楽死」は含まれない。
 以上が「医師三原則」だ。
 
 ──

 この医師三原則を見ると、次のことが言及されていないことに気づく。
 「患者の要望なしに、治療すること」
 これは必要とされない。患者が意識を失っているときは例外だが、それ以外の場合には、患者を治療する必要はない。
 上の 第2条  ではあくまで、「患者の要望を受けて、治療する」ことが原則となっている。患者の要望なしには、治療をする必要はないのだ。たとえ治療するべきであっても。

 ──

 では、医師三原則において、一番大事なのは、何か? 
 先にも述べたが、「ロボット三原則」や「ヒポクラテスの誓い」とも比べて差のある部分だ。すなわち、「自己保存を最優先する」ということだ。つまり、「過労死の禁止」である。
 先にも述べたが、医師が過労死してしまっては、何にもならない。目先の成果を優先して、長期的な成果を失うことになる。目先の一人を救うために、大多数の人々を死なせることになる。
 こういうことは、あってはならないのだ。

 ただし、現状では、正しい状態になっていない。多くの病院で、医者の過労死とか、寿命低下とか、健康被害とかが、大量に発生している。
 また、医者が働きすぎて、鬱病になって、自殺する、ということもあるだろう。それでも、統計上は「自殺」だから、普通の「医療事故死」のようには扱われない。しかし、これはまさしく、医者が人を死なせたのだ。ただし、他人を死なせたのではなく、自分を死なせた。
 だが、こういうことは、絶対にあってはならないことなのだ。医者は、患者を死なせてはならないが、それ以上に、自分を死なせてはならない。それが最優先のこととなる。
 このことを「医師三原則」は教える。そして、それは、「倫理ばかりにとらわれてはならない」ということだ。「倫理にとらわれて、合理的な判断をなくしてはならない」ということだ。

 現代の社会は、狂気の社会である。「医師を過労死させてしまえ、それが当然だ」と思っている社会である。そういう狂人たちの間で、医師は狂人たちの言葉に従ってはならない。たとえ狂人たちが「おれたちを救え。そのためにおまえは死ね」と要望しても、医師は自己の生命を守らなくてはならない。
 そのことを「医師三原則」は教える。

 ──────────────

 一般に、医療教育の場では、「医師は倫理的であれ」と教える。(「医師は聖職だ」と言い換えてもいい。)たとえば、「ヒポクラテスの誓い」がそうだ。
 しかし本項では、こう示す。「医師は科学的・合理的であれ」と。

 倫理性にとらわれるあまり、科学的合理性を失ってはならない。それでは、なすべき道を踏みはずす。心が優しいせいで、かえって人々を傷つけることになる。そうなってはいけないのだ。
 人間は万能ではない。人間は神ではない。人間は万人を救うことはできない。……となれば、あえて心を鬼にして、少数の人を見殺しにしなくてはならないことがある。

 漫画の「ブラックジャックによろしく」に、該当する場面が出ていた。
 救急病院に次から次へと患者が搬送されてくる。これを受け入れるべきか? 受け入れなければ、患者は死んでしまいそうだ。だから受け入れるべきだ、無理をしても、と新人医師は思った。
 しかし、そんなことをすれば、病院の処理能力を超えてしまう。すでにいる患者さえもまともに治療を受け入れられなくなる。病院には処理能力というものがあり、その処理能力を超えて無制限に患者を受け入れることはできないのだ。だから、みすみす患者を死なせることになるとわかっていても、患者を断らなくてはならない。

 ──

 医者は万能ではない。地上にいる患者のすべてを一人で処理することはできない。能力には限界があるのだ。その限界をわきまえるべきだ。
 処理能力が現実の患者数には不足する(つまり患者を救えない)としたら、それは、それは、個々の医者が努力不足だからということではない。医療行政が間違っているということだ。ここでは、個人の努力で物事を解決することはできないのだ。

 医者には良心よりも大切なものがある。それは合理的な判断力だ。それがなければ、自分自身を崩壊させ、さらには、社会そのものをも崩壊させる。そういうことだけはあってはならない。
 だから、たとえ良心を裏切っても、冷たい合理的な判断を下さなくてはならないときがある。医師はそのつらさに耐えなくてはならない。自らの手では救えない人々が死んでいくとしても、あえて見過ごすつらさに耐えなくてはならない。……そして、それができる医師だけが、真に人々を救うことができる。


( ※ 「心が優しいせいで、かえって人々を傷つけることになる。そうなってはいけないのだ」と少し上で述べた。これが本項の眼目だ。つまり、「優しさのせいで愚かになるな」「優しさよりも賢さを重視せよ」と。優しさのあまり、「人を救おうとして人を殺す」ということはあってはならないのだ。……同様のことは、経済にも当てはまる。「貧しい人々を救おうとして、貧しい人々を苦しめる」ということはあってはならない。この件は、「泉の波立ち」で、次のように述べた。「優しい心を持つ人が、どんなに善意で行動しても、その行動が見当違いのものであれば、何の役にも立たない。たとえば、溺れている人を救うには、浮き輪などが必要なのだが、「お金を上げます」と言って、金貨をたっぷり与えれば、溺れている人は、救われるどころか、死んでしまう。」[ → 泉の波立ち 2007-12-25 ])


