2007年08月27日
◆ 兼坂弘の教え
兼坂弘(1923年5月18日 - 2004年11月28日)は、独創的な自動車エンジン技術者である。日本の自動車エンジン技術を画期的に高めた功績者である。( 塑性域角度法 など)
彼の教えは、今日の技術者にも役立つ。「独創的な技術開発をするにはどうすればいいか?」という問題をめぐって話題にしよう。 ──
兼坂弘は、1970〜80年代に活躍した自動車評論家である。ただのペーパー評論家ではなく、自分の体験から語る深い造詣があった。
ただ、彼の技術は、発揮の場を与えられなかった。いすゞ技術者としてディーゼルエンジンの開発しか機会がなかった。しかるに彼の才能はそれを大きく上回っていたので、マスコミの場で評論活動をした。
仮に、彼がトヨタや日産やホンダの技術者であったならば、その技術力はその会社だけに留まっていただろう。しかるに、マスコミを通じて啓発したことで、彼の見解は自動車産業全体を高める効果があった。
彼はまた文筆力も高く、軽妙洒脱なからかい文句で、日本の自動車会社の技術力の低さをからかった。
しばしば用いる文句に、「ベンツはこうやっているぞ」(だから真似しろ)というのがあった。これをもって「兼坂弘は物真似を勧めている」と批判する人もいるが、そういうのは頭の悪さを物語るだけだ。彼は、自分の主張を示した上で、その主張を採用しているベンツを例示して、「ベンツと同じようにおれの見解を取れ」と言っているだけだ。「ベンツの真似をせよ」ではなくて、「おれの見解を取れ」と言っているわけだ。ただし、単に「おれの見解を取れ」と主張しても、人真似ばかりする日本の自動車会社は、ちっとも信用しない。そこで、「ベンツもやっているからベンツの真似をしろ」というふうに言っているわけだ。日本の技術者の物真似根性を逆用しようとしているわけだ。
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ま。それはさておき。肝心の話に移ろう。
兼坂弘の技術開発の指導は、当時の日本のエンジン技術力を、画期的に高めた。そもそも、日本の自動車技術開発力は、著しく低かった。最初に輸出したクラウンは、高速道路を走る能力がなくて、途中で止まってしまったぐらいだ。その後、しきりに追いつこうとしたが、なかなか追いつけない。
ただし例外的に、エンジン技術だけは、80年代から90年代にかけて、日本は世界最高水準にあったと言える。これはまったく不思議なことだ。サスペンションや車体剛性やデザインなどは、90年代初めになっても世界でも劣っていたのに、エンジン技術だけは、かなり先だって世界最高水準に達していた。
では、どうして、こうなったか? 私としては、「兼坂弘の貢献があったからだ」と思いたい。実際、兼坂弘の指摘を受ける前のエンジン技術力は、ひどいものであった。しかるに、指摘を受けてかなりの時間がたつと、相当ハイレベルのものも作れるようになっていった。
(ただし最近では、ふたたび世界最高の座から落ちてきており、ドイツ車に並ばれつつある。)
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では、兼坂弘は、なぜ、かくも卓抜な技術力を持てたのか? そのわけを説明しよう。
(1) 仮説1 ── 知識
第1の仮説として、「大量の知識があった」ということが考えられる。
しかし、これは駄目だ。なぜなら、知識というのは常に古びるものであり、過去の知識しかないからだ。技術開発の場では、未知の技術を開発することが大事なのであって、既存の知識を覚えればいいのではない。
技術開発力というのは、自分で開発する能力であり、他人の開発したものを真似する能力ではない。この点、注意しよう。
(2) 仮説2 ── 実験
大量の実験によるトライアンドエラーで、ということが考えられる。
しかし、そんなことは、どこの企業でもやっている。そういうふうに「汗をかく」ということは、それなりに大事ではあるが、それだけでは人並みのことしかできない。
(3) 仮説3 ── ヒラメキ
ヒラメキによって独創的技術を得る、ということが考えられる。
ここで、進化論の発想をすると、こうなる。
「進化論では、突然変異と優勝劣敗で、進化が起こる。技術開発では、ヒラメキと優勝劣敗で、技術開発が進む。だから、とにかく、ヒラメキを待てばいいのだ。」
これはこれで一案だが、問題は、「どうやってヒラメキを得るか」だ。そこが問題となる。たいていは「天から降ってくる」というのを待つが、そんなふうにタナボタを待つようでは、他人に先んじることはできない。
あまりにも「あなた任せ」「天任せ」の態度である。無効。
(4) 仮説4 ── 本質
このあと、次のような立場が現れる。
「物事の本質をとことん突き詰める。そのことで、自然に、何をなすべきかがわかる」
これを「本質主義」と呼ぼう。実は、これこそが、兼坂弘の基本的な態度であった。(本人はそうは述べていないが。)
たとえば、エンジンの吸気ポートの形状を設計するとしよう。どういう形状にすればいいか? 立場ごとに、次のようになる。
・ 知識 …… 他人の知識を調べて、最適の形状を学ぶ
・ 実験 …… たくさんの形状を実験して、最適の形状を探る
・ ヒラメキ…… 最適の形状が突然ヒラメくのを、ひたすら待つ
・ 本質 …… 吸気ポートの本質を考えて、どうあるべきかを探る
兼坂弘が取ったのは、最後の方針だ。「本質は何か」を常に考えて、どういうふうにあるべきかをとことん突き詰めた。こうして、あらゆる場面において、なすべきことが判明していった。そのことは、彼の著作のタイトルからもわかる。
「究極のエンジンを求めて」
これが彼の著作のタイトルだ。そこにあるのは「物事の本質を突き詰める」という態度だ。
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このことは現代のわれわれにとっても教訓となる。なぜなら、われわれの身近には、次のような発想が多いからだ。
・ コスト主義 …… いかにしてコストを下げるか
・ 効率主義 …… いかにして生産効率を高めるか
・ 知識主義 …… あちこちから情報を得て学ぼう
・ 実験主義 …… とにかくたくさんの実験をしよう
・ ヒラメキ主義 …… ヒラメキが湧くのをまとう
・ 競争主義 …… 優秀な人だけが生き残ればいい
・ 能力主義 …… 優秀な人の給料を上げればいい
しかし、このような態度では、独創的な技術開発はできない。独創的な技術開発をなすには、「物事の本質を突く」という態度(本質主義)が、是非とも必要なのだ。
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ついでに、一言述べておこう。
「本質主義を取ればいい」
というふうに安直に考えてはいけない。
なぜなら、たとえ本質主義を取っても、基礎技術力がなければ、どうにもならないからだ。まずは基礎が大事である。また、本人の才能も必要だ。とにかく、才能も重要である。
だから、「本質主義を取ればうまく行く」とは限らない。ただし、「本質主義を取らなければうまく行かない」(無駄な徒労をするハメになる)とは言える。
( ※ なお、才能というものは、どうにもならない定数である。だから、才能の差は無視していいだろう。才能の差がどうのこうのというより、才能を発揮することの方が大事だ。)
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なお、最後に、蛇足を述べておこう。
「本質主義を取れば人生万事つつがなし」ということにはならない。自分一人が先に進めば、他の人はなかなか付いてこられない。すると、他の人から誤解されがちだ。文句を言われたり、悪口を言われたりする。「おまえたちはまったく真実を理解できないコドモだなあ」などとからかったりすると、怒って攻撃しかけてくる誇り高い技術者も多い。
人に先んじて真実を知るということは、あんまり楽しいことではないのだ。むしろ、人々といっしょになって、わいわい馬鹿騒ぎをやっている方が、よほど楽しいものだ。
真実を求める人は、人生の楽しさなどを求めてはならない。
過去ログ
そっちの道に魅せられてしまった人は孤高の道を歩むしかないんでしょう。
独創的だから良いというのは本質を踏み外した議論だということだけれども。
実際新しい1シリーズは相当に兼坂さんの理想に迫っている可能性があります。
デミオの skyactive は「ミラーサイクル」なんて言っていなかったが、実はやっているそうだ。「超高圧縮比でもノッキングしない素晴らしい技術」というのは嘘で、実はミラーサイクルにしていた、らしい。
もっと評価されて然るべき