 ──────────

  【 追記 】

 「ロボット三原則」と比較してみよう。
 ロボット三原則では、「自己保存」よりも、「命令服従」が優先される。つまり、主人たる人間がロボットに、「おまえは壊れよ」「おまえは過労死せよ(消耗せよ)」と命じたら、ロボットはその命令に従わなくてはならない。
 しかし医師三原則では、そういうことはない。

 では、その意味は? 
 「医師は医療ロボットではない」
 ということだ。つまり、
 「医師は人間だ」
 ということだ。
 これは、当り前か? 当たり前だ。しかしながら、その当り前のことが、現実では無視されている。「医者は人間ではない。過労死しても、壊れるまで働け」という風潮が一般的だ。

 そこで、「医師は医療ロボットではない」ということを示すために、「ロボット三原則」との対比が重要になる。
 社会は医師というものを「医療ロボット」としてしか見ていない。それに対して、「いや、おれたちは人間なんだ」と声を上げることが必要だ。そして、そのために、あらかじめ「自分は人間なんだ」と自覚することが必要だ。

 現実には、そのことを自覚していない医師が多い。「自分は医療ロボットだ」と思い込んでしまう医師があまりにも多いのだ。

(現実の医師は、ロボット並みに、思考能力が欠けているのかもしれない。働き過ぎのせいで、自分自身について反省する思考回路が遮断されているわけだ。……で、その思考回路を回復させるために、本項があるのだ。ロボット化した医師に、「おまえはロボットじゃない、人間だ」と教えるわけだ。人間性の回復。)




 [ 付記 ]

 社会における「医療のキャパシティ(処理能力)」の問題は、医師の問題ではなくて、医療行政の問題である。そんなことまで医師が負う必要はない。
 医師がなすべきことは、自分にとって可能なことをなすことであり、自分にとって不可能なことをなすことではない。
 一人の目前の患者を救うことと、社会全体で大量の患者を救うこととは、別である。そのことを勘違いすると、目前の患者を救おうとして、自分を殺すことになる。
 「患者を救おうとして自分を殺す」
 というのは、どちらかと言えば、いっそう大きな罪なのだ。というのは、人々を救える人を殺すことになるからだ。
 医師は、良心的で自己犠牲的なので、「患者を殺してはいけない」とすぐに思っても、「自分を殺してはいけない」とは気づきにくい。そこで、本項の「医師三原則」が重要になるわけだ。いわば盲点を示す形で。

 ────

 [ オマケ ]
 オマケで一言。
 本項は、「医師は善人であること」が、大前提となっている。それを満たさないで、「医師は悪人であったとしたら」というふうに考えたら、上記の「医師三原則」は成立しないこともある。
 しかし、それは当り前だ。本項は「医師」の三原則であって、「形式的には医師を職業とする、本質的な悪党」の三原則ではないからだ。
 だから、変な例外を持ち出して、「いや、成立しないぞ」というような反論を出さないでほしい。

 ついでに一言。
 どんな話だって、大前提をはずせば、成立しなくなることはある。(そんなことまでいちいち言及しないが。)
 しかし、相手の揚げ足取りをして、いやがらせをしたいときには、こういうふうに「大前提をはずす」という形を取るといい。そのことで、論議が深まるわけではなく、論議を混迷させることができる。
 いやがらせというのは、そういうものです。本サイトにもときどき出没する。

 → Wiki型と 2ch型
  http://openblog.meblog.biz/article/105967.html




 【 参考 】

 参考として、「ヒポクラテスの誓い」がある。下記で読める。

 ヒポクラテスの誓い(原文:小川鼎三訳)
 → http://www.kanazawa-med.ac.jp/mic/rinri/hippocrates.html
posted by 管理人 at 18:17| Comment(2) | 医学・薬学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「患者を救おうとして自分を殺す」

逆に言えば、患者(及びその家族)が、理不尽な要求を医師に対して行うことで、患者が医師を殺す、というような事態に現状は陥っているのではないでしょうか。
(教育の現場でいうところの「モンスターペアレント」に相当)

医療や、医療以外の分野でもそうですが、最近の日本人は、サービスを提供する側に対して、「やって当然、出来て当たり前。(だから、感謝の気持ちは無い)」の考えが染み付いてしまっていると思います。だから医療でも、患者は医師に対し、「治療して当然、完治は当たり前」を当然のように要求する・・・。

どんどん、日本人がオバカになっている。それに振り回される医師。お気の毒です。
Posted by じゅじゅ at 2007年12月13日 12:58
以下、引用。
 ──
 医師法19条1項
  「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならない。」

 この規定により、医師は原則として患者の診療契約の申し出を拒むことはできません。報酬不払いの患者や診療時間外に来訪した患者、専門外ではあるが応急的な治療を希望した患者等に対しても、「正当な事由」には当たらないと考えられていますので、応じる義務があります。この「正当な事由」が認められるケースは極めて少なく、医師が何らかの事情で診療ができない場合等に限られます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/180722.html?&status=true&errcode=&msg=&aid=535016
Posted by 管理人 at 2012年05月29日 00:15
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